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小さな聖女は血に誓う  作者: 功刀 烏近
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九章 小さな聖女は血に誓う(20)

 振り下ろされた刃を、ヘリテはとっさに横に逃れた。

 膝を畳んで座っていたとは思えない、俊敏な動き。半分は人間に近づいたはずなのに、ヘリテの動きは今まで以上に機敏だった。

 一つには彼女がもう自分の体と力を恐れずに認め、完全に意識の支配下に置いたためだ。ヘリテにとって望まぬ転化であったが、彼女の気持ちとは裏腹にかって屍食鬼達が評価した通り、彼女には吸血鬼としての天稟てんぴん――生まれ持っての才能があった。半減してなお、ヘリテの潜在的な身体能力は並の吸血鬼を上回っている。心理的なブレーキが外れれば、動きが良くなるのは当然のことだった。

 そしてもう一つ、かってない力を得たヘリテの生存本能が、全力で警告をわめき散らしていたからだ。アッシャーの剣は例え今のヘリテであっても、わずかに掠めることすら危険であると。


 滑るような足運びから力み無く繰り出された縦の一刀は、音を立てて空を切った。

 文字通りに。

 音は風切り音ではなく、ばぢぢっ、という何かが弾けるような音だった。水を張った鍋に真っ赤に焼けた石を放り込んだ瞬間に似て、しかしもっと鋭い音だ。

 大剣の先端は、美しい弧を描く軌跡を空中に刻んでいた。

 ヘリテの目の前で、空中の軌跡は未だにぱちぱちと鮮やかな火花を小さく散らしている。

 何も無い空間が、焼き切られた。

 そうとしか思えない光景だった。


「一体、その剣は……」


 緊張からあえぐようにこぼしたヘリテの声を、アッシャーは目敏く拾い上げる。


終末兵器アポカリプサーはその名の通り、遠い未来、あるいは過ぎ去った過去の『世界の終わり』を武器の形に鍛えたもの。神格や悪魔のような高次存在を、世界の一部ごと破壊、あるいは存在する座標を切除して秩序世界から放逐ほうちくする事で撃退する兵器です。アッシャーダストとは正しくはこの【灰燼剣けん】の銘であり、同時に継承した有資格者を示す符丁でもある」


 アッシャーの説明と避けてなお肌をちりちりと焼く炎熱に、ヘリテは今も湧き上がってくる切迫した危機感の正体に気付く。

 周囲を満たしていた術式、一切の致傷行為を禁じる〈聖堂空間バシリカ〉の結界が崩壊したのだ。

 【灰燼剣】の力が結界に触れた瞬間、結界はまるで一本の松葉まつばを火にかざしたように一瞬で燃え尽きてしまった。

 当然と言えば当然だ。高次存在、特に悪魔デヴィルは言うなれば極めて高度で複雑な生きた魔術そのものでもある。悪魔を破壊できる力が魔術の一切を破却はきゃくできるのは何も不思議なことではない。

 まるで力感を感じさせない動きでアッシャーは振り下ろした大剣を構え直す。同時に、全身はヘリテの方に振り向いていた。

 大剣の刀身は今も灰色の煙を幾筋も立ち上らせ、細雪ささめゆきのような灰の剥落を降らせ始めていた。世界ごと焼かれた結界術式の破片が、光を屈折させて灰のように見えているのだ。


「本来、人が振るっていい力ではない……が、それを言ったら魔術も法術も同じでしてね。要するに人類があまりしょっちゅう絶滅しないための、緊急避難きんきゅうひなんの手段として用意されたものです。……一説には創世神の置き土産だそうですが、確証はありません。もはや声の届かぬ御方、確かめようがありませんからねぇ」


 油断無く立ち上がりながらアッシャーを見据えていたヘリテは、不意の驚愕に目を見開く。

 アッシャー自身の体からも、剣と同じ細い煙の筋が立ち上り始めていた。


「終末兵器は幾つか存在が確認されていますが、それぞれ使用するには色々資格と制限がありましてね……その中でもこいつは条件が緩い方のはずですが、それでも現状他に使える人間が他にいないもんで、僕の預かりになったんですよぅ」

「アッシャー司祭、そのお体は……!」

「いやいや、この状況で他人の心配は、流石に余裕ぶっこき過ぎでしょう……ま、僕にとっては好都合ですが、ねぇ!」


 踏み込みながらの横殴りの一閃。ヘリテは慌てて後方に跳んで間合いを取った。

 ごう、と空気が盛大に押しのけられる。

 ばつん、と【灰燼剣】の切っ先で空間が爆ぜる。

 ぢぢぃ、と焼き切られた世界の傷痕が、血の代わりに小さく火を吐き出す。


「つうっ……!」


 空中に浮かぶ火線の陣から、周囲の空気を干しながら熱波が広がり、咄嗟とっさにヘリテは両手で顔をかばう。

 焼けた風が手や頬を掠めただけでも、ヘリテは熱さを通り越して痛みを感じていた。

 その様子を見て、アッシャーが笑う。笑うその頬が一瞬焼け落ちて赤い肉と白いすじを剥き出しにした後、跡形も無く消えて元に戻る。

 瞠目するヘリテに対し、アッシャーが平然と笑いかけた。 


「この剣を使用する代償が使い手の存在そのものってだけですよぅ。世界を焼く火にも、燃料は要るんでね。高次存在に対する強い憤怒ふんぬ憎悪ぞうお……要するに強い拒絶の感情を持つ者が良い薪になるそうで」


 普通の人間なら一振りで死にかねない代償も、アッシャーの底知れぬ天命フェイトに依存した無制限の治癒法術によって即座に塞がれる。

 結果として、アッシャーは天命が尽きるまでの間、生きながらに焼かれ続けていた。世界すら焼き砕く焦熱によって。


「そんな……なんというものを……!」

「とは言え、それだと流石に使い手が持ちませんでして。本来は相手が悪魔や邪神の類いなら、聖霊による認可さえ下りれば世界そのものの反発力……免疫機構めんえききこうの助力が入るんで、こっちゃ火口箱ほくちばこ程度の消耗で済むんですが……」


 アッシャーがちらりと肩越しに背中を見やれば、そこにはまだ尼僧の姿をした聖霊が浮かんでいる。資格者の請願によって呼び出された聖霊は、しかしまだ応答を返していなかった。

 半人半吸血鬼のヘリテの存在は、人ならぬ者にも是非を即断即決するには希有けうに過ぎたのか。


「逆に言えば、審議中でも全部自分の持ち出しにすれば、燃料切れまでは使えるんですよぅ……この通り、ね!」


 袈裟懸けに振り下ろされた更なる刃を転がるように避けながら、ヘリテが叫ぶ。


「アッシャー司祭、お止めください! そこまで、そこまでして私を滅ぼしたいのですか!?」


 叫びは悲鳴ではなく、そこにかっての弱々しさや恐れはない。だが、代わりにより強い悲痛さと焦りがくっきりと浮かび上がっていた。

 そうこうしている間も、アッシャーの体から立ち上る煙はその量を増やしている。明らかに、【灰燼剣】が要求する代償はアッシャーの回復能力の限界を越えていた。

 だが燃えゆくアッシャーの笑みは崩れず、むしろより深く濃くなったようですらあった。


「僕は多くの吸血鬼、屍食鬼をほろぼしてきた。何人もの命乞いをした者の中には、あるいはヘリテ嬢、貴女のように真に悔い改めた者もいたかもしれない。それをすくい上げようともしなかった事が罪にして過ちであるというのなら、この命をもって償いましょう。でなければこの【灰燼剣けん】を預かる資格は無い」


 踏み出した脚甲が地面を噛み、爪先が接した土からすら新たな煙が立ち上る。


「それでもこの僕が『魔』を許し見逃す事は無い。僕が殺し滅ぼしてきた者達と、未だ血を要する貴女は等しく異賊アザーフッドであり、ならば僕は等しく人類の敵と見做すからだ。そこに何の区別もない。してはならない!」


 言葉と共に吐き出した息が、ばぅと音を立てて炎と化してから空に消える。


「ここで僕が自分可愛さに日和ったら……無為に死んだ連中は、それこそ浮かばれんでしょうが!」


 今のアッシャーは、人の形をした煉獄れんごくとでも呼ぶべきものへと変わりつつあった。

 ――だが本来なら、アッシャーの剣をこうもヘリテが避け続けられるはずはない。

 尋常では無い負荷が、流石の神殿騎士の技量をも見違えるほどに衰えさせているがゆえの事だった。

 【灰燼剣】の無断使用は、そも禁じ手中の禁じ手。使えたとしても一太刀が限度のはずであり、二の太刀はもはや命と引き換えでも放てるかどうか。

 それを既に四度である。いかな『不死喰らい(クルースニク)』を渾名あだなされた身でも、いつ絶命してもおかしくはなかった。

 それでも、アッシャーは微塵みじんひるまぬまま、前に進みながら吠える。


「人の力を遙かに超える異賊邪神に立ち向かうためには、人にも相応の覚悟がいる……そして人は間違える。だが神は間違えない! 間違えてはならない! 人に見えざるものも、神の目には明らかだ。だからこそ、人は間違いを恐れず前に進むのだ! きっと、最期には全ての過ちがあがなわれ、正しい道だけが残ると信じて!」

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