九章 小さな聖女は血に誓う(15)
処遇は任せると確かにヘリテは言っている。
だが、アッシャーの取った姿勢はカーナガルの常識的に見ても苛烈が過ぎた。
少女の首はまさに断頭台に掛けられた状態に等しく、つまりは告解そのものが死罪に等しいと宣告されているようなものだ。
普通の少女であれば、一言声を発することも至難の業だろう。
「司祭、貴様……この聖征外道がッ!」
思わずクゥエルが立場を悪用する因業な聖職者への罵倒を叫んでしまったのも、感情的には無理もない。
確かにヘリテは吸血鬼だ。だが、取っている態度も行動も、目の前の存在との絶望的な戦力差も、ここまで残酷に構える正当性に足るものかは疑わしかった。
例え不死を厭う死神を奉ずる神殿であっても、である。
だがしかし、当のヘリテは扱いに異論を唱える事はしなかった。
「クゥエル、大丈夫。……これでいいのです」
震える声は、しかし動揺はしていなかった。
そして静かに、美しく透明な声で祈りの言葉を唱え始める。
ただしその内容は、クゥエルもアッシャーも予想していないものだった。
「……遠ざかりし遙かなる創世の矛と慈悲を尊び敬い、太陽の剣、月の大鎌、黒天の槍の威と恩に限りなき感謝を捧げます」
「……む?」
「この身は土、この血は水、この息は風、この心は火、あまねく律法は雷へ、言葉は創世の矛より零れた滴なれば。私の身体は水と土に、私の言葉は風と雷に、私の魂は火と共に、時至れば天にお返しします」
無論アッシャーは知っている。熟知を越えてもはや本能としてこの祈りの向き先を知っている。
自分の用いるものとは僅かに違うが、間違えようも無い。邪神と真逆にある秩序の神々へ共通して用いられる祈祷の序文。
だがその続きにこそ、真に驚愕すべき言葉が待っていた。
「願わくは我が道の過たざる事を。我が心の曲がらぬ事を。我が魂の迷わぬ事を。――正しき生の正しき終わりへと、どうか守りお導きください。貴方の裁定を、どうか生きる私にお示しください。弱さから逃げず、痛みから目を背けぬように助けてください」
「ヘリテ嬢、待ちなさい。その祈りは――!?」
「重ねて祈り願います。人の最後の標、全ての物語を仕舞う者。曙と黄昏の汀に立つ死神よ」
反射的なアッシャーの静止にも、ヘリテの祈りは止まらない。
吸血鬼が決して口にしないはずのその名を唱えた時、ヘリテの身体はうっすらと今は見えない月のような朧な光に包まれていた。
「ディスクティトラ、私は貴方にこそ祈ります。私が人として生き、人として死ねるように、還り行くその日その時まで、どうか私の魂を導いてください」
次の瞬間、ヘリテは音も無く青白い炎に包まれた。
煙も上げずに、死者を焼く荼毘の炎がその肌を蝕み灰に変えていく。アッシャーの放った陽光で焼かれた時のように。
狼の遠吠えに似た、か細い音が無人の村落に低く響く。
目の前の光景に耐えきれずにクゥエルが零した、言葉にならない呻きであった。
「まさか、秩序の神、それも死神への告解による自決とは……転化したとて、子供の胆力とは思え……」
眼前の無惨な光景以上に、その行いに求められる意志の強さを想像して、鋼の如き神殿騎士も戦慄を隠せないでいた。
しかし、更なる驚嘆が訪れたのはその後だった。
「――遠ざかりし遙かなる創世の矛と慈悲を尊び敬い、太陽の剣、月の大鎌、黒天の槍の威と恩に限りなき感謝を捧げます――」
火の中にあって、ヘリテの祈りは止まらなかったのだ。
見れば灰になったはずの肌も、いつの間にか癒えて滑らかさを取り戻している。
青白く燃え盛ったまま、無傷の姿でヘリテは祈祷の言葉を繰り返していた。
「……馬鹿な」
アッシャーの声に、動揺に加えて初めて畏れが滲んだ。
自らが立ち会った状況が、ついに心身共に屈強極まりない神殿騎士の理解を超え瞬間だった。
「馬鹿な。何故だ、何故死なない? 何故滅びない? 吸血鬼が、不死殺しの死神に祈りを捧げたというのに!」
「私が死神の御心に適ったからです」
青い火の向こうから、答えが来た。
「私は、自分の意志で自らの不死を捨てました」




