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小さな聖女は血に誓う  作者: 功刀 烏近
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九章 小さな聖女は血に誓う(14)

 ヘリテが森から開拓村へと戻った時には、二人の獣の闘争はあらかたの決着がついていた。


「クゥエル……!」


 またも吸血鬼にあるまじく、息を切らしてクゥエルの元に戻ったヘリテが目にしたのは、力尽きてうずくまるクゥエルの変わり果てた無惨な姿と。


「おや、こりゃあ良かった。探しに行く手間が省けましたねぇ」


 同じく方々を赤く染めながら、少し離れた場所で大剣にもたれて立ったまま休む、平然として乱れのないアッシャーの笑みだった。

 アッシャーの声に、よろよろとクゥエルが顔を上げた。何時もの無表情を保つ事すらできなくなるほどに疲弊して、何処か呆けたような、ぼんやりとしたあどけない表情を浮かべている。

 執事服が左肩と右太股、そして左脇腹で大きく避けていた。

 剥き出しの肌に傷口が見えないのは、魔術による自己治癒力の強化によるものだろうか。止血は辛うじて間に合ったようだが、それでも重傷の痕跡はまだ全身を濡らしている。ヘリテを目にしてもなお立ち上がれずにいるのは、クゥエルを知る者からすれば悪夢のようだろう。

 多量の失血と大小複数箇所の骨折は、流石に気力だけで補える範囲を超えていた。


「お嬢様……」

「喋らないで、ああ、こんなに……」


 うわごとのように、か細い声でクゥエルが呟くのを、ヘリテは駆け寄って止めた。


「申し訳、ございません……私は、また、お役に立ちませんでした……」

「喋らないでと言ったでしょう! ……馬鹿な事を言わないで、貴方が私を助けてくれなかった事なんて、一度たりともありません……!」


 息も絶え絶えに謝罪を口にするクゥエルを、黙って血に汚れる事も、また自分が凍てつかせてしまう事も怖れずに抱きしめるヘリテ。


「ごめんなさい、クゥエル。貴方に酷い事を言いました。どうか私を許してください」

「許すも、なにも……私は……私こそが、お嬢様を偽りました。……当然の、報いです」

「……そうですね。確かに、貴方は私に嘘をつきました」


 だがヘリテの次の言葉によって、わずかにながらクゥエルの目が見開かれ、その顔に意志が戻り始める。


「でもその嘘すらも、私のためではないですか」

「お嬢様……?」

「もういいんです、クゥエル。……私はもう、全て分かりましたから」


 抱きしめたまま、声を潜めてクゥエルの耳元に囁きかける。


「どうか喋らないで。……そのまま聞いて。私から、貴方にお願いがあります」


 唐突に、クゥエルの身体から震えと共に力と強張りが抜けた。

 何かに安堵したように脱力するクゥエルに、ヘリテは言葉を続けた。


「このまま動かずに、少しでも身体を回復させてください。これから私のしようとする事は、多分私だけでは力が足りないから。何処かできっと、貴方の助けが必要になるはず」


 満身創痍の執事に、さらなる働きをヘリテは求めていた。

 だがクゥエルにとって、ヘリテの頼みが困難であっても無理であった事は無い。

 頷くまでもない事と反応が遅れたクゥエルが、ヘリテの最期のささやきに目を細める。

 それは困惑によるものだった。


「それとどうか……最期まで、私の事、信じて見守ってくれますか?」


 意図を捉えきれないまま頷くクゥエルに微笑みかけた後、ヘリテは毅然としてアッシャーに向き直った。


「お早いお着きで。ヘリテ嬢……いやこの場合は、遅かったですね、と言うべきかな?」


 もたれるのを止めて大剣を担ぎ直したアッシャー。

 血と泥にまみれたクゥエルに負けず劣らずの酷い有様であったが、その顔と声にはまるで疲労の滲んでいないという一点において大差が着く。

 それだけで、この神殿騎士の潜ってきた修羅場の質と量がうかがい知れるというものだった。


「そこな執事と二人掛かりなら、もう少し見込みは増したかもしれません。そう、毛筋ほどくらいはね」

「いいえ、私は間に合いました。……アッシャー司祭、貴方と戦う意図は、私には最初からありません」

「殊勝ですね……では、それが答えということでよろしいですか?」


 糸のような目が、小鳥を狙う猫程度に見開かれる。

 だがヘリテはアッシャーの問いに即答しなかった。


「その前に、一つお聞かせください。……クゥエルに、治癒の奇跡を授けてくださったのは貴方ですか?」


 まさか聞かれると思っていなかった質問に、アッシャーは肩をすくめて見せた。


「ま、ちょっと気絶してた隙に、死なない程度にですがね。……いっくら吸血鬼を庇うとはいえ、邪神に祈ってる訳でなし。まだ生かしておいた方が利用価値が高そうでしたのでね。ちなみに、また跳び回られるのは面倒なので骨折には手を付けませんでしたが、何か異論がおありですか?」


 だがヘリテは、その場でアッシャーに向かって深く腰を折り、礼を述べた。


「いえ、ありがとうございます。クゥエルの命を救っていただいた事、心から感謝いたします」


 そして身体を起こし、真っ直ぐにその瑠璃の瞳をアッシャーに向けて、告げた。


「私はもう、逃げません。貴方と争う気もありません。この場所で最期を迎える覚悟は決めて参りました」

「殊勝な事ですねぇ、若干拍子抜けではありますが」

「……ただ、その上でもう一つだけ、聞いていただきたいお願いがございます」

「ほう? ここに来て命乞い、という訳じゃあないでしょうが、何ですか?」

「最期に、告解の機会を与えてください。一人の司祭として、貴方に立ち会っていただきたいのです」


 ヘリテの口から出た言葉は、アッシャーをして目を丸くさせるに足るものだった。


「告解……神に許しを求める祈りを捧げたいと? 吸血鬼が?」

「はい、仰るとおりです」

「……キヤルゴの介入と助力の機会を死神の信徒たる私が許すと、本気で言っているんですかねぇ。もう少し聡明な方だと思っていましたが、見込み違いだったようだ」

「邪悪な行為かどうかは、立ち会う貴方の判断にお任せします。当然、その際の処遇しょぐうの一切も」


 邪神への告解とは要するところ、更なる帰依きえと引き換えに強力な助力を願う嘆願を指す事が一般的だ。極めて低い確率だが、成立すればヘリテはより強力な吸血鬼へと変貌しかねない。

 そんなものを許すと思うのかと問うアッシャーに、邪悪な行為と判断すればその時は好きに処断して構わないとヘリテは答える。

 それは死刑執行の決裁書に、自らサインを入れるようなものだった。

 だがヘリテはその小さな身体で、堂々たる態度を崩さなかった。


「それともこの世界において、司祭、それも神官が人の祈りの機会を奪う事は許されるのでしょうか」


 アッシャーの眉がハの字を描いた。普段の硬質の笑顔も鳴りを潜めて、はたから見ても強い困惑と葛藤が伝わってくる。


「……痛いところを突く。確かに、いかなる人間にも祈る権利だけは最期まで許されるべきです。聖と魔の横行おうこうする、未だ神話から脱せざる不条理ふじょうりの嵐にこの世のあればこそ、祈りによる万人の救済きゅうさいを否定してしまったら信仰も神官も成立しない。それは僕自身の信仰を揺らがせ、神官としての資格をも失わせ兼ねないでしょう」


 ぬぐぐ、とアッシャーの喉の奥から奇妙な声が漏れた。うなり声である。

 戦闘中には一切の迷いと躊躇ためらいから無縁の神殿騎士が、小さな少女との問答に分かりやすく困っていた。


「正直に言えばそんなもの、個人的な理由で惜しむ気はありませんが……いいでしょう」


 少しの間唸った後、ようやく出した結論をアッシャーは苦々しく口にする。


「ヘリテ嬢。貴方は幼稚ながらも、正統な手続きを踏んだ。混沌ケイオスがこれをなみすることはあっても、秩序コスモス律法ロウに庇護される人間が踏みにじる事は許されません……どうぞ、こちらへ」


 アッシャーは背中に羽織っていた丈の短いマントを外して、内側を上に向け目の前の地面に敷いた。

 促されるままに、ヘリテはその上にひざまずき、胸の前で両手を握り合わせて祈りの姿勢を取る。

 背負っていた大剣を目の前で垂直にかざして、厳かにアッシャーが宣言する。


「死神教会の司祭にしてディスクティトラの神託オラクルを授かりし神官、並びに紫花槍遊撃騎士団ラヴェンダーランスランダバウトの元副団長として、このアッシャー=ダストはヘリテ=インフェルムの告解に立ち会い、これを聞き届ける事を誓います……ただし、立ち会い方については古巣の流儀でやらせてもらいますよぅ」


 そして跪かせたヘリテの肩に、静かに大剣の刃を乗せた。首に対して刃は垂直。ヘリテの細首なら、一引きで刈り取れる姿勢である。


「貴方の祈りが罪無き人々への呪いになり得ると判断した時点で、この剣は貴方の首を落とします。その上で、告解自体は許しましょう」

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