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小さな聖女は血に誓う  作者: 功刀 烏近
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九章 小さな聖女は血に誓う(13)

「おおっ?」


 すれ違い様に首筋を掠める冷たい感触に、思わずアッシャーが驚きの声を上げる。

 完全に不可知ふかちの一撃に、首筋を押さえて飛び退いた。

 肩越しに後を振り返っても、既に執事の姿は無い。

 木々やアッシャーの影を飛び渡る速度は、とうに目で追える域を越えていた。

 風切り音に反応して片手で振り回した大剣が迫っていた短剣を弾き飛ばし、同時に細く鋭い痛みが反対側から幾つも全身に走った。さらには視界が滲んで、歪む。


「ちぃッ!」


 とっさに印を組み一節で放てる対抗魔術を発動。鎧を貫通して肩や胴、そして左の眼球に突き刺さっていた髪の毛ほどの針が幻のようにかき消える。影で出来た虚構の投げ針(ダガーニードル)。即座に傷は塞がるが、痛みは本物ですぐには消えない。確実に動きと判断を阻害する。常人であれば。

 執行者エンフォーサーの肩書きはやはり飾りでは無かった。

 虚数魔術によって時に武器を、時に自身を平面化して間合いを変え、存在そのものを不安定化させる事で鎧を透過した短剣で肉を斬り付ける。

 影から影への跳躍によって、常に視界から消え、死角から襲いかかる。

 警戒に動きを止めれば影に干渉し、動きを縛り、手足の末端を刻む。

 結果、常人なら軽く二桁回は死んでいるだろう致命傷を負う猛攻を受けて。


「凄まじい。魔術の最高峰たる魔導学院にもこれほどの使い手は十指に満たないでしょう……在野の虚数魔術士として、貴方は僕の知る限りの最優です。クゥエル=ファルゴット」


 なおも、アッシャーは健在だった。

 首筋を押さえた手を離し、大剣を両手で構え直しながら、姿の見えない暗殺者に向かってまごうことなき賞賛と、欠点への指摘を高らかに告げる。


「だが惜しむらくは、虚数魔術の性質上仕方の無い事ですが……術式の切れ味が鋭すぎる事」


 事実、頸動脈けいどうみゃくを切断したはずの斬撃は、ほんの数滴の出血を強いただけで、もはや赤い糸筋ほどの痕跡も残していなかった。


「非戦闘員を効率的かつ安全に殺害するには最適ですが、人ならざる魔や武装開拓者のような対人外戦の専門家……特に僕のような神官戦士を殺すには、傷口が綺麗過ぎます。これでは治るまでにろくに出血も起きやしない。もっと徹底的に、バラバラに解体するくらいでないとねぇ」

「致命傷すら塞ぐ強度の治癒法術を、常駐起動させているというのですか」


 声は後方から響いた。構えた切っ先を目の高さに保ったまま、ゆっくりと全身でアッシャーは声に向かって振り返る。

 暗闇の中に立ち尽くしているクゥエルの顔色は、何時にも増して白かった。

 吸血鬼ヴァンパイアたるヘリテを越えて、もはや幽鬼ゴーストの域に差し掛かりつつある。

 立て続けの術式行使は極限の集中を保ち続ける事であり、同時に引き起こした現象に応じて生命力を魔力として消費する行いである。並の術者なら、とうの昔に鼻血を吹いて失神するか、貧血と低体温で動けなくなっているだろう。

 実際のところクゥエルも、割れるような頭痛と芯から震えの来る身体を隠す事に少なからぬ努力を費やしている。だが弱っているところを見せても何の益も無いどころか、つけ込まれる隙にしかならない事は物心つく前からよく知っていた。故に、苦心くしんする事無く無意識に虚勢きょせいは維持出来る。消耗そのものは避けられないにしろ。


「いくら何でも無茶苦茶でしょう。いつ天命が尽きてもおかしくない」

「僕らの仕事は人を超越した連中に一泡吹かす事ですから。無傷は論外、自分の命を惜しむような覚悟では何にも届きませんよぅ。常人よりもう少し断崖エッジの近くを走りませんと」


 アッシャーの言う事が本当なら、その行いはクゥエルの無理の比ではない。

 こうして戦っている最中に、不意に前触れもなく、いつ天命消尽フェイタリティによる突然死を迎えるかも分からないという事なのだから。

 断崖というよりも、文字通り鋭利なエッジの上を走るが如き狂気の所業だった。

 だがアッシャーの顔には何時もの記号としての笑みが浮かんでおり、そこに一切の恐怖を見て取る事は出来ない。

 自分の知らぬ何らかの仕掛け(トリック)があるのかと目を細めて観察するクゥエルに、アッシャーが教えたのはとんでもなく馬鹿馬鹿しい、それでいて身の毛もよだつ仮説であった。


「……とはいえ、実際同僚から見ても僕の死にづらさは若干異常だそうで。酷い風評被害を受けているのも事実です」

「風評……?」

「僕は昔キヤルゴの深淵教徒に家族共々生贄(いけにえ)として殺されかけましてね。最終的には僕だけが、死神教会の神官が施してくれた治癒のおかげで九死に一生を得ました。……ですが、本来そこで僕の天命はほぼ尽きていたはずなんですよ」


 天気の話もするように、自らの陰惨で悲劇的な過去を語るアッシャー。

 より深い傷を法術で癒やすほど天命は大きく消耗すると言われている。若干じゃっかん不条理ふじょうりにも見えるが、死にひんするという状況に出会す事自体が、人の人生を極めて大きく縮めかねない事だからと解釈されていた。

 ――なお、アッシャーの過去の真相はより残酷だ。実際に生贄にされて死んだのは父母だけだった。アッシャーは深淵教団アビサルセクトの儀式を邪魔するために、狂信者共の目を盗んで自らの手で瀕死の姉に止めを刺し、返す刀で自らの胸を引き裂いて自死を試みたのだから。

 そうしなければより多くの犠牲が出るという決断を、ヘリテとそう変わらぬ年頃のアッシャーが行った事は、アッシャー自身も詳細を知る死神の神殿もおのずから秘している。

 とても、模範的もはんてきな信徒の前例として伝えるべき話ではないと判断して。


「僕は死ぬ寸前に死神の声を聞き、神官となりました。その後ディスクティトラ神殿に入所して神殿騎士見習いとなり、退魔部隊ケイオスバスターズの下っ端として働き始めたのです。ただ、一度死にかけたせいですかね。自分の命が随分と軽く感じるようになってしまいまして」


 相変わらず他人事のように身の上を語りながら、ゆらりと倒れ込むようにアッシャーが前方に姿勢を崩した。そのまま滑るようにクゥエルに向かって距離を詰める。

 ほんの僅か反応の遅れたクゥエルがそれでも間一髪後に飛び下がり、その鼻先を破壊的な風圧を巻き付けて大剣の先端が通り抜け、地面を深々とえぐった。

 土砂と一緒に土の下で砕けた木の根の破片が飛び散り、散弾となってクゥエルの頬や肩を掠めていく。

 砕けた地面による遮蔽を自ら突き破って、さらにアッシャーが追撃をかける。

 クゥエルもまたさらに下がる、と見せかけて影から影へと短距離の空間転移で仕切り直しを図り、とっさに身を投げ出すようにして低姿勢で横転。その頭上を超高速で移動する大質量が擦過さっかする。

 攻めに攻めながら仕留めきれなかったツケがついに回ってきた。跳躍先を先読みした上で、アッシャーが広範囲をなぎ払ったのだ。


「具体的には、敵を倒すために安易に相討ちを狙いがちになりました。いわゆる、命が幾つあっても足りないという奴ですな。……だが、僕よりよほど慎重に戦っている同僚が次々殉職じゅんしょくする中で、僕の天命は一向に尽きなかった」


 喋りながら横薙よこなぎに振り抜かれた大剣が先端を掠めただけで、一抱えはありそうな木が当たったところから弾けるようにへし折れた。頑健なゼオラの樹木であればこそ、かけられた強過ぎる力を幹全体に分散させてなお、衝撃を吸収仕切れずに破断するのだ。

 本来が鋼鉄の鎧の上から人間を破裂させる一撃である。魔術による強化があるとはいえ、常の執事服をまとっただけのクゥエルが受ければどうなるか。

 あるいは、やわいが故に触れたところが無くなるだけで済むやもしれないが、試す訳にもいかない。

 アッシャーのような化け物じみた再生能力は、クゥエルには無いのだから。


「そこで僕の上司に当たる方が、いらん仮説を立てました。僕は最初に死に瀕した時以降、滅ぼした不死者アンデッド永命者イモータルの命に当たる物をすすり取って、天命を補充する生き物に転化したんじゃないか、ってね」


 アッシャーの上司が口にした存在について、この世界(カーナガル)にも残る伝承と指し示す名前はあった。だがあくまでも伝説であり、その実在が認められたという話は噂にも上った事が無い。

 鉄塊と呼ぶに相応しい鈍色の剣を軽々と構え直すクゥエルの余裕をたたえた声に、ここで初めて翳りがかかった。

 痛々しく苦々しい、嫌悪と怒り、そして心からの自嘲の影と共に、アッシャーはその名を口にする。


おぞましい。それじゃあまるで私は不死者を喰らう不死者じゃないですか。『不死喰らい(クルースニク)』なんて渾名あだなはまっぴら御免だ、それこそ死んだ方がマシですよぅ」


 息を整えながら起き上がり構えるクゥエルに向かって、今度は朗らかと言いたくなるほど明るい声をアッシャーが放つ。

 だがこの神殿騎士の声は、明るい方が不吉だった。


「しかしだからこそ、貴方には少し期待しているんですけどねぇ、従者クゥエル」


 アッシャーが構えを変える。伝統的な正眼から、大剣を担ぐように肩に乗せたのだ。

 突進で間合いを詰めながら、届くを幸いに振り下ろしから押し切りを仕掛ける構え。

 動きをあらかた見切った側からの、攻守を入れ替える旨の宣言であった。


「可能ならば是非とも私を殺し尽くして、私が普通の人間である事を証立てていただきたい……!」


 僅かに喜悦と興奮を滲ませて言い放ちながら、アッシャーが低い姿勢で駈け出した。

 迎え撃つクゥエルのこめかみを、一筋の冷たい汗が流れる。緻密ちみつに取りつくろわれた冷静がわずかながらほころんだ証拠だった。

 アッシャーは無論本気で言っているのではなく、一種の挑発である事は分かっていた。だが口にする程には自分の治癒速度と強度に自信があるのも事実なのだろう。

 正直なところクゥエルからすれば、そんなものは一人で首でもくくってろ、と叫ぶ余裕があれば叫んでやりたかった。

 いやおうでも理解した事がある。

 そんじょそこいらの永命者イモータル悪魔デヴィル共よりも、目の前の神官戦士の方がよほど怪物じみた存在だったのだ。


もう片方の狂犬は……そもそも素とは言えば素だったのですが、ここに来ての真骨頂でございます。

次回から最終局面、状況開始。

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