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小さな聖女は血に誓う  作者: 功刀 烏近
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四章 夜は安息と秘密を司る(2)

長い夜の続きです。後一回で明ける……はず。

 中日なかびほんの二日でも、杯を満たす赤く熱い液体を目にした時に湧き上がる飢餓感はなんら薄くはならなかった。むしろ前回よりも激しかったかもしれない。

 自らの浅ましさに泣きそうになりながら、ヘリテはそれでも耐えがたく舐めるように杯を干した。幼い頃から否応なく親しんできた寝台に一人伏せる孤独を、これほど心強く、ありがたく思った事は無い。

 すっかり空になった杯を返すと、クゥエルは裏手の水場に行くと言って外へ出て行ってしまった。手持ち無沙汰を紛らわすために椅子の上でぶらぶらと足を遊ばせていたヘリテは、思ったよりもすぐ戻ってきたクゥエルに行儀の悪い盛りを目撃されて、動揺のあまりひっくり返りかけた。


「お嬢様、よろしければこちらをどうぞ」


 何事も無かったかのように執事が差し出したのは、杯とは違う陶器のコップに入った薄緑色の液体だった。

 受け取って匂いを嗅ぎ、ヘリテは思わず顔をほころばせる。屋敷で好んで飲んでいた薬草茶ハーブティーの香りだったのだ。口にして、香りを楽しみながら、どこか味わいが変わったように感じて首を傾げる。

 次の瞬間、微笑みは陰ってしまった。変わったのはお茶ではなく、ヘリテ自身の味覚だと気付いたためだ。

 しょぼくれるヘリテに向かって、クゥエルが何時もの口調で解説を寄越す。


「お気づきですか。転化の影響は五感にも現れます。暗闇において目は光ではないものを捉えて見通し、舌は多くの物に対して鈍くなります。吸血鬼に影響を与える毒物はそうそうありませぬ故」


 意気消沈しながらも、なるほどと一応納得しながらヘリテはもう一口、もう一口とお茶を口に含んでいた。懐かしい香りに心が休まるのと同時に、口の中に残った血の余韻が拭い去られる事に快い安心を得られたからだ。


「ですが、大きく変わらぬものもございます。嗅覚はその一つ。茶類ちゃるいの大半において、香りは同じようにお楽しみいただけるかと」

「クゥエル、いくらなんでも吸血鬼に関して詳しすぎませんか……?」


 言葉と同時にどこからともなくお盆に乗せたおかわり用のティーポットを取り出すクゥエルに、思わず呆れたようにヘリテが指摘する。

 その言葉を待っていたかのようなクゥエルの返事に、ヘリテは思いっきり口に含んだお茶を吹き出すところだった。


「私は以前にも、吸血鬼の主人に仕えておりましたので」


 むせかけるヘリテの手からコップを取り上げてお盆に預けると、クゥエルは素知らぬ顔でヘリテの背中を擦る。ヘリテはその澄まし顔を涙目で睨み付けた。


「いきなり何を言うんですか、あなたは!」

「お伝えするのが遅くなった事をお詫び致します。私の故郷には吸血鬼や屍食鬼の住人も居たのです。無論全体からすればごく少数ですが」

「……え、それって……もしかして」


 驚きが抜けきらぬまま、ヘリテは昨晩の事を思い出す。

 川にぶつかったせいで最期まで答えを聞く事が出来なかった問い。

 この青年執事がガンガルゴナに詳しい、個人的な理由。

 クゥエルは平然と頷いて見せた。


「はい。私はガンガルゴナで育ちました。生まれは違いますが、実質的に故郷と呼んで差し支えないかと」


 ヘリテの頭に疑問符が乱舞する。

 確かに、色々と詳しい事を説明する理由にはなる。だがそれだけで全てを説明できているかよく分からない。

 とりあえず、ヘリテは一番疑問に思った事を尋ねる事にした。


「それは、ええと……クゥエルも、魔族か異賊という事なの?」

「いえ、そういう訳ではございません。私も私の両親も、特に異能を持たぬ人間だったと記憶しております」

「こんな時でも言い方が硬いのね……」

「申し訳ございません。何分両親に関する記憶は量も質も乏しいものでして」


 そう前起きして、クゥエルはより詳細に自分の出自について語った。


「私の両親はバルボアからゼオラ辺境に入植した開拓者(パイオニア)でした。ですが魔獣(テュポーンズ)の襲撃を受けて両親のいた開拓村は全壊。最寄りの都市だったガンガルゴナに避難する途中で異賊(アザーフッド)に襲われ、二人とも死亡したそうです。生まれて間もない私だけが他の避難民に預けられて生き残ったのです。その後特に身寄りも無かった私は、紆余曲折の後で夜神教会の運営する孤児院に保護されました」


 自分の身の上をはっきり知ったのも保護された後でした、とやや控えめにクゥエルが付け加えたのを聞いて、ヘリテは胸を痛めた。

 実質的に、クゥエルは預けられた同じ開拓村の村人から捨てられた、という事になるからだ。捨てた理由までは分からない。ただ、どんな理由も幼いクゥエルには関係の無い事だっただろう。


「孤児院ですので、当然置いて貰うにも年齢制限がございます。追い出される前に手に何らかの職を必要がありました。その時、夜神教会が従者育成学校(サーヴァンツスクール)を紹介してくれたのです」


 従者育成学校は従者の中でも高級、つまり執事や家令――家事や召使いだけで無く金銭や家業にまつわる事務の管理まで担当する高等技能労働者――の育成機関である。

 生徒の多くは教会の他に貴族や豪商のような顧客、後は学校の卒業生、いわゆるOBから推薦を受けた子供達である。授業料も教会と顧客の寄付によって賄われているので、推薦さえあればクゥエルのような身寄りの無い子供でも入学する分には問題ない。ただし、全カリキュラムを習得して卒業できるのはほんの一握りと言われている。


「幸運なことに、学校で私は適性有りと見做(みな)されました。執事としてだけでなく、魔術士(メイジ)としても」

「執事の学校で、魔術士の適性?」

「はい。学校には魔術士の適性を測る授業もございました。と言いますのも、従者育成学校は元々魔術士……より正確には魔術師(ウィザード)と言われる魔法研究者達のための助手や弟子を育成する学校として生まれたからです」


 従者育成学校がカーナガル全土に存在するのも、結局は魔法の研究機関たる魔導学院が先に存在したからなのだ、とクゥエルは語った。


「王侯貴族のためでは無かったんですね」

「学校の成立より以前から執事という職業はありました故。ですが貴族や豪商は魔術師達と付き合うようになってから助手達の優秀さに目を付け、金銭や待遇でこれを引き抜こうとしたのです。魔術師達は当然反発しました。彼等が寝食を忘れて研究に没頭するには助手達が必要不可欠ですから」

「大分その、頼りっきりだったんですね……」

「魔術師の多くは社会生活破綻者です。不適合者ですらありません。これは殆ど前提と言っていいほどの基本性能なのです」

「よく分かりませんが、クゥエルも苦労したんですね……」


 一瞬死んだような目をした執事に対して、珍しいなと思いつつも労いをかけるヘリテであった。

 クゥエルも一瞬で我に返り、小さく咳払いをして切り替えた。


「ともあれ、収穫後に奪われるくらいなら育てるところから出資を募り、増やした卒業生の一部を斡旋(あっせん)しようという話になって現在に至ります。途中で出資額の差から就職先の多寡(たか)の割合が逆転してしまいましたが」


 そこでクゥエルは一度言葉を切った。


「ただ、私に関しては一つ問題が発生しました。私が適性を示した魔術が比較的希少かつ少々問題のあるものだったのです」

「問題、ですか?」

「はい。その魔術は世界のありとあらゆるものに対して隠す事、(あば)く事、(だま)す事に特化してたのです」


 故に、ついた渾名は罪人の魔術(クリミナルズマジック)


「私は自分の才能を生かすために、他の生徒とは違うコースに入りました。就職先もこの時点で決まりました。私の魔術に密接に関係すると言われ、今現在私の主神でもある神を奉ずる教会に」


 これについてはヘリテも人づてに聞いた事があった。一般人が信仰するには少々珍しい神だからだ。

 クゥエルの主神は影神(えいじん)ヴェイン。夜神ナクトの弟神にして風神トーラスの協力者。人の手による技術を祝福する職人の神にして、手紙や飛脚を守護するもの。郵便と通信、秘密と開示、探索と忘却を司る神。

 だがこの神には二面性がある。

 ヴェインは他に(すべ)無き時、生きるために為す罪を許す神だった。盗人(ぬすっと)掏摸(すり)詐欺師(さぎし)密告者(みっこくしゃ)、過失で人を殺してしまった者などは彼に祈る事が許されている。勿論罪を無かった事にする神ではない。だが、姉神たるナクトと共に更生の道を示す神なのだ。

 ヴェインに祈れないのは私利私欲から殺人を犯した人間と、自分を神の存在に並べて自らへの信仰を求めた人間ぐらいのものだという。

 ――そして影神教会もまた、主神に倣って複数の顔を持つ。その一つが魔術神たる風神トーラスの協力者としての顔……つまり、風神教会が運営する魔導学院の一端として、カーナガル全土の情報を集める諜報(ちょうほう)機関としての側面である。

 身分の高い者の懐に入り込めるという事は、本来なら容易く隠蔽されてしまう秘密にも触れる事が出来る。従者養成学校は、同時に全ての教会と神殿のために暗躍する、密偵養成学校(スカウツスクール)でもあったのだ。


「影神教会に所属する探索士(エクスプローラー)にして虚数魔術士(ヴォイドマンサー)。それがこのクゥエル=ファルゴットのもう一つの務めでございます」


 クゥエルの告白はつまり、自分が教会からインフェルム伯家に遣わされたスパイだったという自白に他ならない。

 どういう反応をすればいいのか悩むヘリテは、しかしあっけなく梯子(はしご)を外される。


「……とはいえ、ご当主にはこの事は就業前に全てお伝え済みでございますが」

「……はい!?」

「元々従者組合に、魔術や護身術を含め護衛としても役立つ者を、というご当主からのご要望がありましたので。最終的に条件を満たした中から私が斡旋された次第です」

「それは……私のため、ですか」

「左様に存じております」


 身体の弱いヘリテは、しかし伯家(はくけ)の務めからは無縁でいられない。それが貴族の家に生まれた者の責務であるからだ。大きくなるにつれ、人前に出ていく行事も増えていく。

 そうでなくとも、そのものが美術館としても機能する伯家の屋敷は人の出入りが激しい。信用のおける人間を常に愛娘(まなむすめ)の側に付けておきたいと考えるのは、資産を持つ親なら不思議な事ではない。

 ましてや子煩悩(こぼんのう)のきらいがあるインフェルム伯なら尚更(なおさら)である。

 父の愛情が改めて身に染みて、ヘリテの目に涙が浮かぶ。

 だからこそ、次のクゥエルの言葉を頭が理解するまでに数秒を要した。


「ですから私に別の任務が与えられたのは、インフェルム伯家に務め出した後の事なのです」


 変わらぬクゥエルの言葉の調子に、ヘリテの中の臆病さが欺されかける。いや、自分から欺されたがった。この後にもたらされる不吉を無視するために。

 だが更なる言葉は容赦なく、ヘリテの心を袋小路(ふくろこうじ)へと追い詰める。


「内容は、かの湖岸都市に芸術家を目指して上京し、その後行方不明になった若者達の消息を探れ、というものでした」


 否応なく情景が蘇る。あのあまりにも鮮明な夢の内容が。油っぽく生焼けの胸が悪くなるような死臭。おぞましく遠く彼方から響き渡る、高らかにして畏れ多き笑い声。そして暖炉から伸ばされる、ところどころで肉を剥き出しにして震える黒焦げの腕。

 夢だった。あの情景は確かに夢だった。にも関わらず、本当に全て夢だったと言い切る事に、ヘリテが強い抵抗を感じていたことも事実であった。


「カットナー……」


 震える声に乗って名前が這い出してきた。暗渠の奥から伸びる手のように。

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