九章 小さな聖女は血に誓う(10)
――物心がついた時には、路地の物陰に潜んで獲物を探していた。
自分が他の孤児達よりも『狩り』の成功率が高い自覚はあった。
理由を考えた事は無い。生きるために必要な行為、出来なければ死ぬ。何故生きているのかなどと問う猶予はどこを探してもありはしなかった。
だからついにしくじった時、袋小路に追い込まれて腹を蹴り上げられ、血の混じった反吐を吐きながら感じたのは、恐怖というよりも納得だった。
ああ、ここまでかと色のない諦観がクゥエルの意識を満たしていた。
『このガキ、まるで獣だな。考える事もやる事も、まるで街に紛れ込んだ野の獣だ』
『他者を同種、仲間だと認識出来ていない……共感性の欠如とでも言うのか』
『だからこそ、才能があったってわけだ』
力尽きて横たわった周囲で宣われた勝手な繰り言が、ただただ煩わしかった。
虚数魔術の使い手は少ない。他の魔術とは異なる意味での資質が求められるが故に。
その資質とは人間性の一部の欠乏。
自分も他人も、生命そのものも、全てを客観視して観察できる精神性。
価値を信じず、感傷を雑音とみなし、森羅万象を情報と確率の塊と認識する虚無感。
そうなった原因が幼くして孤児となったためか、それとも生まれつきなのか、クゥエル自身にも知る術は無い。
だがゴミのように拾い上げられ、モノのように扱われて、ようやくクゥエルも一つの感情を得た。生きる事と引き換えに叩き込まれた魔術と戦闘技術が、記憶と意志の一部を代替し、生まれた感情の持続と蒸留に一役買う。
怒り。自らを我欲のために好き勝手に利用する他人に対する、熱を持った拒絶。
虚数魔術の師であると同時にクゥエルを奴隷のように酷使した吸血鬼を消滅まで後一歩のところまで追い詰めたクゥエルに向かって、やはり獣だった、と拾い上げた連中は好き勝手に言った。
殺されかけた主人だけが、何故か声高らかに笑っていたのは奇妙だった。
『引きこもりの雛が、ようやく殻をつついて破りやがった。くそう、あれか。こういう時は確か、赤い米を炊くんだったか!』
「やれやれ、面倒な……この状況で迷子ってどういう事ですか。夜明けまでには見つけて村に放りこまないと、それこそヘリテ嬢が浮かばれませんよぅ」
旅人を最寄りの開拓村の近くまで送り届け、そのまま強化した脚力でヘリテ達の近くまで戻るアッシャー。術式によるマーキングは済んでおり、もはやこの付近に邪魔の出現し得る場所も存在しない。転化したとはいえまだろくに力に目覚めていない吸血鬼を、この距離でもう逃がす事はアッシャーには有り得なかった。
――流石に、ヘリテが【根の国】の番犬を召喚する資格を有する事は考慮に入っていない。とはいえ、その点でアッシャーを責めるのは酷というものだろう。
印章の反応は、分かれた場所から殆ど動いてはいなかった。流石に諦めたかとどこか呆気なさを感じたアッシャーが見たのは。
「……はて?」
誰もいない、がらんどうの集落。その片隅の光景だった。
人が見えない。だが、印章の反応は確かに、すぐ傍に。
在った、と思った次の瞬間に、アッシャーの周囲が漆黒に染まった。
「――力よ!」
始原の一音によって放たれる、破魔の衝撃。
仕掛けられていた虚数魔術による罠――虚数空間への落とし穴を力尽くで突き破り、アッシャーは一瞬で通常空間へと帰還する。
〈法力弾〉は最も初歩的で基本的な法術における攻撃術式だが、魔術における同じ立ち位置の〈魔力弾〉に比べて射程が三分の一程度しか無い。これは〈法力弾〉が元々は防御と護身を目的とする事にある。先手を打つためのものでは無い代わりに、術者に向けられた攻撃そのものを破却する効果があった。
つまり、反魔術たる法術そのものを象徴するかのように、〈法力弾〉は対抗魔術を兼ねる術式なのだ。
「やれやれ……〈探索者の印章〉は消せないからって、そんな手段があるとはねぇ……こりゃあ僕が一本取られましたか」
間髪入れず飛んでくる短剣を弾き飛ばしながら、アッシャーが呆れたように独りごちた。
はるか遠くで菫色の気配を忍ばせる鉄藍の夜空を背負い、黒衣の執事が一人佇んでいた。
人としての生気が感じられない、幽鬼の如き立ち姿。
その白い首筋には、アッシャーがヘリテに刻んだはずの三日月のような印がはっきりと刻まれていた。
消し去る事は出来なかった。故にクゥエルは印章を自らの身に移していたのだ。
魔術士としての技量に関しては、クゥエルがアッシャーを上回っている事の証左であった。
「とはいえ、まだ遠くには逃げてないでしょう。無論手伝えとは言いません。これ以上邪魔しないならそれだけで見逃してあげますよぅ。僕ァ人間を相手にするのは好きじゃないんで」
対してクゥエルは、ただ無言で新たな短剣を取り出して、姿勢低く構えた。
それを見てアッシャーがやれやれと肩を竦める。
「分かりません。分かりませんねぇ。さっきも言いましたが、なんだって其処まで肩入れするんですか、貴方は。女子供だからと言って、鈍る執行者じゃないでしょうに」
灰の軍勢、暗楔殺の執行者。
ナルガルズ雷帝国の山中に本殿を構える影神ヴェインの神殿の一派にして、魔導学院や執事養成学校を始めカーナガル全土の様々な組織に人員を送り込む諜報組織――暗楔殺。執行者はその中でも、直接間接を問わぬ殺傷能力の高さを見込まれて任じられる、神殿公認の聖職者を兼ねる職業暗殺者である。
執行対象には一切の情状酌量は存在しない。神殿と教会の認定した【滅亡の兆し】、またはそう成り得ると判断された相手であれば女子供どころか胎児ですら手に掛けると言われている。人道の対極にあると言っても過言ではない。
若くして執行者に名を連ねるクゥエルにも、その名に相応しい実績があるはずだった。
だからこそアッシャーは理解できないと言う。
今更、少女とはいえ吸血鬼を命がけで保護するような生温い人種ではないはずだ、と。
「……アッシャー司祭。貴方には恐らく理解できないでしょうが、出来る限りにおいて答えましょう」
半ば無視されるだろうというアッシャーの予想に反して、クゥエルが反応した。
構えも緩め、会話する姿勢を見せる。
油断したように見えて、むしろクゥエルの闘志が高まっていると見て取り、アッシャーも背負った大剣に伸ばしていた手を引き戻した。
このまま問答無用で戦う方が、目の前の暗殺者に勢いを与えると感じたのだ。
「理由は、ヘリテ様が人間だからです」
「……なんですか、そりゃ」
「刷り込み、という言葉を知っていますか。生まれたばかりの雛鳥が、最初に見た動くものを親だと思い込むという」
ますます怪訝な顔を隠さないアッシャーに、平然とクゥエルが告げた。
「私にとって、ヘリテ様は親に当たります」




