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小さな聖女は血に誓う  作者: 功刀 烏近
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九章 小さな聖女は血に誓う(3)

 暗闇の中、自らを振り回す生ける棍棒の柄を断ち切るべく、鍛鉄をも剃り落とし得る剃刀が刃を抜いた。

 クゥエルは腕の一振りで数人をなぎ払う牛頭鬼ミノタウロスの背後に音も無く立った。そして牛頭鬼が振り向くよりも早く、短剣から伸ばした透過暗刃スルーエッジで丸太のような首を薙ぐ。


「!?」


 直後、クゥエルは振り抜かれた裏拳をとっさのところで後に跳んで回避する。距離を取ってなお鼻先を通過する気流は狂暴な圧を保っていた。

 薄闇の刃に中程までを断たれ、血の泡を吹きながら、牛頭鬼はまるで衰えぬ戦意と殺意をもってクゥエルを睨み付け、殴りかかった。

 普通なら十分に致命傷のはずの首の傷から、すでに出血は止まりつつある。


「随分としぶとい」


 だがそこまでだった。

 一瞬意表を突かれたクゥエルも咄嗟に切り替え、再び影の刃を振るう。

 今度は振りかぶった牛頭鬼の右腕が肘からずるりとずれて、落ちた。

 ついで反対側。さらには両足首から上がスライドして、ゆっくりと無様に牛頭鬼は転倒する。

 強靭過ぎる身体と極度の興奮故に自分に何が起きたのかを理解する事も出来ぬまま、今度こそ牛の首は肩から離れて地面の上に転がった。

 大きく痙攣する胴体と、対照的に置物のようにも見える生首を見下ろして、クゥエルは密かに小さく舌打ちした。鬼達の被害者に比べれば、綺麗過ぎる死に方である。

 しかしすぐに気を取り直し、次の標的を選びながらも僅かに顔をしかめて呟く。


「しかし、ようやく一体ですか……これは時間との勝負になりますね」


 時間とは犠牲者をどれだけ増やさずに済むかと言う事であり、それ以上にヘリテが蛮勇に訴える前にその矛先を駆逐出来るかという事でもあった。




 なお残念な事に、クゥエルの懸念は時既に遅しと言う他になかった。

 クゥエルの動いたほんの数秒後には、ヘリテは自分が見たものに対して身にたぎ憤懣ふんまんを抑えきれなくなっていたからだ。

 目に入った光景は一人の少女の危機だった。

 ヘリテよりは年上、おそらく十代半ばの、頬にそばかすをうっすらと散らした健康そうな娘である。肩まで伸びた艶のある赤茶の髪は、しかし今は土埃に汚れて曇っていた。

 少女の強張った顔に、濃い影がかかった。途端に少女の怯えが最高潮に達する。

 視線の先には、目の前に直立する絶望的な存在。逞し過ぎる男の身体にたてがみも豊かな黒馬の頭を乗せた鬼。

 馬頭鬼ヒポケパルスの分厚い唇がめくれ上がる。明らかに嗤っていた。笑みのわけは恐怖に震える少女の姿か、あるいはこれから蹂躙じゅうりん快楽かいらくを想ってか。

 全身を激しく怒張どちょうさせたまま少女に覆い被さろうとする馬頭鬼の伸ばした腕を、風の速さで割り込んだヘリテが怒りに任せて打ち払った。


「下がりなさい、下郎!」


 かってない剣幕で、ヘリテが叫ぶ。恐怖ではなく怒りから叫ぶのは、屍食鬼の笑えなさすぎる戯言たわごとを聞いて以来だろうか。

 まるで油断していた馬頭鬼が、大袈裟に仰け反って悲鳴を挙げた。その声には驚きと、明らかに苦痛の色がある。

 無造作に、しかし手加減抜きで当てた小さな手は、直径だけで倍はあろう馬頭鬼の手首を小枝でも折るようにへし折っていた。

 ヘリテがクゥエルに言った言葉には、意図した誇張は含まれていない。ヘリテは鬼達に嫌悪を示しながらも、その力への恐怖は薄かったのだ。生物として、異賊として、強靭さを含めた性能でヘリテは既に獣頭鬼達を上回りつつあった。ヘリテ自身の望む望まぬに関わらず、彼女は急速に吸血鬼として成長していたのである。

 だがどれだけ肉体が成長しても、ヘリテ自身の幼さ自体はいかんともし難い。

 この場合の幼さとはつまり、経験の不足。どれだけ希有な経験を重ねても、その総量の少なさは生きて過ごした時間に比例してしまう。

 ヘリテはまだ知らなかったのだ。

 ただの力と暴力の違いを。

 知性と理性を失うという事が生物に何をもたらすのかを。


 痛みに激昂する恐るべき咆吼。そこに含まれる感情の気持ち悪さにヘリテはびくりと震えた。

 馬面の鬼の大きな目にはうっすらと涙が浮かんでいた。鬼は怒っていた。自分に加えられた不当な苦痛(・・・・・)に怒っていた。自分の所業に躊躇ためらいも罪悪感ざいあくかんも無く、ゆえに自分に向けられた敵意を本能的に悪と見做みなし、自分の苦しみのおもむくままに際限さいげんなく報復ほうふくする事を当然の権利と信じていた。

 子供が夢中になっていた遊びをさえぎられた時の癇癪かんしゃくに似て、馬頭鬼の感情はなお振るう力の強さと自己弁護じこべんご強固きょうこさ故にはるかによこしまだった。

 向けられる身勝手に過ぎる怒りと憎悪に、ヘリテは思わず動揺どうようする。

 これほど生命に対して醜悪しゅうあくと感じた事は、かって無かったのだ。 

 嫌悪感けんおかんが本能的に状況を拒絶し、戦意せんいが怒りと共に急速にえていくのを、ヘリテはただ自分の心の中で眺める事しかできない。

 運悪く、ヘリテの気力を低下させる出来事はさらに重なった。


「ひっ……」


 すぐ傍でひきつった悲鳴。声の主は、庇った少女のものだった。恐怖に腰を抜かしたのか、少女は上半身だけを起こした姿勢で倒れてたままだった。

 はっとして振り返ったヘリテと少女の目が合う。同時に少女の目がさらに大きく開かれ、身体を支える手が必死に地面を引っ掻いた。立ち上がる事も出来ないまま、どうにかして少しでも離れようとして足掻いていた。

 吠え続ける馬頭鬼と同じくらいヘリテからも。

 

「あ……」


 少女が自分を見る目に明かな恐怖を読み取って、ヘリテの口から意味を為さない声が零れる。

 自分が少女の目には鬼と互角に渡り合う怪物に写っている事に、ヘリテは言い様のない衝撃を受けていた。

 

えぐい描写が続きます……そして肉体から精神に移行していきます……

が、次回から少し流れが変わる、予定。。

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