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小さな聖女は血に誓う  作者: 功刀 烏近
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四章 夜は安息と秘密を司る(1)

章立ての長さが大分バラバラなのは後で整理します(汗)

なお四章は分割で掲載します。とはいえ多分次回、多くて次々回で終わる予定です。

四章 夜は安息と秘密を司る


 丸太小屋は猟師や木樵きこり達が使う山小屋、のように見えた。ヘリテも共用の施設としての存在はクゥエルや父から聞いてはいる。ただ、クゥエルに促されて中に入るとどうにも違和感が拭えなかった。

 粗末なはずなのに小綺麗で、誰かが使った気配……生活感が異常に無いのだ。

 だが質問をするには時間にも体力にも余裕が無かった。屋内に入っても昇りつつある日の光は其処此処そこここから漏れ出ているし、歩きづくめというより渡河による気怠さが疲れとして残っていた。

 早く暗い場所で横になりたい。そう思うのは怠け心というよりは危機感だった。身体が警告しているのだ。これ以上消耗するような事があれば。


(――補給が、必要になる)


 ヘリテの頭の中で響いた囁きはぞっとするほど無感情で、まるで自分の中に赤の他人が住み着いたような異質さだった。


「クゥエル……!」


 衝動が強まる前に離れるよう、警告しなくては。前回血を貰ってから二日と経っていない。一口強とはいえ、まとまった血を流す傷は無視できるほど浅くは無いはずだ。こんな頻度で傷を増やさせる訳にはいかない。もちろんあの制御できない凍気に巻き込む事も。

 悲壮な覚悟で振り向いたヘリテの眼に映ったのは、小屋の片隅で床に跪いて手を置く執事の姿だった。


「……クゥエル……?」


 そのすぐ目と鼻の先には、簡素ながらしっかりとした木製の寝台が置かれている。

 次いでクゥエルの口が、独特の音韻おんいんを持つ言葉をそらんじた。

 秘語ひご――今は無き創世神そうせいしんが創世のために生み出した言語。今となっては限定的かつ低次元の再創世――魔術のために利用される言葉。


「『十五から零/詩意の六番、我が名に於いて解錠し解凍』」


 次の瞬間、床の上に被さるクゥエル自身の黒い影の中に、その指先から手首までが沈み込む。一息で引き抜かれた手には新品のシーツと毛布が掴まれていた。

 立ち上がったクゥエルが毛布を脇に手挟んだまま、パンと小気味いい音を立てて白いシーツを広げる。屋敷で家事に関する講習を受ける時に、何度も見た光景。

 だが何度見てもこの後何が起きているのか、ヘリテの眼は追うことが出来ない。

 気がついた時には、粗末な寝台は少なくとも清潔で気分の良いものにベッドメイクされている。


「『八から二/遮幕しゃまく、光をいとえ』」


 次の詠唱ではベッドを艶の無い黒色の壁が綺麗な立方体で囲んだ。小屋の床から天井までが隙間無く覆い尽くされている。

 ヘリテは今の呪文を何処かで聞いた事があった。記憶を辿り、それが一昨日の晩である事を思い出して思わず赤面する。その時自分がこの覆いの中で何をしていたのかも思い出したからだ。

 しかし当然、クゥエルは主の動揺に気付いても顔に出すような執事では無い。


「お嬢様、即席ですが寝台に遮光しゃこう性の結界を張りました。一先ずこちらでお休みください」

「……ありがとうございます」


 避難を勧告かんこくするはずが、ヘリテの避難先が先に準備されてしまった。

 若干の決まり悪さを残したまま、一先ず礼を述べてヘリテは壁にしか見えない暗闇の中に身をくぐらせた。陽光を含める一切の光を通さない暗黒の中で、相変わらず寝台の位置はしっかりと見えている。奇妙な話ではあるが、今気にする余裕は残っていない。

 ヘリテは靴を脱ぎ寝台に横たわると、気絶するように眠りに落ちた。

 この朝は、悪夢は見なかった。


「ん……んぅ……」


 まるで落下するような睡眠を経て、ヘリテは目を醒ました。

 空気が冷えているのは分かる。だが、水が凍り付くような低温では無さそうだ。であれば体力は大分回復したという事になる。

 寝乱れた髪と服を手ぐしで可能な限り整えて、おっかなびっくり闇で出来たとばりから顔を出す。闇の中でも物は見えるが、あくまで闇の中が見えるだけだ。閉ざされた結界の外に日が差しているかまでは分からない。屋内である以上は危険性は低いが、それでも身体が自然と強張った。


「おはようございます、お嬢様」


 顔を出した瞬間に挨拶が飛んできた。心配は当然のように杞憂で、それどころか小屋の外は既に宵闇に包まれつつある。どうやら半日以上眠り続けていたようだった。

 クゥエルは一個しか無い扉のすぐ横で、壁を背にして小さな椅子に腰掛けていた。横にはもう一つ同じ物がある。恐らくはこれも影に仕舞って運んできたものだろう。

 準備した荷物が見当たらない謎は、あっさりと答えが出た。


「おはようございます……」


 挨拶を返しながら、ヘリテは小屋を見渡した。

 外から見た時は小さな小屋だと思ったが、中に入ると広く感じる。原因は恐らく寝台以外の物が何も無いからだ。暖炉すら無い。冬場は全く使われないのかもしれない。

 寝台はまだ暗闇の結界に閉ざされている。ここまで退路を断った上で、ヘリテはやや遠慮がちにクゥエルの隣に腰掛けた。側付きとは言え使用人と並んで座るという経験は憶えがないので、必要以上に緊張していた。

 椅子は簡素な木製だが、座ってみると収まりがいい。ただヘリテにとって具合がいいという事はクゥエルにとっては小さいのではないか。そう思って横目で伺ってみるが、執事の座り方は綺麗で隙が無く、ヘリテに合わせるために苦心している確信は持てなかった。

 小屋の外は、もう青というより薄めた藍のような色に染まっている。何時出発となってもおかしくない。

 だがヘリテの心構えを先回りするように、クゥエルが静かに告げた。


「今日はここでもう一泊致しましょう」

「えっ」


 肩すかしを食らって驚くヘリテを、クゥエルは横目で見下ろしている。ただわずかに口元は微笑みの形にほころんでいた。


「今朝までの移動でペース配分にある程度の目途が立ちました。この先まだ幾つか小さな川を越える予定もありますので、無理は禁物です。ここで一度補給を済ませましょう」

「補給……は、まだ先でいいでしょう……」


 苦しい抵抗と共に、気まずさと心苦しさからヘリテは視線を外した。

 確かに、渡河がヘリテに相当の消耗を強いる事は立証された。

 だが、それにしたって早すぎる。いや、期間の問題ではないのだろう。

 単純に、ヘリテにとっては吸血という行為は重すぎるのだ。どうしたって目の前の相手に、出血のための傷を強いるという意味でも。

 だがクゥエルは引かず、優しく言い聞かせるように吸血をすすめた。


「本来、吸血鬼への転化直後は頻繁な吸血行為が必要になりがちだそうです。言わば生まれたばかりの赤ん坊のようなものですから」


 さらに重ねた言葉は、ヘリテにとってはおどしか、あるいはからかうようにも聞こえるものだった。


「またこれは私情でございますが、私がまだお嬢様にお伝えしていない事柄には、衰弱すいじゃくされた状態では共有が難しいものもございます」

「……っ」


 ヘリテは息を呑み、クゥエルの顔を上目遣いに見返した。だが執事の表情は何時もの通りの真面目さを保っており、ふざけている様子は無い。いや、そんな顔をしていた試しはヘリテの憶えている限り無いのだが。

 少なくともクゥエルは本気で、ヘリテにとって衝撃となり得る話を伝える用意があると言っている。そうヘリテは判断した。


「私の負傷に関しましては、過度の心配は不要でございます。私が身につけた魔術の中には止血と体力の回復に役立つ術式も含まれますが故」

「クゥエル」


 クゥエルの言葉を静止するように放たれた言葉は、静かでありながらまるで弱々しいところのないものだった。

 ヘリテは上目遣いを止めて、まっすぐにクゥエルを見返した。

 クゥエルもヘリテを見つめている。この執事にしては珍しいほどはっきりと、驚きを顔に露わにして。

 クゥエルが思わず驚くほど、明確にヘリテは怒っていた。


「あなたの事です。分かって言っているのだとは思いますが、あえて言っておきます」


 声にはまるで感情的なところは無い。だが、立場や年齢差から来る遠慮や躊躇い、そういったものが残らず消し飛んでいる。

 ヘリテの怒りは極めて理性的であり、同時に間違える事への恐れを少なくともこの一瞬、彼女は乗り越えていた。


「すぐに治るからと言って、傷つけていいというものではありません。そういう事ではないのです」

「……失礼致しました。私の思慮不足です、申し訳ございません」


 クゥエルはあっさり自分の発現の過失を認め、頭を下げた。

 途端にヘリテは我に返り、自分の取った態度に動揺する。強く言い過ぎたとか、そもそもその傷は誰のせいで付けられる物なのかとか、様々な突っ込みが自分自身の内面によって四方八方から浴びせかけられる。

 極めて後ろめたい気持ちに陥りながら、ヘリテはふい、とクゥエルから視線を外して言った。

 

「……クゥエルを責められるような立場に私があるとは思ってません。思ってませんから、どうか苛めないでください……」


 気分は惨めに近い。だが、言った言葉に嘘も誤りも無い以上、謝るのは違う。ヘリテは自分の中の道理に従い、これを信じる事にした。

 そして椅子から立ち上がると、寝台に向かって歩き出した。四角い暗闇に覆われたままの寝台に。数歩進んだところで、ヘリテはちらりと肩口に背後を振り返る。


「準備が済んでから呼んでください。分かっていても、貴方が私のせいで血を流すところは見たくないです」


 視線の先では同じく音も無く椅子から立ち上がっていたクゥエルが、胸に手を当てて深く腰を折った最敬礼で、自らの主を見送っていた。

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