九章 小さな聖女は血に誓う(2)
※!警告!※
本文中には若干残酷な描写が含まれます。
お気分のすぐれない時には少し時間を置く事を推奨いたします。
本文は良くも悪くも(?)逃げませんのでご安心ください。
森を出て駆け付けた二人の目の前で、幾つもの灯火が慌ただしく行き交っていた。
初めて出会った時のホルクースが引き連れていた青白い鬼火とは違う。暴威から逃げ惑う人々が夜闇の中を逃げ惑うためにかろうじて掴んだ、橙色の松明の火だ。
悲鳴の出所は、小さな開拓村だった。
カーナガルではどの国も国境沿いには似たような開拓地が少なからず存在する。というのも、一度開拓した土地が様々な理由で再び自然に飲まれることが頻発するため、開拓は人の勢力圏を維持するために必要な行為なのだ。
中でもゼオラは特に人口が少なく、空いている土地の広さ故に入植のペースも早い。他国で何らかの理由から居場所を失った人々が、ゼオラで集まり開拓団を組む事も珍しくない。
そんなありふれた集落が、やはりありふれた――特にゼオラでは――理由で壊滅の危機に瀕していた。
入植のペースが早いもう一つの理由。
それは他国で開拓地が未開の地に戻る理由と根は同じだ。開拓される辺境は、常に人間にとって生存するだけでも過酷な環境だった。ましてや人界の果てたるゼオラに至ってはなにをや言わん、である。
敵対するのは秩序の一面たる自然の脅威と理不尽なる『魔』の暴威、あるいはその両方だ。
「あ……あぁ……!」
【根の国】を見た後のヘリテにとって、目の前の光景こそは地獄であった。
松明の明かり無しでも、吸血鬼の五感は闇の中に地面を濡らす血肉の色と赤銅色の肌を見てとった。濃密過ぎてむせそうになる血と汗と獣の匂いも。悲鳴の中に混じる人ならざる荒々しい咆吼も。
質素な麻の服を着た開拓地の村人達が、殆ど全裸の巨人達に襲われていた。
巨人達は皆恐るべき体躯の持ち主であった。腕も足も、若い女性の胴体を上回る太さをしている。胸の厚みに至っては三倍近いだろう。なのに腰の上は紐で括って絞ったかのように細く引き締まって、理想的というよりは過剰な逆三角を形作っていた。
成人男性の五割増しといった背丈には、何故か動物にしか見えない頭が乗っている。牛か、馬か、あるいは猪か。冗談かと言いたくなるような滑稽な容貌には、しかし本来の動物からは想像できない凶暴な目つきと、有り得た臼のような四角い歯の代わりに鮫のような鋸状の歯が備わっていた。およそ牧歌的とは言い難い、というよりは対極にあると言ってもよかった。
彼等もまたかって人族であったもの。暴虐神モーグに自ら絶望と狂乱の祈りを捧げたか、あるいはヘリテのようにやむを得ず、あるいは偶然にその声を聞いてしまった者の成れの果て。
巨暴鬼の亜種、獣頭鬼。異賊にして邪神の従属種族たる、歪な生命を差す名である。その中でも、牛の頭を持つなら牛頭鬼、馬ならば馬頭鬼などとメジャーなものについては別称がある場合もあった。
同じ超人的な身体能力と暴力衝動を持つ巨暴鬼との最たる違いは、獣頭鬼には殆ど人間としての知性と理性が残っていない事だ。本来の屍食鬼と嗤い犬の関係に近いとも言える。だが、嗤い犬に比べれば獣頭鬼には人間的な部分がいくらか残っていた。
ただし、最悪の形で。
獣頭鬼達の暴力は圧倒的だった。
自棄になって破れかぶれに鍬のような農具で打ちかかった何人もの男衆が、拳一つで農具ごと首をへし折られた。時には首が千切れて遠くへと飛ばされ、見えなくなる事すらあった。
逃げる最中に足をもつれさせた老人が、背中から踏み抜かれて顔面を内側から破裂させた。子供が蹴飛ばされ、五体をばらばらにしながら鞠のように転がった。
上半身だけになった女の死体が、誰からも見向きもされずに転がっていた。口元は鼻の下から顎にかけて真っ赤な穴と化し、分かたれた下半身は両脚しか原型を留めていない。
そこかしこに落ちた死体の幾つかはただ破壊されて放置され、また幾つかは鋭い牙で食いちぎられたような無惨な傷痕で損なわれている。
惨状には、何の法則性も必然性も感じられない。例えるなら遊び飽きた子供が投げ捨てたままに散らかる玩具のような有様だ。
他にも獣面の鬼達は人々の上げる悲鳴に一々反応した。呼応するように吠える事もあったが、打ち消すように怒号を撒き散らす事もある。そしてより強い反応――更なる悲鳴を上げるものを好んで追いかけた。時には複数で、我先にと争うように。
鬼達は遊んでいた。他者の絶望と恐怖に興奮してはしゃぎ回っていた。
弱者をいたぶる事自体は、人以外の動物にも見られる傾向だ。
だがその快楽を共有しようとする様、見せつけ合うように暴虐を振るう様子には、誇張された人間の邪悪さを見ずにはいられない。
そう、痴愚の鬼達は、邪悪こそを価値として共有しているようにしか見えなかった。そしてその様は、酷く人間的であった。
「う、ぐ……お、おぇ……っ」
吐き気を堪えきれず、その場に跪いてヘリテは嘔吐いた。
涙が意志とは関係なくこぼれ落ち、鼻と喉を胃液が痛いほどの酸っぱさと共に焼く。
故郷を旅だってから短い間に信じられないような危険と困難に幾つも直面した。だがこれ程の悲惨な光景を目にするのは初めてだった。
あえて挙げるとするなら今も時折眠った時に見る、燃える屋敷の中で蠢く見知った亡者達の姿くらいか。だが夢よりも現実は遙かに鮮明に悲惨であり、逃れようが無く邪悪だった。
「お嬢様」「クゥエル……」
声に顔を上げると覗き込む執事と即座に目が合った。ヘリテを庇うように屈み込みながら、クゥエルはその場を動こうとしない。この地獄を前にしても、表情は何時もの整った静謐さで塗り固められて乱れない。
ホルクースをサウザンと呼んでいた時の一人と一頭の掛け合いが、遠い昔の事のようだった。
否。【根の国】で半神を前にしても、クゥエルは常にヘリテの事を第一として行動し、判断していた。冷徹なほどの職務への忠実さは、クゥエルの在り方そのものだった。
だからこそ、ヘリテが望み、求める必要があった。
「クゥエル……お願い……!」
ヘリテの言葉を当然予測はしていたのだろう。クゥエルは頷き、同時にやや躊躇いがちに告げた。
「お求めとあらば、出来る限りは……ですが、お嬢様には何卒ご自身をお守りいただきたく」
「私の事は! 今どうでもいいでしょう!」
思わず叫んだ後にヘリテは顔から火が出るような恥ずかしさと後悔に襲われた。
今し方認識し直したばかりではないか。クゥエルは常にヘリテの利益と無事こそを優先するのだ。
だが、同時に素直に同意する事も出来なかった。
【根の国】の行脚を経て、ヘリテはまた自身に対しても認識を新しくしていたからだ。
ヘリテは一度目を閉じ、ゆっくりと深く呼吸をした後で、まっすぐにクゥエルを見返して言った。
「……無理や無茶はしません。ですが元より、私はあの鬼畜共には嬲られる事も殺される事もないでしょう。これだけは、貴方に約束します」
何もかも出来る訳ではない。だが、無力なままでいる事を確約できはしなかった。
クゥエルは僅かに目を細めた後、静かに立ち上がり、一礼と一言を残してその場から消えた。
自らの最大最速をもって、主の命を果たすために。
「承知致しました……どうかご自愛と、ご武運を」
その言葉にヘリテは一瞬くすぐったさと誇らしさを覚えた後、胸の内深くに大事にしまい込んだ。そして自らも決然と立ち上がる。
かってなく、その双眸は険しかった。
はい、と言う訳でどうにか更新続行でございます。
……ここまででトップクラスのゴア描写となっております。というかこの章は肉体的にも精神的にも負荷重めでございます申し訳ございません。
ただ次回はまたヘリテお嬢様がちょっと成長されたお姿が垣間見える、かも。
垣間見えるだけですが!(酷)