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小さな聖女は血に誓う  作者: 功刀 烏近
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八章 これなるは根の国、死者の国(9)

 静かな怒りと共に、クゥエルもまた強力な術式――それも魔術マジックというよりも呪術ソーサリーと呼ばれる類いの準備を開始する。

 詠唱も結印も出来ない状況ではある。だが手が無い訳ではない。今の状況、つまりサウザンから魔眼による戒めを課せられているという事を利用する。

 術式に対する抵抗を軸に、発生源たる術者に術式に用いられた力を反射する。呪術における返しの風、即ち術式失敗時の反動を攻撃に利用するという方法だ。

 これならば束縛を破ると同時にサウザンの行動を妨害出来るはずだった。

 この術式の骨子はクゥエルが【根の国】を渡る四日間でサウザンを観察しながら組み上げておいたものである。

 最初の邂逅で実力差を分からされた時から、自分以上の使い手に対する対策の必要性をクゥエルは痛感していた。


(その上であれだけの時間があって、何の準備も用意しないでいると思ったのですか)


 ついでに言えば、クゥエルはサウザンが自分に対して催眠の類いの術式を忍ばせていた事も気付いていた。気付いた上で受け入れるリスクを取ったのだ。

 サウザンは言った。【根の国】に住まうものには、地上において生者に対する危害を加える事が禁じられていると。

 だとすれば、その制約は管理者たるサウザンにも適用されるはずだ。サウザンこそは【根の国】の一角を象徴すべき存在なのだから。

 無論、制約に引っかからない程度の行為に留めてはいるのだろう。また他の不死者と比べれば遙かに緩く、裁量権が認められてもいるはずだ。


(ならばこちらで被害を拡大解釈(・・・・)してやればいい)


 最初の邂逅における殆ど一方的な戦いから【根の国】での眠りの呪い、そして今かけられている魔眼による束縛。これらを束ねて一つの罪状とし、蓄積されたクゥエルの消耗と結びつけた上で、想定される天敵である太陽神ソラスへの直訴の形で術式を組み上げる。

 クゥエルは本職の呪術士ソーサラーでこそ無いが、経験上・・・呪殺術式についてはそれなりに馴染みが深い。これだけ材料が揃っていれば、術式を組み上げる事自体はそれほど難しい事ではない。

 問題があるとすれば、クゥエル自身の反動に対する防御がろくに準備できなかった事だ。呪術は汎用性と応用力が高く、対人に関しては効果も大きい。

 その代わりに術式の代償や破られた際の反動が大きいのだ。何より今回は対人ではなく対半神。より代償が上昇している事は間違いない。綺麗に成功したとしても、一体どれほどの対価を支払う事になるか。即死する事こそないだろうが、手足一つの麻痺や感覚の喪失くらいは覚悟している。


 人を呪って穴二つ、神を呪わば推して知るべし、である。


 それでも、ヘリテに対する無体を打ち消しでサウザンを退去させる程度の効果は十分に見込める試算があった。クゥエルにとってすれば十分、躊躇う理由も無い。

 サウザンの体表で、クゥエルを睨む目の数が不意に増えた。クゥエルの意図に気付いたのだろう、しかしここで事を荒立ててヘリテを動揺もさせたくないのか、注視を強めるに留まっている。


 ――禁を破る前に罰する事は出来ない。それが法ってもんだ。


(貴殿の言葉だ、邪神の眷属よ。これもまた曲がりなりにも神の言葉であるならば、犯した以上は償うがいい。神とて吐いた唾は飲めぬと知れ――!)




 空気が帯電するのではないかと言うほどに緊迫した一触即発の状況は、しかし絶妙にヘリテには届かない。

 ヘリテはおずおずと、しかしはっきりと自分の意志をサウザンへと伝えた。


「ではその、一つだけ……稚拙な口上ですが、お願いを述べる事をお許しください」

「口上?」

「はい。肉体を持つとはいえ神格へ請い願う以上は、出来る限りきちんとしたいのです」


 この流れを予想していなかったのか、サウザンの鼻先にしわが寄る。


「その前置きが既に今ひとつ稚拙と言い難いんだよなぁ……嫌な予感がするが、まぁ聞いてやるよ」

「ありがとうございます」


 そう言ってヘリテはエプロンドレスの裾を両手に摘まんで持ち上げると、膝を折ってお辞儀の姿勢を取った。


「……我が名はヘリテ=インフェルム。インフェルム湖岸泊スヌークとその妻エンゼの一の娘、恐らくは二人の血をただ一人継いでなお枯らす、罪深く幼き吸血鬼ヴァンパイアです。地の底の守人たる年経た偉大な『嗤い犬(スコーンドッグ)』よ。我がほころぶ不死の、遙か前を行く先達せんだつよ。其になら運命さだめ不肖ふしょうすえに、貴方を呼ぶ事を許される御名みなを、どうか教えてくださいませんか?」

「「……」」


 同時に沈黙する一頭と一人。

 クゥエルですら術式の維持が限界だった。

 ヘリテが選んだ選択、即ち高次存在に礼儀を尽くした上で名を問う行為は本来魔術士――それもごく一部の特殊な術者でなければ試そうと思わないものだった。

 全くそんな自覚の無いヘリテ当人は、沈黙したサウザンに恐る恐る問いかける。


「あ、あの……そんなに酷い口上でしたか……?」

「……なぁおい。そのえらく古くさい言い回し、いったい何処で覚えた?」

「ええと、その……父様の書斎から持ち出し……いえ、お借りした物語です。大分、うろ覚えですが……」


 今のはヘリテの愛読書であった『紫金連雀』の中の一篇で、姉となった吸血鬼が妹に名乗った際の口上が元になっている。

 芝居がかったこの口上が大好きで、何時か使ってみたくて練習していたとは言えずに視線を落とすヘリテ。まさか本当に自分が吸血鬼となって使う機会があろうとは露とも思っていなかったが。

 不意に雷雲の轟きが森の中に低く響き渡る。音の正体は、サウザンの低いうなり声だった。

 お世辞にも機嫌の良さそうなものではない。


「……名前か。その口上でお前はオレに名前を求めるのか」

「その、サウザンというのはお名前では無いようでしたので、せっかくならちゃんと敬称を付けて呼べるお名前を聞けたらと……あの、勿論お嫌でしたら無理には……」

「……聞け、幼き鬼よ。遠き娘よ」


 サウザンの声音が嗤い犬から、昨夜にも聞いた神格のものへと変わっていた。


「授ける我が名はホルクース。根守ねもりの伏せ耳の病垂やまいだれなり。根の国は南十字南門みなみじゅうじみなみもんの番犬が一頭、鬼火おにびの導き手にしてパストーの杖なり」

「!」


 自らの願いが聞き入れられた事に、ぱっと顔に喜びを表すヘリテ。


「ホルクース、様……」

「……雑な聞き方なら無作法者に許す名は無しとも言えようが、古式ゆかしき正統な作法で訊かれて断るなら、それはこちらに呼ばれ難き非があるという事。我が身、未だ天地の半ばに在ればこそ、われのしゅは地の表裏において我らの在り様を容易に歪め、言動護持法げんどうごじほうを縛る。まったくもって業腹な話よ」


 礼儀の交換は交際の始まりを導き、結果として相手によっては強力な儀式魔術となる。

 加えて半獣半神の身なればこそ、向けられた正しい礼に非礼を返す事は一つの呪いとなってサウザン――ホルクースの力や在り方に影響してしまう。

 怪物は理不尽でいい。だが神の理不尽はその神の格と力を下げるのである。

 不機嫌を隠そうともしないホルクースに、ヘリテが慌てて頭を下げた。


「も、申し訳ございません! そのようなつもりは、決して……!」

「よい、構わん。お前に非があると言う話ではない。……いやホント気にすんな。あえて言うならお嬢ちゃんを小娘と侮ってたオレがポンコツだっただけだ」


 いつもの調子に戻った途端、ホルクースはその場にごろりと横たわって脱力した。

 そのまま何度か巨体をごろごろと転がして、ぶつぶつといじけた声をこぼす。


「あー、くそー……名前を問われて答えたんじゃ、契約の主体はおじょ、もといヘリテになっちまう。物の授受に伴う要求とは違う、もっと純粋な、応答によるパスの交換だからなー……」


 何より、願いを言えと言ったのはホルクースの方である。

 十分に応報としての務めを果たした神格に、更に無遠慮な要求を出せばそれは貸し借りになる。【根の国】の物品を受け取ったヘリテに、強制力の切っ掛けになり得る因果を作る事がホルクースの狙いであった。

 だがその狙いは、完全に想定の外から飛んできた一撃に叩き落とされる形になった。

 名を問うたのがヘリテである以上、発生する強制力はむしろヘリテからホルクースへと作用する形に収まってしまった。

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