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小さな聖女は血に誓う  作者: 功刀 烏近
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八章 これなるは根の国、死者の国(2)

 通路を先に進んでも、明るくはならないが暗くもならなかった。吸血鬼の目であれば何の支障もない。

 しばらく歩いてから、地面と壁の凹凸の正体に気がついた。最初は岩そのものの表面の形と思っていたが、実際は違った。

 根だ。おそらくは遙かな上から、石壁を伝って下りてきた根が通路を満たしていた。大木の根のような太いものから草花で見慣れた細く髭のように密集したもの、中にはじぐざぐに壁面や他の根の上を走る蔦のような根もある。

 足元が柔らかいのは、地面の上に朽ちた根が降り積もって絨毯のようになっているせいだった。無論土の中にも生きた根が通っており、踏みしめる度に感触が違う。

 気温は低く、肌寒い。だが息が白くなるほどではない。地の底というと湿気の溜まっていそうなものだが、空気は不思議とさらりと乾いて清浄だった。

 ヘリテは早朝の湖畔を歩いた時を思い出す。病弱だったせいで訪れた事は数える程度しかないが、澄み切った美しい空間だった。

 暗く深い地の底のような場所で、同じ印象を抱くという事が少し不思議で、しかし悪い気はしない。

 思わず呟いた声は、自然と感慨深いものになった。


「ここが、根の国……」

「お嬢様は、この場所の存在をご存じでしたか」

「はい。と言っても屋敷にあった物語をいくつか読んだだけですが……」


 クゥエルの言葉に、どこか気恥ずかしげにヘリテは答えた。

 特に夭逝ようせいした母に会うために根の国を旅した王子の物語は、ヘリテも繰り返し読んでいる。


「でも、私が本で読んだものとは、その……景色も雰囲気も、大分違う気がします」

 

 ヘリテはきょろきょろと辺りを見渡す。こんなにも広く、静かな場所というイメージが無かったのだ。

 【根の国(ルートランド)】は、一般にはおとぎ話の範囲として語られる死者の国である。幾つかの物語の中で語られる内容には大きく分けて二種類あった。

 一つは深淵教徒や死にきれず不死者になった者が滅びた後に落ちる地獄。

 もう一つは一部の神格の領地として全ての死者が穏やかに住まう冥界。

 だが前を行くサウザンは目線だけで振り返ると、ヘリテの説明をやんわりと否定した。


「あー……どっちかと言えば後者だが、厳密に言えばどちらも違う」


 ゆらりと大きな尻尾が弧を描いて揺れた。


「一番適当なのは、あらゆる死者と魂の一時避難所ってとこか。ありとあらゆる死に触れた者と寄る辺なき魂はここに滞在する事を許される」


 サウザンが語る途中にヘリテがふと目をやると、壁際に座り込んでいる者がいた。

 膝を抱えて顔を伏せた若い男の姿はうっすらと透けて、隠れているはずの地面と壁を映していた。

 幽鬼の中でも、場所に囚われて動かないもの――地縛霊ホーントと呼ばれる種類である。最初に出会した飛び彷徨うものは浮遊霊スペクター、人や動物に取り憑くものを憑依霊ポゼッサーと呼ぶ。

 姿が見えるという事は不死神パストーの加護を受け、生者に干渉するだけの力を持つという事でもある。だが、ヘリテの見る限り、根の国の幽鬼達には生者への敵意や興味を感じられなかった。

 彼等は皆、普通の死者の霊――死霊レスターと同じような、ただそこにあるだけの存在に見えた。


「お前らを襲った屍食鬼も、ここに逃げ込んだんだぜ。散々ヤンチャした後で地神エステルの神殿騎士に詰められて、這々(ほうほう)のていで泣きを入れてきた口さ」


 サウザンの言葉に、クゥエルが冷たく反応した。


「深淵教徒と分かった上で、迎えたのですか」

「亜不死者なんて基本的には深淵教徒だっての。ま、こっちとしては正しい手順で請い願われたらとりあえずは受け入れる事になってるんでね」

「その時点で全く選別はしない、と?」

「当たり前だ、一々そんな判断してたら誰も入れられねぇよ。そもそもなぁ、こんな場所は存在する事自体おかしいんだぜ?」


 サウザンは笑う。何もかもを笑う。嗤い犬の名の通り。

 ただ、今の言葉はヘリテに小さく引っかかる感触を残した。

 少女の中の言葉にならぬ戸惑いを置いて、会話は続く。

 意図してではないはずだが、一人と一頭はまるで掛け合いをしているようにも見えた。


「それによう。死だけは万人に平等であるべきだ。ここは死者の国って事になってんだから、死の在り方に倣うべきだとは思わんか?」

「……先に厳密には冥府ではない、と言ったのはそちらでしょう」

「こいつぁしまった。ヒヒヒ、違いねぇ! ……実際、ここにゃあ居続けるためのルールがある。本物の冥府にゃあそんなもんは要らんわなぁ。ちゃんと死んだ奴は何もしねぇからな」


 サウザンは開示し、説明する。

 ルールの一つは、根の国にいる間は死者同士で争わない事。

 もう一つは外に出た際に生者を襲わない事だ。

 だが件の屍食鬼は外に出てヘリテを浚いクゥエルを殺害しようとした。それどころか、襲撃前の景気づけとばかりに、旅人を襲って喰らいさえしたのだという。

 知らなかった陰惨な被害に、ヘリテが悲壮な表情になる。

 サウザンはその表情に気付いたようだが、小首を傾げただけで話を続けた。


「やらかしたクソガキ共は全員まとめて縛りをかけて追放したが、あんなのでも身内は身内だ。お前達にも不始末の詫びを入れないと筋が通らん。この辺は上でも言った通りだ」


 無論、命がけで死神の神殿騎士達を足止めしろ、などという使命を強制させた事までは口にしない。無駄死に云々の台詞からクゥエルには若干の想像はついていたが、ヘリテに聞かせる必要はないと沈黙を守った。


「しでかす前にどうにか出来なかったのですか」


 やや非難するようなクゥエルの言葉に、大いなる嗤い犬は出来る筈が無いと笑った。


「禁を破る前に罰する事は出来ない。それが法ってもんだ」


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