七章 其の鳴き声、人の嗤うに似て(7)
宿場町の車回し――大型の馬車や機動車両の類いが方向転換に利用する、実質的には小型の環状交差路――を兼ねる中央広場で、どん、という衝撃音を上げて、屍食鬼の一体の首が飛んだ。
振り抜いた剣を素早く戻したアッシャーは、怯む事無く突っ込んできた別の一体に喉元目掛けて大剣を突き込み、貫くと同時に〈法力弾〉を流し込む。首と胸を抉り抜かれたように爆散させて崩れ落ちた死体は、ダメ押しに部下の騎士が投げつけた魔術の火によって瞬く間に灰と化して霧に消えた。
「完っ全に足止めですねぇ、これは……しかも亜不死者の死兵とは、まぁ」
ひっでぇ矛盾ですこと、と呆れたような独り言を呟きながら、アッシャーは付近の部下達を見回した。団員が標準装備する抗魔護符のおかげで同士討ちしないで済む程度の視界は確保できているが、それでも集団戦闘するには十分とは言い難い。
二人――少なくともクゥエル――が補給に立ち寄る事を予想し、待ち伏せていた死神の神殿騎士団は、狂乱する屍食鬼の群れとの激しい交戦の最中に在った。
襲撃のタイミングは、目標がこの集落を迂回したのを団内の魔術士が察知して間もなくだ。待ち伏せのために整えた準備が無駄になった事に毒づきながら、直ちにアッシャーは団員に追跡に移るべく指示を飛ばした。まさにその直後だった。
都市ほどの堅牢さはないが、それでも規模に対しては十分なはずの防御術式を突破して、魔力を帯びた霧が宿場町を飲み込んだ。そして何が起こったかを精査する暇も与えられずに、騎士団は複数の屍食鬼による襲撃を受けたのである。
状況は今現在も継続している。
屍食鬼側の数も個体の脅威度も、十分に警戒した状態の騎士団が圧倒される程ではない。だが、それはあくまで陣形を組んで奇襲に備えた状態での話である。
単純な膂力も生命力も、訓練した人族の域を超えない騎士達の敵うものではない。
あくまでアッシャーを除いての話ではあるが。
「間違いなく計画的なのに、計画できそうな奴がいる気配が無いってのはどういう訳なんですかねぇ」
散発的な襲撃の切れ目に、大剣にこびり付いた血を振り払いながらアッシャーが一人ごちる。
最初から奇妙な襲撃だった。
まず、あまりにもタイミングが良すぎる。
極秘行動中――アッシャーの独断専行という成り行きのためにしろ――の情報を何処で入手したか、不明。
態々街中で襲いかかってきた理由、不明。
どうやって防御術式を突破したのか、不明。
極めて高度かつ綿密な準備の存在が推測されるのに、襲いかかってくる屍食鬼が全員完全な狂乱に陥っており、人の言葉も忘れて遮二無二襲いかかってくる理由、不明。
狂乱しながらも目標を騎士団だけに絞って、他の一般市民に一切襲いかからない理由、不明。
動機は、お互い様なので不要かつ無意味。アッシャー達が不死者を見かけて放置する事はない。逆もまた然りであった。
一度に襲いかからず散発的に襲いかかってくる理由は、わざと各個撃破させる事。つまり最初から、勝つ気のない時間稼ぎが目的としか考えられない。もしも一斉に襲いかかってくれば騎士団としてももっと苦戦はしただろうが、それでも負ける確率は低い。何より短時間での決着は確実だ。
狂乱しながらも抑制を必要とする作戦行動を取れる理由、不明。……だが、他の不可解な行動規範と合わせて、可能性だけで言えば何らかの強力な暗示か誓約術式――制約なのか使命なのかは不明にしろ――を受けている可能性が高い。
不死者相手にそんな術式を行使できる存在は、アッシャーにも少数とはいえ心当たりはある。
例えば、吸血鬼のような。
「……つまり、首謀者は別行動中。そちらが本命ということですか」
静かな声はアッシャーの背中から聞こえた。
背後を警戒していた副官が上司の思考に追従してきたのだ。
現在のアッシャーの副官はガルズという名前の男だが、髪を背中の中程まで伸ばした細面の優男だった。アッシャーを含めた他の団員が金属鎧で固めている中で、一人だけ長衣の上から部分鎧を着けただけの軽装備のため、団内では浮いて見える。
ガルズは副官としては特殊な存在である。死神ディスクティトラの神官としてはアッシャーよりも高位であり、同時に魔術士――それも死霊魔術士でもあった。一見矛盾の塊だが、神殿にとっての敵対存在を深く研究する過程でガルズのような存在は時折現れるし、有効に機能している限りは重宝もされる。
「羅針盤の反応は?」
言葉少ないアッシャーの問いに応えて、ガルズは腰の後から薄い本のような道具を取り出し、折り畳まれていたそれを片手で展開する。全容を現したのは、木の板に固定された地図と鎖に繋がれた振り子を組み合わせたダウジング用の器具。ただし振り子に仕込まれているのは、ヘリテの母、インフェルム伯婦人の小指の骨である。
死霊魔術による、追跡対象と近しい死者の縁を利用した探知術式。無論、本来は禁忌の部類だ。
ガルズが一言呟いた秘語に反応して振り子は小さく回った後、不自然な角度で一カ所を差したまま停止する。
「先ほどから距離大きく変わらず……いえこれは……移動していません」
「神かけてクソッタレが! ……こりゃあ、まんまとしてやられましたねぇ」
盛大に罵声を吐いた上で、アッシャーは思考を切り替える。
状況を鑑みるに、この襲撃の首謀者は発狂させた屍食鬼をけしかける事でクゥエルとヘリテへの追跡を妨害し、騎士団よりも早く二人への接触を試みて成功した、ということになる。
つまり、二人の支援者ということだ。それも、相当に碌でもない類いの。
「埒が明かん、仕方ない……」
怒りにまかせた歯軋りの後、不承不承にアッシャーは麾下の騎士達に向かってがなり立てた。
「紳士淑女諸君、傾注! 夜明けまで死なない自信がねぇ奴ァ居ますかねぇ! 居たら怒らないから正直に返事ィ!」
一瞬の停滞の後、複数の笑い声が返ってくる。男女入り交じりながらも、どれ一つとして恐れも怯みも知らぬ、豪胆で獰猛な爆笑。司祭、ご冗談でしょう、という言葉が混じらないだけお上品ではあったか。この上司あってこの部下だった。
まったくもって天命知らずの阿呆共が、と呟いて口元を歪めた後、アッシャーは個人的には極めて不本意な指示を叫ぶ。
「隊を二つに分ける! アッセム、ハイン、ロンド、ハーミア、前へ! ガルズを中央に盾鱗陣!」
アッシャーの命令に脚甲を鳴らして、劣悪な視界環境の中で素早く隊列を組み替える神殿騎士達。
「残り半数は円陣! このまま広場に陣取って、耐えろ! 霧が晴れるか敵の全滅まで粘れ! 以上!」
『了解!』
半数を敵だらけの霧の海に置き去りにするという命令に、しかし騎士達は不平不満の欠片も見せずに機敏に従った。
背中合わせの円陣と、ガルズを中央にした楔とも盾とも見える隊形に分かれて整列が完成する。
無論、楔の先頭はアッシャー自身である。
「ガルズ、機動力補助!」
「はっ! 秩序の諸神、事分けては雷神イルスに願い奉る」
法術に関して言えばアッシャーを上回る技量を持つガルズによって、部隊支援用の共用法術が起動される。
「我らに猛々しき破障踏害の活路を示し、雷速にて進軍させ給え!」
術式が発動、ガルズ本人を含めた盾鱗陣の騎士達全員の足元で、小さく金色の電光が走る。
「数え(カウント)、三、二、一、――全騎前進!」
「「「「「了解!」」」」」
『神罰の雷霆よ、今此処に降れ』と『秩序在れ』は共に祈祷の一篇の引用だ。それをさも当然のように吶喊として言い放つのは、神殿騎士にとっての面目躍如であり、戦意を鼓舞するための何よりの鬨の声でもあった。
アッシャーの号令に合わせて、ガン、と足並みを機械的な域で揃えた踵が地面を穿つ。同時に楔形の陣形が川に浮かべた小舟のような速度と滑らかさで、路上を滑走した。たった一歩で数歩分を移動する高速歩行によって、部隊は駆け足以上の速度で前進を開始する。
戦場からの離脱を許すまいと雄叫びを上げて飛びかかった屍食鬼達は、アッシャーや他の騎士の一撃で弾き飛ばされ、あるいは両断されて地面に転がる。圧倒的な突破力は、もはや戦車とでも形容するのが相応しい。
〈雷神雷歩進攻咒〉。別名を〈イルスの行軍〉。五大国随一と言われる軍事力を保持するナルガルズ雷帝国、その最高戦力たる【神罰騎士団】が開発した部隊用の移動補助術式。
この術式は対象の集団が歩幅と歩調を一定に揃えている限り、その一歩で移動できる距離を最大五倍にまで拡張してくれる。何より、上半身で臨戦状態を維持したまま移動できるという点が画期的であった。
雷光の軌道を地面に曳きながら、アッシャー達は霧を捲いて疾走する。
目標は無論、直前の索敵で未だ動き無しと確認された、ヘリテ=インフェルムの現在位置。
練度において屍食鬼など歯牙にも掛からぬ、死神の猟犬。その戦闘群が射程に捉えた目標に向かって自らを解き放った。
焦燥の唸りも、歓喜の咆吼すらも、収獲のその瞬間まで飲み込んで。
本日の更新後半。割と勢いで突っ走ってます。明日の更新ではクゥエル絶体絶命!?に場面が戻ります。待ってていただける事を祈りつつ、本日はこれにて。
よろしくお願いします。