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小さな聖女は血に誓う  作者: 功刀 烏近
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六章 日陰がこよる縁と禍(11)

 常に展開している魔術的な防御の上からなお、執事の全身は凍り付いている。

 それでもなお、主の前で震えるような無作法は演じなかった。


「今回は完全な遅刻には至らなかったようで。このクゥエルにとりましては、僅かながらの救いでございます」


 一礼するクゥエルの頼もしさに再び涙を浮かべるヘリテは、一瞬遅れて警告を叫んだ。

 いかな万能めいた執事でも、この怪物の群れに抗えるとは思えなかったからだ。


「クゥエル……駄目、逃げて!」

「お嬢様、まずはご報告します」


 だがクゥエルは動じない。屍食鬼達の視線を一身に集めながら、平然とただヘリテのみを見て、最も伝えるべき言葉を伝えた。


「ハギル殿の息子は無事です」

「え……」

「体重が軽かった事もありますが、そもあの年頃の子供はああ見えて時に頑丈なものでございます。ショックで目を回していましたが、すぐに気がつきました。特に傷らしい傷もなく、あるいはこぶの一つも出来ていないかと」

「本当、ですか……?」

「はい。ご心配であれば、一度様子見に戻られてはいかがでしょう」

「う……うぅ……うぁぁ……」


 今度こそ涙を禁じ得なくなったヘリテが地面の上に座り込んだまま顔を覆った。そのまま抑えた声でしゃくりあげる。もはや何も考えられなくなって、ヘリテはただ感情に任せて泣きじゃくった。

 クゥエルは主の安堵した様子に微笑を浮かべた後、不躾ぶしつけな視線に加えて不機嫌なうなり声まで上げ始めた外野――屍食鬼達に顔を向けた。

 その顔からは、一瞬の内に笑みが揮発して跡形もなくなっている。

 屍食鬼達からすれば逆にクゥエルこそは無分別な闖入者ちんにゅうしゃである。代表たる屍食鬼も最初から威嚇する牙を隠さない。


「今宵の主菜しゅさいは殊勝な事だ。自分からほふられにやってくるとは」

「こちらこそお待たせ致しました。皆様中々に御高齢エルダーな様子で、お目に掛かるための準備に少々手間をかけましたもので」


 クゥエルは無表情なままに丁寧な一礼を見せる。慇懃無礼を絵に描いたが如き仕草であった。

 侮られたと思い込んだ屍食鬼達は一斉に目の前の無礼者を引き千切らんと地を蹴る足に力を込め――その足が微動だにしない事に初めて気付く。

 いつの間にそこにあったのか。全ての屍食鬼達の足元には、手の平に乗るような短剣が根元まで突き刺さっていた。貫いているのは足そのものではなく、地に落とした縮んだ影法師である。

 屍食鬼は足元に一瞥いちべつをくれた後、失笑をもらした。


「……何かと思えば、〈影縫い(シャドウスナップ)〉か。この程度の初歩的な呪術ソーサリーで随分と大きな顔をしてくれるわ」


 屍食鬼達の全身が一回り膨れ上がる。充ち満ちた力は単純な物理を超えて、自らを縛る術式までも干渉する。影を縫い留めていた短剣が独りでに、地面から押し出さ事態れるように持ち上がり始めた。

 対抗魔術すら使わない力業。本来なら人間に出来る事では無いが、そもそもが魔術と生物の合いの子とも言える異賊アザーフッドは魔術に対する耐性も高い。対人用の拘束術式では不足する事態は十分に有り得た。

 魔術士の小癪こしゃくな真似に対して、空気が震えるほど充満する殺意。流石に危険を悟ったヘリテが案じる声を放つ。


「クゥエル……!?」

「さて皆様、釣りをなさった事はございませんか」


 だが、この執事は揺れない。この程度ではぶれもしない。

 ただ淡々と、自分の持ち場を受け持つのみ。


「……何?」

「コツは、獲物が餌に食いついてもすぐにテグスを引かない事です。深く飲み込んでから引く事で、より十全に釣り針を口腔に食い込ませ、獲物を取り逃す事を避けるために」

「知ったことっ……か……?」


 いち早く〈影縫い〉を解いた、外周に居並ぶ屍食鬼の一体が待ちかねたと言わんばかりにクゥエルに向かって跳躍し――空中で、溶けた。

 正確には言いかけた言葉を終えるより早く、縦横に走った無数の切れ目に従い、指先よりも小さいさいの目状に寸断されたのだ。

 ほとんど液状になって、屍食鬼だったものは地面に盛大にぶちまけられ、地面に吸収されるように消えて無くなった。

 不死者か否かを問わず、魔の影響を強く受けた遺体は長く残らない。活動する力を失えば、摂理に反して長らえるための性質もまた失われる。

 呪いが解ければ塵は塵に、灰は灰へと還るのみだ。


「……きゃあっ!?」


 一瞬遅れて惨状を理解したヘリテが悲鳴を上げ、先ほどまでとは違う意味で顔を覆った。そのヘリテの前に、滑るようにクゥエルが移動する。

 無論これ以降に続く惨劇をその視界に入れないよう、衝立となるためにである。

 続いて放った言葉は、短剣が抜け落ちた後も石のように動かない、否、動けなくなった屍食鬼達に向けたものだった。

 屍食鬼達は残らず〈影縛り〉を解き終わり、同時にその全身を無数の黒線で方眼に区切られていたのだ。


「お気を付けください。あまり強引に動かれるとやや『滑らか(スムージー)』な形状になってしまいますが、皆様、形状変化系の術式は習得済みですか? 〈霧状転身ガスフォーム〉とまでいかずとも〈粘体転身スライムフォーム〉程度には到達していなければ、耐えられないかと」


 引き続き、感情の無いクゥエルの声が響く。だがその丁寧さはもはや嫌みにしか聞こえない。少なくとも、屍食鬼達からすれば。


「これは……縫い(スナップ)ではない、影縛り(シャドウバインド)、いや……虚数魔術ヴォイドマンシーか……!」


 最も巨大な体躯を持つ、屍食鬼の代表だけが低く呻くように吠えた。その顔からはぷつんぷつんと文字通り糸が切れるように黒線が外れており、どうにか顔の編み目は口を動かすには足りる大きさまで広がっていた。

 地道な対抗魔術の成果である。だが、全身を縛る線の本数はまだ一割も数を減らしていない。


「左様でございます。貴様ら(・・・)の全身の幾ばくかは現在『物質存在の影』……次元異性体ジアスタシオマーと置き換わっております。それも少々微細な粒度で」


 異賊は強い魔術耐性を誇りはする。だが、相性の悪い魔術もまた存在した。

 虚数魔術は仮定と理論――悪し様に言うなら虚構と空論を具現化し使役する魔術。本来のこの世の摂理から外れた存在――悪魔や魔神、そして邪神に従属した異賊達の『ケイオス』に対して、高い親和性、つまり耐性への貫通力を示すのだ。


虚数平面ヴォイドミラーへの分割投射……擬似的な次元回牢エイスヘル! だが、なんだこれは、何が少々だ……! こんな妄執的な拘束術式があるものか……!」


 半ば悲鳴、半ば抗議の声を上げる屍食鬼に対し、クゥエルは再度、優雅にして慇懃無礼な最敬礼を向けた。


「はい。少々感情に負けて刻み過ぎました。やはり私は執事としてまだまだ未熟です」


 その細い目は無感情にして貪欲――完全に締め上げた獲物を眺める蛇の眼差し。


「いくら主に不利益を為す害虫とはいえ、駆除に念入りになるばかりに時間をかけ過ぎるとは」

「待て、やめっ」

「『零。解法よ、在れ』」


 詠唱と共に、ぱちん、と高らかに執事の指が鳴った。

 屍食鬼達の肉体が、複数の世界に細分されて同時存在する状態から、一切の修復無しに解放される。

 結果、肉体は虚数平面の入り口に設定された影と現実、二つの座標に細分されたまま復帰した。細分されたままとはつまり、小間切れの血肉として、という意味である。

 地面と空中に分裂した後、分かたれた二つは元々の一つとなって混ざり合い、間もなく消えていった。

 ただ、途中まで対抗していた屍食鬼は唯一の例外となった。

 何とか首から上までは、現実に復帰する事に成功したのだ。

 とはいえ、いかな無尽と例えられるほどの生命力を持つ屍食鬼と言えど、何の準備も無しに首だけで生存する事は叶わない。


「かっ……かかっ」


 地に落ちた生首は数度牙を噛み鳴らして無念を表明した後、影で出来た黒刃こくじんによって他よりもやや大きな塊に分断され、結局同じ末路を辿った。

 影の刃の起点に使った短剣を袖口に納めて、クゥエルはもはや跡形も無くなった群れを見下ろし、捨て台詞を贈る。


「まったくもってはかない永遠でございましたな、クソ永命者(イモータル)共」


 屍食鬼に向けた言葉としては初めて、そこには感情と言えるもの――幾ばくかの忌々しさが浮かんでいた。


ありがとうございました。次回更新予定は8/9(水)22:00です。

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