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小さな聖女は血に誓う  作者: 功刀 烏近
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六章 日陰がこよる縁と禍(10)

 言いたい事を言い切って、ヘリテは顔を上げて屍食鬼達の反応を待つ。

 出来れば、納得して立ち去って欲しかった。


「……貴方はまだ、理解されていないようだ」


 だが、流石にそれは虫の良い話だった。

 屍食鬼の声はかってなく低い。押し殺されたという言葉に相応しい、何かを強く意識的に抑圧しながら放たれる声だ。


「転化されて間もない事を考えれば無理も無い。限り有る者(モータル)限り無き者(イモータル)の溝は御身が考えるよりも遙かに深く長いのです。隣り合う事は、絵空事と例えてもまだ甘い」


 うっそりと、一体ずつ、後に控えていた群れが体を起こしていく。代表として喋る屍食鬼の姿勢はむしろ背中を丸めた前傾気味に傾いている。だが、その体はむしろ先ほどまでよりも大きく膨らんで見えた。

 群れは、徐々に仮初めの規律を脱ぎ捨てて、本来の性質を露わにしようとしていた。


「御身のために、まずはそれをお教えしましょう。夜の先達としての、最初の教導レクチャーです」

「それは、一体……」

「あなたが信じるという人間の血肉を、綺麗にさばいてあなたに捧げましょう」

「な……!」


 突然宣言された凶行にヘリテの顔が青ざめる。だが屍食鬼は平然と、悠然と本物の舌なめずりをしてみせる。

 最も紳士的な態度を取っていた者が、最も凶暴な牙を口腔に秘めていた。


「我らは所詮捕食者だ。どれだけ愛した人間の成れ果てでも、目の前にある新鮮な血肉の誘惑には抗えない。その原則を、文字通りの血の通った体験として学んでいただく」

「そうだ」「そうだ」「そうしよう」「最初の宴だ」「盛大に、厳粛にやろう」「特別な馳走ちそうを用意して」「忘れられぬ宴にしよう」


 邪悪で悍ましい歓喜と興奮を、群れは躊躇ちゅうちょ無く口々にわめく。

 あまりにも早い変わり身に、ヘリテが焦り、同時にようやく理解する。

 彼等の言っていた穏やかで満ち足りた生には、最初から被食者にんげんの不幸と苦痛は考慮されてない。

 まさに、狼と羊の例えそのままに。


「やめて……止めてください! 着いていきます、貴方達と行きますから、お願いです……!」


 一先ず群れを止めなくてはという必死の思いでヘリテが口にした妥協を、屍食鬼は鼻で笑って拒絶した。


「いいえ、姫様。これは御身のためです。未練を残せば苦しむのは御身だ。ここできっぱりと決別されるのが最善です。なに、一度でもにえを眼にしてしまえば後は全て衝動が解決してくれますとも。ほんのしばしお待ちを。今宵までに全ての支度は調ととのうでしょう」

「止めて、後生ですから……お願いです……」


 凶暴性を発揮した群れに対し、無力さに涙ぐみながらヘリテは懇願する。

 同時に自分のうかつさと愚かさを呪った。

 血を目にした時の自分を思い起こせば、血肉を貪る畜生の道を選んだ者達の考えなど予測してしかるべきだった。


「その執着も悲哀も、全て極上のスパイスになりましょう。請け合いますとも、誰しもが通る道ですからな!」


 謳うような屍食鬼の台詞には悪意という程の悪意も無かった。

 屍食鬼自身にとっても、ただの悪ふざけ以上の意味は無い。

 だが、その余りに軽々しい言葉は、ヘリテの意識の奥底に揺蕩たゆたっていた衝動を無遠慮に刺激してしまった。


 打ちひしがれていたヘリテが、顔を上げた。

 涙の残る目許が、不意に紅く紅く輝く。

 白目が血に染まり、瞳は赤葡萄酒の深紅に満ちる。さらにその奥で、爬虫類を思わせる縦長の瞳孔が二重に開いた。高貴にしてな俗悪な黄金と、血よりもなお紅き鮮紅が合い喰らう、まだらの光を放ちながら。

 表情の抜け落ちた顔で、ヘリテは感情の無い声を発した。

 それはヘリテ自身、自分の中のどこから出てきたのかもわからないような、低く冷たい声だった。



「      や      め      ろ      」



 子供じみた嗜虐しぎゃくの喜びを溢れさせていた群れに、冷や水というには冷た過ぎる一喝が浴びせられる。

 怒りと呼ぶにはあまりにも冷酷な衝動。上から見下ろす者の傲慢と侮蔑に根ざした拒絶の禁令。

 吸血鬼ヴァンパイア数多あまた異賊アザーフッドの中にあって、希少さでも種としての強さでも頂点に在る存在。

 彼等は生まれながらにして、異賊の王と呼ばれるに足る力を備えるのだ。


 見渡す限り一切の音が、声が、一瞬で消えた。

 もはや〈熱量枯渇〉という域を遙かに超えた、凍てついた嵐が吹き荒れる。

 漂う霧が露に変わり、即座に霜となって周囲を凍らせた。下生えが凍り、梢が凍り、屍食鬼達の衣服のみならず、毛並みや顎髭までもが瞬く間に氷柱つららに覆われる。

 誰も動かない。動けない。

 少し離れたところで何が倒れる音と小さい地響きが起きた。

 強すぎる冷気が水分を一瞬で凍り付かせたせいで、激しく急速に乾燥したのと同じ状態に陥った木々の一本が、ひび割れた挙げ句に自重を支えきれずに倒れ伏したのだ。


 その地響きに揺すられてヘリテが我に返った時、視界の一切は白に染まっていた。

 木々が、草花が、それらの陰に隠れていた小さな命が、残らず全て絶えていた。

 自分の為した事に恐れ戦くヘリテの耳に、低くくぐもった笑い声が届く。

 真っ白に凍りついた姿のまま、屍食鬼が堪えきれない笑いに体を震わせていた。


「……素晴らしい。我らの見立みたては正しかった」


 笑う度に凍てついた身体から薄く剥がれ落ちた氷の薄片が落ちる。

 表面こそ凍り漬けの有様だが、まるで痛痒の様子が無かった。

 この場に立つ年経た屍食鬼達にとって、ヘリテの放った凍気は驚くには値しても痛撃と呼ぶには足らなかったのだ。

 氷の戒めをふるい落としながら、屍食鬼達が昏い歓喜に沸く。

 自らが選んだ王の卵が垣間見せた、天性の資質に感嘆し、酔ってすらいた。


「御身の内にあるうろの大きさは、きっと類を見ないものだ……我らは素晴らしい王を迎える。我らが主神に限り無き感謝を、祭祀長キヤルゴに栄えあれ!」

「栄えあれ!」「感謝を!」「栄えあれ!」「我らが神と王に栄えあれ!」


 徐々に身体の自由を取り戻していく屍食鬼の群れに、再びヘリテは無力感と絶望の縁に落ちかけていた。

 そもそも、狙って出来た事では無い。もはや自力で出来る事は……子供を押し飛ばした吸血鬼の膂力に頼んで、足にでもしがみついてみるか。

 ヘリテは悲壮な覚悟を決めつつあった。


 だからこそ、散々耳にした慣れ親しんだ慇懃無礼な澄ました声に、ほんの少しだけ苛立ったのは正直な気持ちである。

 勿論、それ以上の腰の抜けそうな安堵と共に。


「申し訳ありません、お嬢様。再びの遅参、心よりお詫び申し上げます」


 何時からそこに立っていたのか。

 少し離れた冬景色の木陰に、自身もまた執事服に白く霜を下ろした姿で、クゥエルが胸の下に手を当てて直立不動の姿勢を取っていた。

ありがとうございました。次回更新予定は8/8(火)22:00です。

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