帝国のお偉方
「もう少しです、頑張ってください!!」
「うん…」
励ましに答えながら、ギリギリと歯を食いしばって足を進める。
セーフゾーンを出発してから1週間ほど経った気がする。あの悍ましい雑ケンタウロスにトラウマを植え付けられた私は、少し慎重になった。住処が領域化してからというものかなり弱体化したというマツリの案内で、ゆっくりと進んだ。
血の池に沈み、死体やよくわからない泥のようなものに埋もれ、物陰に隠れている時に腹が鳴って血の気が引いて。地獄の行軍だった。
さらには、死にかけた時の興奮が冷めてアドレナリンが切れてからがヤバかった。折れた右腕やふくらはぎの刺し傷、千切れた肩肉や体中の怪我の痛みが、一気にぶり返した。
自然回復でかなりマシになったものの、完治とはいかない。いくら強化されているといえど、限度があるらしい。
お腹もペコペコで、喉は渇きすぎて呼吸が痛い。…それにしてもここまで飲まず食わずで生きていけるとは、知らず知らずのうちに人外になってきている気がする。
全身が赤と茶に塗れ、ベタベタする。顔を覆う脂汗と汚れが混じったものを折れてない方の腕で拭いながら、マツリに問いかける。
「どの、くらい」
「ほんとにもう少しですよ!……ほら、見えて来ました!」
俯いていた顔を無理矢理上げると、遠くからの光が眩しい。…そういえばさっきから明るくなっていた気がする。頭が回っていない。もうすこし頑張るか、と気合を入れ直す。
歩く。光が近づく。なんだか騒がしい気がする。男の声がする。歩く。疲れた。気絶しそうだ。でももう少し。なんとか体を動かして前に進む。マツリが何か言っている。頭にガンガン響くが、よく聞こえない。
外に出たのが分かる。
全身に光が差し込んでいる。大丈夫かなこれ。私アルビノなのに。焼けちゃうよ。倒れ込むと懐かしい土の匂いがした。
これでモンスターに襲われたらお笑いだな。でも、指先一つ動かせないや。ギョロリと眼球だけ動かして上を見ると、大勢の人が覗き込んでいる気がした。
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ユザーミ帝国第一帝国軍大将ブレア=フレデリックは悩んでいた。自慢の金色に染まった長い顎髭を撫ぜながら、太い溜め息を吐く。
かねてより計画していた特級災害領域『骨吐き洞窟』の踏破、そして最深部の主を討伐することによる領域の破壊。これに成功すれば、帝国民の被害と防衛予算を大幅に削減出来る事が予想されていた。
そして、外患に向けていたリソースをそのまま内憂への対処に割く事ができる。つまるところクーデター完遂への弾みもつけられる。ブレアはこの国の在り方に限界を感じ、焦りを抱えていた。
そんな計画の記念すべき決行日に、いきなりアクシデントが発生したのだ。
「大将、どうされますか」
声を掛けるのはマルシェ=ロックボルト。
真っ赤な長髪を後ろで団子状に纏めた彼女は、齢20にして第一帝国軍少将である。
雑用でなく本部隊として参加する場合、中将以上の階級が必要とされ、しかも定員が五名のみという当作戦。それに腕っ節の強さを主な理由として、例外的に参加を認められている。
堂々とした態度と整った容姿などから、軍の内外問わずファンが多い。もっともいつも冷たい印象を与える角張った眼鏡が、今は少しズレている。
「とりあえず、拘束した後で回復魔法をかけろ。目覚め次第話を聞け」
「聖蛇様の方は?」
「アレが本物かどうかの判別も付かん。手出しはせず、何人か監視を付けておけ。それで?」
「はい。一応、出来る限りは聞き出したのですが…」
マルシェはブレアに紙束を渡すと、少し目を逸らしながら呟く。
「アタ、私としてもあまりに突拍子のない話でして…」
「ハァ。取り敢えず下がってくれ。少し考える。…昼頃までには出発できるようにしよう。ここで失敗はできない」
敬礼し部屋から出て行くマルシェの背中を見つめながら、ブレアは思い悩む。
(正体不明で重体の汚い少女に、言葉を使う聖蛇もどき。しかもそれが突入する直前の特級災害領域から出てくるとはな。どうするべきか。せめて、今日でなければ…)
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目を開ける。視界に広がるのはテントの屋根。
(知らない天井だ……言ってみたかった)
不思議と体の調子が良くなっている。
身を起こそうとすると、ガチャンという音がして起き上がれない。拘束されてる?
「静かにしていろ。暫し待て」
声がしたので首だけ持ち上げる。テントの入り口に立つ男の姿が見えた。男はこちらを見ると、すぐに外へ出て行ってしまった。
(どういう状況なんだろう、これ)
怪我は治療されたのかな。自然回復の可能性もあるけど。体も清潔にされてるし、拘束されてる割には丁重な扱いだな。
ボーッとしているとマツリが居ないことに気付く。どこ行ったんだろう。少し不安だ。誰かが来たら聞いてみよう。他にも色々と気になるし。
入り口をジーっと見つめていると、掛けられていた布をめくって女の人が入ってきた。かなり美人だ。赤髪で、眼鏡をかけている。そして掌にはマツリを乗せていた。
(なんであんな所に…)
「今からいくつか質問するから」
マツリをじっと見つめていると、赤髪女に声をかけられた。
「まず、アンタは何者?なんで洞窟に入ってたの?」
見た目に似合わない砕けた口調で問いかけてくる。どうしよう。
「あ…ふつ、う」
「普通?一般人ってこと?あのね、ちゃんと答えないとアンタ死ぬから。で、なんで?」
「え、と…むり、やり」
「誰かに洞窟に行かされたってこと?」
「…ん」
「まぁいいか。この聖蛇様とはどういう関係?」
「とも、だち」
「ふーん…」
彼女は俯いて、私から目を逸らした。少し経って再び口を開く。
「正直ね、アタシは止めたんだけど、アンタらは情報を引き抜いたら殺そうって話になってんの」
顔を上げて、私の目を捉えて続ける。
「この作戦は失敗できないし、不確定要素は排除すべきだってさ。でも、聖蛇様と子供を殺すのはアタシも後味悪いしさ」
今度は俯いた。首が忙しい人だ。
「なんかさ、起死回生の情報とかないの?ないならもうアタシが…」
ずっと黙っていたマツリが、彼女の掌から降りるとこちらに近づいてくる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいね」
腕に巻き付いてきたマツリは慌てたように言う。
(聞こえますか?聞こえてたら頭の中だけで返事してください)
(え、聞こえるけど、なにこれ)
(念話です。体が接触しないと内密には使い辛くて…これで、他の人には聞こえないので大丈夫です)
(そうなんだ。えっと、どうしたの?)
(ピンチみたいなので…作戦会議です!)
(なるほど)
頭の中だとスラスラ喋れて楽だな。うまく喋れてない現実との違いをツッコんでこないから、マツリはいい奴だ。
赤髪女はなにも言ってこない。
直立して、ただ悲しげにこちらを見つめている。死を前にして寄り添いあってるとか思われてるのだろうか。それとも掌の上の重みが無くなったからか。…流石にそれはないな。
(私が寝てる間に何があったのか教えてくれる?)
(わかりました!とりあえず、)
「少し時間をもらえませんか?」
マツリは赤髪女に声をかけた。彼女はその赤く艶のある髪をぐしゃぐしゃと掻き回すと、ぶっきらぼうに言う。
「あー、五分だけなら。今はほんと時間ないし。この状況もバレたら…」
ぐちぐちと言いつつテントの入り口横の椅子に腰を下ろした彼女を横目に、マツリは頭の中で話しかけてくる。
「ありがとうございます!」
(洞窟を出た瞬間から話しますね)
(うん)
(洞窟を出てすぐのところに、五人組と、それに付き従う沢山の人間さんたちが居ました。彼らはユザーミ帝国っていうところが、この洞窟の脅威をなくす為に派遣した精鋭さんたちらしいです。…洞窟がおかしくなる前の時代は、近くの大きな集落から、多くの人がプレゼントを持って洞窟に来てくれていました。多分その子孫の方々だと思います)
(祀られてたってこと?マツリだけに。じゃあ私達への中途半端な対応は何なの?丁重なようで粗雑な扱い。聖蛇様とか呼ばれてたけど)
(マツリのお母さんは集落の人を色々と助けていたので、そのお返しを貰ってたんです。そのおかげで、マツリたちも可愛がられてたんですけど…)
(ですけど?)
(たぶん長い年月が経って、ほとんど忘れられちゃったんだと思います。少し伝わってるだけで。それに今はおかしくなった私の仲間たちが、人間さんたちを食べたり、操ったりしているので…)
(それでどっちつかずの対応になってるってわけか。あー、どこまで話したの?)
(えっと、マツリがお母さんの娘でお母さんは昔はあなたたちと仲が良かったけど、侵入者さんが来てから洞窟はおかしくなってしまったって。あと、セツさんの事はよく知らないけど、危ない人ではないって伝えました!)
(そっか、ありがとう。…うーん、難しいな。私が念話で話した事を、マツリが他の人に代わりに話すことってできる?…私、口で喋るのが苦手で)
(大丈夫ですよ!)
時間が経ったのか、赤髪女は立ち上がるとこちらに近づいてくる。
(ひとつ聞くけど、洞窟の外で殺されるか生きる可能性を求めて洞窟に再び入るか、どっちがいい?)
(また入るんですか?)
(そうするくらいしか活路が見えないとしたら?)
(マツリは……平気です!)
目の前まで来ると、赤髪女は口を開こうとする。それを遮って、
「まっ、て」
(わかった。じゃあまず名前を聞いてみて)
「あの、あなたの名前はなんですか?」
「はぁ?急にどうした。マルシェ。マルシェ=ロックボルト」
補強工事に使われてそうな名前だ。とりあえず話してみるしかない。
(マルシェ達と取り引きがしたい)
「マルシェさん、取り引きしませんか」
マルシェは意外そうに、そのツリ目を丸めて言う。
「ん。なにか思いついたなら、言ってみろ」
(私達がマルシェ達を洞窟内の目的地まで案内する)
「…ッ。わ、私たちがあなた達を領域の主の所まで案内します」
どうしたんだろう。マツリの様子がおかしい。
「へぇ。それを信じろって?」
(まずは聞けマルシェ)
「とりあえず話を聞いてください」
「…わかったよ」
(私はそこそこ強いし、マツリは自分の住処だから洞窟内のことをよく知っている。加えて言うと私たちを逃すことで自分達の計画が崩れる事を恐れているのなら、同行させて監視すべき。裏切ったら私たちくらい簡単に殺せるでしょ。あ、あと私たちは一緒じゃないと上手く機能しないって言った方がいいな、マツリだけ生かされるかもだし。じゃあ、伝えて)
「…えーっと、私は自分のお家だったので洞窟内の事はよく知ってるんです。この子、セツさんって言うんですけど。この子の体にくっつく事で調子が良くなるので、一緒に連れて行きたいです。でも私たちは戦うのが苦手なので、守って欲しいです」
(あれ?私はそこそこ強いと思うよ)
「なるほどね」
「私たちの事はずっと監視していただいて構いません。武器も持ちませんし、弱いので裏切る理由がありません。それと、」
マツリは言葉を区切ると、私から離れてマルシェの前まで這っていった。首を持ち上げると、鋭い眼光に対峙するように向き合う。
「それと?」
「あなた達がとても強いのは分かります。それでもこの人数で、案内無しで、最深部の主の所まで辿り着く。そしてそのまま倒す、なんていうのは本当に無謀だと思います」
マルシェは目つきをさらに鋭くすると、少し真剣さを帯びた声で、
「舐められてるな。もともと電撃戦の予定だったし、案内の有用性は分かったよ。なんで領域の主が目的だと?」
「………ああなっちゃった洞窟を元に戻す為には、主を倒す必要があるからです」
1人と1匹は暫く見つめ合っていた。マルシェは目を逸らすと、
「…フゥ。アタシの独断じゃ決めかねる。でもわかった。できる限り説得はしてみる。多分みんな、今は藁にも縋りたい気持ちだろうしな」
マルシェはペンを動かすのをやめ、何かを書き込んでいた紙束を丸めると、少しだけ優しげな声で言った。
「ちょっとだけ待ってな」
マルシェはこちらに背を向け、そのままテントの外に出て行った。




