what a beautiful flower
少女は己の不運を嘆いた。―その2秒後にはそれにも飽きて、自ら環境を変えようと思ったが。
ルシエド=セレスファリアの、今から約1年前のとある夜のこと。彼女は、鳥籠の中にずっと住み続けるということに嫌気が差していた。
帝国教会本拠地『トリグラオ』最上階にて、アンニュイな表情で、大きなベッドに寝転がって天井を見つめていた。
(帝国を出ようか…)
「困るなぁ、それは」
不快な声がした。人工的に作り出したような不自然な声色。身を起こして、彼女はその発信源を探った。
月光差し込む大窓の前に、光球が浮かんでいる。
(…窓は閉まってるよね)
「閉まってるよ」
「…そうかい」
「あれ?驚かないんだ。こ、心を読んでいるのか!?みたいなさ」
「君は、面倒だね」
軽い問答で相手の性格を把握したルシエドは、少しうんざりした様子で答えた。光球はベッドに腰掛ける彼女の元に、ぷかぷかと移動すると、
「あと1年は待ってくれないか、ここを出るの」
「…どうしてだい?」
光球は、よくぞ聞いてくれました!と言わんばかりに空中で飛び跳ねると、言葉を続けた。
「非平衡系としてのこの小宇宙を長持ちさせるためさ。均一な状態、或いは全くのカオスになってしまうとつまらないからね。ボクがおかしくならないためにも、ちょうどいい秩序の存在が必要なのさ」
ルシエドは苦々しい顔で手をヒラヒラさせて、
「君は衒学的だね。僕は16の小娘だよ。もう少し噛み砕いて喋れないの?…もっと具体的にしたり」
「…おかしいな。伝わるように翻訳されている筈だけど。まあ、ボクは孤独で無力な観測者で、楽しいイベントを観るのが好きなのさ。そして、君が今出て行ってしまうのを止めることで、ボクは望む方向で因果律に介入し、運命を微調整できる」
「君のメリットしか伝わらないんだけど。それに僕が従う理由ってあるの?」
「とっても可愛らしい女の子に出会えるよ」
ルシエドは表情を変えた。少し真剣な声色で光球に問いかける。
「…それは嬉しいけど。それだけ?」
「ぼんやりと見える程度だけど、その女の子と帝国から出て、一緒に旅をしている景色が浮かぶよ。結構仲良いんじゃない」
(…へぇ。このまま帝国を離れたって、出会いのアテも無いしなぁ…)
「うん、乗った。じゃあ1年だけ待つから、帰ってくれないか」
「決断が早いね!…信じるんだ。というか色々質問しないんだ。運命の調整って!?未来が見えるの!?とかさぁ」
ルシエドはドサッ、とベッドに再び倒れ込むと、天井を見つめたまま答える。
「あんまり興味がないかな」
「よく聞いてくれたね。小川の流れに手を突っ込んで、少し流れ方を変える程度だよ。それでも君達のスケールからすれば大きな変化だ。それと、君達も未来が見えているだろ。例えば視覚情報処理の際のラグを埋め合わせるために、パターン認識によって少しだけ先読みしている。その拡張版と捉えてもらって構わないよ」
ルシエドは寝転がったまま光球の方を見ると、
「…僕をひとりごとの反響板に使わないでくれないか。十分伝わったよ、君が寂しがり屋の喋りたがり屋だっていうのは。それに免じてもう寝かせてくれないか」
光球は点滅した。少しずつ透けて行きながら、
「ボクだって忙しいんだけどな!…わざわざ会いにきたんだから、もっとテンション上げて欲しかっただけだよ。じゃあ、1年間は我慢してねー」
その言葉を最後に、気付けば光球はルシエドの視界から消えていた。
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(1年間待ってみて、良かったなぁ)
過去を振り返ってみて、あれほど上手く行った決断は無いと言っていいだろう。あのまま帝国を出て行っていたら、どうなっていたんだろうと思うと、ゾッとする。
ルシエドは暗闇の中、狭い空間で寝返りを打つ。待ち人はまだ来そうにない。
(お陰でマルシェも立ち直ったし、良い具合に巫女も必要なくなりそうだし)
マルシェがまだお嬢様口調だった頃を思い出す。年下の自分の事を、ルシーと呼んで慕ってきていた。
僕が6歳の時、3歳年上の彼女と出会った。
神童として名高かった彼女は、挫折経験が全くなかった故か、僕よりも精神年齢が低かった気がする。いつも後ろをついてきては、なにかと魔法を見せたり、勉強内容を伝えてきたりする彼女が、雛鳥のようで愛らしかった。
そんな生活が1年ほど続いて、ある日彼女は泣きながら相談にやってきた。
自分は誰にも愛されていない、と。
僕は10歳の彼女の思いがけないピュアさに驚きながらも、確かに嫌う人は居るけど、ファンも居るし、僕が居るよ、と言った。けれど慰められた様子はなかった。
彼女曰く、ファンは自分の心の奥底をちゃんと理解していないし、僕も別に彼女のことを愛しているわけじゃないんだとか。
(まあ、確かにそうだけど)
彼女が死んだら暫く引きずる自信はあるが、いずれ立ち直ってケロッとしている自分の姿もまたイメージできる。そんなものは愛とは呼べないだろう。僕は彼女の背中を撫でることしか出来なかった。
結局、彼女は仮面を被りながら生きていくことになる。その心の傷を隠したまま。
(それを治療出来そうで良かったけど…)
残念な気持ちが全く無いと言えば嘘になる。あのツッパった態度の裏に透けて見える、他人の顔色を窺うような感情に気付く度、僕は少し嬉しくなって…いや、興奮していたからだ。けれど大切な親友だし、素直に祝福しようと思う。
(それに……)
「僕にはセツがいる…」
出自不明。無口無表情で常識知らずの謎の少女。白髪褐色で背は僕よりも低い。可愛らしい小さな造りの鼻と口。唇は真っ赤でツヤツヤしている。いつも気怠げに伏せられている大きな赤い目は、深く濁っていて、一日中見つめていたくなる。
抜けているようで聡明。分析家気質なのに鈍感。極め付けには、マイペースの皮で包まれたナイーブさ。それがふとした拍子に剥き出しになる度、傷つけたくなる衝動を我慢するのに苦労した。
(確かに苦しんでいる顔も好きだけど、あの子には幸せそうな表情が一番似合う)
美味しいものを食べて、彼女のその無表情が僕にしか分からない程度に綻んだ時が、僕が生きていて最も良かったと感じる瞬間だ。
初めて会った時から恋に落ちていた。
一目惚れという浅はかな始まりだったけれど、一緒に過ごして彼女の内面を探るほど、どんどん深みにハマっていった。気づけば彼女のことを考えてしまうし、彼女がいない世界なんてもう想像ができない。
巫女という役割でありながら、神なんてどうでも良かった。信じている訳でもなければ、信じていない訳でもなかった。帝国教会も、帝国民も、どうなろうと構わなかった。所詮生まれた時からいる鳥籠の中で、ぼんやりそれらしく振る舞っていただけだ。それでも。
(彼女のカラダもココロも全部僕のものにしたい。…いや、逆に僕の全てをあげてもいい)
セツの事をかんがえるほど、僕の頭はボーッとしてしまう。だんだんと下腹部にも熱が篭ってきた。
(あの無表情の裏側に、あの可愛らしい顔が貼り付いた小さな頭の内側に、どんな世界が満ちているんだろう)
他の人間なんて全員、自分の頭蓋骨の中で意味もなく繰り広げられる物語の、代替可能な登場人物に過ぎないと思っていた。
でも、違う。そんな矮小な存在だと思いたくない。自分が生きてても、死んでても、自分とは関係なく存在してて欲しい。
(もう巫女は辞めたけど、僕の神はあなただよ、セツ)
…タッタッタッ
外から足音が聞こえたので、息を潜め、気配を消す。
「スッゲェ!これほんとに貰えるんのかよ?魔導車だろ?こんな良い乗り物、共和国で浮くぞ」
「う、ん。るし、えど、さま、さま」
「感謝ですよねー」
ガタンッ
僕が隠れているトランクの蓋から音がした。
「あれ、トランクが開かねーぞ」
「ああ。ルシエドさんが、トランクだけは故障か何かで開かなくなってしまったって」
「ふーん」
もちろん嘘だ。セツ達の旅について行くにあたって、例え彼女達にバレただけであっても、それが伝わってしまえば、マルシェや教会の人々に止められてしまう。
(教会の人からは逃げられるけど、僕じゃマルシェ相手は無理だよねぇ)
「はや、く」
「分かったって。…よっしゃ、行くか」
「ワクワクしますね!アキラさんも足が震えてますよ!武者震いですか?」
「違ぇよ。運転した事ねーのに、こん中で一番マシだからって運転手やる奴の気持ち考えろ」
(…帝国を出たら交代してあげよう)
ドッドッドッ…ドゥン!!ブロロロロロ……
車体が揺れて、走り出した様子だ。
「れっつ、ごー!」
「行きますよー!共和国!!」
「しゃあ!!安全運転安全運転……」
(柄にもなくドキドキするな…)
帝国外のイベントにさえこれまでは参加させて貰えなかった。鳥籠の外はどうなっているんだろうか。僕はセツやその他メンバーと仲良くなれるだろうか。これからの生活を夢想する。
(いやぁ、本当に…)
本当に、楽しみだ。




