3 夜はひまだったんじゃ
というわけで第三話です。
王の執務室には、王と王子と侍従長だけが残された。
「フィリップよ。ワシの話が理解できなかったようだな。
彼らには『何事もなかったように帰れ。何があっても責任は自分一人がとるから』と言うべきであった。
これであの3人の処刑は免れぬ……お前に最後の機会を与えたのが徒になった」
王子は目を血走らせ。
「まだ! まだ事は終わっていない! 父上のサインがある命令ならもっと兵を動員することも!」
王は哀れみとも悲しみともつかぬまなざしで王子を見て。
「……終わったのだフィリップ。ワシはお前を廃嫡にしなければならぬ」
「父上はこれでいいのですかっ! こんな傀儡で! 父上自身が王家をないがしろにして!」
「もう5代以上前からこの状態なのだ」
「ご、5代!?」
「それにな、これは別に傀儡というわけではないのだ。王はこの国にとってそれなりに重要な部品なのだ」
「ぶ、部品!?」
絶句する王子に、王は全ての感情が消えたような声で淡々と告げる。
「我が一族が王であるのは、どの大貴族にも属していないからなのだ。権威はあるが権力がないからなのだ。
どこか有力な貴族の一家系が名実とも国政を牛耳ればカドが立つであろう。だからこそ我が一族なのだ。
力がないからこそ、力がある者たちの要として働けるのだ。それが王家なのだ」
一気にそう言うと、王は寂しげに笑った。
「すまなかったなフィリップ。お前が余りに賢いので、教えないでも悟るだろうと考えてしまった。
これこそが我が過ちであった」
王子は叫んだ。
「勝手に終わらせるな! こんな結末は認めない!」
「ならばどうするのだ?」
王が静かに問うと、王子は腰の剣に手を掛けた。
「王の名で軍の動員を命令するんだ! いや、この場で全権をボクに委ねるんだ!」
「すると思うのか? お前はそこまで愚かだったのか?」
王子はついに剣を引き抜いた。侍従長が、ひぃ、と声をあげる。
「ボクらの未来に立ち塞がるというなら父上とて!」
「ほう、剣など抜いてどうするつもりだ?」
「父に向けて刃を向けるのは心苦しいが、ここで引くわけには――」
王子の体は後ろへ吹き飛んだ。
執務室の壁に激突し、その場へくずおれた。
「血を分けた息子に拳をあげるのは、ことに痛いものだな」
「ち、父上にも殴られたことなかったのにっ、ええっ、ち、父上!?」
王子は呆然として声の方を見上げた。
そこに王が立っていた。
王子が見たこともない王だった。
全身から炎のごとくゆらめく気を発し、傲然と見下ろして立っていた。
この男が、老境にさしかかりつつある中年が、席から立ち、執務机を飛び越え、王子を殴りつける動作を一瞬で行ったというのか。
王子は根源的な恐怖を感じた。
猛獣だ。猛獣と対峙しているのだ。
王が、ふんっ、とうなると、質素ではあるが威厳のある装束は内側から破れ、筋骨隆々とした肉体が現れた。
荒縄のごとき筋肉が全身を覆い、湯気が立ち上る半裸体だ。
「そ、その体は!?」
「立て!」
王は凛とした声で告げる。
「こんな結末は認めないのであろう? ならば立ってワシを倒すのだな」
「い、言われずとも! 王家の! ボクらの未来のため!」
王子はよろめきながらも立ち上がった。
そして剣を拾い。構える。
王は賛嘆した。
ああ。全く。美しい。それゆえに惜しい。
この構え。正統派の剣術を身につけた技前だ。
もし実戦で生き残り磨かれるか、二十年研鑽を積めば一角の者になったであろうに。
それをここで、自らが単なる趣味で身につけた技で刈り取らねばならぬとは!
「構えただけか?」
微笑んで挑発すると、王子は覚悟を決めて撃ち込んできた。
王は避けもせず、真っ正面から受けた。
速い。実に速い。この若さでこの速さとは。
形だけではない。動きもまた美しい。
あの大王の御代に産まれれば、いや、復興王の御代に産まれれば、知勇兼備の王ともなれたものを。政治、軍事両方に辣腕を振るい。名君として名を残すことも出来たろうに。
王には、そんなことを考える余裕があった。
「な、なにっ!? ば、馬鹿な!」
剣は、王の頭上、指一本も入らない場所で静止していた。
王は、両手で拝むようにして剣を受けていた。
左右から刀身を両手で挟まれ、王子の全力をもってして引くも進むもならない。
「避けないなら、避けない理由があると判断すべきだったな。
お前の剣筋は素直で読み易すぎるのだ。
もっとも、ワシでなければ受けることは出来なかっただろうが」
そう淡々と告げているのとは裏腹に、鉄線をより合わせたごとき筋肉は盛り上がり震え、みちみちと力が入っていく。
びき、びきと、何かが割れていく音がする。
鋼に。鍛え抜かれた鋼の刀身に、両手で押さえられた所から罅が広がっていくのだ。
王子の口から悲鳴にも似た声が漏れる。
「あ、あ、ああっっ、そ、そんな」
ばきん。
軽い音を立てて鋼の剣は砕けた。
王子は支えを失って前のめりになり、その瞬間。
「ふぐぅ」
鉄塊のごとき拳がその腹にめりこんだ。
王子は、体をくの字に曲げ、口から血を吐きながら吹っ飛んで、壁に激突した。
そのまま床へくずおれた。
意識を失いかけた脳裏に王の言葉が突き刺さる。
「剣を失ったら終わりか? 戦場では剣を再び手に入れるのを待ってはくれぬぞ。さぁ立て。向かって来い」
王子は辛うじて目を開けたが、体のどこかが壊れたのか、立つことが出来ない。
弱々しくもがくのが精一杯だ。
だが王は容赦しない。
王子に馬乗りになると、左右の拳を規則正しく顔面に撃ち込んでいく。
「王は所詮ひとり! 自ら以外はたのみとするものなし! だから鍛えているのだ!
それにお前の母が十年前に死んでからは夜は暇でな!」
殴る。殴る。殴る。
殴る。殴る。殴る。
「そんな、ぐふっ、ごへっ、その体ならっ貴族どもくらいっげふぅ」
「お前は物語の読み過ぎだっ! いくら肉体を鍛えたとて! 軍勢の前には勝てぬわ!」
殴る。涙ぐみながら。殴る。
殴る。涙ぐみながら。殴る。
「お前が! 賢いから! おおっっ!
勉強ができたから! おおああっっ! 自慢に思っていたというのに!
賢い人間によくある間違いをするとは! いっそ、お前がバカであればよかったのに!
なぜだ! なぜだフィリップ! なぜだぁぁぁぁぁ!
なぜワシは自慢の息子を断罪し殴らねばならぬのだぁぁぁ! 答えよぉぉ!
おああああああああああ!」
王は、殴る。殴る。
血涙を流しながら殴る。
吠え。吠えて泣きながら殴る。殴り続ける。
「陛下! 陛下! 殿下が死んでしまいますぞ! 陛下!」
王が、耳元で必死に叫ぶ侍従長の声に我に返ると、原型を止めぬほど腫れ上がった顔の男にまたがっていた。
王子だった。王子だと知らねば認識できない有様である。
「……とりあえずは生かしておいてやらねばならんな」
王の声は昏い。
ここで死ななくても、死んだようなものだ。
貴族達に確認させるためだけに生かしておかねばならないだけなのだから。
「どうなさるおつもりで」
王は差し出された上着で拳にべっとりとついた血を拭き取りながら
「判っているのだろう?」
侍従長は目を伏せた。判っているのだ。
舞踏会という多数の人目のある場所で放言した以上、口止めは出来ない。
真実の愛とやらが3、退路を断つつもりが7という辺りが理由だろう。
貴族どもは、王家がこの始末をどうつけるかを観察している。
王は立ち上がった。
「真実の愛とやらをかなえてやるしかあるまい。
もちろん王太子のままではいられんがな。
王冠を捨てた恋。まったく、おとぎばなしになりそうな話ではないか!」
王にも侍従長にも判っていた。
美しい話は、陰惨な現実を覆うヴェールに過ぎない。
「平民に落とし、王都から追放し好きにさせたことにする。
そして二度と帰っては来ない。そういうことだ。
辺境でしあわせになったとでも噂を流しておけ」
「へ、陛下それは」
「言うな」
二度と帰ってはこない。
それは、つまり、闇から闇へ葬るということだ。
生きていれば血筋が利用されるだけのこと。
「ですが陛下、ご子息はひとりですぞ……」
侍従長とて判っているのだ。だが言わずにはいられないのだろう。
王の収まりきらぬ心持ちを代弁してくれているのかもしれない。
「王家が滅びるよりはましだ。
それにだ。王国に必要なのは、ワシの子供ではない。
王という役目を果たす装置なのだからな」
自らに言い聞かせるように言う。
「今更、新しい妃をめとるつもりもない。遠縁から養子でもさがすしかなかろう。
血を引いた男子は多いが、誰を選ぶかが悩ましいところだ」
騒ぎを聞きつけたのか、近衛隊長が兵を率いてやってきた。
遅すぎる。
いや、と王はかぶりを振る。
一通り収まるのを待っていたのだ。
この男はジラルダン公爵家の一族。王家の臣ではあるが、王家だけの臣ではない。
既に一族に報せを発しているだろう。
王は疲れた声で告げた。
「この賊を地下牢に放り込んでおけ。
我が部屋へ盗みに入ってきたのだ」
近衛隊長は全てを知っている筈なのに、知らぬふりで頷く。
彼の命令で、近衛兵が盗賊を縛り上げていく。
「この賊には3人の仲間がいる。それらも捉えよ」
「既に捕縛しております」
「仕事が早いな」
それは王の皮肉であったのかもしれぬ。
「きゃつらは王家の秘事を知った可能性がある。
その証拠をどこかに隠しているかもしれぬ。
どんな手段を用いてもかまわぬ。隠し場所を吐かせるのだ。
拷問には口の固い者を当たらせろ」
うなずく近衛隊長にさらに続けて、
「この件には平民の女が絡んでいるらしい。カロー商会の娘だ。
大方、遊ぶ金ほしさに賊と手を組み、王家の秘事を盗み取ろうとしたのであろう。
商会の会頭に、盗まれたものがないかを確認しろと伝えておけ」
「商会に罰を下さないので?」
「不良娘の不始末で、大商会を潰すほどに情けを知らぬ君主ではない。
しかるべき処置をすれば罪には問わぬ、とも言っておけ」
情けか。王は自分を嗤う。
王都を潤す大商会を潰す方が損が大きい。
この寛大な処置を知れば、そのうち、何か別の形で礼金を払ってくるだろう。
ズェルマだったか。不憫な娘だ。親に処分されるのだから。
王は自らの拳の痛みを思い出す。
いや、親の方も苦しかろうな。
輝かしい将来があったはずの利発な娘を失うのだ。ワシと同じだ。
それでも王都一とまで言われる所までのし上がった大商人であれば、どうすればいいかは判っておろう。
万一、娘を逃がそうとしたとすれば、ソフィア嬢の実家が黙っておらぬ。商会はおしまいだ。
それでも娘を逃がす事を選んだとすれば……親としてはワシよりも上かもしれぬな。
王の視界の端で、原型を留めぬほど顔を腫らした賊が、部屋から引きずりだされていく。
さらばだ。
王は上を見あげて唇を噛み、湧き上がるものをこらえる。
さらばだ。
部屋には、王と侍従長のみが残った。
王は体を動かすのも大儀そうに執務机へ着くと。
「……バカも困るが、妙に知恵がついた若いのも困ったものだ……。
それが自分の唯一の息子で期待していたとなるとなおさらだな」
王は乾いた笑いを漏らした。
「はは」
笑うしかない。フィリップの記憶が走馬灯のように浮かぶ。
利発なかわいいフィリップ。
愛していた。ああ愛していたとも。
妻が亡くなったあとは、あれが全てだった。
ワシ個人としては全てだった。
だが、王家を存続させる義務があるのだ。安定装置としての王家を。
侍従長が、そっと目元をぬぐいながら。
「御心中お察し申し上げます……」
ああ、ワシのために泣いてくれるのかこの男は。
王は、そう思いつつも皮肉な考えが浮かぶのを押さえられない。
言葉も涙も本気だろうが、この男も一族へ一部始終を伝えるだろう。
王は感傷を無理矢理ねじふせる。
王は王の義務を遂行せねばならない。
「さて、ひとまず賊の始末はついた。
あとは。ソフィ嬢にどう償うかだけか。
こちらから出向くしかあるまい」
「王よ。それは王家の鼎の軽重を問われるのでは」
「先方に落ち度はない。それにそなたも存じておろう。
王家などその程度の重さのものなのだ」
「その必要は御座いません」
王と侍従長は、開いたままの扉を見た。
当の元婚約者。ソフィア嬢がいた。
誤字脱字、稚拙な文章ではございますがお読み頂ければ幸いでございます。
宜しくお願い致します。




