怖っ
「アリー!!」
魔法陣の中から出てきたのはエンベルト殿下だった。
「え?」
走り出した足が止まってしまう。
「大丈夫ですか!?」
私を抱きしめると、警戒した様子で周囲を確認する。そして、走って来たラウリスと目が合った。
「ラウリス。まさかおまえがアリーに何かしたのか?」
「は?」
私とラウリスの声が被る。
「何を言っているんです?それより兄上、どうしてここに?」
「アリーの悲鳴が聞こえたからに決まってます」
「へ?」
「このピアスに細工をして、アリーの元にすぐに転移できるようにしたんです」
当然のように言っているけれど、ちょっと怖い。
「はあぁ。どれだけ過保護ですか。今、私たちは追いかけっこをしているんですから、邪魔しないでください」
ラウリスが呆れたように溜息を吐いた。
「追いかけっこ?それは何?」
仕方がないので簡単に説明する。
「へえ、楽しそうですね。私も入れてください」
「いいですよ。じゃあ、逃げてください。今は私が鬼なので」
ラウリスが言うと、楽しそうに頷いて、私の手を引いて逃げようとする。
「バラバラに逃げてください」
ラウリスに突っ込まれ、殿下は渋々一人で走り出した。
「アリーも。もう一度10数えてやるから早く逃げとけ」
そして再び、鬼ごっこが再開される。すぐにエンベルト殿下がラウリスに捕まり、次の鬼になった。
「よし、アリーを捕まえてしまおうっと」
とっても楽しそうに宣言したエンベルト殿下。そのために捕まったのではと疑ってしまう程、いい笑顔だった。
『絶対に捕まっちゃダメな気がする』
勿論、この上なく本気で逃げた。
とても6歳も年上とは思えない運動能力で追いかけてくるエンベルト殿下。美しい笑顔のまま、異常なほどのスピードで、私の名を呼びながら走って来る様は、ホラーでしかなかった。
結局、時間一杯フルで走り回り、皆バテバテになった。
「鬼ごっこって、止め時がわからないわね」
チアが机に突っ伏したまま言う。
「そうね。誰かが止めるって言うまで続くから」
「私、1年分くらい走ったわ」
ジュリエッタ殿下も、ハンカチで汗を拭きながら言う。
「流石の俺でも、ちょっとバテたな」
オレステまでそんな事を言う中、一人だけ涼しい顔をした人がいた。
「楽しかったですね。是非、またやりましょうね」
そう言ったエンベルト殿下は、次の授業の準備があるからと、颯爽と去って行った。
「ラウリス、ルトは化け物なのかしら?」
「そうかもな。兄上を初めて恐ろしいと思ったよ」
「と、いう事がありました」
私との部分は端折って話して聞かせる。
「ふふ、殿下ったら。体力も超人レベルですのね」
「私も追いかけっこというものをしてみたいですわ」
二人は楽しそうに言っているが、実際に追いかけられたらそんな事は言えないと思う。
私は「そうですね」としか言いようがなかった。
それからも、エンベルト殿下の何処が素敵か、どれだけ素晴らしいかを語った二人が、お茶で喉を潤した後、しみじみした面持ちになって溜息を吐く。
「お父様から聞いたのですが、教師体験が終了した後に正式に、婚約者を発表する事が決まったそうですわ」
アネージオ様の言葉に、勝手に私の顔に熱が溜まる。その話はエンベルト殿下から直接聞いていた話だ。無事にこの1年を過ごす事が出来たら、すぐにでも婚約をしようという事だった。
「あら?どうしました?お顔が赤いようですわよ」
アネージオ様に突っ込まれてしまう。
「いえ、少し暑いなって。大丈夫ですわ」
そう、なんとか誤魔化した。
パガニラーニ様が勝ち誇ったように微笑む。
「そうらしいですわね。やっと発表するお気持ちになられたようですわ」
「その言い方ですと、まるでご自分の名前が挙がると思っていらっしゃるようですけれど?」
棘のあるアネージオ様の言い方を気にする風でもなく、ますます笑みを深くするパガニラーニ様。
「そうですわね。きっとそうなると、私は殿下を信じておりますの」
「まあ、お可哀想に。とんだ勘違いをしていらっしゃるようでお気の毒ですわね」
アネージオ様も負けじと微笑みながら返す。
『ああ、またゴングが鳴ってしまった』
白眼になった私は、ひたすら耐えるしかなかったのだった。
苦行とも言える茶会がやっと終わる。馬車に乗り込む頃には疲労困憊だった。
「ダメ、疲れすぎたわ。精神的に」
私は、馬車に積まれたクッションをフルに使って、少しだけ目を閉じた。