おかしな噂
「とにかく、私たちも行くわよ」
魔馬の元へ向かうと、たくさんの生徒たちがエンベルト殿下の元に集まっていた。殿下は一人一人に丁寧に対応している。後ろの方にはラウリスたちもいた。
セレート嬢たちはどこにいるのかとキョロキョロすると、よりによって赤い魔馬の方へ近付いている姿が見えた。
「さあ、いい子ね。お願いだから撫でさせてね」
声を掛けながら近寄って行く。勿論、魔馬が大人しくするわけがない。耳は後ろを向いて下げ、既に怒っているのが伝わってくる。ところが、令嬢たちにはそれがわからないらしく「なんだか上機嫌になっている気がしない?」などと頓珍漢な事を言っている。
誰かが話したのだろう。殿下が魔馬の方を見た。
その時だった。怒った魔馬が顔を突き出し、セレート嬢の手を噛もうとした。気付いた何人かの令嬢が悲鳴を上げる。
「ダメよ!」
私は咄嗟に制止の声をあげる。すると、魔馬の動きが止まった。耳がピンと立っている。どうやら私の声がちゃんと届いたようだ。その間に怒りの形相で殿下が駆けつけて来た。
『綺麗な顔の人が怒りの顔になると、ヤバいくらい怖いのね』
ついつい、余計な事を考えてしまう。
「何をやっているんです!」
初めて聞く低く威圧感のある声。一瞬、自分が怒られたのかと身体がビクッとなってしまった。セレート嬢たちも驚いている。
「あなた方は私の話を聞いていなかったのですか!?魔馬には無闇に近づくなと言っていたでしょう!魔馬は、いくら馬の形態をとっていても魔物の一種なのですよ!」
身を寄せ合って怯えているセレート嬢たちに向かって大きく息を吐いた殿下。
「あなた方は今すぐこの場から立ち去って下さい。もうこの魔馬は、あなた方には二度と心を開かないでしょう。魔馬が拒むと馬たちにも連鎖します。おそらくもうどの馬もあなた方を乗せてくれる事はないでしょう。この授業を取る事に意味がなくなってしまいます」
それだけ言うと殿下は彼女たちに背を向けた。途端に顔を歪める。オレステが「あつっ」と言った事で、また魔法をかけられたのだとわかる。すると、何かを感じたのだろうか。魔馬が2頭そろって暴れ出した。セレート嬢に対して怒りを露わにしている。
特に白い身体の魔馬は本気で怒っていて、まるで元凶を排除しようとするかのように、セレート嬢を後足で蹴り上げようとした。
「ひいっ」
声にならない悲鳴を上げたセレート嬢の前に咄嗟に出る。
「お願い!止めて」
白い魔馬は一瞬ピクリとした後、前足をカツカツと踏み鳴らしてから大人しくなった。
「いい子ね」
静かに手を伸ばす。魔馬は鼻先を私の手に擦り付け首を下げた。エンベルト殿下も、落ち着かせようと魔馬の鼻を撫でる。
「ありがとうございます。アレクサンドラ嬢」
「いいえ、どういたしまして」
話しながら白い魔馬の鼻を撫でていると、横からぬぼっと私に鼻先を押し付けてきた赤い魔馬。
「ふふ、もしかして覚えていてくれたの?」
問いかければ、ブルルと返事をした。あんな昔の事をおぼえていてくれるなんて、なんて賢いのだろう。鼻を撫でてやる。気持ち良かったようで、鼻先を擦り付けてもっととせがまれてしまった。
なんとかケガをせずに済んだセレート嬢だったが、この場で今後一切学園の馬たちに近寄る事を禁じられていた。
翌日。
妙な噂が流れていた。私が魔馬を簡単に手懐けた事で、闇の力を持っているのではないかという内容だった。どこへ行っても視線が突き刺さる。挙句の果てには見知らぬ令嬢から、すれ違いざまに小さく悲鳴を上げられた。
「アリー。まさかおまえが闇の力を持っていたとはな」
ラウリスにバカにされる。
「闇の力って……私は魔王か」
「私はアリーが魔王でも好きよ」
チタが抱きついてくる。
「私も!私もアリーが魔王でも好き」
祈るように両手を胸の前で組み、キラキラしたブラウンの瞳で見つめてくるジュリエッタ殿下。
「私、どうして男に生まれてこなかったのかしら」
可愛らしい小動物を前に、鼻と口を手で覆う。鼻血が出たら困るからね。
「それにしても、その闇の力って何?」
「少なくとも私は聞いたことがない」
チアとロザーリオが首を傾げている。
「私も聞いたことはないが、アリーなら持っていてもおかしくなさそうだよな」
ラウリスが笑う。
え?闇の力ってないの?