メリー
家に戻っても、私の頭はなかなか元の働きをしてくれなかった。すぐにぼおっとしてしまう。
「お嬢様?一体どうしましたか?」
結っていた髪を梳かしながらメリーが聞いてきた。
「……なんだか少し変なの」
「変、でございますか?」
「そう」
小さく溜息を吐く。
「エンベルト殿下が留学から帰ってきたでしょ。1年ぶりに会った殿下と、再会の抱擁をしたらドキドキが止まらなくなったの」
思い出した今も、ドキドキしてきてしまう。
メリーの目が軽く見開かれた。
「エンベルト殿下ですか?ラウリス殿下ではなく?」
「うん、そう」
メリーの見開かれた瞳が細められ、優しく笑った。
「お嬢様、エンベルト殿下の事をお話しされている今もドキドキしていますか?」
「うん。今もなんだかドキドキしてきちゃって」
髪を梳くのをやめたメリーが、私の前に移動して膝を折った。
「お嬢様、そのお気持ち。大事になさって下さいませ。お嬢様が幸せになる第一歩です」
「幸せになる第一歩?」
「はい、きっとそのお気持ちが続けば、お嬢様は幸せになれます」
優しく話してくれるメリーが、どうしてか泣きそうに見えた。思わずメリーの手を握る。
「メリー、何かあったの?大丈夫?」
一瞬、目を見開いたメリーは再び優しく笑った。
「はい。お嬢様が大人へと着実に歩んでいるのだと実感して、感動しているのでございます」
「メリー」
メリーに抱きつく。
幼い時からずっと私の傍にいてくれたメリー。
「ねえメリー。私はずっとこの家にいるわ。だからずうっとメリーと一緒よ」
「ふふ、甘えん坊のお嬢様ですね。勿論、ずっとお世話をさせて頂きますよ」
二人で抱き合って暫く笑った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
アリーたちとの再会の後から、ずっと機嫌のいいエンベルト殿下。帰国の報告をしに行った時も、あまりの殿下のニヤつき加減に、陛下と父上が気味悪そうに殿下を見ていたというのに、全く気にする素振りもなかった。
「ジャン」
「なんです?」
「昔、私が言った事、覚えていますか?」
「どれの事でしょう」
なんとなくわかってはいるが、取りあえず知らぬふりをする。
「わかっているくせに。やはりアリーは美しくなりましたね。きっと体術の稽古でもしていたのでしょう。パンツ姿でほとんどメイクもしていなかったというのにあの美しさです。着飾った彼女は、恐ろしいほど美しくなるのでしょうね」
「はあぁ、そうでしょうね」
そりゃあ、あの父上と母上の子供だ。美しいに決まっている。
「ホント。ジャンも含めてヴィストリアーノの人間は恐ろしいほど美しいですね」
「殿下……ご自分も美しいという事をお忘れなく」
エンベルト殿下は、あまり自分に執着していないからか、自分も恐ろしく美しいのだという事を理解していない。
隣国の学園でも女性が群がって大変だった。勿論、王族という立場もあるのだろうが、とにかく顔がいい。物腰も柔らかでスマート。王子とは斯くあるべしを絵に描いたような男なのだ。
「アリー、本当に綺麗になりましたね。抱きしめた身体も柔らかかったです。恥じらいが出て赤くなった顔も可愛らしかったです」
全くもってその通りなのだが、どうしてか殿下には賛同したくない。
「頬にキスをされた時なんて、心臓が痛いくらいドキドキしてしまいました」
殿下の鼻の下が伸びている。しかも相手は妹……勘弁してくれ。耳を塞ぎたい衝動に駆られる。
「ふふ、ジャン。顔が強張っていますよ」
「それはそうでしょう。いい歳の男の恋バナを聞いて、誰が喜ぶって言うんです?しかも相手がアリーだなんて……悪夢でも見ているかのような気分です」
「ふふ、浮かれてしまうのも仕方がないんです。私はずっと待っていたのですから」
「何かおっしゃいましたか?」
殿下が小さく呟いた言葉が、よく聞き取れなかった。
「なんでもないですよ。それよりもジャン」
「何でしょう?」
「ふふ、お願いがあります」
ジーザス。嫌な予感しかしない。