候補者の焦り
「ダメーッ!」
思わず隠れている身であることも忘れ、エンベルト殿下の元へと駆け出してしまう。
「アリー!?」
皆の驚いた声を背に、そのままエンベルト殿下に突っ込んでしまった。
「アリー?」
結構な勢いで飛び込んで行ったにも拘わらず、片腕で私を受け止めたエンベルト殿下。
「エンベルト殿下!それ、飲んじゃダメ!」
「それってこれの事かな?」
カップを軽く持ち上げて見せる。どれだけ器用なのか、私が突っ込んでしまったにも拘わらず、カップの中にはしっかり紅茶が零れずに残っていた。
「兄様!」
後ろから皆が追い付いて来た。
「兄様、そのカップの中には何かが仕込まれています。そちらのガルデーラ伯爵令嬢が何かの液体を垂らし入れていました」
ビシリとラウリスが、左側の令嬢を指差す。
「……なるほど。君たちはそれを目撃したのですか?」
「はい、私が気付きました」
ロザーリオが一歩前に出た。
「ああ、ロザーリオが見たと言うなら間違いないでしょう」
ニッコリと、そこにいた皆が頬を染めてしまいそうなほどの笑みを作ったエンベルト殿下。
「ねえ、ガルデーラ嬢。この子たちがこう言っていますが、何か弁明はありますか?」
エンベルト殿下の笑みに頬を染めていた令嬢が、一転して顔を青ざめさせた。
「い、いいえ!私は何もしておりませんわ」
甲高い声で否定する。先程の耳鳴りがするほどの笑い声は、この令嬢だったようだ。
「本当に?こんなに目撃者がいるのに?」
あくまでも美しい笑顔を絶やさないエンベルト殿下。逆に怖い。
「では、君がこのお茶を飲んでみてくれますか?」
「ええ、構いませんわ」
エンベルト殿下が、彼女の目の前にカップを差し出すと、躊躇なくそのカップのお茶を飲んだ。
『これは毒薬の類ではない。きっと媚薬の類ね』
そう直感した私は小さく魔力を放出した。
パタパタと小さな小鳥が数羽、私の魔力に反応して飛んでくる。途端に小鳥達はガルデーラ嬢をつつき始めた。
「ちょ、ちょっと!痛い、痛い」
その隙に、スルスルと器用に彼女の肩から脇へと滑り降りていくのはリスだった。彼女のスカートのポケットの中へと入っていく。すぐに出てきたリスは、小さなクリスタルの小瓶を持っていた。
「皆、ありがとう」
リスから小瓶を受け取った私は、エンベルト殿下にその小瓶を渡す。驚いた顔をしていたエンベルト殿下だったが、小瓶を見ると再び美しい笑みを浮かべた。
「これは何の液体?」
「そ、それは……」
物証を握られては、もう誤魔化しようはないと悟った彼女は泣き出してしまった。
「申し訳、ありません。遠方の国で伝わる【惚れ薬】を偶然手に入れる事が出来まして……私、本当に殿下をお慕いしておりましたの。でもなかなか候補から昇格出来ない事に不満を抱いてしまって……この薬で、殿下の心が手に入るならと」
気持ちはわからなくもないが、そんな嘘くさい薬を使おうとすることは間違っている。もし、この薬が実は劇薬だったら一体どうするつもりだったのだろう。
「はあぁ。あなたが何かを企んでいるであろう事はわかっていました。カップに何か薬を入れた事もね。飲む真似をしてあなたの反応を窺おうと思っていたのです。まあ、この可愛らしい勇者に止められてしまいましたけれど」
「んなっ」
どうやら私は邪魔をしてしまったようだ。
「ごめんなさい」
自分の不甲斐なさに軽く落ち込んでしまう。
「ふふ、いいのです。アリーが助けに来てくれて純粋に嬉しかったのですから」
そう言って私の頭をポンポンと撫でるエンベルト殿下。それからガルデーラ嬢に向き直る。
「残念ながらあなたにはこのまま、別室に行ってもらう事になります。詳しい話はそちらで聞きましょう。残念です。こんな形で候補から外れる事になるとは」
俯き泣いていたガルデーラ嬢が、勢いよく顔を上げた。
「そんな!私は【惚れ薬】を入れただけですよ。毒でも何でもないのに」
エンベルト殿下の顔から笑みが消えた。