第九話:徐十三爺の長き幸福な生涯
十三爺の呼び掛けに応え、狙撃していた建物から男たちが表に出てくる。先頭に立つのが王東風、その表情は不機嫌さを隠そうともしない。その背後からは刀を腰に差す男、法国人の警官、さらには衝鋒槍を構えた者たちが現れた。トンプソンM1921、いわゆるトミーガンのコピー製品である。
老爺は言う。
「王東風、よく杜月笙頭目の襲撃を逃れてきたな」
「ああ?事務所に影武者置いてきたんだよ!」
先代からの忠実な部下たちを無駄にしよって、そう十三爺は思う。
「なるほどな。頭目に従えぬなら何もせず上海を去れば良かったものを。さすればお前を見逃したであろうに」
「やられっぱなしで逃げる訳にはいかねーんだよ。てめえを殺して、てめえのパクった蒸汽船を奪い返すまではな!
あれに乗って上海脱出して金三角まで行って罌粟栽培と阿片の精製で返り咲くのよ!」
王東風の気勢に、老爺はふと笑みを溢す。なるほど着眼点は悪くないが、と。
「お前にはその才覚はないよ、王東風。まあ、そもそもお前の船はもうバラしてしまったのでな。返しようもない」
「ざっけんな爺!」
王東風が手槍を抜き撃たんと懐に手を入れるのを見て、十三爺はさきほど2つ回収した銃弾、残りの1発を指で弾く。
指弾が暗器術として優れていることとして、予備動作の少なさが挙げられる。つまり相手に気づかれず素早く撃てると言うことであり、王東風は十三爺の技に気付かない。
だが、弾が王東風の額に穴をあけることは無かった。
激しい金属音と火花。弾は差し込まれた柳葉刀に阻まれたのだ。
片手持ち、片刃の曲刀、日本刀とは異なり幅広で刀身の重みで斬る刀だ。それを抜刀して弾を止めた者がいる。先ほどまで王東風の背後に控えていた男が、いつの間にか二人の間に立ちふさがっていた。
「確か張子豪であったか」
「はい。かの徐十三爺に覚えていただけていたとは光栄です」
男は刀を納め、抱拳礼を取った。痩身の武人とは見えぬ男であるが、筋肉の量ではなく動きの鋭さ、しなやかさに長じた男なのであろう。その所作一つとっても洗練された武を感じさせる。
十三爺も上海の武術の練達者についてはある程度知っているし、王東風の配下に熟達の剣客がいるとは聞いていた。だが自分の指弾を刀で止める程の腕前とは知らなかった。
「宝の持ち腐れじゃのう……。張子豪よ、刀を納める気はないか?」
老爺の言葉に男は単に刀を抜き放つ動きで答えた。鋭く速い、だが音が無い。音が無いとは無駄な勁が流れていないこと、余計な力が発生していないことを示す。
老爺は左手指で中折れ帽を回し、くいっと男に向けた右手指を曲げて誘う。
「哈!」
張子豪が踏み込み、刀を袈裟懸けに振り下ろす。老爺は半歩後退して回避、そこを飛燕の速さで刀が切り返され、腕を狙う。
十三爺は手にした帽子で刀の側面を叩き、軌道を変える。
無数の斬撃、煌めく白刃。時に跳び上がっては足刀が閃く。常人には刃の軌跡すら追えぬ神速。
だがそれを老爺は僅かな体捌きと左手の帽子で打ち払う。張子豪の一撃が僅かに大振りになった瞬間、練達の纏絲勁により刀を帽子に巻き取るように張子豪の体を崩す。
そこに右拳を鉤手としての突き、張子豪が左手で受けようとするがその動きは直前で打撃では無く手首を掴む動きへと変化し、その陰より脚が伸びる。十三爺の右脚、革靴の踵が張子豪の下腹に。
それは蹴られるというより当てられるというような動き。力も鋭さもない動きだが、男の動きが手で制され、十三爺の身体は軸足で固定され、骨盤の関節も締められた蹴りは力の逃げ場が一切無い。
太極拳の蹴り技、蹬脚、おそらく張子豪の膀胱は破裂かそれに近い状態となってるであろう。苦悶に崩れ落ちる。
そこに王東風と法国人の警官の手槍が撃ち込まれる。殺気の白光を感知していた老爺は、開脚して地に伏せるように弾を避けて起き上がる。
張子豪もまた内功で痛みを和らげているのだろう。少し顔を青ざめつつ立ち上がり、再び斬りかかる。
王東風が配下に命じる。
「張ごと爺を殺れ!」
さすがに衝鋒槍を味方ごと撃とうとは思わなかったのだろう、配下たちは逡巡する。すかさず王東風は叫んだ。
「じゃあ娘を撃て!」
下衆が。十三爺は舌打ちし、張の刃を捌き払うと後退し、美蘭の前へ立つ。
美蘭が叫んだ。
「やめて!爺爺!」
十三爺は全身に何条もの白い光が当たるのを感じる。それは衝鋒槍の銃弾が通る場所。避ければ美蘭に当たる。受けるには弾が多すぎる。
十三爺は印を切り呪を唱える。
「十八代玉皇大天尊玄霊高上帝關聖帝君に刮骨療傷之勇を希う。金剛不壊」
「撃て!」
夜を切り裂く轟音と閃光と共に、無数の銃弾が十三爺の身体に撃ち込まれた。
十三爺の身体からは金属同士を撃ち合うような硬質の音と火花が散る。
王東風の部下たちが50発のドラムマガジンを空になるまで打ち尽くした時、美蘭もその前に立つ老爺も倒れていなかった。
老爺の羽織るドーメルのジャケットもその下のシャツもボロボロになったが、その身体からは一切の血を流していなかった。
「逃げろ、美蘭」
十三爺はそう呟くと大きく咳き込み喀血した。
100発以上に及ぶ銃弾を防ぎ切るほどの道術、だが十三爺の身体はそれを賄いきるだけの気脈をもはや有してはいなかったのだ。
「こう言う形で決着するのは残念です」
張子豪はそう呟き、低い体勢で滑るような突進からの突き。切っ先は老爺の胸を貫き、背中へと抜けた。




