第七話:朋友よさらば
十三爺は機械の顔を見る。京劇の臉譜のような仮面。紅の面に白と黒の隈取り。さらに神仙を表す金。
顔の前で印を切り、高らかに唱える。
「急急如律令!」
十三爺が勁を流すと、機械の眼が赤く輝き、全身の骨格に刻まれた呪文が鈍く光る。
まわりで見ていた者達がどよめいた。
「今夜は起動はできんな。孫娘も来ておるで、五月蠅すぎるじゃろう。試運転はまた今度じゃ。だがこれで……」
「おお、スーサンイェ!」
皆の眼がぎらぎらと十三爺にむけて向けて輝き、老爺は重々しく頷いた。
「蒸気機関机器人、『太極號』完成だ」
歓声が上がる。
その夜は秘蔵の老酒の瓶が開けられ、明け方近くまで楽しみ、喜び合った。
夜が明けて週末、十三爺と美蘭はいつも通り中国人街の屋台で食事を済ませて公共花園へ。套路を行う際、十三爺は「今日は套路を見て細かく修正を入れたい」と美蘭に告げる。木陰のベンチに座り、その前で動きを見ることとした。
先にベンチの中央に座り新聞を読む男にずれてもらい、ベンチの端に座って煙管を咥える。
正面で美蘭が立つ姿勢を見つめ、気脈が天地を貫いているのを確認し、套路を始めさせる。そして口元も動かさず声を発した。
「うちの孫娘が青幇と思われる男3人に襲われたようだ」
その声は正面の美蘭や周囲の者たちには一切聞こえず、隣の新聞を読んでいた男、40歳前後の列宁帽、いわゆるキャスケットを被った労働者風の男にのみ伝わった。
「そのようだな。今朝報告を受けた。迷惑をかけたようだ、すまぬ」
「どこのどいつだ?」
「あのチンピラども、王東風の経営している酒家で屯している奴ららしい。
手槍持っていたというのでな。誰から受け取ったのか部下が今、拷問しているところだ」
「そうか……」
新聞の男、労働者風の装いをしているが、その眼光鋭く酷薄な気配を漂わせていた。新聞を持つ手も武により鍛えられた手であり、労働により汚れた手ではない。
杜月笙、青幇を統べる頭目の1人がわざわざここまで出向き、十三爺に話しているのであった。
「十三爺、なぜあんな真似をした?」
「何がだね?」
「決まっているだろう。なぜ王東風の船を鹵獲したのだ」
「王東風に警告を入れろと言ったのは萊陽梨、あんたじゃろう」
萊陽梨とは杜月笙の渾名である。彼が青幇に入るより前の話、果物屋の丁稚として梨売りをしていたことを指している。古くから杜月笙を知り、親しい者たちは非公式の場では彼をそう呼ぶのだ。
十三爺は実際に当時の杜月笙少年から果物を買ったこともある、古くからの知り合いだ。その繋がりはこうして杜月笙少年が青幇の頭目となっても生きているのであった。
「そりゃあそうだ。だが、十三爺は暗殺者だ。俺は奴の手下の何名かを殺させるつもりで命じたんだが?」
「くかか、あんたは王東風をまだ信じてやってるんじゃなぁ。わしはあいつはもう駄目だと、悪鬼に堕したと思っておるよ」
十三爺は煙管に指先を近づける。指先から火花が散って煙管の先から紫煙が立ち昇った。今は阿片ではなく煙草を詰めているようだ。
美蘭に向かないよう横を向いて煙を吐くと、煙管を隣に回す。杜月笙は片手を上げて礼とすると一服して煙を天に向けて吐き、煙管を老爺に戻した。
「どういうことだ?」
「奴さん、部下のことを手駒としか思ってないということよ。あの手合いは手下を何人殺したとて、次の手下を雇えばいいとしか思わん」
「……そうか。爺さんが言うならそうなんだろうな。王東風の親父さんには世話になったし、あいつも昔からの部下だった。俺の見る目が曇っていたということか」
十三爺は話しながらも、時折り美蘭に声をかけて動きに修正を入れていく。周りで見ている素人たちにはその動きの違いは分からない。
それは単に動きを変えろと言っているのではないため。套路の動作にいかなる理があるのか、人体の何処に意識をおいてその動きを行うことにより勁がどう流れるのかという話であるからだ。
「凄いな、この姑娘は」
だが杜月笙にはその動きの違いが分かるようだ。
「そうじゃろう、九天玄女の寵愛を受ける我が孫娘よ」
「爺馬鹿かと言いたいところだが、これを見るとそうも言えん」
老爺は目を細め、杜月笙は苦笑する。
九天玄女は道教において信仰される女仙である。英傑の守護仙にして、彼らに兵法を授ける者。その寵愛を受けるというのは美蘭が英傑であると言うに等しい表現だが、それが誇張では無いと彼も感じたようであった。
「ああ、最後にだ。ではなぜ船を壊さず、わざわざ持って帰ったんだ?」
「……わしが欲しかったからよ」
老爺は少し口籠もって答えた。
「なんだ、十三爺が阿片の密輸でもやるってのか」
「やらんやらん。わしはもう死ぬ身だし、売っぱらって金にしても泰山府君の元には持っていけんよ」
「ではなぜ?」
「ちと蒸気機関に興味があってな。弄りたくなったんじゃ。玩具が出来たら見せにくるともよ」
「そうか、楽しみにしていよう。王東風は処理しておく」
杜月笙は新聞を折りたたんで立ち上がると、軽く手を上げて老爺に告げた。
「再見、十三爺」
「ああ」
杜月笙の姿が公園の四阿に隠れて見えなくなり、彼の護衛の気配も無くなった頃、十三爺は呟いた。
「別了、萊陽梨」