第三話:発明家
夜、餐庁で香槟酒を呑んでしたたかに酔っぱらった美蘭を送り届け、十三爺は自宅へと戻る。
くかか、と夜の街を歩きつつ老爺は笑う。モエ・エ・シャンドンのホワイトスター、いくら甘口で飲みやすいとはいえ、決して酒精が低い訳でもない。ああもぱかぱか飲んでりゃ酔うのも当然じゃな。
武術はたいしたもんじゃが、酒にはまだまだ慣れておらん、と。
そして人々が寝静まる頃、老爺の家に集まる者共有り。
時計屋の主人、鍛治屋の夫妻、彫金師、大境路に位置する道観の道士、さらには法国の技師まで……。
「わしから呼んでおいてなんだが、連夜出てきて大丈夫なのかね?」
十三爺の問いかけに彼らは手を動かしつつ口々に答える。
「スーサンイェの呼びかけとあっちゃあ断れませんわい」
「そうそう、中国人街でスーサンイェのお誘い断るやつなんざいませんよ」
「これも立派な修行となると教主からは言われております」
「ムッシュー徐の考え、とても興味深い」
老爺は軽く頭を下げてそれに答える。
この邸宅の1階にある食堂。10人がけのテーブルが2つ並べられ、20人規模で会食ができる食堂だが、その目的で使われたことはない。
今はテーブルクロスが剥がされ、机は部屋の中央に寄せられて巨大な作業台となっている。机の中央に置かれているのは設計図。クランクで繋がる複数の鋼の棒に無数の歯車と発条、配管、ピストンの描かれた構造物。1米以上の長さがあるそれは右の腕と手の骨格に類似した形状をしていた。
しかし大きい。通常の人間の比率であれば、この長さの腕だと身長は3米に及ぶであろう。
集まった者たちはその周りでめいめいが作業に勤しんでいる。
道士が呪符を書く。それを彫金師が金属に彫ってゆく。小さい歯車などの微細な部品は時計屋の主人が一心に磨き、取り付けていく。技師はそれの稼働範囲を確認している。
十三爺は金属の部品1つ1つに勁を込めつつ作業を見ていた。
「うむ、その肘や手首だがもう少し大きく曲がらんか?」
「人間このあたりが限界では?」
「わしの身体はもう少し柔らかいのよ……ほれ」
老爺は右手の中指が右腕に触るまで、手首を曲げてみせた。
「あー……、調節しますわ」
「ははは、十三爺、そこまで手首が回るのはそうおりますまい」
「それ、鍛冶屋の李にも言っておきませんと」
老爺は立ち上がり言った。
「わしが行こう。ついでに一服もしたいでな」
「ごゆっくり」
軽く手を上げ、老爺は別室で作業している鍛冶屋夫妻の元へ。
肘と手首の可動範囲の話を告げると一度寝室へと戻る。部屋に入り、硝子板に天使の描かれた常夜灯を灯すと光が部屋を仄暗く浮かび上がらせ、その中で天使が乳白色に色付く。
ジャケットとシャツを急いで脱ぎ捨て、上半身を夜気に晒す。かつてあった肉が落ち、皮膚に弛みはあるが、それでもなお筋肉を残す身体を。
ズボンも脱ぎ捨てたその時だった。老爺の全身の汗腺が一時に開いたかのように、皮膚に玉のような汗が出る。
ぽたぽたと床に汗を雨のように垂らしながら、苦悶の表情でベッドへと向かう。
ベッドに腰掛け、サイドテーブルより震える手で煙管を持ち上げ、予め丸めてあった阿片を詰めて咥えた。
ロンソンの打火机を手にし、震える手で着火に何度か失敗しつつも点火し、煙管の先を炙る。
「勁が切れるとすぐこれじゃ」
阿片の甘い香りがし始め、老爺の口から煙が吐き出された頃に、震えは収まった。
阿片で痛みを麻痺させ、その隙に勁を全身に張り巡らせる。
老爺は全身の汗を毛巾で拭うと、再び脱ぎ捨てた服を着込み皆のいる食堂へと戻った。
気功と阿片で痛みを誤魔化してはいるが、老爺の身体は限界であった。
得道成仙、道を得て仙人と成る。
上海の喧嘩ばかりしていた餓鬼が齢十二にして道観に預けられ、さらには崋山に至り道教を、正しい武術を学び、昇仙を目指していた。
後にかつての友が苦境にあると聞き山を下り、上海で武を、術を振るうこととなる。
しかして今や齢九十に迫らんとし、その身体は病魔に蝕まれていた。それも医者が匙を投げ、どうして生きているのか分からぬと言うような状態だ。
山で修行を続けていれば得道成仙に至っていたやも知れぬ。下山した故に至れないのかも知れぬ。
だが後悔は無い。
交わってきた女達を、成した子を、孫を思う。
そして最も若き孫、美蘭のことを思う。
どの子も孫もちゃんと巣だっていった。商人に、職人に、水夫に、もちろん嫁いだ者も。だが美蘭ただ一人のみが、武に愛されている。徐十三爺という稀代の達人の後継者、天命の子。
彼女に自らの武の全てを与えるために自分はまだ生きているのだ。そうとすら感じている。
そして……老爺はまだ得道成仙を諦めた訳ではないのだ。
悲報:更新頻度下がる可能性大
いや、わたしの書く速度がーとかそういう話で無くね。
日曜日図書館行って調べものしてこようと思ったんですけども。
コロナウィルスのせいで、図書館開館してるのに三月末まで書架閲覧禁止とか……!
orz……。