第十一話:二つの心臓の大きな機器人
王東風の哄笑が響く中、地面に手を突き項垂れる美蘭。
故に彼女がそれに最初に気付いたのは当然と言えた。
「……地震?」
地面が微細な振動を始め、石畳がかたかたと揺れる。
「王大哥!門が!」
周囲を取り巻く男達の一人が声を上げる。
十三爺の屋敷、開いた玄関から門に向かって溝ができ、門の内側の地面が屋敷から門にかけての登り坂に、門の外のこちらからは壁のようにせり上がっている。
「小娘!てめえ何をした!止めろぉ!」
「……分からないわ。分からないから脅されても止められない」
屋敷の中から銅鑼を打ち鳴らすような音が響き、トロッコが走るような音、振動。
その振動は屋敷の中から門まで走り、空中に人の大きさ程もある巨大な鉄球を空に向けて撃ち出したかのように見えた。
否。
それは鉄球ではない。空中に撃ち出されたそれは身を屈めた人型である。
それは回転しつつ空中で四肢を広げると、足を下に地面に着地した。
足元で石畳が大きく罅割れ、地面が揺れる。着地時、人型は軽く膝を曲げて衝撃を吸収し、首元から大量の蒸気を噴出させた。
「熱っ!」
「なんだぁ、こりゃあ……」
「巨人?」
「機器人か……?」
男達が放心したように呟く。
蒸気が風に飛ばされ、瓦斯燈と車のヘッドライトに照らされて屹立したそれは、身の丈3m以上もある巨体であった。
漆黒の体躯に、美術館でしか見られないような、唐代の武将が着る明光鎧。しかしそれは作られたばかりの赤銅色で、明光鎧の特徴たる腹部と背部の円護と呼ばれる円形の巨大な鉄板は幾重にも漆が塗られ、艶かしく光を反射する。腹部中央には陰陽魚が蒼白く輝き、ちょうどそれが人の視線くらいの高さであった。
見上げると首元にはマフラーのような排気管、甲の下の顔は黄金の面甲。憤怒の相を模したそれの奥、瞳が紅く輝き男達を睥睨すると、男達からくぐもったような悲鳴が上がり、彼らの腰が大きく引けた。
機器人がゆっくりと足を踏み出すと、同じだけ男達が後退りする。
口元より無機質な声がした。
『状況:徐美蘭の呪符の使用による緊急発進』
「なんなの!あなたはなに?爺爺は何を作ったの?」
美蘭の問いかけに、それは視線を下げ、彼女を見つめて答えた。
『我は太極號。徐十三爺に創造されし蒸汽機関機器人。貴女の敵を打ち倒す者』
太極號は右の掌を顔の前に翳すと、腰を落としつつ掌を下に。そこには停車していたプジョー201、そのルーフを劈打、打ち下ろしの平手で叩いた。
轟音と共にルーフが凹み、タイヤが4つとも破裂。車の下部ではフレームが歪みくの字に折れる。
張子豪が呟く。
「……鉄砂掌か?馬鹿な」
全身を鋼で覆った巨人だ。手を打ち下ろすだけで、車の屋根を叩き潰すことは可能だろう。
だが、底部のフレームを折り、タイヤを破裂させるとなるとまるで意味が異なる。衝撃を地面まで浸透させているということになるからだ。
ゆっくりとした、ぎこちなく見える机器人の動き。そこに武の理合があるというのか。
「張、斬ってみろ!」
王東風が叫ぶ。
「……是」
踏み込み、飛燕の速度で柳葉刀が縦横に振るわれる。
貫胴、刀を水平に振って腿の鎧の高さだ。前に出ていた太極號の右脚から腰にかけてを斬りつけ、火花が散った。
太極號が手を水平に振り、張子豪は間合いを取り、元の位置まで戻った。
「どうだ、張!」
「……硬いですな。ですが、膝関節に刀が入ろうとした時、避けるそぶりを見せました。斬れはしませんでしたが鎧に比べて黒い部分の方が弱いのでしょう。
それと先程の車を破壊した動きと比べて、今の振り払う動きは武術を感じませんでした。推測になりますが、動作が遅いですし動く物を攻撃するのは不得手なのでは?」
王東風はにやりと笑い叫ぶ。
「手前ら、聞いたか!
はっ。力はあるかもしれねえが、身体がデカくて鈍重な木偶の坊じゃねえか!
撃て!撃て!鎧の隙間を狙え!」
半円状に太極號を包囲した男達が手槍から、衝鋒槍から無数の弾を放つ。それは轟音と共に太極號に襲いかかり、多くは鎧の表面に、一部は黒い身体に当たる。その全ては弾かれ跳弾となり石畳や壁を削る。
太極號は踏み出して大きく腕を横薙ぎに振った。後退する男たち。
「当たるなよ!力だけはあるぞ!」
同じ動作が幾度か繰り返される。片膝の関節部分、黒い部分が削られ、中身の金属部品が露出し始めた。
「……太極號……頑張って」
美蘭は祈りを込めて呟く。そしてそれに応えるかのように、再び太極號の口から声が響いた。
『再現率百分之五十到達、聴勁機構起動』
動きの本質が変わった。だがそれに気付いたのは美蘭と張子豪だけだった。
ただ腕を振って射撃する男達を追い払おうとしている動きではない。確かに速度は変わっていない。だが動きに意がある。脚、腰、腕それらの動きが連動しているのだ。
踏み出しての左手の振り下ろし。その対象となった男が腕を左に避けた。
「違う!逆に避けよ!」
張子豪が叫ぶ。だがそれは手遅れであった。
今の振り下ろし、先ほどまでより半歩だけ太極號の踏み込みが大きかったのだ。故に後方に避け辛く見えた。
頭ではなく右肩を狙う振り下ろしだった。故に右ではなく左に避けた。
そして避けた先には右拳が待ち構えていた。
男には自分がそう避けるよう仕向けられたと、気づく時間は与えられなかった。
右拳は大きく、鋭く振られた訳ではない。むしろその場に置かれていた、とでも言うようなゆっくりとした動きであった。しかし男の身体に拳が接触した刹那、自動車が人を跳ねたような、いや蒸気機関車が牛を跳ねたような音がした。
美蘭は太極號の脚腰の動きを見ていた。万斛の沈墜勁。重力を打撃力に変化させる勁の動き。
美蘭や十三爺が打っても一撃で大の男を打ち倒す威力を発生させるのだ。人間の数十倍の重量があるであろう太極號が打ったら如何なるのか?
男が真横に飛んだ。打ち据えられた瞬間に全身の骨が砕けた男は、向かいの家の壁に当たり弾け飛んだ。そこには巨大な赤い染みと、背広を着た肉片が転がっていた。
美蘭が呟く。
「……爺爺?」




