姉を買う
自分へのご褒美に、姉を買った。
四三八万六千七百十一円。
それが、あの人の、値段。
姉は小動物のような愛らしさを持って生まれ、その魅力を一切減じることなく成長した。
栗鼠かハムスター、大人しいコツメカワウソのような姉だ。
妹の私から見ても、とても可愛い。
四三八万六千七百十一円の姉は今、小動物のような愛くるしさで、サッポロ一番塩ラーメンを啜っている。
「ポンちゃん、ごまとって」
「はい」
姉はサッポロ一番塩ラーメンにごまをたっぷりかけて食べる。
はじめて会ったその日も、姉はサッポロ一番塩ラーメンにごまをかけて食べていた。
姉にとって、それが一番のご馳走だったのだと知ったのは、少し後のことだ。
姉は人一倍賢いわけではないが、人三倍マジメだ。
大学では文学部に入り、国文学の研究者を志した。
ほとんど名前の忘れられていた作家の作品を丹念に渉猟し、文豪の交友関係におけるミステリーに一つの仮説を打ち立てるという大した卒業論文をものにした。
私はその卒業論文を何度も読んだ。
文豪のことも忘れられた作家のことも知らなかったが、何度も何度も読んだ。
姉の考えていることを、少しでも知りたいと思った。
母親の反対を押し切って、姉は大学院に進学した。
研究者を志していたし、その適性はあると太鼓判を押されてもいた。
奨学金を借り、私でも名前を知っている大学の院へ歩を進めた。
その奨学金の残債が、四三八万六千七百十一円である。
姉の論文をそのまま盗んだ助教を埋めた桜は翌年、とても綺麗に咲いた。
美しい桜の下には死体が埋まっているというのは本当のことだったのだ。
姉の就職したオギクボの編集プロダクションの社長が埋まった桜も、綺麗に咲いた。
二本並んで美しく咲いた桜の下で、私は何も知らない姉と花見をした。
姉を弄んだバンドマンの桜も、姉を風呂屋に沈めようとしたバーテンダーの桜も、姉を堕胎させた舞台役者の桜も、見事に咲いた。
「ポンちゃん、アイスクリーム食べたい」
「はい」
ハーゲンダッツを食べる姉を、私はじっと見ている。
姉は。
姉が。
姉の。
姉に。
私の父は人間のクズだった。
酒を飲めば母を殴り、酒が抜ければ母を溺愛した。
彼なりの方法で。
母は毀れ、今はどこかの病院にいる。
私は再婚した父に連れられ、新しい母の家に行った。
そこで、姉はサッポロ一番塩ラーメンを食べていた。ごまをたっぷりかけて。
姉と二人、夜桜を見に出かけた。
右から順に、舞台役者、バーテンダー、バンドマン、編プロの社長、助教が埋まっている桜並木だ。
六本目の桜の前で、愛らしい姉は、愛らしく唾を吐き棄てた。
「ポンちゃんを泣かせた奴は許さないから」
私の父は人間のクズだった。
酒を飲めば私を殴り、酒が抜ければ私を溺愛した。
彼なりの方法で。
あの日姉と出会っていなければ、私も毀れてどこかの病院にいただろう。
ぽつりぽつりと、雨が降りはじめた。
姉と一緒に父を埋めた日も、確かこんな天気だった。
「ポンちゃん、帰ろっか」
今日も姉は、小動物のように愛らしい。
明日も、明後日も、ずっと。