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TRUE WORLD   作者: 猫岸夏目
第一章 牙を剥く過去
9/23

CASE9「- スレンダー - 痩せぎすた契り その1」

信じようと、信じまいと――


   奇妙なイタチの男オッターと別れた渡は、彼の立ち振舞いから

  この世界での正義の有り様について自問自答を繰り返した。

   モヤつく頭を振り切って、バスで夏樹のいるハラエド市のビル街へ向かう渡だったが、

  その途中「無貌の長身」の陰を見るも、スクアーマはそれをARのバグだと言い切った。

   そうして一抹の不安を抱きながらも、ついに竹馬の友である

  夏樹に出会った渡は、感動のハグを交わすが……。


信じようと、信じまいと――

  再会の喜びもひとしおに、夏樹は覇気のない笑みを湛えながら、

 渡を大広間のソファへ案内した。しゃなりしゃなりと歩く

 彼女の後を渡は懐かしそうに、スクアーマは不安げに追った。


「ねぇ渡、夏樹さんっていつも体調悪い人なの?」

「いや。ここぞというときのためにいつもローテンションなんだ。

 逆に今回は結構アクティブな方だぜ」


  スクアーマの身内はほとんどが明朗快活なトカゲが多いため、

 夏樹のように低いテンションの人物が奇異に見えた。

 寝ているのかとか、肉っ気は食事に足りてるのかなどと、

 まるで栄養士のような目線で、彼はカーペットのシミを拭う

 夏樹を見ていた。


「……メイドとか召使いとか雇ってらっしゃらないんですか?」

「そういうの、柄じゃないんだ。金持ちっぽくなくて悪いね」


  ぬるりと振り返る夏樹の目線に、初対面で物申して不味かったかと

 スクアーマに緊張が走り尻尾がピンと張った。


「あっ、ごめんなさい……。いきなり私生活に立ち入られちゃ

 嫌ですよね」

「そういう意味じゃないんだ。ごめん、言葉足らずだったな」

 

  キビキビとはまるで正反対の生気のなさに、

 スクアーマは渡の言っていた「そういうキャラじゃない」という

 言葉の意味を理解した。


  彼女は目鼻も整っているが、柳の下が似合うような美人

 で、月光の下でピアノを引いているほうが様になる女性だった。

 しばらくシミと格闘した後に、夏樹はボソリと呟いた。


「渡。悪いんだが……」

「はいはいっと。この作業も超久々だな」


  渡は腕捲りをすると、彼女の敵であるカーペットのシミの中心に

 指を指した。スクアーマの見守る中、その行為は手早く行われた。


「君もこっち来てみなよ。えーっと……?」

「スクアーマといいます。ニニギの街町長レピスの一人息子……」

「シミ取り最中に君の自己紹介をきちんと聞くのは失礼だと思うから……

 今は君の名前だけを覚えておくよ」

「あっ……はい。ありがとう、ございます……?」


  二人が歯車の噛み合わないような会話を終えるうちに、カーペットのシミは

 渡の指先へ磁性流体のように集まっていく。毛は逆立ち、奇妙に波打ち

 まるでコンピュータグラフィックのような光景だった。


「彼の能力の真髄は、派手な氷や炎の力よりこちらのほうなんだ」

「お掃除的にですか?」

「確かに便利だが違う。考えてみるんだ。混ざりきったカフェオレを正確に

 牛乳とコーヒーに分けることの不可能さを。そしてそれが溢された繊維から

 液体を取り除く無謀さを。これこそが彼が、都市伝説と戦える所以なんだ」

「は、はぁ……」

「言ってる意味、分かんねーだろ? コイツはいっつもこうなんだ。

 じゃあこれ捨ててくるから。夏樹、トイレ行ってくるぞ~」


  渡の手のひらには、先程のタンブラー半分ほどの体積のカフェオレ氷が

 円柱状に綺麗に作り上げられていた。渡は彼女にトイレの場所を訪ね、

 彼女は部屋の奥を指さした。


  彼は言われた場所へ赴くとそこで氷を瞬時に溶かすと、

 それをトイレの水面へぶちまけた。やがて、彼は何事もなかったかのように

 二人の元へ戻ってきた。


「ああやって一瞬で氷も溶かせる。溶融に掛かるべき時間も無視してね」

「うーん……彼の力についてはなんとも……」

「おいおい、スーちゃん困ってんじゃねえか。お前のローテンション哲学、

 結構リアクションに困るんだって前に言わなかったか?」

「昔過ぎて覚えてないね」


  夏樹とのファーストコンタクトに四苦八苦する彼を見て、

 渡はやめてやれと夏樹を小突いた。そうして互いに笑い合う二人を見た

 スクアーマは、どことなく寂しさを感じた。

 彼と夏樹さんは相棒だが、彼と自分は友達でしかない。

 そうスクアーマは考えていた。


「お、もう5時かよ。小腹空いたなあ」

「私の作ったデバイスを使ってくれているのか。

 昔に比べてずいぶん進化しただろ?」

「へへ。わりぃ、方角と天気と時計くらいしか使ってねえわ」

「君らしい使い方だ。ま、技術なんてそんなもんだ」


  渡は視界の端に浮かぶデジタル表示の時計を見て

 夏樹に食事を提案した。その表情はまるで

 誕生日に浮かれる子供のようだった。


「どっか食いに行かないか?」

「いいとも。少し仕度するから、二人は待っていてくれ」


  夏樹は快く彼の提案に同意し、壁の向こうへ立ち去っていった。

 おそらくは化粧直しか、対応したドレスコードに着替えるつもりなのだろう。

 スクアーマはそう思ったが、渡はおかしいと思った。


「あ~~、市長だしね。公私のバランス難しいんだろうね。

 パパはジャージで近所のラーメン屋によく行くけど」

「いや。アイツは不精で合理的だから、普段から

 どこでも出られるフォーマルな格好しか着ないんだ。

 オフの日だって、大抵同じよーな格好してた。

 家ん中で着替えるなんて、寝るか風呂かイベントのときなんだけどな……」

「じゃあきっとイベントだよ!! 君とやっと会えた記念日だから!

「お、それもそうか!! いや、もしかしたらと思ってたけど自分から

 再会記念日っていうの、小っ恥ずかしくて口に出せなかったんだよ。

 いやー楽しみだなあ~」


  渡は満開のヒマワリのように笑顔になり、ニコニコ彼女の登場を

 心待ちにしていた。しかしその笑顔は、その直後に枯れ果てることとなった。


「マイファニー、ヴァレンタイン……♪

 我が愛しの恋人よ……そのままのあなたでいておくれ……」


  鼻歌交じりに出てきたのは、あのイタチ男。

 ウィリアム・J・オッターだった。

 まるでこれからデートにでも行くかのように

 ビシビシに決まりきったブラウンのスーツにハンチング帽は、

 大人の余裕を感じさせる完璧な出で立ちだった。


「やあお二人さん! 今夜はスシナイトだそうだね。

 僕はアボカドが好きなんだが、スクアーマ君は寿司ネタは何が好きだい?」


  狂ったように高い社交スキルを前にして、渡から笑顔が消えた。


「……なんで?」

「何でってそりゃあ、君がいない間の代役だよ。

 少々力不足だったがね。やっぱり餅は餅屋といったところかな」

「……そうじゃねえ!!」


  渡の怒号により、本当に着替えている最中だった夏樹が

 バレッタを手に持ったままひょっこり現れた。


「ねえ渡落ち着いてよ。君がいない間でも都市伝説は

 この街に存在し続けていたんだ。だから誰かが雇われても仕方ないって……」

「んなこた分かってるよスーちゃん!!

 だが夏樹、これは明らかに人選ミスだぞ!! 何でヤツを雇ってる!!

 説明しろ!!」


  しばらくの無言の後、夏樹は釈明を始めた。

 まばゆい斜陽が、部屋いっぱいをオレンジに染め上げる。

 それはまるで渡の怒りを代弁するかのような荒々しいものだった。


「……。彼が、いや、この世界全体が姑息的に

 都市伝説の問題解決に当たっているのは私も理解している。

 しかし君という知識の特効薬が来ない限り、

 私もブレイクスルーが出来なかったんだ」

「こい、コイツ……いいか、コイツはなぁ! 目的は手段を正当化すると

 思ってるタイプなんだぞ!! 自分の暴力をバケモン共にぶつけていることで

 正当化しているやつなんだぞ!」

「力に善悪はない。それは君も分かっているはずだ。振るうものの意志が

 なんであれ、それが人のためになるのなら私は

 喜んでその手伝いをするだけだ」

「ふざけるな!! 悪人は人の迷惑だからぶっ倒すだなんてチャチな価値観の野郎の

 どこに正義があるってんだ!!」


  渡が夏樹の胸ぐらを掴む。その反動で無軌道な手からバレッタが落ち

 大理石の床を滑っていく。しかし夏樹はあくまで動じずに冷静に答え続けた。

 オッターは澄ました顔をしているが、どこか負い目のある顔でもあった。


「君は内実ともにヒーローであろうとした。私はそれを誇りに思ってる。

 彼は露悪的だが……そう、露悪的にならざるを得ない『過去』がある。

 いわば彼は、アンチヒーローなんだよ。

 彼なりの正義は確かに存在しているんだ」


  アンチヒーロー。あるべき英雄の姿や信条とはかけ離れていても、なお

 人の心に希望を与える異様の存在。露悪的、あるいはニヒリズムに富んでいても

 その歪みにこそ人は共感し、救いを見出す。その存在の概要くらいは、

 渡も理解していた。


  だがいざ自分の主義主張に相対する存在が目の前に現れ、

 しかも相棒の座を少しの間でも奪われていたと思うと、

 渡には我慢ならなかったのだ。怪物すら手玉に取り、人心を弄ぶ男を、

 心の底は真面目な彼は許せなかった。


  夏樹はオッターの能力を理解しているため、彼へのハンデとして

 彼がわざと悪意を表現していることを暴露した。その発言にオッターは

「おっと、そこでそのカードを切るのかい?」と苦言を呈した。


「……。つまりはアレか? 見解の相違、ってやつか?」

「そうだ。君は理念的であり、彼は実践的。ただその違いがあるだけなんだ。

 それを分かってくれると嬉しい」


 そこまで聞いた渡はしばしの沈黙の後、パッと胸ぐらを離した。


「お前はいつもそうだ……。分かってくれると嬉しいんだったら、

 もっと申し訳なさそーに言えよ……!!」


  彼はそう言ったが早いか、顔に影を落としつつ猛スピードで

 玄関に直行し、そのままドアを開け出ていった。


「ちょ、ちょっと待ってよ渡!!

 すいませんちょっと追いかけます……!!」


  ただ二人のやりとりを傍観するしかなかったスクアーマは

 急展開に驚き、慌てて渡の背中を追った。

 残された夏樹とオッターは、日の落ちて暗くなりかけた部屋の中

 電気もつけずにただ佇む他無かった。


  そしてオッターは、壁の角に当たって止まったバレッタを拾い上げ、

 夏期に手渡した。


「これは、彼にとっても大切なアクセサリー。違うかな?」


  オッターの能力は、この世界で広くある特殊能力のうち、

 常に発動し続けている類の能力だ。否が応でもその目線、

 思考は力の干渉を受け、要らぬ推測を組み立てていく。


  オッターは気付いていた。渡が激怒するほんの一瞬、彼の目線は

 夏樹の持つバレッタに集中していたことに。夏樹に視線が戻ると、

 その目線は怒りより悲しみに比重が傾いていたことに。


「はは。君になら言わずとも分かるか。

 言葉足らずで、冷たい人間だと思われがちな私にとって、

 推測魔の君はとても付き合いやすい相手だった」

「でも楽な道を選ぶ自分に、心の弱さを感じてもいた。

 だから僕を彼が戻るまでの期間雇用の身に置き、

 僕は彼のように君と同居もしていない。意図的に距離を

 とっていたことも分かっていた。それでも、こんな僕に

 正義の心が残っていることに気付いてくれた君には感謝しているよ」

「……。彼と居ると顔が疲れるんだ。

 否が応でも、思い切り笑ったり、怒ったり、悲しんだり出来るから。

 それが心地よかった」


 オッターは夏樹の手を取ると、バレッタをその手に握らせた。

 夏樹は罪悪感に満ちた後悔の顔でオッターに頼み事をした。


「渡たちを追ってくれ。彼は地下街の本当の目的を知らない。

 日が沈んだ今、日よけのためにも通る意味がないなら、

 十中八九『地上』を通って宿を探しに行くはずだ……

 『スレンダーマン』が彼を狙いかねない……!!」


 オッターは首を傾げ紳士的にニコリと微笑んだ。


「仰せのとおりに。僕の雇い主様」




「ねえ渡、渡ってば……!!」


  ほぼ同刻、空が夜の帳に手をかけようとする僅かな時間。

 渡は来た道を戻りながらなるべく疲れない程度に遠い宿泊先を検索していた。

 視界に映る複数のルート提案。どれも可もなく不可もない

 評判のホテルだったが、そんなことは今の渡にとってどうでも良かった。


「地下街を使わないと危ないって記事を見たんだ!!

 とにかくガイドの警告に従ったほうがいいってば!

 大体、この街は夜間外出禁止だよ!! 捕まるよ!!」


  大声を出さねば伝わりづらいほど、スクアーマと渡の距離は離れていた。

 スクアーマは聞こえていないのかもと更に大声を出そうと思ったが

 ここはまだ学校施設が近いと配慮し、必死にチャットを送り続けた。

  

  渡の視界を、彼からのテキストボックスと「地下街を使え」の警告が

 埋め尽くす。そこでようやく渡はピタリと足を止め、街灯の下

 遠く、門の手前にいるスクアーマに向き直った。


「うるせえ! 俺に命令すんな!!」

「アイツがいたから怒ってるんでしょ!!

 思い出を汚されたと思って!!」


  息を切らす二人は10メートルほどの間を保っている。

 そして息を整えたあと、先に口を開いたのは渡だった。


「ちがう……ちがう!!」

「じゃあなんでさ!!」


  スクアーマはゆっくり歩み寄り、彼の輪郭が夕闇にも分かる

 距離まで近づいた。さらにスクアーマが歩くと、

 渡の顔が怒りと悲しみで震えていることが分かった。


「夏樹も化物たちが、人の心の畏れや無知から生じていることを

 知ってんだよ。当たり前だけどな……。それがよりによって

 バウンティハンターみたいな野郎を雇いやがって!!」

「駅でも言ってたよね。ただやっつけるだけじゃダメだって」

「そうだ、そんとおりだ!!でもアイツは……!!」


スクアーマが二の句を告げようとしたそのときだった。

渡の背後にヌッと何人かの影が忍び寄った。


「君達、こんな時間に何してるんだい?」


それはペアで警らに勤しむ警察官の姿だった。

ドーベルマンの風貌をした「人間」は、何一つ不自然のない

警察の装いに身を包み、訝しむようにライトを二人に当てた。

スクアーマは額を手で覆い、参ったなという仕草と共に渡の方へ

歩みよった。


「宿探し」

「へぇそれは。市長のビルの前でかい?

 ここはビジネス街だから観光客向けのホテルなんかないんだけどなあ」

「市長の知り合いで、用事が終わったからここにいるんすけどね」

「用事ぃ? 観光客がか?」


ドーベルマンの警察の二人組は、まるっきり渡とスクアーマを信用せず

観光客と決めてかかっていた。迷ううちに市長のビルの前にたどり着いて

しまった無知な観光客。そう警察官たちは思い込んでいた。


「まあ、どうでもいいけど。一応身分証明書出してくれるかな」

「んなもん……」

「ああはい。これでいいですよね。連れが街のルーツとかが好きでして、

 このビルの記念館に行った帰りなんですよ」


「無ぇ」と言いかける渡の口を遮り、スクアーマはそれっぽい

理由を付け加えながらこなれたように端末を操作し、2人にカードサイズの

小さなホログラムを投げよこした。


「ふぅ~ん……レピスさんとこの息子だったのか。

 君があの男のねえ……」


スムーズに会話を交わすスクアーマの姿を見て、

渡はいずれ彼の存在が必要になる機会が訪れるというレピスの言葉を思い出した。

ニニギの街の統治者という権威は伊達ではなかった。

彼らは訝しみながらも、記録がある以上

それを事実として受け入れざるを得なかった。そうしてスクアーマへの尋問は一応の

終わりを見せた。しかし、その疑念は今度は渡へと強く向けられた。


「まあ、君は良いとして。

 そっちの赤い髪の原種くん。君は、調べたけど

 国籍も無いみたいだけど?」

「は?」


当然といえば当然の結果だった。3000年も前の、旧時代での

戸籍は何の法的根拠もない。市長の知り合いなんてものも、彼らにとっては

言ってるだけの嘘っぱちに等しかった。

スクアーマは再び「しまった」という

顔を浮かべるも、不審がられる前に暗がりにさっと隠した。

渡は事の次第では、暴力もやむを得ないとまで思い始めていた。

そしてその非協力的な態度に、ますます警察官も疑いの目を強めていく。


「『は』じゃないよ君ぃ。無国籍の原種が、夜間外出禁止令も知らずに

 市長に用っておかしいだろ。なあ。詳しい事情は署で聞くから……」

「ま~、この時間帯だとウチの方が地下街より遥かに安全だから。

 そう構えないで、おとなしく乗ってくれるかな。

 おい、黙ってないでなんとか言ったらどうなんだ。ん?」


黙っているのは、腹立たしさからではなかった。

渡は警察官の10メートル後ろくらいでランプを灯している

パトカーのすぐそばに、「無貌の長身」を見て凍りついていたからだ。

下手に後ろを指差せば、スレンダーマンが動きかねない。

かと言って暴力に訴えかければ、すぐに取り押さえられてしまうだろう。


「こんなところで黙秘されても困るよ。

 嫌とか、この野郎とか、なんかそういう反応ないとこっちも

 手続きのしようが……」

「後ろにいる」

「何が? 脅かすんじゃないよ。我々はこの街で徘徊している

 「ソレ」への対応は万全なんだ。脅かしたって無駄だよ。さあ来るんだ」


片方の警察官が、しびれを切らして乱暴に渡の二の腕を掴もうとした。

警察官の腕は屈強で、鍛え上げられた肉体と大型犬の力を兼ね備えた

暴力装置そのものだった。犯罪者から逆らおうという意志を奪わせるには

十分なガタイだ。

そしてもう片方も、すこしだけ遠くにいるスクアーマを捉えようと

いきり立ったようにその大きな手を伸ばそうとする。

スクアーマはその瞬間、大きなドーベルマンの肩越しに異形を見た。

血の気が引いた。


 「ヤツ」がそこにいた。

 音もなく背中で蠢く触手と、高すぎる身長。そして無貌の顔。

 それ意外は「普通」であることが、それの異形性を物語っていた。


「渡!!君がバスで見た()()()()()()()()!!」


  スクアーマは伝承の定石を知らなかった。

 人間は不意に指を指されたり、音のする方向や指示された方向に

 頭を向ける性質を持つ。しかしスクアーマは叫ばずにはいられなかった。


  それを人類は自覚し、「見るなのタブー」を

 生み出した。現代に置いてカリギュラ効果と呼ばれるそれは

 知っている人間でも抗いがたい本能だ。

 既にその存在を知覚している渡にはその性を抑えることが出来たが、

 突然叫ばれた警察官の2人は、「直」にその異形をライトで照らし出してしまった。


「っ!?」

「婿ヲ……」


 スレンダーマンは、その特異性に邪視を含む存在だ。

 それを間近に見たものは、精神に侵食を受けダメージを受ける。

 それらはネットワークに対するDoS攻撃のようなものであり、

 生物で行われたならば、それはニューロンと神経系の破壊を意味する。


「あ、あっ、あっ、あっ……」

「ひ、ひひぎゅっ、ごぼぼっ!!」


  警察官たちはライトでハッキリと照らし、その存在を知覚してしまった。

 それは例えば地球外で太陽の日を浴びるがごとくの無謀であり

 彼らはまたたく間に穴という穴から、血や体液を噴水のように溢れさせ死んだ。

 ばたり、ばたりと倒れ、仰向けに倒れた警察官の沸騰したような顔は、

 渡の脳にバットで殴打するような衝撃を加えた。ゾッとするおぞましい死に方に、

 彼は口を抑え、とめどなくあふれる吐き気を必死に抑えた。


  普段の渡なら遠隔攻撃に徹するだろうが、今は蛇に睨まれた蛙同然だった。

 スクアーマも距離が遠すぎるせいで、植物の能力も間に合いそうにない。

 万事休すであった。


  そして3対の触手がいよいよ突き刺さらんとした瞬間、

 門の方角から何かが飛来した。それは1メートルにも満たない

 渡とスレンダーマンの間を縫うように飛び、

 道路反対側の街路樹に突き刺さった。投げられたのは駐車禁止の標識である。


「蛛・繧?°縺ェ繧九→縺阪b逞?a繧九→縺阪b縲∝ッ後a繧?」


  スレンダーマンは切断された自らの触手に対し、

 悲鳴を上げるでなし、不思議そうにその断面を見つめていた。

 思わぬ助太刀に、渡とスクアーマは門の方へ意識を奪われた。


「早く門へ戻れ!! スレンダーマンは僕が相手する。急ぐんだ!!」

「なっ、てめっ、オッター!!」

「僕が嫌いでも結構だ。でも君がいないと彼女は困るぞ?

 それでいいのかい? 話し合うべきなんじゃないのかな?」


  渡は脈を必死に正常に戻し、視界上のエラーメッセージを全て

 消すと、しばしの逡巡の末にオッターの指示を聞くことにした。

 スクアーマは何度も二人を交互に見ていたが、動き出した渡を見て

 速やかに彼のフォローに回り、肩を貸し門の方へ戻っていった。


「恩に着ます。オッターさん」

「僕は……礼をされるような人格じゃない」


  すれ違いざまのスクアーマの礼を、

 オッターはバツが悪いように口ごもって返事をした。

 いつもの饒舌さは失われていた。


「婿ヲ……」


 生白い触手は既に再生している。オッターはそれを見るとため息を付いた。

 蠢く触手を引き連れ、スレンダーマンはオッターに標準を合わせた。


  オッターはジャケットとハンチング帽を丁寧に街路樹に掛けると、

 予め持ち合わせてきた柄の長い剣先シャベルを棒術のように構え、

 邪視防止の為、間に合わせの偏光サングラスを身に着けた。


「君はある程度ボコると逃げていく。

 なぜだ? さらなる目的があるからか? 君の動きは読めても考えは読めない。

 それも僕が、都市伝説のプロではないからか?!」


  ワイシャツに深緑のサスペンダーのスーツ姿のオッターは、

 フルスイングで触手の猛攻をいなしていく。一見優男に見える

 彼はその実、渡達より筋肉質であり、ハタキで掃除をするように

 シャベルを振り回した。


「ふおおおおおッッ!!」


  スレンダーマンは知性を持っている。

 一斉に触手をやれば簡単にいなされてしまうことを学んだ彼は

 ある程度の本数を追撃に回し始めた。得物が一つしかない彼は

 顔を歪める。しかし対応がないわけではない。

 オッターの能力はあらゆるピンチがチャンスに回る可能性を秘めている。


「……?」


  左手から迫る触手の追撃はオッターの体に突き刺さることはなく、

 彼の頼りのはずのスコップの柄に突き刺さっていた。

 ミキミキミキとひび割れ、均等にへし折れるスコップは「必然的に」

 2本の武器へ生じていく。そしてひび割れた一瞬もオッターは見逃さない。

 2本に転じた瞬間、先端部分のある方を持ち、スレンダーマンの腎臓部分めがけ

 剣先の角を意識しつつ、フル殴打した。


「人型であるなら……ここは激痛(いた)んじゃないかい??」

「隱薙>縺セ縺ーーーーーーーッッッッ!!」


  声にならない甲高い奇声が、「効いてます」の代弁であった。

 悶え乱れる触手はまるで袖のフリンジを振り回すようだった。

 一息ついたオッターは、うずくまるスレンダーマンを見下ろして

 言い放った。


「効いてくれて嬉しいよ全く。まぁ、どのみち次会うときには

 綺麗さっぱり回復しているんだろうが……。

 それも追いつかないほどブチのめしてやる。

 彼女を悩ませているお礼にね……」


 ハッとオッターの顔へ向き直るスレンダーマンの無貌の顔に、

 へし折れた持ち手のある方のシャベルを持った彼は、

 刺々しい凶悪な破断面を渾身の力で真正面から突き刺した。オッターは

 ハンドル部分を持ち直すと、ドアノブをひねるように

 丁寧に柄を捻り続けたのだ。


「バケモノに対して自分の暴力性を正当化している……ね。

 図星だよ!! 星之宮君……!!

 僕はね、心の内に秘めた暴力性をあれやこれやで

 繕う人間が大ッ嫌いなんだよ……!! 分かるかい……?!

 素直じゃない……!! 全く持って素直じゃないからだ……。

 初めから、真に清くないのであればッ……!!」


 オッターは牙を剥き出しにして、スレンダーマンに心の内をさらけ出す。

 それを理解する相手ではないのは分かってはいても、

 つい先程、自分を糾弾した渡に対してのアンサーを

 返さずにはいられなかったからだ。

  獰猛に得物を嬲るイタチ男は、もはや一匹のケモノであり、

 葛藤でかき乱される心と行動の矛盾を、無理やり正そうとしていた。

 その度に増々スレンダーマンへの嗜虐は酷く、過剰になっていく。


「クールである必要は、ないんだよッッ!!」


  オッターは顔面に突き刺さるシャベルの持ち手を

 サッカーボールキックでねじ込んだ。

 彼の能力により、寸分のズレのない蹴りの圧力は、全て

 柄を通しスレンダーマンの顔面に集中した。

  スレンダーマンは鉛筆キャップを弾くように回転しながら吹っ飛び、

 向かいのビルとビルの間へ叩き込まれた。


「ハァ…ハァ……クソッタレめが……。

 死ねクソボケ野郎が……」


 自分が生来から清い存在でないと自覚している彼は

 同じく清くない人間の偽善が鼻につくイタチだった。

 慎ましく、そして献身的な家系に生まれた彼は

 慎ましくもなく、献身的でもない自分に嫌気が差していた。


「スレンダーマン……。いい加減君の相手も飽きてきた。

 必ず正体を掴み、絶望の淵へ叩き込んであげるよ……」


  オッターが気が付いたときにはもう、逢魔が時は終わっていた。

 再び正常な夜がハラエドの街を包み、人々の静かな営みと、

 誰もいないパトカーへの警察無線の声だけが侘びしくオッターの耳に聞こえた。

 彼はジャケットと帽子を街路樹から取り踵を返すと、

 元の「紳士的な男」のキャラクターへと戻っていった。

ドラクエ10の4.5ラスボスが倒せないので連続投稿です。

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