CASE8「統治者」
信じようと、信じまいと――
恐れられたもの、アフレイデッド。 未来世界では、特定のホモ・サピエンスが
異形の怪物に変貌する現象が頻発していた。ハラエド市に向かうため、電車に乗り込んだ
渡とスクアーマは、アフレイデッドと化した男と、その人質であるイタチの男を
救おうとした。
しかしイタチ男はか弱い被害者の皮を被った戦闘の達人であり、
ジャッキー・チェンのような道具捌きでアフレイデッドをたちまちの内に倒してしまう。
信じようと、信じまいと――
渡にとって、他人から先に名前を呼ばれるのは3000年ぶりの出来事だった。
その衝撃と動揺は、彼の心を大きく揺さぶる。
「おい……何で俺の名前を。いや、何で俺たちの名前を知ってんだよ?」
彼は動揺に震えつつも静かに尋ねた。オッターと名乗るそのイタチ男は、
足を組み直し、傲慢な態度を崩さず、質問を質問で返した。
その言動には大仰な身振り手振りが加えられ、
ただならぬ胡散臭さが滲み出ている。
その余裕綽々たる笑顔は人の軽快を解くと同時に、
特定の人の怒りを買うタイプの笑顔でもあった。
「いい質問だ。それはそうと……随分脈がこう、乱れているみたいだけど。
そんなに名前を呼ばれたのが不快?」
「いつ手首を触った?」
「質問を質問で返さなくてもいいじゃあないか。ともかく、
僕は医者じゃない。でも顔に書いてあるのは分かるよ。
君は酷く緊張して脈がキンキンに張ってる。千切れそうな輪ゴムのようにね。
それはさしずめ、君の持っている疑問に加え……。
この男に我々が酷く無関心なことに君が違和感を感じているからだね」
次々と渡の心を盗み見るオッターに
渡は敵意をむき出しに、スクアーマの制止も聞かず彼を詰り続けた。
この世界で渡を知るものなどいるはずがなかった。
いるとしても夏樹の知り合いであり、
悪くてニニギの街の話を聞いた「都市伝説」の一派だった。
彼は後者に目星をつけ彼に迫った。
「質問のはぐらかし方がただの嘘吐きにしては上手いじゃねえか……。
おい? 仕事で相手を煙に巻くのが得意な奴のやり口だ。なあ。
確かに俺はお前ら全員の態度にもドン引きしてる。
お前を助けなきゃ良かったと思うくらいにな。
だが問題はそこじゃあねえ。
質問に答えろ。なぜ、俺たちの、名前を、知っている?」
渡はオッターの左側の席へ移動し、視線を逸らさず
メンチを切りながら座った。右側の席には先程オッターが退けた
オパビニア男が体液を漏れ出るままに倒れていた。
「じゃあ真面目に答えてしんぜよう。ごほん。
僕は君を知る原種からあるオファーを受けて君に会いに来た。
このオパ……えーっと、まあ何ちゃらになった『アフレイデッド』は
ついでに倒しただけ。元々彼は危険な兆候を見せていたからね。
目がギンギンして、獲物を狙うようにふらついていたのを見かけたから
……誘導して始末しておいた」
「は……?」
渡はバケツの氷水を掛けられたような衝撃に打ちのめされた。
彼は目的の人と会うついでに、その驚異的な洞察力をいたずらに使い
わざわざ危険な人間を見つけ、わざと人質になり、そして始末したという。
そのスカした態度から、渡は罪悪感などは全く感じることが出来なかった。
「じゃあなんだ? コイツは、自分の信仰心に身を蝕まれたってことか?
やってることも主張も間違っていたが、コイツも何かを信じていたんだぞ?
それを分かってるんなら、どうしてもっと刺激しない方法を取らなかった?」
「彼はいずれどこかでああなる運命だった。遅かれ早かれ。
だから殺してあげたんだよ。彼にとっちゃ安楽死みたいなものさ。
大体、僕は自らの意思で捕まったんだ。
いわばボランティアだよ!!渡君、慈善行為さ!!それに君、
これが幼い子供や老人だったらどうする? 君は助けることが出来たのか?
それでも君は、このバケモノに同情を?」
「てめえ……」
座席に力なく横たわる男を、オッターは叩き潰したゴキブリを
見るような目でちらりと見て、彼は饒舌に言い放った。
あくまでも自分を善と言い張る態度と、瞬く間にゾロゾロと、
一切の平凡に戻る乗客たちに渡は、視界が歪むような感覚を覚えた。
彼らの論争の内容を知ってか知らずか
乗客たちはまるで渡達が幽霊であるかのように無視を続けている。
その道徳性のあまりの違いに、渡は
自分がまるで異世界にでも迷い込んだかのような気分になった。
思えば、乗客たちは何かのベルを鳴らすとか、その手元の
未来の端末で警察を呼ぶなどの行動に出ていないことを
彼は思い出した。
所詮コイツらは二足歩行の動物なんだ。
そう渡の心に諦観と蔑みの心が芽生え始めていた。
感情を乱された渡が、いよいよオッターに掴み掛かろうとした瞬間、
それをスクアーマが静止した。
「離せよスーちゃん。一発殴るだけだ」
「多分当たらないから……やめた方がいい。一旦席へ戻ろう」
「君のお守りは随分頭がキレるね。とりあえず頭を冷やしておいで。
そうカッカしないで、『クールに行こうじゃないか』、なあ友よ」
オッターは渡の決めゼリフすら模倣してみせた。
その時点で、渡はある1つの答えに気付いた。
偶然危険人物を索敵し、偶然被害者になり、偶然コーヒーに細工をし、
偶然ベルトを男に巻きつけ……これら全てをそつなくこなしたアクション映画の
長回しの撮影のような一連の「偶然」は、全て「必然」ではないかと。
「気付いた?」
挑発を受け怒りに震えていた拳を、ふいに懐へ戻した
渡を見て、オッターは自身の才能に彼が気付いたことを察した。
それと同時に電車のベルが鳴り、駅名を繰り返す電子音声と減速する電車が
渡とオッターの抗争を遮った。電車は未来的な音と共にその歩みを
静かに停止させていく。
「ああ……。だがアンタは無敵じゃねえ。
次会ったら覚悟しとけ」
流石に到着してからも車内で殴り合うわけにも行かないので
渡とスクアーマは大人しく元の車両の元に席へ戻り、荷物を取って電車を降りた。
左手に件の車両が見えていて、そのドアから、オッターも降りてきた。
彼はいたって軽装で、まるで風来坊だった。彼は渡達を見やるとニコリと笑い、
さっさとゲートをくぐり出て行ってしまった。
「なあスーちゃん。あれがこの世界でのジョーシキってやつなのか?」
「……そうだよ。きっと馬鹿な小学生だってああ答える。
そのレベルにはあの考えはこの世界では常識なんだ。
『悪人はその兆しを見せた時点で悪人』。もちろん裁くかどうかは、
もっと高度な組織や機械が決めるけどね。それに………
君には申し訳ないが僕も彼と同意見なんだ……。
君が倒しに行かなきゃ僕が殺しに行っていた。
『皆の迷惑』だから」
渡はうんざりしたようにため息混じりに尋ねた。そんな彼の表情を見た
スクアーマは、自分達の常識を問うことはしなかったが、
原種である友が嫌な気持ちになっていることぐらいは理解した。
スクアーマは昔から、顔色を伺うことだけは得意だった。
「罪を憎んで人を憎まず。って知ってるか?」
「聞いたことがないなあ……君のいた時代での格言なの?」
なのでスクアーマは落ち込む渡に対し、傾聴の姿勢を保ち続けた。
彼の発言の内容はほとんど内容に一貫性のない
愚痴であることも分かっていた。
白磁色の未来的なビルも、宙に浮くARの
巨大ホログラムの看板も、どれも今の沈んだ気分の
渡にとっては、対岸の花火よりつまらないものだった。
ハラエドの街は、栄華の二文字を象徴とするかのような絢爛の街だった。
行き交う人々はみな何かのウィンドウを連れ立っており、
何もない部分に触れては笑ったり、しかめっ面をしたりしていた。
渡は、これがウェアラブル端末の最終形態なのかと目を白黒させた。
彼の時代でも、スマホはもはや黒電話のような存在だったし、
携帯端末はすべてコンタクトやメガネの体をなしていた。
通りを歩いていると言いしれぬ狂気のようなものも
感じ、やがてうすら寒い感覚を覚えた。
渡は思考を整えるかのように話を続けた。
「悪や伝承が生じるには必ず原因があるんだ。
それを絶たない限り、この世界では誰も救われない。
そうしなきゃまた誰かの恐怖が語り継がれ、伝承が生まれ
次の都市伝説が生まれるんだ……。
その場しのぎの正義じゃ、誰も救われない……」
二度も「誰も救われない」というフレーズを口にする彼の陰る顔を見て、
スクアーマはつい2、3週間にあった巨頭オ達との戦いを思い出した。
人々の間に生まれた虚構による恐怖の感情が、顕現する現実。
無知と恐怖が、伝承を引き起こしそれが顕現しリアルの世界に脅威を振りまく。
そのループを断つには、そうした「恐れ」や「心」の根本に立ち向かわなければ
ならない。そう渡は心に決めていた。
「なんか……分かんないけど分かったよ!
君の言うとおり、もう少し広く視野を持ってみることにする。
アイツもアイツの人生があって、その中でアレが正しいって
思っちゃったんだろうからさ。
だからほら。そうしょげないでよ渡。ね?」
「あぁ。ちょっとしたカルチャー・ショックみてーなやつだから。
オメーもそう気にすんなよ」
渡は気を持ち直し、改めて周りの世界に目を向けた。
「未来都市」という形容詞が一言一句当てはまるような
白色と緑色を基調とする場所に渡は目を細めた。
「おい……『ウェルカムトゥハラエド』ってポップが鬱陶しいぞこれ」
渡はハエを払うような仕草で、MRホログラムを払おうとした。
せっかく観光気分に気を変えた矢先のおじゃま虫に、彼は苛立ちを隠せずにいた。
だが一向にウィンドウは追従し、飛蚊症のように彼の視界を翻弄した。
「ちょっと貸して……」
スクアーマは彼の端末に干渉し、彼の見えているものを共有する状態にした。
それはスマートフォンのミラーリング機能にも似る作業だった。
「うわっ、視界ウッザ……。渡、端末の視野フィルタリング全部オフになってるよ?
初期設定を全然いじっていないじゃん。これじゃあ他人が全世界公開にしてる
ウィンドウも、広告も全部見えちゃうよ」
「フィルタリング機能か……。な~るほどね」
彼はその単語から何かをひらめいたようで、
視界の端に浮かぶ歯車の形をしたホログラムをタッチした。
「そうそれだよ。それで視野表示設定に入って……見たいものだけを選ぶんだ」
「見たいものを選ぶか……。モーレツに退廃的な価値観が垣間見える気がするけど、
たしかにそーいう表現しか出来ない設定方法だな」
彼は入念にリストを上下し、5分ほどで
視野を広げることに成功した。直感的なUIのおかげで、彼にとって
それらは靴紐を結び直す程度の労力に収まった。
「街の地図と目的地アイコン。最低限だけにしとくか。
あとはお前が寄越してきたもんだけ見るようにしたぜ」
「うんうん。随分君も未来に慣れてきたね!」
「おいおいスーちゃん。俺は試作機から知ってんだぜ?」
渡は視野設定を行う過程で、ようやく調子を取り戻した。
元の朗らかさと陽気さが戻れば、世界もまた輝きを取り戻していく。
天を貫くビルの数々。黒山の人だかりが更に人だかりをつくる様は
かつての東京や大阪に似ていた。
渡は駅を出てエントランスに出るまで、
本当に多くの質問をスクアーマに投げかけた。
それらは社会システムや街の流行り、禁句やタブーといった掟の一切などの、
カジュアルとビジネスが入り混じったような内容だった。
照り付く日差しが容赦なく彼らを焦がしていく。夏の日差しだけは
何年経っても変わらない。渡は懐かしさを感じ、あえて能力を切り
熱気を味わった。対するスクアーマは、トカゲだからか、鋭い日差しを
全く気にしていなかった。尻尾を陽気に、楽しそうに振っている。
「……それで。このバスに乗りゃ郊外のビジネスエリアにたどり着けるんだな」
「そうだよ。ハラエドは市街地、学校・住宅街の3つにキッチリ分かれてるんだ。
地下街はそれを縦横無尽に繋ぎ合わせるんだ。
地元民は15年前から地下を移動しているらしいけど……
まあバスが安牌だよ。全エリアを周回しているからいつか目的地に行ける」
そう言われて渡がたどり着いたバス停には、
3000年前と変わらず、バスの到着を待つ者たちが並んでいた。
変わっているのは、ただ人が人でないだけだった。
バスは地方都市や都市圏のように周遊バスであり、遠回りでも近道でも、
どこかのエリアに必ずたどり着く定額運賃制だった。
彼らが乗り込んだバスは、バス特有の揺れも騒がしさもなく、
渡はこれまでに感じたことのない乗り心地を感じた。音もなく
宙に浮きスライドするように動くそれは、まるでカーリングのようであった。
「このバスは常温超電導で動いているんだ。だからぜんっぜん無駄がないんだよ」
「スーちゃんお前すげえ詳しいな。どこかのレポーターみたいだ」
「エヘヘ……社会科見学で聞いたことを繰り返してるだけだよ」
「そういやあお前学生だったな。旅してていいのか?それも気掛かりだったんだけど」
「あ~~……僕はほら、町長の息子だから。普通のキャリアが要らないんだよ。
それに……」
「それに?」
彼は車内の広告に適当に目をやりながら、苦しい返事を返した。
やはり特別な地位につくことが約束されているとはいえ、通常の青春を
送らなくてよいのかという質問には思い悩むものがあったからだ。
彼は一通り眉間にシワを寄せ終わると、渡にサッとバッグの本を手渡した。
「僕は本の虫だから!!」
「………。あ~~、確かに読書家だな」
手元も確認せずにスクアーマが渡に見せた本はエロ同人だった。
彼は仕度のときに自らの秘蔵をどこにしまおうか悩み続けていた。
しかも手際が悪いせいで電車の発着時刻が近づいてきていて、
ロクな隠し場所を考えつくに至らなかったのだ。
そこで彼が閃いたのは「手元においておく」
という手段。自らの普段遣い用のバッグへ忍ばせることにしたのだ。
気付いたときにはもう遅い。0.5秒以内に片付けなければ
渡の脳にこれがエロ同人だと認知されてしまうのだから。
それなりに付き合いの期間を経た渡には、トカゲ種の
顔が青ざめていく様子もはっきり認識できていた。
「まぁ、長い旅路になるだろうしな?
そーいうときは俺にもあるだろうし……。お互い頑張ろうな」
渡はバッグのエロ同人に対し、出来の悪いアンドロイドのような
仏頂面しか出来なかった。ちゃんと中身を確認し、
エロ同人の隣で眠っている詩の本を選べば、このような悲劇も
生まれなかっただろうにと、渡は哀れみを禁じ得なかった。
「ち、ちが、違うんですよ渡殿これはですね、いいですかこれはですね
あのあのあのあの、そう!! 保健の教科書が間違って入っちゃってた!!
みたいな!?」
「良いって良いって。第一俺が変に質問したせいなんだから気にすんなって。
あーもう!! 尻尾をビシビシ振るな!! 痛い!! 朗読するぞ!!」
今度は渡が異なる文化風俗に対し、理解を深める番だった。
イタズラに茶化すほどのことでもないので、渡は早々に話を断ち切って、
キューという人間には出しようのない声で恥ずかしがるスクアーマから
目線を外した。
「下ばっか見てたせいで酔ってきたな。
ちょっと外でも見るか……」
「紳士だぁ……」
「だから気にしてねえってば」
大きくため息をつくと、渡は窓の外へ意識を飛ばした。
看板、人、看板、よく分からないオブジェ、パンクな兎の女性、
スーツの犬、よく分からない服を着た象など
この世界での「普通」を学ぶには良い光景だった。
スクアーマは気まずさのショックが抜けきれていないようで、
頭を抱えながらうずくまっていた。
そうして時間が経ち続けること10と5分といった瞬間、
渡の脳に「異常」を感知する警告音が鳴った。
数多の店舗連ねる大路の中、通行人に紛れて確かな異形がそこにはあったのだ。
バスの速度は速く、特定の対象に集中するには大きく
後方を見るしかなかった。後ろの席に座っていた馬の淑女が何事かと渡を見た。
「す、すんません……」
渡は不審者にならないよう急いで姿勢を戻す。
だが一瞬でも目に焼き付いたそれは、彼の職業柄
間違いようのない存在だった。
「どうかしたの渡?」
「…………『スレンダーマン』がいた。やはりか」
「なにそれ? 検索にもヒットしないけど。
もしかして……『都市伝説』がいたの?」
夜空より暗い黒いスーツに身を包み、
獣人のいる世界ですら目立つ異様な身長。
その顔は死人のように布で覆われ表情を窺い知ることは出来ない。
「こんな真昼の人混みに都市伝説がいるの?
オバケって夜とか誰もいないところに出るもんじゃ?」
「それはあくまでそこによく居るってだけだぜ。
人の恐怖や理解不能なものへの想像が、場所を弁えると思うか?」
「まあ……それもそうだけど。見間違いじゃあないのかな?」
珍しくスクアーマは、渡に物申すような態度を見せた。
彼は再び画面共有状態にすると、説明もせずに適当な
オブジェクト、家具などの画像を検索した。
「これを例えば『ここに置きたい!』って思うでしょ?
すると……ほら!」
スクアーマが2秒ほど無言になった直後、
バスの通路に「椅子」が現れた。
もちろん実物ではない。ARビジョンだ。
「前にも言ったように、このデバイスは視線と意志で
操作するんだ。君の場合、無意識に強く化物の存在を考えすぎたせいで
ラプラスが実体化させちゃったんだろう」
「いや、実体と架空の区別は温度で分かるぜ。そこにある椅子は熱を持っていない。
だが俺が見たヤツは熱を持っていた」
「まあ……そんな見分け方するのは君だけだろうけどね」
渡は念の為端末に自身の能力を用い、視界の端にサーモ画面を
表示していた。何かが人混み「化けている」可能性を考えていたからだ。
そして渡の見た「スレンダーマン」は確実に現実に存在するものの温度の
分布をしていた。人によく似た体温だったのだ。
だからこそ異常に気付いた。しかし視野は彼の思考を遮るように
目まぐるしく遷移し、バスは次の停留所を告げた。
彼らの降りるべき停留所は次の次だった。
「どうする? バス降りちゃう?」
「いや……もうすぐ夏樹のビルだ。
報告を先にしておくよ」
「分かった。それと……」
スクアーマは更に細かい設定項目を弄り、渡の端末の
キネシス操作感度を最小した。スクアーマは渡の顔を見ると
間をおいて微笑みかけた。
「ついでにタッチ操作をメインモードにしておいたよ。
これで空中を指でなぞれば画面が移動する。
ぶっちゃけこれ年寄り向きのコンフィグなんだけどねぇ……。
父さんと母さんもこのコンフィグ」
スクアーマは「やりすぎかな?」といった表情で
コンフィグをいわゆる「らくらくモード」的な設定に調整した。
だが彼の想像に反して渡は「馬鹿にすんな」とも言わず
すんなりその設定を受け入れた。ホログラムの表示は最小、操作は
アナログとなると、まるでテクノロジーの一切を嫌う頑固親父のようだった。
しかしその設定を手伝ううち、スクアーマは
「いつから素の世界を見ていないだろう」と己を顧みてもいた。
彼もシンプルな視界を好む方だったので、表示されるホログラムの8割ぐらいを
カットしていたが、UIだけにしたことは無かったのだ。
-次はSTソリューションズ前。お忘れ物無きようご注意ください。
渡がバス上部に浮く料金ウィンドウのある空間をタッチすると
料金が表示された。電車と同様、こちらからのアクションは必要ない。
音もなく静かにバスは地に足をつけ、ドアが開き、二人は大荷物を抱えながら
それを通り夏樹の居城の前へ降り立った。
変わらず太陽は地面に照りつけ、初夏の彩りをオフィス街に与えていた。
「変わんねーなぁ。ビルのデザイン……」
目を細め、天を貫く100階建てのビルを見た
渡は激しい郷愁の念に駆られた。良き思い出も
悪しき思い出も全てここで生み出してきたのだ。
スクアーマに先にキネシス操作を切ってもらわねば、
ドキュメンタリードラマが始まってしまうところだったと
彼は感じた。そうして二人は警備員もいない開かれっぱなしの、
門をくぐり、空高きビルを並んで目指した。
「でっかいビル~。庭も……超デカイね~。
なんか建物いっぱいあるけど、あれなんなの?」
「ありゃ学校だよ。小学校とか中学校とか幼稚園とか……。
それから孤児や困窮者の住む家もある。……昔のとおりならな」
まるで巨大なオベリスクに守護されるように広大な庭園には教育施設が点在した。
それぞれから騒がしくも幸せそうな声が聞こえ、それに従事する者たちも
姿が違うだけで、渡の知る光景と全く同じだった。
おおよそオフィスのエントランス広場とは思えぬ
住宅群やベビーカーを押す親達の姿に、スクアーマは圧倒されるばかりだった。
「まるで小さな町みたいだ……」
「ああそうさ。アイツは救えるものなら何でも助ける奴だ。
言ったろ? 『自分に関係のないことはない』がモットーの奴だって」
「……まるで君みたいだね」
「えっ……」
ふいに述べられた感想に渡はスクアーマの方を振り向いた。
すると彼は渡に優しくはにかんだ。
ビルは図で示すなら、「凸」にアルファベットの「C」の弧部分が、
4、5階部分の正面玄関に至るためにスロープになっているようなデザインだ。
そのスロープは動く歩道になっている。
そして下1階から4階は大ホールのようになっていて、ガラス張りの
室内は喫茶店が営まれているようだった。
もちろん彼らは一服しに来たわけではないので、渡とスクアーマは長く
冗長なスロープに足を踏み入れ、身を委ねた。
「あ~すごい。だんだん視界が開けて庭部分が余計城下町みたいに見えてきた」
「事実そんな感じだぜ。アイツの技術力と統率力は3000年前でも群を抜いていた。
あの時代になんで市長じゃなかったのかが不思議なほどだった」
「だからこの時代では市長になってるんだね。検索したら出てきたけどさ」
「そうそう念願叶って無事当選……は?!アイツが!??」
福祉への惜しみない投資と財力があれば、市井の人望も高まり自然と「長」の座が
容易く得られるだろう。しかし彼女は君臨も統治も嫌がり、あくまで黒子として
技術力を提供し続けていた。
もちろんビジネスも行ったが、あまりの
革新的な技術の数々に、ほとんどの交渉は不戦勝だったという。
そのポジションに陰謀を囁くものもいたが、彼女は気にとめなかった。
「マジで!? え?? あのヘンチクリンがし、市長って……
ひぇっへっひぇっひぇひぇ、マジで!? すげーウケるし!!
「えっ、何渡どうしたの急に爆笑して……。
そんなひょうきんな人なの?」
「ありえねーマジそんなキャラじゃね、あスイマセンしちょ、
市長のなつ、なtぶっひゃっひゃっひゃっひゃ!!」
「ちょ、ちょっと受付のガゼルのお姉さんビビってるよ……。
どうもすいません……アポ無しなんですけど彼市長の知り合いで、
僕は連れの者なんです……」
「しょ、少々お待ちください………」
かつての相棒が市長という情報は、なぜか渡のツボにはまったらしく
彼はクスリでもやっているのかと疑われるほど泣きながら爆笑していた。
よろめきながら大理石のカウンターに近づく彼を制し、
スクアーマはペコペコ頭を下げながら受付嬢に事情を説明した。
彼の知る夏樹はそこまで市長の座がありえないキャラを
しているのかと、スクアーマの動揺は彼の笑いに反し増していった。
おそらく悪い人ではないのは今までの光景で確かなのだが、
どれだけのちんどん屋なのだろうと、スクアーマの中での彼女は
ピカソの絵画のようにチグハグなものに変容していった。
「……おまたせしました。市長からお通りくださいとのことです。
あとなんか恥ずかしいから爆笑するのをやめろとの……
言伝を預かっております」
受付嬢のガゼルは彼らから目線をそらすと、彼女の視界には浮かんでいるのであろう
市長への通信ウィンドウをしばらく操作し、その後彼女はおずおずと伝言を
二人へ伝えた。
受付嬢は最奥部の最上階エリア直通のエレベーターを指差した。
スクアーマは、笑いすぎで腹筋が攣り苦しそうな渡を介抱しながら
指し示されたとおりの道順を辿った。エレベーターに入り、スクアーマが
ボタンを押した頃に、ようやく渡はシラフに戻った。
「ホントにそんなキャラじゃないんだ……」
「あっはぁ……そーそー。おぇっ気分悪くなってきた……
アイツはマジでそういうキャラじゃないし演説とかヘタで、
代わりに行動で信用を勝ち取ってきたタイプだからなあへっへっひぇ……」
「大丈夫?ゲロ袋あるけど……」
音もなくエレベーターは最上階に到達した。
市長室は100階に位置する。ここは事実上彼女の自宅でもあり
このフロア全てが彼女の私室だった。
それも3000年前と変わらない彼女のこだわりだった。
窓の外は目の眩む高さであり、地平線の先の遠雷が見えるほどの高さだった。
意外なほどごく一般的な一軒家のドアが彼らを出迎える。
「この先に君の昔の相棒が……。なんか緊張してきた。
僕にしたら、雑誌の対談に載るような有名人に会うことだしね……」
「ヘッヘッヘ。そう気を張るなって、クールに行こう、クールにな」
「爆笑してゲロ吐きそうだったくせに……」
渋い顔で見つめるスクアーマに、渡はヘラヘラ平謝りを繰り返した。
そして5秒ほど二人は息を整えたあと、いよいよ渡がチャイムを押す。
クールに行こうと渡は言ったが、かつての相棒が普段どおりである
保証がないので、内心は少し怖くもあった。
「入ってま~す」
覇気のない女性の声がインターホンから聞こえてくる。
その素っ頓狂な返答にスクアーマは一瞬たじろいだ。
しかしその声から、普段通りであることを直感した渡の顔は
一挙にして明るくなった。
「トイレかよ!!」
渡は勢いよくツッコミを入れながら思い切り侵入した。
「ふふ。安心感で言えば似たようなものだろ? 渡」
入ってすぐの大広間には、一人の原種の女性が立っている。
銀髪のややウェーブの掛かったボブカットの彼女は
正しく彼の知るとおりの人間だった。
彼女は優しく二人に微笑み、挨拶をした。
彼女は手にコーヒー入りのタンブラーを持っている。
「まあ……確かにそのとおりだな。へへへ……」
「……おかえり。ちゃんと私を探してきてくれたんだな」
「当たり前だろ? 俺を誰だと思ってやがんだ……」
二人は強く抱擁を交わした。夏樹は手放したタンブラーが
カーペットにシミを作ることを無視して。渡は靴紐が解けている
ことを無視して。
ただいまより先の言葉は、もはや言語に収まらなかった。
スクアーマは舌先を通じて、顔の見えない渡が泣いていることに
気付いた。
そして彼はこの永遠とも思える二人の20秒間を、こっそり
写真に収めておくことにした。
いや~~~バイトが多くですね。インスピレーション沸く前に
まず自分の時間を確保するのに必死だったんですよ。更新遅れて申し訳ないです。
ヒカキンいわく、とにかく毎日やるってのが大事だそうですが
作文だとそうもいきませんね……。