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TRUE WORLD   作者: 猫岸夏目
第一章 牙を剥く過去
7/23

CASE7「-恐れられた者- アフレイデッド」

信じようと、信じまいと―。


   渡が中央図書館の樹の地下で見たのは、夏樹がかつて起動した

  「方舟」の残骸だった。曖昧だった記憶を取り戻した彼は、

  スクアーマとリンに、世界のあらましを語る。

   スクアーマの母、エスカマによって夏樹が同じ時代にいることを

  知った渡は、彼女が治める隣町「ハラエド」で謎の誘拐事件が

  発生していることを聞き、隣町に旅立つことにした。


信じようと、信じまいと-。

  ハラエド市。それは祓戸の大神と呼ばれる、

 ある一柱の神の禊によって生まれた

 多くの神々の総称から来ている。その神々は善しも悪しも存在し、

 また「穢れを清める行為」の総称ともなっている。


  星之宮渡が相見えんとする女性、森山夏樹はその街の長である。

 彼女は3000年前も莫大な規模の企業の長だったため、

 そのガバナンス能力に異を唱えるものがいないことは

 想像に難くなかった。


  昔なら彼は顔パスで彼女に会えただろうが、

 今はおそらくアポを取らねば会えないだろう。

 彼はほんの少し不機嫌になった。


「……てか、なんでお前も荷造りしてんだ?」


  渡はカウチからナップサックに本を詰め込む友に静止を掛けた。


「君と一緒に世界を旅したくなったんだ」

「そりゃ結構だけどよ、俺は別に世界を旅するつもりはねえぞ」

「そうなの?」


  スクアーマは尻尾を僅かに立たせ、目を丸くして驚いた仕草を見せが

 荷造りをする手は止まらない。ウキウキとした様子でどんどん渡の

 鞄の二倍の荷物が詰め込まれていく。待て待てと渡はさらに言葉を重ねた。


「……お前昨日さ、俺がハラエドに行くとしか

 言ってないの聞いてなかっただろ」

「いやそんなこと……」

「ウソつけ、絶対聞いてないぞ。だってお前あんとき、俺から

 週刊誌横取りして読んでたじゃねえか」


  しばらく彼は左上の虚空を見つめて、思い出したかのように「あっ」と呟いた。

 渡が街へ向かうと宣言した一昨日、その宣言の途中から、彼は渡に

 渡された週刊誌をそれとなしに奪い、それから読みふけっていた。

 そのせいでスクアーマは自身の両親と、自らの友人の会話の内容を

 一切覚えていなかった。


「『あ』じゃねえよ……。いいか? お前はこの街の次期町長で一人息子だ。

 他所で何かあったら親父さん達に合わす顔がねえ。

 だいたいだなスーちゃん。俺はアイツんとこに3000年ぶりに帰るだけだ。

 そりゃまあ、ひと仕事はするだろうが、ゲームや漫画みてえに

 各地を行脚なんてしないからな?」

「見聞を広めるのも良いと思うんだけどなぁ」

「そんなの個人の勝手だろ。大体、俺と付き合ったって

 偏ったベクトルにしか見聞も広がらねえと思うぞ」

「ソンナコトナイヨォ」


  突然、あらぬ方向からビブラートともソプラノとも言えぬ

 下手な声真似が二人の耳に飛び込んできた。

 それはスクアーマの父親の意味不明な飛び入り参加の合図だった。


  ゆらゆらと尻尾を揺らし、寝間着のままのレピスは

 絶妙な真顔で彼らを見つめている。

  相変わらず親子揃ってネタに事欠かないキャラだと渡は感じた。


「なあにその、なにそれ……僕の声真似?

 何の用事か全然わかんないんだけど」

「今後うちの息子が不可欠になる場面がかならず訪れるし、

 スーもまた『統治者(ガバメント)の力』を偶然ではなく

 必然的に扱えるようにならないと、真の次期町長とは言えない」


  その言葉の真意を計りかねる渡は、カウチから立ち上がり、

 訝しむように髪を揺らしトカゲの親子に近づき問いかけた。


「それってどーいう意味なんすか?

 そもそも統治者の力って、一体何のことなんです?」

「あー、渡。一つずつ答えるけどさ。

 いろんな意味があるけど……1つ目は水先案内になれるってこと。

 この世界の文化や合意を教えられる。それから他所様に向かって、

 獣人って言わないか見張るのもある。いやーそれと……

 言いづらいんだけどさぁ……」


  口ごもるスクアーマを見かねて、レピスは助け舟を出すように

 咳払いをしてから二の句を継いだ。


「それで二番目。統治者(ガバメント)の力ってのは文字通り統治者でないと

 発揮できない能力の強化状態の事を指す。民に愛され、民を愛し

 土地を愛し、土地に愛される。そしてそれらを願う気持ち。

 この要素が全て重なるとき、その土地と人全てを自身の能力で

 200%支配できるようになるんだ。

 スーくんの場合は、先日の襲撃で一挙に皆の希望が集まり、

 元々の郷土愛と重なり奇跡を生んだ。ということなんだよ。

 だが長たるもの、それが奇跡じゃあ困る。常にそうであらねば、

 気持ちも力も、長という地位に追いつかない」


  彼は丁寧にピースサインで二番目であることを強調しながら

 あたかもプレゼンのように渡に言い聞かせた。


「つまり……そのブーストをキープするための人間力の向上、的なね。

 あー分かる! 超分かる……。それはまあそれで、

 武者修行みてーでやぶさかじゃねえけど……

 一番目についての本当の理由ってのは、一体何なんだ?

 俺が好き……とか無いよな。いや自分で言うと気持ち悪いなこれ……」


  スクアーマは誰にも聞こえないほどの小声で

「それもあるけど」と前置きをした。しかしより重要なテーマを胸に秘めた

 彼にとって、惚れた腫れたの話は無用の長物だった。


「正直この世界の『人間』は、君たちを快く思わない層が多いんだ。

 それこそ刃傷沙汰が起きるくらいね」


   彼や彼の父から笑みが失せたのは、渡のいた過去でも結局解決しなかった

「溝」の話が原因だった。埋まらぬ溝。それは一筋縄ではいかない難題だ。


 少しでも知性ある動物は、イレギュラーを排斥する行動に出る。

 それは合理的な決断でもあり、非合理な決断でもある。

  いずれにせよ快く思わない程度で済まないことくらい、渡もすぐに理解した。


「なるほどな。大体わかった……」


  渡は膝に手をうち、やれやれとため息をついた。

 自らがそうした不合理に合うのはまっぴら御免だった。


「渡クンが我らが英雄であるのはこの小さい街の中だけだからな。

 君の旅にスー君を連れて行ってもらうのは、息子の成長の為もあるが

 君の身の為でもあるんだ。分かってくれると助かる」


  双方の合意というにはあまりにも一方的な交渉だった。

「溝」が未来の果てでも埋まっていないことを知った彼は

 うんざりしつつも、レピスの頼みは別のことと思い了承した。


「いいですよ。全然。この荷物だって、

 あなたが出資してくれなきゃ得られなかった」


  事実、彼は住所不定無職、自称都市伝説専門家という

 あまりにも後ろ盾のない胡散臭い存在だった。偶然スクアーマが発見し

 保護していなければ、彼はいずれ死んでいたか弱い男だ。

 故に気さくな仲であれ、彼が英雄であれ、立場が同じというわけではないのだ。


「グッド! じゃあ荷造りは二人ともそこまでにして、今日はもう寝なさい。

 夜中に開いてるキャンプ用品店があって良かったなぁ」


  彼はニコリと微笑むと、そそくさと夫婦の部屋へと戻っていった。

 時刻は午後11時過ぎ。朝に出発するにはやや余裕のない時間帯だ。

 渡が旅立つことを宣言したのは18時過ぎの夕餉の時。


  レピスは旅立ちの言に「そう言うだろうと思った」と返事をし、

 ある先へ電話を掛けた。それは彼が贔屓にするキャンプ用品店へだった。

 しばしの社交が済むと、彼は渡に「必要なものを貰っといで」と

 語りかけた。


  エスカマも「あそこのオジちゃんは気のいい人だから、

 あなたが原種でも親切にしてくれるわ」と微笑んだ。

 そうした経緯の末、彼は吟味した少々の道具を鞄いっぱいに

 詰め込んでいたのだ。


  彼は部屋のライトの紐に手をかけながら

 スクアーマに気の抜けた声で語りかけた。


「んじゃ消すぞ電気」

「いいよ~」


  眠りの言葉を交わすや否や、彼はハンモックに雑多な毛布を重ねがけして

 失神でもしているのかという凄まじい速度で寝息を立て始めた。


「あんだけ騒いどいて速攻寝れんのかよ」


  渡は眠る前に思考の迷宮に迷い込みやすい質だ。

 逆にその出口のない脳内回廊が彼を眠りに誘う事が多く、彼もまたそれを

 前提に睡眠時間を確保していた。窓の向こうから遠い雑踏と

 話し声や何かの走る音が聞こえくる。


「今日は寝れそうだな」


  渡はそうボヤくと、瞬く間に眠った

 スクアーマを思い出し少し笑みを浮かべてから意識に別れを告げた。




  ハラエド市まではおよそ100キロの道程であり、

 その過程は全て電車での移動となる。ニニギ駅も市街地と同様に

 密林の中突如現れたかのようなデザインをしており

 自然と調和という粋を超えた代物だった。垂れ下がる蔦、

 ソテツと思しき裸子植物たちとさえずる極彩色の小鳥たち。

 人々がいなければ「廃墟」の二文字に相応しい緑地だった。


  ようやくトカゲ人間になれ始めたというのに、

 渡は目まぐるしい数の異種族たちにたじろぐばかりだった。

 犬、猫、豚、狐、狸、鼠、馬……。


  彼はスクアーマの服を数着借りているため、それを着込んでいる。

 おかげで格好だけはチグハグではなかった。


「渡、堂々として。いて当然って顔をして」


  彼にとってはこれが日常だ。だから堂々と歩き続けた

 彼は至って真面目に渡にアドバイスを送り続けた。

  そんなおふざけの一切ないスクアーマに、渡はごくり生唾を飲むしかなかった。

 肩をすくめ、早くこの時間が過ぎないかと目を閉じたりもしていた。


「やっべ……スーちゃんガチモードじゃん……ここで

 そのガチフェイスかよ……」


  濁流のような人混みに、渡は置いてけぼりをくらわないように

 必死にスクアーマに追いついた。途中何度か肩がぶつかり、

 因縁をつけられそうになったが、その全てをスクアーマが眼力だけでいなした。

 凛々しさに重点を置いた眼差しは、正しく年長者のものだった。


  そうこうして濁流を越え一段落した彼らは、キオスクの隣のベンチに着き、

 スクアーマは渡にアドバイスを行い始めた。


「要はあれ。『ビビらず、戯けず、威嚇せず』を守れば

 みんな君をどうとも思わないよ。特に威嚇はNGね。


  スクアーマは手早くキオスクでチョコスティックを買い、

 渡に手渡す。ナッツ入りの良くあるお菓子だ。


  立ち止まっては進み、東から西へ西から東へ行き交う列車は

 まるで大蛇を彷彿とさせる。それらは意外なほど未来的ではなく、

 アール・ヌーヴォーを基調とした美しいデザインをしていた。


「って、テーマパークに来たみたいだぜぇ~

 テンション上がるなぁ~っ!!」


  口角の引きつる渡は早速スクアーマの課した3つのルールを破り

 愚にもつかない冗談を発した。数々の衝撃的光景が

 渡の思考にジャミングをかけ、彼のキャラは壊れていった。

 たまに40か60人に一人の同じ「原種の人間」を見かけるたび

 渡の顔は明るくなった。


「食べ終わる頃には電車も来るよ」

「おお……。さっさと落ち着けるとこに行きてえ……」

「大丈夫! 緊張してると思って、指定席予約したんだ~」

「お前ようやく笑ってくれたな……」


  彼はボストンバッグを膝からおろし、ポケットから

 二枚のチケットを取り出した。


「『トヨアシハラ鉄道』……」

「ああ、少し前に君に『この国は日本だ』って言ったけど、

 それは古い言い方なんだよ。歴史の教科書で読んだことあるけど。

 この国は今、『トヨアシハラ・ナカツクニ』と

 呼ばれている。鉄道は国のものだよ」


  3000年後の現世に伝わっている「日の元の国」の旧き呼び名。

 豊葦原中国。昨日と明日が前後したような呼び名に、渡は

 「また古い名前が伝わっている」とチケットを丁寧に見つめた。


  まさか近畿や四国、東京といった固有名詞が遠い未来に伝わるはずがないことは

 渡も薄々想像していた。しかし、耳にする地名全てが旧き名となると

 彼は誰かの意図を感じざるを得なかった。


  渡されたチケットを見て、彼は再び思索にふけろうとしたが、

 けたたましい電車の到着メロディがその思考を断ち切った。


「ほら!!アレに乗るんだよ!」

「お、おう」


  「ニニギ」「ニニギ」と繰り返す車掌と電子音声に

 渡はここが未来であることを一瞬喪失した。

 そのどれもがかつての「現代」のそれに似ており

 また多少の技術の進歩はあれど、根本的に変わっているのは

 そこを歩くのが「ヒトではない」ことだけだからだ。

 不意に頭をあげる渡をスクアーマはせっついた。


  2人は立ち上がると、お互い自身のボストンバッグを

 肩に提げ、いそいそとゲートをくぐった。

 ゲートにはプラズマのような黄色い線が走っていた。

 スクアーマは躊躇する渡を「大丈夫だよ」とリードした。


「うわっ……!」


  しかし通った瞬間、渡はチケットを落としてしまった。

 彼は振り返りざま異様な事態に気が付き、とっさに声を漏らした。

 彼が摘んでいた側の半分が消滅したのだ。


「ああ~その半券は入り口用の部分だよ。

 このゲートは、まあ、改札でさ。自動で読み取ったついでに

 物理的な券があれば量子分解してくれるんだ」

「え、じゃあただ乗りしようとしたら、俺消えちゃうわけ?」

「いやぁ~それはないよ。線が実体化してバリケードになるだけさ。

 ほら、アレ見てみなよ」


  チケットを拾った渡は、スクアーマの指差す遠くを見た。

 スーツを着た豹の男がゲートの前でゴム紐に弾かれるように後ずさり、

 危うくも体勢を立て直して、困り顔でゲートに言葉を投げかけた。


「ハラエドからニニギだ。ちゃんと行き先を思い浮かべたはずだぞ……」


  まるで国境の番兵を説得するかのように、豹の男は門に話しかけた。

 すると門の規制線は物言わず、元のプラズマの線に姿を変えた。

 男はため息混じりにスーツを整え、その門をくぐり雑踏へ消えていった。


「ね? ああやって普通に使うときは、思い浮かべるだけでいい。

 彼はきっと仕事で、だからいい加減に思い浮かべたんだろうね。

 お金は距離に応じた分だけ消えるから気にしないで済む」


  この世界の鉄道では、念じる行為そのものが「切符」なのだ。

 故に危険行為を前提とした通行は不可能だった。

 渡は考えを改め未来を痛感した。そして

 量子分解の四文字に冷や汗を禁じ得なかった。


  もし間違って人体や臓器を消したらどうするのか?

 全裸になったら? 強行突破したら? 様々な疑問が頭から離れなかった。

  問いに頭を埋め尽くされた彼は、友に案内されるがままに車内を通り

 大きめの座席が向かい合うボックス席へ案内された。


  さすが予約が必要というだけはあり、車両は

 ボックス席4つだけで贅沢に占められており、

 各々が事実上のパーソナルスペースを確保できる車両だった。


「未来、来てるわ~~これ。半端ないってこれ。

 なあこれ見てみスーちゃん訳わからんボタンすげえある」


  渡は飛行機のような上段の収納棚にバッグを置き

 修学旅行生のようにはしゃぎ始めた。スクアーマは

 そんな彼を少し驚かせてやろうと座席の手すりの裏のボタンを押した。


「窓のヘリから机出てきたし……ちょいツッコミ疲れたぞ……」


  窓の底辺、丁度乗客の肘が当たるほどのラインから、

 渡とスクアーマを分断するように一枚のテーブルが伸びた。

 この板もまた、一片の継ぎ目もない場所から現れている。


  それが果てしない技術の髄の一つであることも渡は理解していた。

 そして出発する頃には、同様の技術により床より伸びた

 パーテーションがそれぞれのボックスを遮った。


「次はホログラムのねーちゃんのストリップでもやるのか?」

「それはこの電車にはついてないんじゃないかなあ……

 それに原種でそういう子は滅多にいないよ?」


  ジョークをことごとく大真面目に返された渡は、頭を掻きながら

 もう不必要に質問をしないことに決めた。

 人類はその姿を変え、ブレードランナーかスタートレックのような

 技術を現実のものへと昇華させていた。彼はハァと声を漏らしたあと、

 一旦この世界の技術について考えるのをやめることにした


  渡はふと、ある哲学者の言葉を思い出した。

「人は実現できるものしか想像出来ない」という言葉だ。

 実際は違う言葉だが、渡はその哲学者の意味する主旨をそう捉えていた。

  実在する物体は全てホログラムのようなもので、

「真なる世界」から投影された影に過ぎない、という話である。

 その真なる物体の断片をより理解した瞬間、その片鱗が現界するのだ。

  故に現実世界に完全無欠な物体は存在しないという言説は、

 我々の知る「アイデア」という言葉としてこの世界に息づいている。


「(もしそうだとしたら、上位世界に存在する伝説が実体化するには

 自らの影を物質世界へ映す『依り代《プロジェクター》』が必要だ。

 数式が世界の法則を可視化させるように……一体何が依り代に?)」

「おーい?」

「あ? ああ、ああ……考え事してた。なんか話しかけたか?」

「よかった。急に焦点合わない顔で外みてるから死んだかと思ったよぉ」

「まあ死ぬほど疲れてるけどな。ハハハ」


 渡は出発してからというもの、緑に満ちた世界を赤い髪越しの視界から、

 頬杖をついて眺めていた。友の呼びかけに対し渡は他愛のない笑みを浮かべ、

 その場を繕った。彼が思索に耽る中、スクアーマはババ抜きの準備をしていた。

 カードも全て配り終えたところで、これは2人でして楽しい行為ではないと

 スクアーマは彼に話そうかと考えていた。


「あ、そういやよ」

「なあに渡?」

「なんで『原種』は倦厭されがちなんだ?」

「それは……君たちの一部に……」


 スクアーマがそこまで語りかけた、そのときだった。


「アフレイデッドだーッッ!!

 全員奥へ逃げろ!! 戦えるやつはこっちに来てくれぇー!!」


  先程のスーツの豹男とは違う別のスーツの豹が、叫びながら渡達のいる

 車両に転がり込んできた。その顔は蒼白であり、

 汗にまみれて毛皮も乱れていた。着のみ着のまま逃げたようだった。


「行くよ渡。丁度いい……実戦で知った方が分かる」

「俺たち『人間』はこの世界じゃテロリストなのか…?」


  スクアーマは瞬時に覚悟した男の目つきになり、首を鳴らした。

 そして渡を戦いの場である車両へ手を差し伸べ誘う。

 電車特有のやや重たいドアを、スクアーマが静かに開けはなった。

 まずは様子を伺うことが肝要だ。


「私は神の御名においてお前らを捌きに来た使徒である!!

 この世界はッ!! 貴様らケダモノの世界ではないッッ!!

 速やかに我々人間に降伏せいッッ!!」


  大見得を切るその男はまさしく見慣れたホモ・サピエンスだった。

 男は糞掃衣にもトーガにも似た襤褸を幾重にも羽織り、

 何らかの信者のような姿だった。渡はその光景にショックを受け、

「嘘だろ」と声を漏らしてしまった。おぞましい。彼はそう感じた。


  男のいる車両は自由席車両であり、飛行機のように

 2列、3列、2列と順に席が並び、通路が2つある空間だ。

 男は中央の3列シートの真ん中あたりに位置しており、

 男のすぐ側からくぐもった声が聞こえる。既に男が命令したのか、

 男を中心に乗客は方々に蜘蛛の子を散らすように散り散りになっていた。


「アイツ、人質取ってんな……」


  渡は己が目をサーモグラフィーと為し、その状態を確認した。

 座席の裏から人質の背中の体温、そして男の興奮した赤が伺える。

 彼は緊褌一番、事態の収集に乗り出すことにした。


「あれが俺達の未来の姿か。ド偉い(えれー)クールじゃんよぉ」

「勿論君みたいに高潔な原種もいる。

 でも声の大きいやつがどうしても世間で目立っちゃうんだ」

「いつの世も変わんねーなぁそーいうの。……スーちゃん、

 俺がなんとかするから、隙を伺ってくれ」

「……怪我だけはしないでね」


  渡は必死に動揺を抑え、男に近づきハイと挨拶した。

 堂々としかし威圧せず余裕ある態度で

 悔しさや憎々しさ、恥などの負の感情が彼の心で煮詰まっていく。


  彼は今にも射殺してやりたい気分になっていた。

 一方のスクアーマは平静を装う彼を見守り、あくまでモブに徹した。

 彼の植物の力は、人質まで巻き込みかねないからだ。


「やあどうも」

「誰だお前は?! あぁはぁ……仲間か?!

 お前もこの星の統治者ではないか…!!」


  男はギラついた眼差しを渡に向けた。

 その笑顔はシャブでもキメているかのような邪な笑みだった。

 その邪悪な笑みに吐き気を覚えつつも、彼はネゴシエーターとして、

 彼を刺激せぬよう窓側の席に座り、やや大股に開いた膝で許容の

 シグナルを送った。


  そして男のいる左へ顔を向け、

 社交的な偽りの笑みを演じ続けた。


「ああ。かつてこの星を支配していた『人間』だ。

 会えて嬉しいよ。それで、アンタの望みはなんだい?」

「き、きまっている!! ここに統治者ガバメントを呼べ!!

 そしてこの星の、日本とそのほか国々の統治権を

 我々ヒトに明渡せと言うんだ!!」


  その言動はまさしく誇大妄想型の精神疾患のそれだった。

 確かにかつての地球で人間は支配者であった。

 だがもう代替えの時代だ。彼の言葉を聞き、

 改めて人の世は終わったと渡は痛感した。


  未来の果てで、「人間」はまつろわぬ民へとなり、

 誇りを失い虚実の世界を喧伝しつづける存在と成り下がっていた。

 その姿に彼は盛者必衰の四文字を思い出さずにはいられなかった。


「いいだろう。ベストを尽くしお前を助けてやる。

 だが何にせよ、その……彼?を離してからだ」

「あーお構いなく。僕はこのすごーく熱いコーヒーの

 飲み頃を待っているだけで……」


  人質はイタチを彷彿とさせる獣人の男性だった。

 身なりはパリッとしたワイシャツにベストを羽織り、

 ノーネクタイでだらしない学生のように、第一ボタンを開け放っていた。

 ボサボサの頭部と人質らしからぬ余裕に

「こいつも変人かよ!!」と渡は心の中で舌打ちした。


「獣人は黙っていろ!!」

「あぁあごめんよ本当すまない。いや本当、黙ってるから……」


  男はますますイラつき、イタチ男の声を遮り押し付けている

 銃をさらに押し付けた。イタチ男は構わずコーヒーの様子を伺っている。

 その動きにはどこかわざとらしさが感じられ、

 見るものに真意を感じさせない。


  スクアーマからは、顔を横に向ける

 渡と男の姿しか見えない。しかし彼は舌先からその意図を掴んだ。

 この車両は、人質犯の周囲だけ徐々に空気が冷やされている。

 冷房のせいではない。渡が意図して引き起こしている超自然現象だ。


  しかし緊迫した空気は一転もクールダウンする気配はなかった。


「(渡はヤツの気を鎮めるのと同時に身体の自由を奪うつもりかな。

 一瞬の動作で彼が先手を取れるのは確実になる……。)」


  スクアーマは同種の乗客に目配せし、舌先を集中させろとサインを送った。

 同じトカゲ種はそのサインに気づき、理由は分からないが

 異様にその周囲が寒いことだけに気づいた。


  あの原種が敵ではなく、策を持って近づいたという事を彼は

 乗客に知らせたかったのだ。少なくとも彼が同類ではないことを。


「大事な行いだ。だからこそ、その行為を誰かの血で

 穢す必要はないんじゃないかい?」

「いいや……これは必要な生贄だ。お前も知っているだろう?!

 我々人間の信ずる神は、こいつらは神への捧げものだと

 仰った……!!貴様も知っているはずだ……!!」


  男は震えながら、ぶつぶつと何かをそらんじる間に答えた。

 いわゆる「神」は世界によって千差万別の姿を持つ。

 血生臭い贄を欲する神から、民草の繁栄を望み続ける恵みの神、

 あるいは人々と様々な約束事を交わす契約の神など、

 その存在の数は枚挙に暇がない。男の示す神とは、

 あるいはアステカのそれに似た血生臭い神に似ていた。


  しかし男のいうそれは、世界で最も信じられていた

 存在への教義にも似ていた。結局のところ、遙かなる未来では、

 神という存在は人類と漠然としたギブアンドテイクを行う存在でしか

 無くなっていたのだ。


  曖昧な、錬金術のように犠牲と対価を発生させ続けるだけの

 ロボットのような存在に。それを知らない渡は致命的なミスを犯した。


「あー……それはどの神の話だい?」

「貴様、我らの神を知らぬと言うのか!!

 根本のルーツである我々が信ずる、神を!!」


  この未来世界では、その存在は曖昧な一種になり

 その教えも数少ない原種のために都合の良い教えへと成り下がっていた。

 そう渡は疑問に感じた。夏樹が人類の重要なファクターである

 宗教を未来に残さないわけがない。


  何らかの変遷を経て、まるでエスペラント語のような

「共通神」とでも言うべき神がこの世界には存在するに違いない。


  そう推測したものの、事態はもはや後の祭りだった。

 男は撃鉄を引き、いよいよトリガーに指を置いた。

 イタチ男の腹に弾丸がぶち込まれるのも時間の問題になってしまった。


  最悪の事態を覚悟した彼だが、それも直後に起きた現象に

 霞み飛んでしまった。


「我々は、この獣どモから過去を救わネば、

 なラない……フシュー……

 過去を知り、未来を導く者たチを……

 我々は、取り戻サねば……ナらぬぅ」


 男の顔はあたかも磁器のごとくひび割れを生じ、その皮膚は同じく土塊のように

 剥がれ落ちていく。その奥には更にあらたな組織が構成され、

 誰の目にもそれが「変貌」であることは明らかだった。


「……アフレイデッド。『恐れられた者』の名の通り、君たち原種の一部は

 こうしてゾンビのようなバケモノに変容してしまうんだ。

 全く、困っちゃうね」


 渡やスクアーマ、そして周囲の乗客があまりの光景に絶句する中、

 銃を突きつけられたままのイタチ男は饒舌に解説を始めた。

 彼は肩をすくめて、両手の手のひらを上に向け洋画のような仕草をした。


「な、何お前説明してんだ。お前の隣の野郎……撃鉄を引いてるんだぞ!?」


  渡はもはや繕う意味がないと判断し、普段の乱暴な口調に戻った。

 そしてバレないように凝集していた冷気を一気に男に叩きつけようとした。

 だが男の細胞の変幻は止まらず、その口は口吻に生じ、目は額から5つ

 ボコボコと発生した。ありえない光景、ありえない変貌を前に

 渡はさらに警戒を強める。


  相手は「人間」だが、「都市伝説」相手のように、

 全力を出さねばならない意思を固めた。


「お、オパビニア……!?」


  「昔」、そう表現するにはあまりにも過去の海。カンブリアは

 その海を泳ぐ長い口吻と5つの目の扁平様の海洋生物「オパビニア」。

 獣人の世界で異彩を放つその過去の異形は、ますますの異形を以て

 男の頭部をオパビニアへと変貌させたのだ。


  過去を礼賛するその狂信がカンブリアを未来に呼び戻した。

 もはや拳銃など脅威にならないほど

 その先端にトラバサミのような歯を持つオパビニア男は

 いよいよ危険な存在と成り果てた。


「ああ分かってるよ青年。どうやら僕の人生もここまでみたいだ。

 せめて敬虔な信者殿よ……ベルトを緩める行為を許してくれないか?

 最後の食事の後、腹がいっぱいで少しキツいんだ。

 せめて……楽になってから君の神にこの身を捧げてほしい……」


  イタチ男はなおも冷静に、そして潔い罪人のようにしめやかに

 その行動の許しを乞うた。運命を受け入れた者を、腐っても神を信ずる

 男は、誠実にその要求を飲んだ。どうせそのくらいの動きで、今更状況が

 転じるはずがないとも高を括ったからだ。


  この間、渡はスクアーマと目配せし、

 イタチ男の挙動に気を取られている隙に男を倒す算段をつけた。


「よぉかろお。貴様のぉ、行為を許すすぅ」

「ありがとう。本当に。青年、君も僕を助けに来てくれて」

「静かにしてなオッサン……今助けてやる……」


  渡はオパビニア男の死角、すなわち地面から地対空ミサイルのように

 氷柱をブチこむ用意をした。そのまま小脳を突き刺し、即死させるのだ。


「逝ね」


 オパビニア男が引き金を引くその瞬間。


「あっ。その銃どこのメーカー?」


  イタチ男が意味不明な指摘をした。


「何?」


  瞬間、「程よい温度」のコーヒーが男の膝を勢いよく濡らした。

 紙コップのコーヒーにあるまじき温度が、男の太ももを侵略していく。

 この緊迫した状況でその温度は正しく勝機を導くに相応しいものだった。


「あ”あ”あ”あ”!!??」


  キレるはずだった男は、イタチ男が居合抜きのごとく

 引き抜いたベルトによって顔を拘束され、座席の手すりへ叩き込まれた。

 あまりの高温の液体をぶっかけられた男は、一切の反撃に

 出ることが出来なかったのだ。如何に敬虔な覚悟も脊髄反射には

 抗えない。高温に触れた人間は必ず飛び退く。


  イタチ男の顔は心なしか快楽的であった。

 そして猛烈な斥力で引き寄せられた男の顔は、

 硬いプラスチックのそこへ押し付けられ、ややめげた。


「お客さんに迷惑かけちゃあ……ダメじゃあないか。ん?

 お母さんに教えて貰わなかったのかい? それとも……」


  イタチ男はプレス機のような肘鉄を目にも追えない速度で叩き込んだ。

 さらに間髪入れず、彼は前の座席の下部を思い切り蹴り飛ばした。

 すると「偶然」、前の座席のリクライニング機能のタガが外れ

 一気に男の顔へ覆いかぶさった。


  イタチ男は素早く男から拳銃を奪い、

 正確に天井の荷物収納スペースに射撃を行う。またもや「偶然」、

 大量の荷物が倒れた椅子に落下し、男の顔へ更に圧力を加えた。

 一瞬の出来事だった。


「君の神がそれを赦した?」


  動かぬ男にイタチ男は言葉を続けた。その抑揚はまさしく

 教員が児童に教え諭すような、完全に「上」の存在のものだった。

 渡は気付いていた。


  温度を視られる彼は、イタチ男の前にある

 紙コップのコーヒーの温度が「上がり続けていた」ことを知っていた。

 傾いたコップの中に、その答えが顔をのぞかせている。


「お前……駅弁の酸化カルシウムをコーヒーに入れていたな?

 時間の経った紙コップのコーヒーがあんなに熱いはずがねえ」

「いい温度になるまでが、この作戦の欠点なんだ。

 この男が僕に近づいた時点で、食べきったあとの弁当の発熱剤の一部を

 コーヒーに入れておいた。70度以上はあるかもしれない。

 まあ君なんか来なくても平気だったけどね。

 あ、腹がパンパンだったのは事実。メガ盛りカルビ弁当、

 なかなか美味かったよ」


  オパビニア男は既に息絶えていた。大量の荷物の落下による圧死である。

 イタチ男は全てを見通し、勝てる場所へ席を移動していたのだ。

 本来の彼の席は違う席だった。しかし不穏な男性の影を駅で見た彼は、

 全く自然な動作で今の位置に移動。


  さらに前方の天井収納内部に、山のように荷物が

 入っていたことを知っていたのだ。そのフラップの軋み具合によって。


 イタチ男はあくまでも紳士的に二ヘラと笑いながらも、

 助けに来た渡に詐欺師のような振る舞いをやめなかった。


「お前なにもんだ……?」

「僕の名はウィリアム・J・オッター。オッターと呼んでくれ。

 はじめまして、ミスター星之宮。そしてトカゲのスクアーマ君!!」

周りのもので戦闘を有利に立ち回るのはジャッキー・チェンが有名ですが、

個人的には映画LUCYのほうが厨ニ臭くて大好きです。ベルトの拘束などは

それのオマージュです。評価がなんだか低いですが、脳力ケンシロウみたいな

映画なんで、よかったら見てみてください。

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