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TRUE WORLD   作者: 猫岸夏目
第一章 牙を剥く過去
6/23

CASE6 「世界のあらまし」

信じようと、信じまいと-。


  自身の「郷土愛」によって統治者(ガバメント)の力を手にしたスクアーマは、

 黒い仔山羊の力を召喚し、巨頭オ襲撃による街の全滅を防ぐことに成功した。

 そして辛くも友の覚醒が奏して、都市伝説の撃退に成功した渡は、

 約束通り、リンにこの世界のあらましを教えてもらうことになった。


信じようと、信じまいと-。

  朝まだき敵との戦いはいよいよ終わりを迎えた。

 彼らは部屋に転がり込むと丸一日、

 疲れを癒やすため、溶けるような眠りについた。

 レピスは幸いなことにトカゲ特有の再生能力によって、

 怪我の割に3日で退院することが出来た。スクアーマも倒れた父の姿に

 ショックを受けただけで、怪我事態の心配はしていなかった。


  そうして何もかもが円満に解決した翌日、

 怪異の討伐を成し遂げた渡は、友と再びリンの元へ訪れた。


  彼は最初に彼らが訪れた時と変わらない落ち着いた態度で、2人を出迎えた。

 彼から感じられる本の香りや、図書館の空気に

 馴染んだ穏やかな雰囲気は、渡達の緊張を解いた。


「いやぁ~~……兄貴が破れるとは思わなかったなあ……」


  円状の館長室、その奥手の方に位置する応接間でリンは彼らに出したものと

 同様のコーヒーを啜り、感慨深そうにしみじみと言い放った。

 リン曰く、彼の兄の能力は正確には

「対象の盲点に自分を位置できる能力」であり、

 対集団ですら優位に立ち回れる猛者であったという。


  なのにことごとく襲撃を受け、奇襲に甘んじることとなったのは、

 ひとえに相手の異常性からであったとリンは結論付けた。リンは悔しいというより、

 何故という顔をしながら、疑問を強調して言葉を続ける。


「聞く話では相手は人型じゃないか。それなら盲点はあるはずやよ?」

「………えーっとそれは、俺への質問すか?」


  投げっぱなしの質問に対し、渡が自らを指差しおずおずと

 解答を引き受けようとした。彼はスマンと言いつつも、答えてくれる

 ならと渡に解答権を渡した。

 木漏れ日の煌めくなか、彼は咳払いをして1つの仮説を提示した。


「盲点は脊椎動物が進化する過程で発生した数少ない弱点です。

 弱点と呼べるほどの欠点ではないですがね……。

 まあ疑問に感じたのは……彼らから、

 僅かに磯臭さを感じたことですね」


  渡もスクアーマも、血の匂いと木々の香りに隠された

 異形の匂いを感じ取っていた。それは潮の香りである。

 渡はその正体に対し、おぞましい妄想をその脳裏に浮かばせた。

  巨頭オの正体とは、陸に上がったインスマウスの一種ではないかと。


 奇妙な頭部の揺れ動き、尋常ならざる冒涜的な挙動はまさに

 軟体動物のそれだったからだ。頭足類、すなわち蛸の類いに盲点は

 存在しない。


  推測に推測を重ねれば答えは導き出せたが、しかしそれを裏付ける物証もなく、

 彼らは「クトゥルフ」の伝説を知らない。渡は言葉を続けようか思案を続けた。

 すると、その静寂に耐えきれないかのように、

 スクアーマが間の抜けた笑みをこぼしながら口を開いた。


「僕も台所で嗅いだ気がするなって思ったけど、海の匂いだったのかあ。

 まああれだけ気持ち悪かったら、種が違ってもおかしくないよねぇ~」

「森のなかで磯の香りか。本当に奇妙な侵略者だったな。

 まったく潮~がない相手だ」

「う~~~~~ん……オジキ、68点!」

「スーちゃん?点高くない? 大丈夫? 評価ガバだよ?

 その俺に向かってのサムズアップの自信はどこから来てんの?」


  渡は唐突なリンの便乗に飲み物を吹き出しかけつつも、ため息を付き、

 オヤジギャグの後特有の沈黙に、彼は身を委ねることにした。

 これ以上恐ろしいものの存在を語り、その存在に力を与えてはならなかった。

 彼らの匂いが台所の匂いのままであれば、「インスマウス」もまた、

 スーパーの鮮魚コーナーと同類の存在である。


  このまま大喜利を続けてくれていたほうがよほど平和的だし、

 畏れをパワーの源にしている怪異相手には有効打だ。

 そう渡は考えていた。


  小鳥のさえずりが聞こえるだけの本当に静かな時間が流れていた。


「ま! 済んだ話をぐちぐち言ってても仕方ない! とりあえず

 渡クンの頼みを聞くとするか!」


 リンはこの途切れぎみの会話を、目の醒めるような

 サッパリとした声で切り替えた。深く考えないことが、彼の処世の1つだ。

 思考のるつぼに入らないライフハックは、彼のような読書家にこそ

 必要なテクニックなのだ。


  リンは勢いよく膝をパンと叩き立ち上がると「どいてどいて……」

 と呟きながら彼らを席から引き離した。そして背後に鎮座する

 観葉植物の前にしゃがみ込むと、土の中におもむろに指を突っ込んだ。


「たしか君の願いは、自分がどこから来たのか、ワシらがなぜ

 この世界に存在するかだったよな? 残念だがその答えは書物に収まらない。

 そのかわり、今からその答えの『場所』へ案内してやろう」

「うわ~これみるの数年ぶりだよ~。良かったね渡!

 君が知りたがってた君自身のこと、分かるかもしれないよ!」

「えっ!? スーちゃんが知ってる場所にあるのか?」


  スクアーマは童心に満ち溢れた表情でその動作を見守っている。

 何が起こるんだと渡は戸惑いを隠せなかったが、その感情はすぐに

 ツッコミの動力へ転換された。


  リンが観葉植物の土の部分に指を入れると、

「カチッ」という軽い音が響いた。その直後、足元を震える機械の音が

 鈍く響き机が徐々に収納されていく。

 その突拍子もない光景に渡は半笑いしか出来なかった。


「えっ! えっちょっと何これ、何なんですかこれマジで……」


  椅子は折り畳まれ、机は下に潜り、床面より低い位置に片付けられると

 静かに横へスライドして姿を消した。その光景にただワクワクしているのは

 彼らトカゲの2人だけだった。渡は小声で「えぇ~…」と呟いた。


「えっ、誰も説明を……」

「ほら、見てないでこっち来て。

 階段は急だから踏み外さないようにな、渡クン」

「あ~……説明はなしの方向っすねこれは~」


  その特撮番組のような収納を目の当たりにし、渡は飲み会をする

 大学生のようなバカっぽい驚嘆を繰り返した。それを予見したかのような

 二人のスルー力に、渡の語彙力もいよいよ下がる一方だった。


  明るい色調の白い表とは打って変わり、机サイズのあなぐらには、

 打ちっぱなしのコンクリートの壁面と、その壁に埋め込まれた

 照明だけがぼうっと光るのみだった。その光も、虚ろに光が灯っていると

 形容していいほどの心もとない光だ。記憶への降下を意味するこの穴は、

 あまりにも現実から切り離されていた。

  動揺する渡をよそに、二人は螺旋階段を先んじて降りていく。


「4階の館長室に来るその途中に、太い幹があっただろ?

 それがこの階段になる。それから……繰り返しになるけど、

 渡クンには本以上のものを見せるつもりだ。

 本も所詮……伝聞かあるいは作者の見聞にすぎない。

 もちろん本を貶めるつもりはないし、愛してやまないのも事実だ。

 ま……ワシが言いたいのは、大事なものはキチンと

 自分の目で見ろということ、だ」

「え、オジキ……『あの場所』が彼に関係すると思ってるの?

 僕がたま~に遊びに行くあのガラクタ置き場が……」


  地下への道を進むたび、リンの声がいつもの調子から、

 何か決断をするときの男の声に変わっていく。好事家が自らのお宝を

 見せるのとはわけの違う声色で、口の開き方もまるで癌の告知のように

 重々しいものだった。スクアーマの先程の言質も重ねれば、他人には

 さして重要でない雰囲気の場所なのだろうと渡は思った。だとすれば

 それが一体どういう場所なのか。渡には想像もつかなかった。


  渡はこの時代が未来であることしか大雑把にしか分かっていない。

 彼は正確な事実に触れる覚悟を決めなければならなかった。

 今がいつで、「あの後」何が起こってどうして「彼ら」が存在するのか。

 その答えを、リンは知っている。


  3階、2階、1階、地下へ地下へと階段は伸びていき、いっそのこと

 このまま果てがなければ良いのにと渡が感じるほどの長さだった。

 しかし渡の妄想も始まらぬうちに、いよいよ真実の扉は彼の目の前に現れた。

 彼の呼吸が2人より乱れているのは、恐怖によるものだ。赤い鉄の引き戸。


  扉には「立入禁止」を示すアイコンが貼られており

 ぼんやりと輝くネオンの緑がチカチカと点滅している。


「ここは用がない限り封印しているから、

 埃くさかったら我慢してくれ。……さ、開けるぞ」

「待ってくれ!」


  渡は戸を引こうとするリンの手首を不意に掴んだ。

 その顔は怖れに満ちていた。リンは渡の震える声

 とその眼差しを見て彼の心境を察した。


「本当のことを知るのが怖いのかな。渡クン」

「そうじゃないんです。……いやそうだ。怖い。怖いですよリンさん。

 俺の望んだ通りの答えなんか、きっと有りはしないだろうから」

「……。そういえば、ワシの才のことをまだ話していなかったな。

 その話を聞きながらなら、開けても構わないか?

 君の怖れへのフォローになると思う」


  そう続けると、リンは手首を離してくれという目配せをした。

 悪いようにはされないと意図を汲んだ渡は素直にそれに従い、

 リンは改めてゆっくりと扉を引く。彼の告白に耳を集中させることで、

 渡は少しでも不安を和らげることにしたのだ。


「ワシの才は『対象の善し悪しを見分けること』。

 といっても曖昧で漠然としててな。敵意や悪意のある場所や人、その他諸々

 ネガティブなものに対しては、やや色がくすんで見えて、

 その逆は明るめに見えるだけの、電卓に毛が生えた程度の便利能力

 でしかないし……歳取った今ではそれすら当てにならん」


  言葉が一つ一つ紡がれる度に、次々と照明が付けられていく。

 パチンパチンという音と共に、事実が明るみになっていく。

 それらはまるで発掘現場にあるようなやや大きめのワイルドな照明だ。


  スクアーマも彼の言葉の速さに合わせるようにその行為を手伝った。

 文字通り徐々に明るみになる事実に対し、

 渡の意識は急速に目の前の光景に吸い取られていく。


「だが……そんな雑な能力が一度だけ、久しぶりに

 頭がクラクラするほど反応したものがある。それがこの図書館のある土地だ。

 地面のそこから湧き上がる、生気そのものとも言える鮮やかなオーラが、

 この一帯から吹き上げていた。本当、ビックリしたよ。

 仏様でも埋まってるのかってね。スーくん、そこのブレーカーを上げてくれ」


  オジキの指示により、スクアーマが一番大きな照明群を司る

 ブレーカーを上げた。バキともガコンとも違う、鈍い鈍い音が、

「どっこいしょういち」というスクアーマのしょうもない掛け声とともに響いた。


  その短い瞬間を、渡は「トカゲにも仏様という概念はあるのか」という

 とりとめのない感想で頭をいっぱいにして、怖れをごまかそうとしていた。

 だがそうした抵抗もいよいよ照らされる事実の前には儚いものだった。


「これは……そんな………こんな近くに……!!」


  渡にとってのその事実は、彼を感動に打ち震えさせ、

 泣き崩れさせるに十分なものだった。その一際巨大な照明に照らされるもの

 とは、あの「時の方舟」だった。きっと恐ろしく時間が経っている

 はずだと渡はまず感じた。


  この地球に人間とは全く違う種が再び歴史を築く時間とは、

 一体どれほどの時間なのか。しかしその相応の時間の経過をまるで感じさせない

 ただの廃屋のような有様は、正しく時の名を冠するに

 相応しい矛盾だった。


  辺りに山と散らばる、壊れた多種多様な時計の数々。

 どういう仕組で動いていたのか分からない、幾何学的な模様にしか

 見えない機械群。そして「種」を未来に運ぶための数百の培養槽。

 役目を終えたそれらをみて、渡の多くの記憶が蘇った。


  そしてそれらのなかに一つ、彼の記憶の中に確かに残る寄す処(よすが)があった。

 それを見るや彼は崩れ落ちた。数分の間しずかに

 肩を震わせ続けた。その静かなときに口を挟む無頼は誰もいなかった。

 ただ彼の言葉が紡がれる次を、リンとスクアーマは彼の背後から待ち続けた。


「このクソメルヘンな時計……。俺と夏樹で買いに行ったものだ。

 全っ然趣味じゃないって理由でアイツがOK出して買ったんだっけ……。

 ったく、とんだひねくれ者だよなぁ……」


  ようやく立ち上がった渡はふらつく足で時計の墓場に歩み寄り、

 そこから一つの時計を拾った。それは一つの小さな壁掛け時計であり、

 1時間毎に小さな陶器の天使が左右から現れてはキスをするだけの

 簡単な仕掛けのものだ。しかしその天使も片割れが退場寸前のところで

 瓦礫の中に放置されている状態であった。


  渡はくるりと2人の方へ踵を返し独白を始めた。

 その顔は涙でいっぱいだったが、何かを託されたような者の顔でもあった。

 そして彼は、意を決したように全てを語り始めた。


「『プロジェクト・マイトレーヤー』と名付けられた一連の計画は

 もはや科学の範疇に収まらねえ、SFみてーな話だった。

 その中枢を担うのが……この、『時の方舟』だ。

 マイトレーヤーってのは弥勒菩薩のことで、はるか未来であまねく

 人類を救済する存在。……伝承が実体化する現象が

 ピークに達していたから、名前を借りるだけでもこのプロジェクトに

 成功の可能性を十分に託せたんだ。この時計を買ったのは、

 西暦2050年の夏の暮れだった……」

「5067……。渡クン、古い暦で言えば今は5067年になるんだ。

 その暦のカウントが分かっているのも、原種達がその歴を

 使い続けているに他ならない。たまたまこの町に彼らがいないせいで、

 渡クンは知ることが出来なかったんだよ」

「ご、5000……。てことは3000年もこの世界は馬鹿げた

 怪物どもに脅かされているってことかよ……。んで、まあ……

 夏樹は、ある事例を解析しそこから一つの事実を見つけ出したんだ。

 それがお前ら……あえて「獣人」という言葉を使わせてもらうが、

 獣人としての人類の誕生につながったんだ」

「それってまさか、君の知り合いが僕らの創造主だってこと?」

「まあ……事実上そうなるな」


  あまりの情報の多さにスクアーマは動揺の笑いを浮かべていたが、

 すぐにそれが真実だと直感し、徐々にそれも失われていった。

 渡の「そうなるな」の一言の軽さがむしろ、その事実に重みを与えた。


  夏樹は常日頃、彼に人類がいかにか弱い存在かを語っていた。

 彼女はヒトは「ホモ・サピエンス」の一種しかおらず、

 なにか致命的な病や何かが発生すれば必ず絶滅するだろういうことを、

 何度も彼に語り聞かせた。


  しかし伝承の実体化が実際の原因とは、天才の彼女でも予見できなかった。

 故に彼女はその救済の手段を選ぶ余地がなかった。

 選民的な救いの手段を取るしか無く、そのことを彼女は後悔していた。


「あの連中とやりあってるときに話しただろ? スーちゃん。

 人間は自らの滅びを語る生き物だってな。太古の昔はそれこそ、

 戒めとしての滅びの予言だった。でもだんだん、

 科学が信仰を殺していって、それからは誰も『戒め』に耳を傾けなくなった。

 伝承はただのコンテンツか、良くてイベントになってしまった」

「それが人が今、ほんの少数になってしまった理由?」

「そんなに少なくなってんのか? でもまあ、

 それが理由かと聞かれればそうだろうなと思うよ。

 人類もさ、終わるにせよ全員が助かるトゥルーエンディングを

 思いつけばいいのにな。どこの伝承を漁っても、

 誰かが遺され、選ばれた誰かが生き残る。そう決まっていたんだ。

 そしてそれが現実になっちまった」


  渡は咳払いを一つし、ひび割れた培養槽を撫でながら言葉を続けた。

 その歩みはアルバムをめくるように丁寧なもので、

 一歩一歩を彼女との思い出を噛み締めているようだった。


  リンは近くにあった岩に腰掛け、まっすぐ渡を見つめ続けている。

 その眼差しは優しくも、やはりここは彼のための場所だったかという

 納得の眼差しであった。


「あいつは世界に先駆けて、倫理上NGとされていた

 新たな生命の研究をしていたんだ。夏樹はお前ら『獣人』のことを、

 『Homo(ホモ)Parabestiaパラベスティア』と名付けた。

 そりゃあもう、人類悪だの地獄に落ちるだの散々言われてたっけなぁ……。

 そして同時に、生体量子コンピュータによる深層学習システム『ラプラス』

 の完成も急ぎ、世界中の知恵を来たるべき世界へ残そうと画策したんだ」


「ラプラス」という言葉に、スクアーマは思い出したように目元を触った。


「そう。最初お前がその機能を使っていた時は驚いたが、

 無事に未来に伝わっていたんだ。

 ……どーいう過程で未来に残された種子であるお前らが、

 近代的な生活を手に入れたのかはここでは聞かねえ。だがこれだけは言える」


  渡は片割れの像を握りしめ、ゆっくりとスクアーマに歩み寄り、

 彼の手を静かに持ち上げ、その手に握らせた。

 彼の手は滑らかともしっとりとも違う、蛇のような質感を渡に与えた。


「お前らはこの世界の希望だ。

 それから……これはアンタが持っていてくれ、スーちゃん」

「こんな大事なものを……僕で良いのかい?」

「スーくんじゃないとダメだよ。貰っておきなさい」

「オジキ……。分かったよ渡。君と君の知り合いが託した未来を、僕が紡ぐよ。


  スクアーマは渡された天使の像を、生まれたての動物を抱くように受け取ると、

 大切に懐にしまいこんだ。その授与の儀が終わったところを見計らい、

 リンは感傷に浸る2人に言葉を投げかけた。


「……さて渡クン。ワシの才の話がまだ途中だったな」

「ハハハ……、話が盛り上がる前に、これ、見ちゃいましたからね」

「さっき言ったように、『善い』ものは明るい色に見えると言ったが、

 それが同じ由来をしているかどうかもついでに見分けられるんだ。

 良き親とその良き息子が同じ明るさに満ちているのが分かるようにね。

 ……ではここで一つ、君に質問をしよう。渡クン。

 『なぜここが君と関係があると、最初から分かっていたと思う?』」


  リンは目を細め、ほとんど答えに近いヒントを述べながら言葉の綾を紡いだ。

 あえて疑問形にすることで、彼が良き存在であることをリンは

 ハッキリと彼自身に自覚してもらいたかったのだ。


「……その目がくらむほどの『善き光と同じものが、俺からも視えたから』。

 ……ですよね。自分で言うのも恥ずかしいですけど……」


  渡はリンの意志を感じ、その礼に応じた。

 するとリンはひどく満足そうな顔をして、

 彼を思い切り抱きしめた。数刻のハグの後、彼は渡の両手を強く握り、

 激励の言葉を投げかけた。


「その通りだ渡クン!! 君はこの町をスーくんと共に

 守った英雄だ!二人とも本当に感謝しているよ!!

「いや…そんな事ないですよハハハ……。

 諦めかけていた俺を励ましたのは彼だし、

 スーちゃんこそこの町の英雄ですよ」


  リンは何度も握手を上下に振りながら感謝の意も述べた。

 噛みしめるように言葉を力強く発し、その言葉に偽りがないことは

 誰が見ても明らかだった。


「そう謙遜しなくていい。お互いがいなければなし得なかったことだ。

 君たちは2人でヒーローになったんだ。渡クンがそう思わなくても、

 偽善でも、行動が2人を英雄にしたんだよ」

「お、俺が英雄……。この俺が?」


  彼にとって、英雄の二文字は、何よりも重要な言葉だった。

 伝承が実体化する前から彼が所持する才能は、幼き頃より奇異の目に晒されていた。

 テレビや雑誌、ネットの噂が彼を取り巻き、それは幼き彼に対しての

 強烈な洗礼となった。家族の記憶や、幼き日の記憶が抜け落ちている

 彼は、生まれついての孤独を過ごしていた。


  しかし孤独が人格を曲げようとしても、彼を支えるたった1つの存在がそれを

 許さなかった。その存在とはテレビの中で、

 決まって日曜日の30分間だけ世界を守る「英雄」のことである。

 敵と同じルーツの力を持ち、しかしその力を人類の自由のために振るうその姿は、

 彼にとっては少なくとも現実だったのだ。


  その英雄は彼が高校を過ぎた頃にとうとう「終了」してしまったが、

 彼らは彼の心に「英雄とはなんたるか」の信念を刻んだ。


  だが、実際に英雄的な活動に身を投じるようになってから、

 彼の心は荒み始めていた。秘匿的に行われる都市伝説狩りに、

 賛辞を送る者は皆無に等しかったからだ。


  彼に正義を教えた英雄たちも、孤独の中数少ない仲間とともに

 悪と立ち向かっていったが、現実はそれより厳しかったのだ。

「星之宮は予算の無駄」と夏樹にせまる株主たちや経営パートナーたちの

 顔を渡は何度も見てきた。


 酷いと、訳の分からぬ宗教団体から名指しで批判を受け、

 罰当たりなどとも揶揄された。そうした経験が

 彼の心の光に陰らせていったのだ。


  しかし今、その活躍に謝辞を述べる者が渡の目の前にいる。

 それは彼の知る「人類」ではないが、そんなことは些事に過ぎなかった。

 認められる、という事実は彼の心に再び火を灯すに十分な光明だった。


「俺にそんなことを言ってきた『人間』はあなたが2人目ですよ。

 まったくもう」

「僕も頑張ったのに~オジキ渡ばっか褒めてずるいよ~」

「分ぁっとる分ぁっとる。お前が彼を助けた慧眼があってこそだ。

 スクアーマも本当によく頑張ったなァ……」


  渡の目は髪の色と同じくらいに充血していた。

 彼は泣き笑いながら、冗談めかして2人につっかかった。


  のちに彼らはスクアーマの

 「ここにはティッシュがないから取りに帰ろう」

 という間の抜けた提案によって、「時の方舟」を後にすることにした。


  渡はいつまでも、誰かに背中を押してもらわなければ

 ここに留まってしまいそうな気がしていたため、

 彼の些細な提案が渡を現実に戻す呼び水となった。


「さ、戻ろう渡。もう母さんがご飯を作ってる頃だ。

 パパももう戻ってるだろうし、一緒に退院祝いしよ?」


 スクアーマは無邪気に、その緑の鱗の覆う手を渡に差し出した。




  渡には家族がいない。そして過去もない。

 離婚や虐待、諸事情による無戸籍とは違い「存在」した形跡がないのだ。

 彼はいつの間にか行政を介し、児童養護施設で人生の前半を過ごしてきた。


  彼が夏樹といた時代では、個人情報は事実上丸裸に等しい存在であり、

 大学にいた彼を夏樹はリクルートしてすぐに、その経歴を洗った。

  私兵にも等しい従業員数を抱える彼女にとって、

 その程度の過去の探求などお遊びにもならないはずだった。


 しかしその行為は、後に彼女の数少ない「全然ダメだったケース」の

 一つに加えられることになった。


  彼には良い家族も、悪い家族も理解できなかった。

 インフォメーションとしての家族の情報は、彼の心になんの足跡も残さない。


  それでも、今彼の目の前に広がる「団らん」は、

 彼の心に「良い家族」とはこんなものなのかという

 感情を抱かせるには十分なものだった。


「パパって怪我多いけど、全部完璧に治るから

 かっこいい傷跡とか全然ないよね」

「ワシらの種族がそうなだけで、あー、ほれみろ!

 渡くんなんかまだ目が赤いじゃないか!」

「いや、それは……。ただスーちゃんやリンさんに

 泣かされっぱなしだったからですよ」

「何!うちの息子がこの街のヒーローを泣かせたのか!!

 さてはスー、お前ヴィランだなぁ!?」

「ムヮハハハ!!世界は我の思うがままよ~!!」

「アイアム、ユアマザーァ……」

「ママ〜、そのネタ3度目~~~~!」


  常時ハイテンションの家族模様に、彼は取り残され気味に静かに食事を続けた。

 酒でも煽っているのかと思わんばかりの上機嫌ぶりに、傍で聞くだけの

 彼も自然と笑みがこぼれた。父親がボケ、息子がボケ、妻もボケる。


  渡は高画質な大画面テレビで、アフリカの大地でも

 見ているような気分になっていた。彼にとって家族とはそれほどの虚構だった。

 

  しかし文字通り「笑顔の絶えない家庭」が存在することを知った今、

 彼は動揺を隠せなかった。

  普段の饒舌さを失い、「アッハイ。アッ、ソッスネ」の相槌を

 打ち続けるマシンと化していた。


「なんだ渡くん。本当、具合悪いのか?」

「あぁ、パパ。今日は色々大変なことを知る日だったから疲れてるんだよ」

「おおそうかぁ。そりゃ蚊帳の外にして申し訳なかったなあ」


  レピスはテーブル越しに渡の頭を乱暴に撫で、「すまん」を何度も繰り返した。

 そうして徐々に彼ら家族の時間は落ち着きを取り戻すと、

 再びレピスは熱燗に手を伸ばし「あっつ」と口走りながらも手酌を始めた。


「こういう雰囲気、慣れていないんだろ?え?」

「ええまあ……その、家族がいないもんで…」

「ああ……そりゃ、ああ……。あれだな。うん」


  さすがのレピスほどの口達者でも、そうした気まずい返答に対し即座に

 フォローを返すことは男の彼には難しいケースだった。

 こうした心の陰影に機敏であるのは彼の妻であるエスカマのほうだった。


「でも、あなたには育ててくれた人とか、愛してくれた人がいるんじゃないの?

 あなたのそのおせっかいなところなんて、孤独な人には出来ないはずよ?」

「俺は当然のことをしただけで……。ええ〜まあ……もちろん。

 そういう人は確かにいます。夏樹っていう、変わり者で物質主義者だけど、

 確実に『正義』ってやつを理解している人が一人います」


  彼は家族に対しての渇望を感じると、いつも夏樹に対し

 罪深い感情も湧き上がっていた。彼女もまた彼を愛していたのは、

 彼は随所で感じ取っていたが、どうしてもその唯物的な彼女の思考に

 愛を疑わざるを得なかったのだ。


  人類を救ったのも、種としてここまで短期間で栄華を極めた

 動物を捨て置けないという考えからなのか、

 それとも慈愛から来た真の行動なのか渡には及びもつかないままだった。


  一度だけ、渡は彼女に「自分を愛しているか」を訪ねたことがあった。

 彼女は彼にこう答えた。「君は幸せになる権利がある」と。

 その時の彼女の顔は、とても穏やかだったと彼は記憶に留めていた。


「いいじゃない! そういえば、あなたはその夏樹さんを探しているのよね」

「ええそうッスよ。アイツは別れる直前に『探してくれ』と言ってたんです。

 アイツのことだから、比喩でそう言ったはずはない。必ずこの時代にいますよ」

「その人なら……いるわよ? ほら」

「……は?」


  作品によっては、「果てしない時の旅ではぐれた相棒を探す」

 という行為だけでワンクール以上作品が作れるだろう。

 だが彼の場合、それは友人の母が布製の雑誌収納から

 取り出したる週刊誌でその目的は果たされてしまった。


  渡が目を白黒させているうちに、エスカマは丁寧に

 件のページを開いて渡して寄越した。


「『週間春 夏季増刊号~STソリューションズ 森山氏 特別対談収録~』

 ……えっ、マジで?」

「そうそうこの人下の名前『夏樹』なのよ。

 あなたの探してる人の苗字って、『森山』?」


  エスカマに渡された雑誌の対談コーナーを彼はねぶるように読み込んだ。

 それは近視の人や、棟方志功を思わせる食いつきっぷりであり、

 その様子を見てレピス達は無言の意図を察した。


  その雑誌に載る銀髪の黒目の大きい美女が、

 彼の探している「夏樹」であることを。そして彼女は対談の中で、

 やはり「フォークロア」についての言及を受けていた。

 彼女はモノクロでも、人を見透かすような深遠な眼差しをしていた。


「あの、隣町の『ハラエド』でも奇妙な事件が発生しているんすか?」

「おうとも、渡くん。その街は『夜を奪われた街』と言われていてな。

 市長でもある彼女が敷いた夜間外出制限令で、

 一部の人間以外夜間外出が禁止されてるんだ」


  レピスは渡に、隣街の詳細を事細かに語った。

 彼と雑誌の言うところによれば、15年前より「ハラエド市」では

 誘拐が夜間にのみ頻発しているという。被害者は

 男児から顔立ちの良い30代までの男性。誘拐の現場には

「長身すぎる触手の生えた男」の目撃情報が絶えないという。


  渡は語られる真実を聞くうちに、だんだんと普段の熱意を取り戻していった。

 この街のように、ハラエド市でも罪のない人間が、畏れに脅かされているのだ。

 思い煩うことが無くなり、この世界のあらましが分かった以上、

 彼の心は、決意に満たされていた。やることは1つしかない。


「レピスさん、エスカマさん。スクアーマ。

 ……俺は明日、ハラエドに行きます――!!」


  雑誌をスパンと畳むと、彼は輝くような眼差しでレピス達に言った。

 彼は今再び、この世界で英雄となる決意を固めた。


弥勒菩薩が現世に降臨する頃、地球は赤色巨星になった太陽に呑まれ、

灼熱の大地と化してしまうそうです。実際その降臨日時である数億後(?)は

単なる記述上の例えだと言う説もありますが、それを知る由はないでしょうね。

もし人類が宇宙船とかに逃げていたら、そこに来るんでしょうか……。

そして次回より「ハラエド市」編です。夜の無い街のイメージは、

銀河鉄道999のある話からインスパイアされました。

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