CASE4「-巨頭オ- 震える頭 その1」
-信じようと、信じまいと。
この世界が一体どういうものなのか。それを知るために、街の中心部にある巨大図書館の樹に
訪れた渡とスクアーマ。渡はそこで、スクアーマの叔父リンに
「知りたくばこの街の問題を解決せよ」と正式に仕事を依頼された。
自らの世界のあらましを知るため、初めての友が愛する街を救うために、
事件解決に乗り気な渡だったが、慢心で彼は真の敵の影に気付くことはなかった。
-信じまいと、信じまいと。
「パパ!! ねえパパ!! 目を覚ましてよ!!
なんで……渡、どうして……」
「こちらチームエコー。隊長が負傷した。
各隊員も身動きができない状況! 至急救援求む!!
繰り返す、『スクアーマの親父さんが倒された』!!」
葬儀のような雨の降るまだ暗い朝。郊外で発見された彼の父親は、
「鉈」で袈裟斬りにされた無残な姿だった。
予断を許さない状況だが、幸いなことに迅速な対応で救われる程度の重症だった。
彼がトカゲであるからこそ、その特に堅牢な鱗が力任せの殴打を防いだのだ。
「人間」なら即死である。
とはいえその傷はあまりに深く、またスクアーマの心の傷も深かった。
「ろくろ首は武器を持たないはず。持っていても脅威になる程度ではない」
そう渡は彼の父に伝えた。昨日の夕餉の時に。
「まさか息子の新しい友達が『原種』とはなあ!
いや、本当人生何があるかわからんもんだ!ハッハッハ!!」
酔いが回り、豪胆に笑うスクアーマの父親は
一見瘦せぎすて見えるが、恐ろしく鍛えられた機能美の体の持ち主だ。
彼が一度本気になると、同種の目でも追うことは難しいという。
それは単純な速度の話ではなく、そういう「才」があるかららしい。
彼の父親は名を「レピス」という。
そのルーツは、スクアーマそしてリンと同様鱗を意味する
古代ギリシア語であり、親世代は旧的な由来に通づるのだろうかと
渡は疑問に感じたが、口には出さなかった。
黒ビールのようなものを次々と胃に放り込み、「もうないよ」と
彼の妻が嗜めるその様は、よくある日本の家庭のようだった。
街中同様のアジアンテイストを加えたダイニングに、
上品な色合いの机と椅子と細やかな飾り物少々が、
無骨であるはずのむき出しの暖色照明が、空間に華を添える。
渡とスクアーマは、彼の両親と向き合う形で食卓に並んでいた。
「どうだこの街は! なあ、楽しいかあ?!」
「すっごい楽しませて貰ってます! あ、自分酒は飲めないんで……」
「オヤジ」の酒注ぎを渡は機敏なフォローアップでごまかし、
断り続けた。渡は彼に、彼の望む最適な温度の酒を
出し続けることで話を逸し続けたのだ。
「あなた、『原種』なのにそういう力があるのね。
いちいち暖めたり冷やさなくて便利~」
彼の奥さんが、渡に微笑みかけた。
スクアーマもまた流線型のフォルムだが、
彼女はより女性らしい柔らかなフォルムであった。
その名を「エスカマ」といい、やはり鱗の別呼称が
由来だ。食卓に並ぶのは彼女の気合の品々である。
やはりこの街は東南アジアっぽいという、渡の漠然とした
トカゲたちへのイメージは当たっていた。
彼女もまたそうしたスタイルの服を身に着けていたからだ。
甘辛い名称不明の鳥の唐揚げや、名称不明のサラダ、
薬草の匂いが妙にマッチする名称不明のスープなど、
どれも渡にとって未体験のフレーバーが多かった。
しかし、それらを口に運ぶ子と父の様子を見ていた彼は、
それらが美味いことを、食う前から分かっていた気がした。
「俺らの種は今も無いんですか? そういう力。
まあ元からほぼいなかったに等しいですけどね」
元々超能力者なんてものは、シンギュラリティ以降ますます
その数を減らし絶滅寸前だった。ナノマシンも珍しく無くなった時代では、
いかにマジシャンが袖を捲くろうとも、その技量が高い
証左にはならなくなっていた。
だからこそ彼の時代では、マジックの世界はほんの一握りの
超絶技巧の持ち主だけが飯を食う世界になっていたのだ。
だが、彼の力はマジックではない。
「じゃああなたのは具体的には何をする力なの?」
「それ僕も知りたーい。なんか前会った時はなんか色々冷えてたけど、
さっきはパパのお酒あっためてたよね?」
彼はスクアーマには既にその片鱗を見せていた。
しかしそれは敵対していた時のものであり、
今は柔和に、その力の全容を語ることにした。
「夏樹は、ああ俺のパトロンみたいなもんですけど。
彼女は俺の力を『マクスウェルの悪魔』だと呼んでいましたね。
冷気と熱気を分別する力です」
渡の特別な力は、かつて200年来人類を翻弄し続けた思考の悪魔、
「マクスウェルの悪魔」に由来する力である。
言うなれば超高性能なエアコンに近い能力であり、
それはまさしく、
神の定めた自然の振舞いを破壊する悪魔の力。
だが彼はその力の本質を認知してはいない。
通常、熱の収集には比例した時間が必要にも関わらず、
瞬時に溶融、凍結が可能なのも、「俺が強いから」程度にしか
認知をしていないのだ。
「え、じゃあ汗疹にならないの?!」
「なったこと無いなあ」
「熱々のおでん一気喰いも出来るのか!!」
「宴会ネタっすね~!! でも嫌です……」
「裸でスキーも出来るの?」
「夫婦で一発ネタばっかり思いつかないでくださいよ!」
スクアーマが一番まともな疑問をぶつけてきたことが、渡の不意をつき、
彼の笑いのツボを押した。立て続け質問を投げかけるスクアーマの両親は、
彼をびっくり人間か何かとしか思っていない様だった。
渡はあの過去世界から一転して、こんな幸せな家庭に巡り合うとは
夢にも思わなかった。その予想外があまりに嬉しかった彼は、
この人らを守らねばという強い意志を胸に秘め、
それは一家団欒のムードに反比例しより強くなっていった。
そうして渡が皆と共に大笑いしていると
「ときに渡よ」と、レピスは本題を彼に語ろうとした。
「ろくろ首、とやらの件だがぁ……」
「ええ、分かっています。ちょうどそろそろ
話をしようと思ってたところです」
渡もまた、満腹になったところで話を振ろうと思っていた。
「どういう事の運びになるんだ?」
「まず、彼らの最大の弱点は胴体ということを知ってください。
それに尽きるので」
「胴体? もちろん攻撃したが、通用しなかったぞ?」
「夜の間は生物ではなく怪物として機能してるから
アホみたいにタフなんでしょう。しかし彼らは夜が明けると
何事もなく生活に戻る性質があるんですよ」
「確かに。ワシも真っ昼間に牢にぶち込んでやろうと
意気込んで隊を率いたことがあったんだが……。
昼間の彼らはそれはもう弱々しくってなあ。私が何をしたって顔でね。
証拠も映像だけだし、不十分だったんだ。
で、どうすりゃいいんだ?」
「胴体を隠してください。それで全て済みます」
「そんな方法で良いのか?」
「ええ。彼らは朝普通の生活に戻る、その境目が狙い目なんです。
首が伸びる方は頭の方を撹乱して、胴体と頭部の距離を離してください。
それから胴体を処理します。方法は任せます。
飛行する方も、胴体を同じくお好きな方法で処理してください」
「そうすると……倒せるのか」
「元に戻れずに死にます。ただ相手も死に物狂いで身体を探すので、
早いとこ処分した方が楽です。
作戦決行は夜が明ける2時間から1時間前が良いでしょう」
この会話の間、エスカマは阿吽の呼吸でレピスと目配せし、
食器を片付けていった。そしてスクアーマは名称不明のインスタントの
お茶を人数分用意していて、食卓は話が終わる頃にはすっかり片付いていた。
その迅速さは今回が初めてではないのではと渡に思わせるほどだった。
「なるほどな。しかし、既にリンの奴や息子から聞かれたかもしれんが、
なんでこんな怪物の対処法を知っているのか知りたい。
どうしても君が彼らと同じ姿をしている以上、
先に納得を済ませておきたくってな」
「それは……。俺が昔同様の相手と戦ったからです。
そして昔は、『原種』しか人間はいなかった。俺たちを元に奴らは
生まれているから、奴らはあなた方が言う『原種』の姿でしか存在しないんです。
俺は昔、皆さんと会う前は夏樹と共に、言い伝えが実体化した
怪物を沢山倒していました。上半身だけでバイクに追いつく怪物や、
彼岸花の怪物とか。その中の一種が『ろくろ首』だったというだけ。
ただそれだけです」
「渡……そんな大変なことをしていたんだ」
スクアーマは、渡の独白を聞きながら自らを顧みた。
彼を見つけた時引き連れていた討伐隊は全員、スクアーマの父の部隊だ。
あの時背伸びをして彼は妙な言葉遣いをしてしまったので、
渡を眠らせたあと背後からクスクス笑われてしまい、そのことを恥じている。
等身大の自分のまま成長し、大人としてこの街を守るためには、
次代の長にならねばならないのだ。
そして真の人望を得るためには行動が伴わねばならない。
渡がヒーローになるべく敵を倒すように、自分も行動を起こすときだと
スクアーマは胸に決意を抱いた。彼は、自分よりずっと昔から相棒と
共に奇々極まる相手を次々に撃破し、人々の生活を守っていたのだ。
それがどれだけ大変なことなのだろうと、いずれ来る戦いへ
スクアーマは同時に憂慮も抱いた。
「いずれにせよ、ろくろ首は武器を持たないはず。
もし持っていても、脅威になる程度じゃないですよ。
安心してください」
「あい分かった! 今までの話は、既に通信でワシの部隊に伝わっとる。
あ、断りもせずスピーカーモードにして悪かった……まあそれは
それとして! このまま身支度して、出発と洒落込もうじゃあないか」
その大口開けた笑い声は、とても頼れるオーラが感じられるものだった。
渡がどこに通信媒体があるのかと聞くと、彼は自身のアイラインを指さした。
口にだすほどの特徴ではないし、そもそも身体のことを
藪からに聞くものではないと考えていたせいで
すっかり渡の頭から消え失せていた特徴が確かにそこにあった。
「それ名誉の負傷じゃなかったんですか?」
「これはシール型万能通信機だ。自分が通信したいと思う
タイミングで好きな情報を送れる便利グッズやの」
渡はふと昔のことを思い出した。彼は昔、夏樹が自社の新事業として
シート型端末機に投資しようかどうかを役員会議で
話し合っているさまを会議室のガラスの壁ごしに見ていた。
そのときは湿布大の大きさで腕に貼れる、人種に合わせた5色程度でしかなかったが、
ずいぶん進化したようだった。蒔絵のような模様がレピスの目を縁取っている。
それが目前に映像やら必要な情報をMR技術により表示するのだ。
「スーくん。今度の討伐にも来るんだ。むしろお前が必要な可能性がある。
呼んだら来てくれるかな」
「分かったよパパ。それまで待機してる」
帰路で買ったコンビニのお菓子は、結局封を開けられることはなかった。
スクアーマは軽くシャワーを浴びると、すぐに着替えられるようにしてから
床につく準備をした。渡は彼を傍目にダイニングからそのまま彼の部屋にいき、
手持ち無沙汰になった。
窓の向こうから、大勢の人の声とトラックの奇妙なアイドリング音が聞こえる。
レピスは彼の討伐隊を家の前に集合させ、作戦の発表を行っているようだった。
その内容は渡の語った通りのものであった。
しばらくしてから、ドアの静かなスライド音と共に
激しい排気音が遠ざかっていく。
ドア口の向こう側で右往左往するスクアーマを見つめていると、
何度めかの往復で、彼は渡にじっと見つめた後、
ゆっくり笑いかけながら語りかけてきた。
渡の下へ歩み寄るそのなで肩には器用にタオルが掛けられている。
「……ねえ渡」
「なんだよ?」
「君にもついて来てほしいんだ。戦いに。君のことだから嫌とは多分
言わないと思うけど……」
「お、おおう。勿論いいとも。改まって言わなくても
来いと言われなくても呼ばれりゃ行くぜ」
「そう聞けてよかったよ。それで……どう?
僕の部屋は。ちょっと慣れた?」
「おお。自然とは無縁の暮らしをしてたからな。
お前の服もなかなか着心地いいぜ」
世界史の教科書でしか見たことのない類の服装に身を包み
環境映像でしか見たことがないような自然の中の街にいる。
それは渡の五感を刺激し、興奮冷めやらぬ状態においた。
渡は服の裾を掴むと、スクアーマに微笑み返した。
「ねえ。渡……戦うってどんな気分?」
「どうって……。そりゃしんどいな~ったく。
でもやりがいってのはァ……あるなあ。包丁で人を刺すんじゃなく、
飯を作るよーに、力を暴力のままにせず誰かの助けのために使える。
そんな感じだなぁ」
「……? 料理は料理でしょ? 暴力は暴力だし、助けは助けじゃないの?」
「あ~……例えが悪かったか? 要は、力ってのは扱い方で
幸せも不幸も作れてしまうってわけ」
「……えっと、うん、参考になったよ。ありがとう渡」
その言動は明らかに納得をしていないものだと渡は気付いていたが、
説教をしたいわけでもないので、適当に話を切り上げることにした。
その間の空いた相槌から感じられる無理解に近い不平は、
決してスクアーマの読解力がないだとか、
行間が読めないというわけではないものだった。
「(例えがくどかったか…?)」
「……待機か。暇だね。渡」
「テレビ……はあるのか? この世界には」
「ああ、よく出土するあれのこと?」
「し、出土すんのかよアレ!? まあいいや、
なんか適当に面白い映像見れる機械とかあんだろ?」
「あ。じゃあさ、僕の端末のスペアを貸すよ!
使い方は簡単だよ!」
「おっ、俺に超未来デバイス貸してくれるのか!
マジバイブス上がんじゃんこれ~!!」
スクアーマは小さなタバコの箱くらいのケースから、もう一枚シートを取り出した。
それは可愛らしいシンプルな「星」のデザインだった。
渡の時代でも、MR技術は未完成だった。ウェアラブル端末も依然彼の時代ですら
メガネやコンタクトレンズの形に留まっていた。
VRとARの完成形、すなわち空間に3Dホログラム的映像の飛ぶ未来は
それが長い時を経て完全に普及したのだ。
「好きなところにつけても良いんだよ。お固い人はみんな体の
目立たない場所に貼ってるけど、君はどこにつけたい?」
「うおおおすげえ……。湿布より薄い……」
渡はスクアーマから渡された極薄のややしっとりしたシートを
おずおずと腕につけた。その位置は、まるでSFで何らかのデバイスを
腕につけるような位置であり、彼が想像する未来デバイスのあるべき位置でもあった。
「え~。渡、そこに付けるのはおじいちゃんだよ。
おじいちゃんポジショ~ン」
「いーじゃねえか!! 言っちゃあ俺超絶大年寄なんだから
時代遅れで当たり前……っべーなこれぇ……」
「あ、見えてる? それホーム画面。どの画面をどの程度
共有するかも決められるよ。それは僕の端末だから、今端っこに、
パパの部隊全員の様子が映ってるはず」
渡の視界には今、中央に「ようこそ」と記された
まな板ほどの厚さのホログラムが表示されている。
そしてその右端に監視カメラのようにレピスの分隊の
隊員から映像が送られてきていた。
それらの3Dホログラムも、渡が指で動かせば
自由自在に彼の目前を金魚のように泳いでいく。
試しに「ようこそ」の文字の下にあるログインボタンを押そうとした瞬間、
視界の端でちらつく彼らの活躍に陰りが見え始めていることに気づいた。
「ね、ねえ渡……音声のミュートを解除出来る?
意識を込めてつまみを捻るように指を動かすか、上下に
スライドしてくれるかな? パパの部隊の様子が変なんだ……」
既にスクアーマの方の映像には音声が付いているらしく、
彼の顔はみるみるうちに青ざめていった。
一体何の揉め事だろうと、渡は恐る恐る「ボリュームをあげる」ことを意識し、
目の前の空間をスライドした。
「こちらチームエコー、何かを掻き鳴らすような音がする。
ろくろ首共の何らかの合図かもしれない」
「チームアルファからチームインディアまで、ろくろ首の胴体の処分に成功。
チームエコー、そちらが最後だ。オーバー」
「チームエコー、こちらも既にろくろ首の処分は……
おい待て、何だこいつらは?! あ、頭のデカい「原種」だ!!
武器を持っているぞ!! 撃て、撃つんだ……!!
隊長?! 危ない!!」
………
……
…
「………んだよこれ。俺聞いてねえぞ……?!」
スクアーマは通信を切るやいなや、脱兎のごとく部屋を飛び出した。
渡はその瞬間、彼の瞳から涙が溢れ落ちたことに気付いた。
「待て!! まだ応援要請は来ていない!」
渡もすぐさま追いつき、深夜も意に介さず玄関を弾き開くと、
スケートボード状の空浮く乗り物に足を掛けるスクアーマの姿が見えた。
外は異様な湿気に包まれている。雨が日中道路が溜めた熱を
解き放っていたのだ。
「深夜には乗るなってママに言われてるけどそんな場合じゃない……!!
もう一台エンジン掛けてあるから乗って!! 追従状態にしてるから
乗るだけでいい!!」
「お、おい落ち着けよ……戦いなんだから襲われる事だってあるだろ……」
スクアーマは全く我を見失ったかのように、
無我夢中にエンジンを起動した。渡も慌てて見よう見まねで
その板に乗ると、その後を追う。
ボードは刃物を研ぐような鋭い音と共に丑三つ時の街を駆ける。
しばらくすると街の果てへ出た。またしばらくすると、
未舗装というにはあまりにも木の生い茂った道へと出た。端末から表示される
チームエコーの修羅場はいよいよ佳境に差しかかろうとしている。
また1人、1人と倒れていき、楽器のギロのような
耳障りな音が渡のホログラムの映像から聞こえてきた。
隊員が倒れていく度に、違う隊員の映像に繋がっていく度に、
スクアーマは吠えた。そしてボードもまた加速を早めていく。
藪が開けるとそこには、渡の慢心の結果が待ち構えていた。
「んだよこれ……。なんで親父さん、ぶっ倒れてんだ?」
「パパ!! ねえパパ!! 目を覚ましてよ!!
なんで……渡、どうして……」
「チームエコーより各隊、我が隊は謎の原種に襲われた。
不明だが奴らは撤退した。救援に来れる隊は速やかに来られたし。オーバー」
うつ伏せに倒れる、大柄なトカゲの男性は幅広のタスキのような
怪我を負っていた。止血は同伴の討伐隊の隊員によって施されているものの、
流れ出た血は取り戻せない。然るべき救援の到着を待つしかなかった。
渡はボードから降りたが、その緊急事態を前にして、
ただ立っていることしか出来なかった。
「ろくろ首以外の敵に襲われました。
彼らは『震える大きな頭部が特徴』で鉈や鍬などで武装しています。
近代的な容姿をしていたろくろ首とは違い、彼らは農民の格好でした。
しかし、ろくろ首は全員死亡が確定しております。
体は全て焼却しましたので。こんなバケモノ、作戦には想定されていなかった……」
すすり泣く彼のもとへ傅き、隊の一人が報告した。
その報告を端で聞いた渡は内容に愕然とした。
「大きな頭部」の都市伝説なんて、「アレ」しか存在しないからだ。
彼は端末から宙に浮くホログラムを操作し、改めて被害状況を詳しくチェックした。
すると確かに、ろくろ首とは違う存在を確認できた。
渡は目の前の隊のトカゲ達と同じくらい、自らの驕りに打ちひしがれていた。
泣き叫ぶ友の声、隊員たちの苦しみに呻く声、
ぬかるんだ空気、その全てが渡の心を蝕んでいく。
どうにかしないとと思えば思うほど、彼の呼吸は早く、より浅くなっていった。
「まさか……『巨頭オ』もいたのか……。
こんなの……『ヒーローじゃねえ』……。
俺が詳しく話を聞かなかったからだ……!」
「何だって? 何が他にいたって?」
討伐隊の一人である、筋肉質な男性が声を荒げて詰め寄った。
そのガタイは張り裂けんほどのマッシブで、まるで戦車だった。
「おい原種。てめえの策に抜けがあったからカシラは倒れたんだ。
どうしてくれんだ、コラ」
3メートルは確実にある巨躯に、渡は久々に上から目線を味わった。
しかしそれに対し彼はメンチを切り返すことは出来なかった。
ただ目を伏せ、続きを話すしかなかったのだ。
「ろくろ首の対応にミスはない。だが抜けはあったことは事実です……。
あの時レピスさんに住民の被害状況を詳しく聞けば、察することは出来た……」
「おう。じゃあなんだ。次はミスしませんってか? オイ。
大体な。俺はテメエのような怪物と同じカッコの野郎信じちゃねえんだよ。
早く帰って、何処へでも消えろ」
執拗に迫る巨躯のトカゲの目をまっすぐ見返せなかったおかげで、
彼がなぜ渡に強く当たるのか、渡はその腕の傷を見て気付いた。
「……。あなたはレピスさんに……」
その言葉に、巨躯の男は尾を逆立て激怒した。
胸ぐらをつかみ今にも彼を頭から食わんとせん怒りに
彼は返す言葉も思いつかなかった。
「そうだよ!! この隊で一番でけえ俺が!! 守られたんだよ!!
隊を守んのが俺の役割なのに、なのに俺が!! 俺が!!」
彼の「俺が」の声は徐々に弱くなっていった。
同時に掴まれて宙吊りの渡も徐々に地へ足を下ろした。
隊の約四割が負傷している。彼の言質通り、
盾役を失い、一気に押されたのだ。全滅だった。
五体健全なものも未だ警戒を解かないままでいる。
しばらくして、四つん這いで慟哭する大きな背中を、
彼の背中に比べれば小さな手が、ぽんと乗せられた。
「大丈夫です。まだ何も失っていない。
隊の使命以上のものを背負う必要はありませんよ」
「で、でもよぉスーさん、俺、俺が……」
「そう。僕があなたの使命を引き継ぎます。皆の命を守る役目を」
そう優しく語りかけると、スクアーマは大きな声で宣言した。
「現時刻を以て、父レピスの命に則り、この僕スクアーマを
討伐隊全指揮権及びニニギの街の代理町長とし!!
また、全隊員、負傷者を守りつつ撤退を命ずる!!」
その勇ましい言葉とは裏腹に、彼の目は赤く潤んでいた。
まだ鼻水も止まらないまま、彼は父の使命を受け継いだ。
それが彼の出来ることであり、しなければならないことでもあった。
「しかしスクアーマさん。その者の言葉をまだ信じるおつもりですか。
彼の言う通り、新たな敵の対処を我々は全く知らなかった。
そこな原種が教えてくれてさえいれば……。第一、あなたがこんな
何処の馬の骨ともしらん原種を匿うからこんなことに!!」
「しかしろくろ首は倒せた!! これは想定外だ……!! 想定外なんだ!」
メガネを掛けた参謀のようなトカゲが巨躯のトカゲと
同様の意見をスクアーマに述べた。同じように何名かが渡に怪訝な顔を向けており、
彼の信用はもはや尽きかけていた。
渡はただ、自らの慢心が引き起こした悲劇を
ただ黙って見ているしかなかった。
ヒーローを常に心掛けていたはずの彼は、ただの傍観者へ
成り下がるしかなかったのだ。しかしスクアーマは
自らの友をあくまでも庇いだて続けた。
「……かの者の処遇は如何なさるおつもりで?」
「共に死地に赴いて貰う。もし解決したら、
一切を不問に処す。責任は働きで返して貰おう。
それなら、文句はないはずだ。……他に意見のある者は!!
……いないなら、作戦を始めるぞ……!!」
スクアーマの一睨みで隊の全員が、一瞬のため息ののちに
目を伏せ、服従の意思を示した。程なくして、レピスを運ぶ
救急の別動隊が到着し、彼はうつ伏せのままストレッチャーごと
車に運び込まれた。渡はその様子をただ見つめ続けている。
「……『巨頭オ』って何、渡」
立ち尽くす彼の肩に手を置き、振り返った彼の顔を
真摯な目でスクアーマは疑問を投げかけた。
「お前聞いてたのかよ……」
「当たり前でしょ。僕を誰だと思ってんだ」
「……巨頭オは、巨大な頭という言葉通りの都市伝説だ。
ろくろ首なんかよりずっと新参のバケモンだ。ある人間がドライブ中に
迷い、山中の村で突然そいつらに襲われて逃げたってだけの話に過ぎねえ。
巨大な震える頭を持つ村人に襲われた、っていう話のな」
「じゃあ……具体的な解決策はあるんだね」
「ねえよ。残念ながらな……」
彼はただ立ち尽くしているだけではなく、
己の頭でこの異常事態の解釈を急ピッチで進めていた。
そのなかで発生した疑問を通じ、スクアーマに今後の動向を伝える予定だった。
「ない」の一言にスクアーマは狼藉した。
「無いって……! 君は都市伝説には対抗策があるって言ったじゃないか!
ヒーローを目指してるって言ってたじゃないか!!
パパの仇を一緒に取ってくれないの?!」
狼狽える彼を静止し、彼は言葉を強張る口を動かし続ける。
「……全部に策があるわけじゃねえんだよ。そもそも伝承は、人間が理解できない
自然現象や幻覚、差別を理解したり正当化するために生まれたもんだ。その畏れから、
会った時の対処とか除霊やらもセットで生まれたんだ。
だがな、『巨頭オ』は違う。アレを含め、俺の時代に生まれた奴らは……。
『恐怖を楽しむためだけにネットの世界で生まれた伝承』なんだ」
「恐怖を楽しむためだけに……」
「んな顔するなよ。始発の駅にブチ撒けられたゲロ見るよーな顔しやがって……。
怪談くらいオメーらもするだろ。それと同じだ。
それより俺が心配なのは……」
渡はギッと闇夜を見つめる。闇の中に、10、20、30程の
頭が異常に大きいヒト型のアウトラインを見た。
その目で異形を睨み感知するのはこの世界に来て二度目になる。
「なんでアイツらが実体化してんだってことだよ……!!」
都市伝説には一定の「権威」が必要である。
ただ一人の妄執であれば、どんな怪物も夢芥に等しい。
しかしそれが真であるかのように、街が、国が、世界が
振る舞えば、そのキャリアは積まれ、実体化に等しいエネルギーを得る。
かつてフランスのジェヴォーダン地方に現れた獣のように。
渡は今まで、ある程度有名なものしか相手にしてこなかった。
ろくろ首、山姥、鬼などがそうだ。
だが、ネットのオカルト方面で囁かれるような怪物は、その権威に値しない。
いかにもな養殖の恐怖は、不自然な理不尽さと、無意味な扇情に
まみれているからである。だからこそどんな恐ろしい呪物も、
異形も、渡は考慮に入れる必要すらなかったのだ。だがそれが弱点となり、
今回の悲劇を招いた。彼は生まれて初めて、考えて戦う行動を迫られている。
しかし彼が疑問に思ったのは、そもそもなぜ古いものであれ、新しいものであれ、
旧人類の伝承が未来世界にもいるのかと言う事だ。そもそも獣人である彼らに、
人間の言い伝えなんて分かるはずがなく、一人もいるはずがなかったからだ。
ゆえに彼は一縷の恐ろしい想像を巡らせた。
「誰かがミームを操っているのでは」と。
原作に忠実に「オ」を半角にしたいんですが、
何故か編集をするたびに全角になっちゃうんですよ。
自分はこの話を聞くと、バイオハザード5の部族の敵を思い出します。