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TRUE WORLD   作者: 猫岸夏目
第一章 牙を剥く過去
21/24

CASE19「牙を剥く過去 その1」

-信じようと、信じまいと。


 突如、国家元首のウサギ獣人である因幡の白兎に

  腕試しを持ちかけられた渡は、毒性のある気体によって

この世界での初めての敗北を期してしまう。

  駆け付けた夏樹の一言によって、白兎が夏樹の生み出した

  人工生命体であることを聞いたオッターは激しく動揺し、

  彼女にこの世界がなぜこうなってしまったかを問い詰め始めた。

  夏樹と渡の邂逅と、ラプラスシステムのはじまりとは……


-信じまいと、信じまいと。

「この地球の生命体が、絶滅の危機に瀕した回数は何回だと思う?

 諸説あるが、正解は5回だ。

 この地球は一定スパンで生命体を死に至らしめるイベントが発生する。

 全球凍結! 大火山噴火! 病原菌!! 諸君らがご存じの

 恐竜の絶滅の原因である隕石を除いても、なおこの母なる地球は

 定期的に我々生物をフォーマットする! その都度生物は多様性、

 つまり種の多さによって、いずれか一方が生き残るように選択を続けていた。

 それは人間とて例外ではない。


   しかし人間はどうか? その取捨選択の結果、

 我々はホモサピエンスという1種しか存在しない!!

 肌の色、民族、宗教、そして言語!!

 そんなものの差は地球の生物史においては毛ほどの差にもならない!!

 ……断っておくが、私はそのそれらを批判するつもりはない。

 あくまで地球の歴史においてという話だ。報道機関諸君、カットするんじゃないぞ?


 ……紀元前285年の昔、アレクサンドリア大図書館という世界でも類を見ない規模の

 図書館があったことをご存じだろうか?  惜しむらくはその蔵書量。

  もし存続が続けば、13世紀時代にはロケットを飛ばすことが出来たともいわれる知の神殿は、

  残念なことに焼失しこの世に存在しない。悲劇としか言いようの出来ない過去だ。


 一種しか存在しない我々人間。そしていつの日か来る6度目の絶滅。

 噴火か病気か氷河期か、隕石か? それは分からない。

 だが、『残しておけば何かが変わる』!!

 我々人類最大の技術ッ!! それは記録することッ!!保存することッ!!

 文化史としてのDNAを、引き継ぐことだッ!!

 STソリューションズが提供する『記録』の到達点!!それがこの

『ラプラスシステム』だッ!!」



  2035年、某日。一つの巨大企業が扉を開いた。

 STソリューションズ。正式名称をSUMMER TREE SOLUTIONS。

 創業者であり現社長である森本夏樹の名前を単純に英訳したシンプルな会社。

 その「解決」の名に恥じない企業の発明品は世界を塗り替えた。


  彼女は天才だったのだ。障害や脳の損傷によらない、生まれついての天才。

 シルクのような銀髪のショートボブ。フォーマルだが、一際異彩を放つ曲線美を表す

 パンツタイプのスーツ。見えない指揮棒を言葉に託し、世界へメッセージを訴える。

 まるでそれ自体が超能力であるかのように技術を1人で押し進めていった。

 製品発表の日、世間は大いにどよめきだった。


  彼女が手に握るは、卒業証書の筒くらいの透明な筒。それにぎっしり

 詰められた青色の粉末。完全に密閉された特殊なブースに入った夏樹は、

 その筒の蓋を開け、打ち水をするようにぶちまけた。青く、

 キラキラした粉末はやがて意思を持つかのように縦横無尽に夏樹の周りを駆け巡り、

 動物、タッチパネル、ギリシャの彫刻、ゲームのキャラクター、空想上の生き物、

 そして夏樹本人にさえ変容していった。

 変わるたびに起きる動揺、そして歓声、ざわめき。

 ひと通りのパフォーマンスを終えると、夏樹は指を鳴らし、その活動を全停止させた。

 彼女は密閉ブースから出て行くと、再び何事もなかったかのようにプレゼンを続行する。


「このラプラスシステムの根幹をなすのはナノマシンテクノロジー。

 細菌より微小な機械を媒介とした新世代クラウドネットだ。

 このマシン群は有機分子、つまり炭素を主軸に構成され、あらゆる生命体の

 内部に侵入してもアレルゲンとして振舞うことは無い。

 またこのマシンは単独では一切の機能を果たさないのが特徴だ」


  夏樹は報道陣にむけて、腕を掲げた。

 そこにはオリジナリティあふれる、幾何学模様のタトゥーシールが貼られていた。

 さらに中央ステージにやってきたロボットが、天高くアクセサリー類を掲げている。


「これらの『端末』を使わない限り、このマシンは全くの無個性だ。

 君たちの情報を無断で使用することも無いし、出来ない。

 しかしこの端末──用いることで君たちの世界はさらなる次元へ到達する」


  スクリーンに映し出されているのは、それは正しく誰かが昔見た夢。

 架空の生命体を飼い、病に伏せるものは立ち上がり、視野には浮かび上がる映像。

 まったくモニタを使わない広告技術に対しては特定の報道陣がうなりを上げた。

 その光景は正しくブレードランナーそのものだったからだ。


「一言でいえば……。現時点では、今まであったスマートフォンとAR、VR技術が

 全てこのラプラスと端末に集約されたとだけ理解してもらえると良いだろう。

 細かい質疑応答に関しては、この後4時間設けてある」


  渡が覚えている彼女との初遭遇はここからだった。

 その後、世界中でこの技術に対しての反対の

 デモ行進が大いに沸き起こったことは当然の結果だった。

 プライバシーの問題。国家の主権の問題。環境負荷への問題……。

 しかし、人類が何度目かの経験をしたエポックメイキングの焼き回しだとも、

 うすうす誰もが思っていたのも確かであった。2043年の夏の暮れのことである。


──


「おーい、渡~。そろそろ帰る支度するぞ」


  同時刻、日本。某県のとある大学に併設された運動公園にて。

 キレイに剪定された芝生と、塗装のあちこちが剥げた健康遊具が点々と設置された、

 どこにでもある公園。木製のベンチに座り、渡はうなだれた姿勢のまま、

 型落ちのスマートフォンで世紀の発表を見届けた。彼は蝉時雨止まぬ猛暑のなか、

 頭上から掛けられた声に生返事をした。


「あー、おう。分かった」

「そんな姿勢でスマホ見てっと首痛めるで。んなもうボキィーいうて折れへんか心配やわ」


  渡が首を持ち上げると、柳の枝が風になびくようにベリーロングの

 深紅の髪の毛がサラサラと揺れ動く。彼はそれを耳に掛けると、

 ヘラヘラ歯を見せて笑いながら言い訳くさい返事をした。


「まあまあ、もう見終わったから」

「そう言う問題じゃ無いねんな……パルクールだって立派なスポーツやぞ。

 そんなしょうもない姿勢のせいでで首いわしたら笑い話にもならんわ」


  渡は大会に出たり、バズ目的の動画に録られるためにパルクールの

 サークルに入ったわけではなかった。ただ単に、毎週日曜日に欠かさず見ている

 ヒーローみたいなアクロバットをやってみたい一心で入ったのだ。

 別にそれ以外の目的もないし、ましてやこの技術を活かして

 体操のお兄さんになるつもりもなかった。

 改めて渡は周りを見回すと、日はやや落ちかけていて、

 遠くのほうにある高層マンションに強烈な影が射しているのが分かる。


  彼は目を細め、逆光で見えづらくなった公園の小高い時計を確認し、

 今はもう17時を過ぎていることを知った。人によっては遅番のバイトに

 行かなければならない時間帯だ。

 彼はベンチから離れると、デニムのパンツにカサカサと纏わりつく、

 木屑を払い背伸びをした。


「じゃあ俺いつも通りゴミ拾いするから」

「おう、任せるわ。いつも通りしとって」


  渡は、サークルのメンバーに自ら役割を申し出ると、軍手をはめて、

 市指定のゴミ袋とゴミバサミを片手に汗一つ流さずに清掃活動に赴いた。

 他の面々も、各々出来ることを探し、撤収準備を行う。

 公園に設置されたスピーカーからは、地域の児童に対しての帰宅を促す自動音声が流れている。


  彼は体よく集団から一抜けする方法の一つに、このサークルの習わしである

 清掃活動を利用していた。実際活動としては、彼が望んでいるヒーローの姿らしいのだから、

 一石二鳥ではあった。彼の所属するパルクールサークルは近隣の住人に

 自分たちの活動への理解をしてもらえるよう、練習終わりには決まってこうしている。


  ストリートで行うスポーツはオリンピックの種目になってから

 久しいが、風紀の乱れを懸念する根強い声の的であることには変わらなかった。

 この清掃活動がどれくらいの効果があるのか渡には分からなかったが、

 とにかく年配の層にはウケが良かった。ただゴミを拾うだけでミカンやらお菓子やらを、

 ハロウィンでもないのにやたらに貰えた。


  ゴミバサミをまるでパン屋の中の客のようにカチカチと鳴らしながら、

 落ちている吸い殻や空き缶、空きペットボトルなどを集めていく。

 しかし、得体のしれない小さな黒いゴミ袋など、

 始末に負えないものは見て見ぬふりを続けた。

 そこまでの義理はない。その程度の親切心だった。


  そうやって作業を続けていると、先に片付けの済んだメンバーから

 近づいてきて渡に声をかけていく。1人2人と増えていき、

 時間が経つにつれ、もう掃除をするどころではないほど絡んでくる。

 その誰もが彼の姿に好意的な表情を浮かべていた。おそらく見る人が見れば、

 どんな大枚を叩いてでも手に入れたい青春の1ページのひとつだろう。


「渡ちゃんが率先して掃除くれるおかげで助かるで。近所のおばちゃんらもええ顔しよるし」

「まあ自分こんなかで一番イケメンやしなあ。何食ったらそんな細うなれんねん、なあ」


  加えて、渡は女性はもちろん同性からも羨望の的になる程度には美形だった。

 彼はその事に対し特段誇ることも奢ることもなく、ただ愛想笑いを返すだけで、

 それが余計に飾らないからと人気の秘訣に繋がっていた。


「いやぁ〜自分おらんと、このサークルあかんで。もうオカンかなんかやでアンタもう。

 なぜか渡ちゃんがクーラーボックス持ってきた時だけアホほど飲みもん冷えとうし」


  口々にメンバーが渡を褒める。半分冗談、半分大マジという感じで、

 大袈裟に肩をバンバン叩いてくるヤツや、自撮りに巻き込んでくるヤツなど、

 いろんな人間が彼を取り巻く。もみくちゃにされながらも、

 渡は適当に返事をしては笑うの繰り返しに表層の満足感を感じていた。


  見る人が見れば、青春の一ページであり、

 ある視点から見れば、鬱陶しい若造どもの乱痴気騒ぎだ。しかし渡はいつも、

「俺はここにいて大丈夫なんだろうか」という、肥大化した自尊心に気を取られ続けていた。

 そのせいで彼は自分のいる場所がまるで、ファミレスで向かい側の奴らが、

 たまたま賑やかな集団で、自分は1人で別れて座っている─というような、

 ある種の疎外感を感じていた。そしてその傲慢さがどこから生じているのか、

 渡はいつもそれに頭を悩ませていた。


  洗濯機の中のように揉まれていた渡は、バケツリレーのようにやってくる

 会話の応酬一つ一つに大袈裟なリアクションと笑い声をあげ、ため息を押し殺していた。

 やがて話の主題は飲み会の場所探しに切り替わり、

 どんちゃん騒ぎがピークを迎えようとしていたとき、

 ツンと引き締まった、よく通る声が渡の耳に入った。


「相変わらず人気者じゃない。渡」


  Lサイズのタピオカドリンクを片手に、渡と同じ世代の女性が彼に声をかけた。

 その手に滲む、プラ容器の結露の具合から、ここに来るまでに

 それなりに時間が掛かっていることがわかる。


  彼女のいで立ちはまさにその時代の女子大生といった感じで、

 髪型だけ切り取れば他の誰かと判別がつかないくらい没個性的だった。

 強いて言うなら、アメリカ人とのハーフである彼女の見た目は

 非常に目鼻が整った解語の花だった。渡と彼女は高身長のコンビとして、

 大学という狭い世間の中では少し有名だった。


「よう庵。またタピ活して映えスポット探してふらついてんのか?

 あんまふらついてると職質されるぞ」


  渡は声の主が幼馴染だと知ると、顔の緊張を解き、

 自然な笑顔と手振りで気さくな挨拶を返した。

 そしてサークルメンバーの集団からサッと抜け出すと、

 彼はまるで子犬のような笑みを浮かべ庵のもとへ歩いた。


「いい加減それやめてよ。いつの流行語擦ってんの?

 20年前の価値観で私の好きな飲みもん貶さないでくれる?」


  渡のからかいにため息交じりにも笑みを返す庵もまた、

 知己を見つけて落ち着いた顔をしていた。

 しかし、なかなか道中に苦労が多かったのか、

 その評定には少し疲れが見え隠れしていた。

 ヒールで芝をサクサクと踏み、渡に近づくとサコッシュを弄りだす。


「おっ、そういえばそのタピオカやってるとこさ、

 俺の見てるやつとコラボしてるよな」


  渡がその話題を出すがはやいか、庵は500mlのペットボトルも入りそうにない

 小さなサコッシュから特撮ヒーローのフィギュアを彼に投げてよこした。

 それは10年ほど前に放送されたものの周年記念コラボグッズで、

 そのシリーズの推し活をしている層には垂涎の一品だった。


  まるで彼の望むもの、次の会話の内容のパターンなんて

 お見通しと言わんばかりの庵の行動に、渡は歓喜の声を漏らし、

 渡はフィギュアの入った箱をへこまない程度に握りしめ

 中腰の姿勢でガッツポーズを取った。庵はその光景に思わず吹き出しそうになったが、

 本人はいたって真面目に喜んでいるのだからと、茶化さないよう

 ハンカチで口元を隠した。


「おお~これこれ!

 転売が法律でシメられるよーになってもコラボグッズは

 流通量少ないからな!いや~マジで、マジで助かるわ庵~!」

「あんたの趣味とも、あんたと同じくらいの付き合いだしね。それくらいお見通しよ。

 まったく……。欲しいんじゃないかと思って、注文を直前で変えたのよ。

 私、ホントは今日タピオカの気分じゃないのに」

「え、マジで?そりゃ悪いことしたな。今度その本命のやつ奢るよ。なんてやつ?」

「ああ~えっと……なんだったっけ。名前長くてすぐ忘れるんだけど、ハイビスカスの……」


  そうして渡が二の句を告げようとしたとき

 リア充2人の仲睦まじい会話に耐えられなくなったサークルのメンバーが、

 むさ苦しい声を上げながら突撃する。


「メリっち~~!!っちゃーす!!」


  サークルメンバーの品性のない声掛けを背後から聞いた渡は、

 とても間の悪い連中だと、聞こえないように舌打ちをした。

 庵が軽く会釈をするたびに、彼らはカートゥーンアニメのキャラクターのように

 鼻の下を伸ばして名前を呼ぶ。煩わしいほどに彼らのオンナノコへの情熱は熱かった。

 庵に駆け寄っていく、すれ違いざまの彼らの制汗剤の甘ったるい匂いが、

 夏の湿気に混ざり渡の鼻を突く。


「おいメリアちゃんが渡とデートしに来たぞ」

「やば~~~!それ日曜やってたやつのだよな!

 いくらで頼んだんだそれ?やっぱ飾る用か?」


  庵の下の名前はメリアといい、由来は花のアルストロメリアから来ている。

 渡は彼女とは長い付き合いだが、クセで彼女を名字で呼び続けている。

 加えて女の子を下の名前で呼ぶことに、若干の気恥ずかしさが彼の中にはあり、

 成人してからもその気持ちは残ったままだった。

 それにもかかわらず、いつもいつも馴れ馴れしい呼び方をする友人たちに

 渡は内心わずかに嫌悪感を抱いていた。

 こいつらはメリアの何を知って肩を組んでいるんだ? と。


「そういうんじゃないって、300回くらい話さなかったか?」


  口々に囃し立てるメンバーに、渡は毅然として言い返す。

 腕を組みあからさまに嫌そうな態度を取ったが、それで通じる相手でもなかった。


「ごめんごめんて。ゆうて自分、こんなきれいな人

 ずっとキープしとんのズルいでなあ。結婚もせんいうさかい、幼馴染ってええよなあ」

「なんや幼稚園くらいん頃に流行った、あーなんやチート系やっけ?

 あれみたいでほんま憧れるわ~。なんかやたらタイトル長いやつのさ!」

「あ~懐っつ!!なんやっけ、無職がどうとかお嬢様がどうたらとかなあ!

 親父がよう見とってん!!」


  話の主軸も流動的で、まるで的を得ない。まるで一瞬開いたパチンコ店の隣を

 通り過ぎるときのようにとりとめがない。しかし、渡がすこし態度を固くしたたところで

 彼らのノリは変わらない。慣れっこといえば慣れっこだが、

 いつか世間がこのウェイ系の絡みをやめてくれる日が来るのかと思う日も彼にはあった。

 苦笑いする渡に肩組みをし、汗臭いシャツ一枚の男連中が「うぃ~!」と

 小突いてきたり、手を叩いて爆笑をしたり。

 サークルのメンバーのその様は、まるで無遠慮が服を着ているようだった。


「あ~~。そうそう。

 パパが呼んでたよ。今日は久しぶりに晩ごはん食べようって」

「おお、そんな時期か。ってことは個展も近いんだな」


  庵はうまい具合に軌道修正も兼ねて、実際事実である本題をうまく切り出せたが、

 パルクールのメンバーはそれを聞いてさらにテンションが上った。

 こうなるとどうにも収集がつかない。「恋バナ」イベントが開始され、

 あれやこれやと5人6人の男が騒ぎ出す。


「え、ちょっとまって何々それ。

 そんな時期ってことは、お前結構な頻度でメリアちゃんの実家行ってんのかいな!!

 え、スゴ~!メリアちゃんて、芸術家の泰安さんとこやんな?やんな?!」


  渡と肩を組んだままのサークルのメンバーの一人が、

 SNSの庵泰安のアカウントを渡に見せつける。


 ─4989展─


  サムネイルには黒地に白い抜き字でその表題が示されるだけであり、

 拡大しても、反転しても、特段の仕掛けは施されていなかった。

 そして渡は泰安が何をしているのかを知らなかった。

 やがてそのピクリとも動かないサムネイルは自動でスワイプされ、

 情報の喧騒へと深く埋没していく。

 渡はさっき見たものがはたして本当のことだったのかも疑わしい気持ちになった。


「渡、自分庵さん家で育ってんやんな?何か知らんのこれ?」

「知らねえよこんなん。身内だからっていつもいつもネタバレ

 されるとは限らねえしさ」

「あ~やっぱそうか~。そら身内にバレてもたら今の時代

 すぐオジャンやからなあ。わりわり」


  途端に肩を組みをやめて離れていくそいつに、渡は現金な野郎だと思った。

 彼が離れた後、渡は首を回し変な重心が掛かったせいで凝った筋肉を解すと、

 手短に切り上げて庵と共にこの場を逃げ出そうと考えた。


「あ~やば。パパめっちゃブチギレてる。

 早く帰らないと後が面倒くさいやつよこれ」


  何の通知も来ていないスマホをわざとらしく見る庵を見て、

 彼女も同じ事を考えているのだと渡は察した。

 仰々しく庵のスマホを覗き込み、下手な芝居を打つ。


「うっわ。これ玄関で彫刻刀握ってキレる手前のやつじゃん」


 わざとらしくスマホを覗き込み、雑な演技をしていると、2人は思わず吹き出しそうになった。


「え、庵んとこの親父さんそういうキレ方するの……エグ~~……」

「あ~そうなのよ。分かる?ほら、うち母親いないから過保護でさ」

「そういうことならしゃあないなあ……」


  うまい具合にカバーストーリーを展開出来たほくそ笑んだ渡と庵は、

 今生の別れのようにさよならを言うサークルメンバーに、

 これまたわざとらしく元気に返事をした。


 2043年、夏の夕ぐれのことだった。


 ──


  2044年。渡たちの就活の年。

 世界は夏樹が生み出したナノマシン頒布によって目まぐるしい進歩を遂げていた。

 彼女は第2のバーチャルアレクサンドリア大図書館を作ると宣言し、

 人類史のデジタルアーカイブ作業を進めていた。

 彼女いわく「いつ人類が滅んでもいいための地球規模の身辺整理」であり、

 そのモノの言いように世間は喧々諤々だった。


  一般流通としてのラプラスシステムは、各社携帯キャリア会社に

 よって管理された。とどのつまりアクセ型のウェアラブル端末が、

 スマホ代わりになっただけの、変哲のない進化を遂げるに過ぎなかった。

 ものが違っても、人々が見るものはSNSか、動画か、映画かトレンドトピック、

 あとは日常のユーティリティアプリがより直感的に

 動かせるようになったという変化のみだった。


 だが、変化は確実に訪れていた。


「庵、合説どうだったよ」

「いや~……つまんないね」

「だよな~~!!」


  その晩、渡と庵はお互い大学で行われた企業の合同説明会の帰りであった。

 芸術家肌の生まれの庵は物質的な利益に奉ずる、会社という組織に尽く向かなかった。

 とはいいつつも、父親と似た職業に就くのはより困難な道のりであり、

 女性という性差もハードルをより高く上げる要因の一つだった。

 ため息をつく庵に、渡は大笑いしながら声をかけた。


「お前ほどセンスのいい人間、逃すほうが節穴なんだよ。

 もっと自分を高く売ろうぜ。安い女だって見られたら負けだ負け」

「はあ……もうなんか、そう買い叩かれてる感が嫌になってきた。

 所詮は若手は都合のいい乾いたスポンジなのよ。

 会社色って名前の泥水を吸い取るためのね。

 大体。そういうあんたは就活決まってんでしょ。

 冷やかしにしか聞こえないし」


  なんと、渡の就職先はかのSTソリューションズであった。

 本人も驚くべきことに、彼はエントリーすらしていおらず、

 社長である夏樹本人が直接のコンタクトを取ってきたのだ。

 普通なら相手の正気すら疑うべき千載一遇。しかしなお続く就職難という世間の波に

 乗るには飛びつかない手は無かった。


「今まで人の縁に恵まれなかったからな。

 こういう棚ぼたでも発生しないと人生釣り合わねえよ」

「……そうね。あんた万年孤独だし。それくらい一発でウルトラレア

 当たっても誰も文句言わないよ」


  庵はその他大勢と同じように、就活生として黒ずくめのスーツにお団子ヘアに

 身を転じていた。コピーペーストされたかのような風体の1人になることに庵は

 甚だ屈辱を感じていたが、荒波に漕ぎ出すボートがそれしかないのならと辛酸をなめる

 思いで就活に励んでいた。


「落ち込むなよ。アレだよ。あの社長が俺の条件を飲むって言ってんだ。

 逆就職っていうのかこれ? まあ、普通に言えばヘッドハンティングか。

 ……もし良ければ、お前の好きな部署とかあれば、入れろって言っとくからさ」

「……優しいのね。昔から変わらない」

「昔のことは高校くらいしか覚えてないけど、まあ、良いってことよ」


  夏樹はある日の昼食時、渡の目の前にいきなり現れた。

 彼女は名刺を出すと開口一番「来い。条件はすべて飲む」と彼に言い放った。

 あまりの突拍子の無さに渡がなぜ自分なのかと彼女に質問したが、彼女はただ一言、

「君にしか頼めない仕事ができた」と言うだけだった。正直渡としては、

 ラノベの主人公みたいな目立ち方を現実でしたくなかったと、ひどく恥ずかしく感じていた。


  20時過ぎの電車の帰り。大学のある人工島を離れ、

 それぞれの住まう自宅への道すがら。渡は落ち込む庵に笑顔で

 自分の条件の中に友を含めることを約束した。住宅街を進み、無言の帰路をたどる。

 先に異常を見つけたのは庵だった。


「あれ、誰か十字路で突っ立ってる」

「マジだ。え、夏なのにトレンチコート……露出魔か?」

「うわ……女の露出魔とかオエーよ。オエー。通報しよ」


  庵はブレスレット型の「端末」を起動させると

 ラプラスシステムを介し警察へ通報を試みた。

 彼女の眼前に広がるのは縦スクロールウィンドウの連絡先。

 (くう)を指揮し、緊急通報へ指を差し伸べた。だが、電話機能は使用できなかった。


「え、うっそ。通信障害とか聞いてない……」

「そういやフレアとかでたまには障害が出るって聞いたな」

「だったら、携帯会社が先んじて連絡よこすでしょ皆に」

「まあそうか………ん?」


  カーブミラーの下で佇む女性は、季節外れに着込んでいた。

 赤い帽子、赤いトレンチコート、赤いハイヒール。そして赤い傘。

 大阪のおばちゃんでもそこまでは赤に染め上げないだろうというほどの

 真っ赤な容姿だった。渡は変質者にしてはすこし異様がすぎると感じた。


「……庵。遠回りで帰るぞ。俺の後ろに下がってろ」

「う、うん」


  渡はその女を只者ではないと判断し、トラブルを避けるために

 大きく迂回して帰ることを選んだ。住宅街は人間が生み出した人工迷路だが、

 地元住人なら最適なルートを脳裏に構築することは容易いものだった。


「マジなんなんだろ。キモいってか怖かった。

 いるだけなのに……あ、電波直ってる……」

「写真はカメラで撮ったろ。警察のウェブで通報しとけよ」


  この時代、カメラはもはや物体としての形を取ることは少なくなっていた。

 両方の親指と人差指をお互いに組み、四角い枠を作るとその中にARカメラアプリが起動する。

 さしずめ現実のスクリーンショットを撮るようなものだ。

 庵はとっさにカメラの構えを取り、件の女性を撮影した。


「あれっ!嘘、私たしかにシャッター切ったのに」

「落ち着けよ。慌てて撮影コマンド押してないだけだろ。

 別に撮れてなくても通報自体は社会の役に立……」

「いないのよ。女の人が」


 渡はARビジョンとしての写真を庵に手渡された。

 そこには確かに、たった今自分たちがいた十字路が写っている。

 果のない闇を等間隔で灯す街灯と、それぞれに設置されたカーブミラー。

 たしかに渡が見たものだった。


「最近、妙にオカルト話が増えているって噂知ってる?」

「フィーリングで生きてる人間らしい話題の振り方だな。

 知ってるぜ。本当にツチノコ捕まえたやつとか、ビッグフットと自撮り撮ってるやつ

 とか。……人間では再現不可能な殺人事件が流行ってるとかな」

「……じゃあアレは、アレはその、ツチノコとかの……お友達のほうかな……」


  映らない女性。政府高官など特定の役割の人間は、

 ラプラスの機能での撮影が不可能になっている。暗殺やスパイ行為の助長を防ぐためだ。

 それ以外にもプライバシーを守りたい人間は、

 自分を撮影されないようにすることもある。時代に比例して法律も整備された。

 しかし渡たちの目の前に再び現れた女性は、そのどれでもないように2人には見えた。


「ゴミ捨て場がある。さっきと違うルートだ。

 俺たちがボケて同じ道を通ったわけじゃなさそうだ」

「け、警察にまた……繋がらなくなってる!!」


  庵は常軌を逸した存在が目の前にいるという事実に怯え始めていた。

 渡は男性という立場か、あるいは昔見たヒーローの真似事か。

 いつかやってくるかもしれないと思って鍛え上げてきた自分を試すときだと感じていた。

 脂汗が流れ落ちる。渡は滅多にかかない汗を頬に感じる。


「私、綺麗?」

「ひっ……!!」


  汗に目が染み、渡が目を閉じた瞬間だった。

 女性は帽子を目深にかぶったまま、またたく間に近づいていた。

 渡は高鳴る心臓を抑え、毅然と睨み返した。


「ああ、綺麗だぜ」


 庵は渡の言動に正気を疑った。よもやこのような人間かすら怪しい存在に、

 まっとうな返事を返したからだ。しかし女性は無反応のまま数刻の間を置き……。


「これでも綺麗?」


 帽子のツバを上げ、マスクを取った。


「シャオラッ!!」


 渡は自分がその女の素顔を視認するより早く、

 その高身長を生かした延髄蹴りをたたきこんだ。

 相手の正体は明白だった。


「く、口裂け女……っ……うそ、ツチノコとかの……お友達じゃない……」

「ツチノコのフォロワーにこんなクソキモい女いるかよ!!

 てめえ、何がアレかしんねーけど、もう一度ナマ利いてみろ!!

 整形外科送りにしてやる!!」


  渡はゴミ袋の山に吹き飛んだ口裂け女に啖呵を切り、しかし庵のそばを離れずにいた。

 渡はこの現象を知っていた。口裂け女。かつて1970年代から00年代に流行した謎の女性。

 その容貌たるや、耳まで裂けた大きな口。噂が生んだ化け物だった。


「これでも、綺麗?」

「チャットBOT以下のクソ妖怪が……!

 庵!!  俺から離れるな!!」

「う、うん……!!」


  ラプラスシステムは完璧なネットワークだった。

 インフラ、防災、国防、医療、コミュニケーション、娯楽。そのいずれをも飛び級で

 発展させた。だが、その影に潜む何か。それは確かに増えていた。

 誰も言わない。言わないからこそ、増える。恐怖は、形容なき偶像として顕現する。


「ぎええええーっ!!」


  口裂け女は奇声をあげ、トレンチコートからくりだした大鉈を翻し

 渡へ叩きおろした。庵は泣き叫んだ。

 しかし、彼は移動の間に崩れかけていたどこかの家の煉瓦の塀から1つを

 頂戴していた。レンガに大鉈が突き刺さり砕け散る。

 渡の腕は転がり落ちなかった。


「ひっ、ひい……わ、渡……」

「……今から見ること、誰にも言うなよ。

 暴漢がいて、俺が守った。正当防衛だ。それだけしか言うな」

「う……ううう……!!」


  庵は完全にへたりこみ、渡に投げ渡された就活かばんと上着を抱え、

 ガチガチ歯を鳴らして怯えていた。これ以上は庵が保たない。

 そう考えた渡は、短期決戦に持ち込むことにした。


「ゔゔゔん!! ゔゔゔぁ~~~!!!!」


  コマ数の少ないゾートロープのような動きで、口裂け女は大鉈を振り上げては振り下ろした。

 とっさに翳した渡のナイロン製のビジネスバッグは強固に持ちこたえたが、

 異常な存在の振るうその腕力に、あっという間にボロボロになっていく。

 何度目かの振り上げの瞬間だった。庵は口裂け女を水に、渡の手を見ていた。

 その手には、空色の透明感のある拳銃が握られている。


「誰も試しちゃいねえお前の弱点。

 それはそのでかすぎる口だ。ポマードでも水飴でもねえ。じゃあな!!」


  渡はバッグが完全に引き裂かれた瞬間、片腕で口裂け女の前髪を鷲掴みにして引き寄せ、

 もう一方の手に生み出した拳銃を口裂け女の口に突っ込み、発砲!!

 2発、3発、4発。確実な死を注ぎ込んだ。ガスが吹き出すようなブシュという音が

 こもって聞こえる。口裂け女は、血を出さなかった。倒れ落ちるその瞬間、

 ホログラフのように女のヴィジョンは乱れ、そしてかき消えていった。

 乱れたヴィジョンは極彩色にカオスであり、そのどれもが犬の顔を模したような

 奇妙なグラフィックを呈していた。


「庵!!」

「わ、わ、渡……さっき、さっき、銃、銃で……」

「落ち着け。空気をいっぱい吸うんだ。ゆっくり、ゆっくり……」

「さっきの何! なんなの渡!! なんなのよ!!」


  庵は完全にパニックを起こし、抱きしめる渡に逆ギレしていた。

 恐怖のあまりに、その感情の吐き出す先がなかったのだ。

 至極当然の人間の反応であった。渡は庵が落ち着くまで、何分でも

 何十分でも抱きしめ続けてあげた。


 口裂け女。これが渡が生まれてはじめて出会った、都市伝説だった。

色々調べ物が多いですね……こんなややこしい設定誰が

考えたんや……俺や……

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