CASE16「-スレンダー- 痩せぎすた契り その10」
-信じようと、信じまいと。
オッターの爆破作戦は突如現れた過去を礼賛する者たちの1人、
四凶―ムシュカが率いる窮奇によって失敗に終わった。
暴走状態になり、アフレイデッド化したスレンダーマンは
超巨大ハルキゲニアの姿に変貌し、街へと進軍を進めた。
渡たちは決着をつけるため、その後を追うが―。
-信じまいと、信じまいと。
この世のものとは思えないおぞましい雄叫びを上げながら、
カンブリアより来る父の怒りは天を貫いた。
荒れ狂う触手はテスラコイルのようにあたりを侵食していく。
その直径は大木のようであり、薙ぎ払われれば原形は留めても骨はつくねになるだろう。
「渡、君は一体ブラックウッドの家で何を見つけたんだ?」
大型バイクの後部座席に、器用に横に座るオッターは訝しむように渡に言葉を投げかける。
バイクのエンジン音と、怪物の嘶く音だけが聞こえるなか、渡は言葉をゆっくりと紡ぎ出す。
彼は自力で相応の速度を出せるので、バイクにはスクアーマとオッターの2人が乗っている。
爆速の氷のブレードがアスファルトを滑りゆく。
「ミイラだ。大小2体」
「妻と娘か」
「ああ。ミイラは古来より死後の復活のために保存されてきた。
復活させる気満々だったんだ。あの男は」
「……だから娘の幽霊を破壊されて暴走したんだね」
黙々と運転を続けるスクアーマが、重々しく口を開いた。
「何年も前に死んだはずなのに、あの家は3人家族を延々に続けていた痕跡があったんだ。
今朝使ったかのような使いかけの子ども用ハミガキ粉とか、剥げた塗装の子ども用食器。
ついさっき奥さんと娘さんが家を後にしたかのようにね……」
まるでゴキブリの死体を詳細に語るかのように苦々しい物の言い様に、
さしものオッターも怯み、言葉を饒舌に繰り出せなかった。
夏樹からその詳細は知っていても、もはや現実の方を歪めに
行かんとする執念に彼は恐怖した。
「……確かに大事な人がいなくなるってのは耐えられないものだ。
でも、あれほどまでなのか?原種達の心の力ってのは。
なあ、渡。君なら分かるのか?アイツの気持ちが」
渡は鼻で笑った後、少しため息を付いてから化け物をみやりつつ答えた。
「俺たちは、思い出を紡いで生きている。泣いたり笑ったり、喧嘩したり、
いい匂いを嗅いだり色々全部だ。そして失えば、取り戻すことはできない」
「それはそうだろ。僕が言いたいのは……」
「取り戻せる。と言われたらどうする? オッター。お前なら、乗るか?その誘いに」
その言葉に、オッターは父と母の影を見た。
その沈黙を待たずして、渡は続けてこう言った。
「思い出を失ったキッカケが理不尽であればあるほど、人は事態を飲み込むのに時間がかかる。
誰しも死ぬってのは頭では理解してるだろうさ。でも、この世界で。
言い伝えが実体化しているこの世界でなら……お前は取り戻さずにいられるか?」
オッターは再び脳裏に呼び戻される。父の怒声、母の嘆き。
そして友の失望。崩壊。渡の質問に、彼はウソでもノーと言えなかった。
そんな静寂を割くように、夏樹からの通信が彼らの目前に広がった。
ホログラムの彼女はどこかと通信を繰り返しながら、
さながら宇宙戦艦の艦長のように慌ただしく指示を飛ばしていた。
「おい夏樹どうした。ゴーレムは片付いてんのか?」
「生憎まだだ。言っただろう、消耗させられていると」
「額の文字を消すように指示は飛ばしてんだろうな?」
「それくらいやってる!」
2人だけの通話に、運転中のスクアーマが割り込む。
「おデコの文字? あったけど消さずに倒せたよ?ていうか消すとどうなるの?」
「その声はスクアーマ君か。ゴーレムは額に『Emeth』という文字が刻まれいる。
それが彼らのスイッチだ。Eを消せば奴らは死ぬ」
「でも、できね-んだろ?」
「ああ……」
通話越しの夏樹は心苦しそうに少ウィンドウで映像を彼らに繋いだ。
それはドーベルマン達が必死にペイント弾で応戦している映像だ。
戦える市民も同じく、思い思いに顔を汚そうとしていた。
しかしゴーレム達は張り付いた笑顔と繰り返す挨拶と共に、
電撃で人々を薙ぎ払っていった。ゴーレム達は間合いを測るかのように、
一進一退をわざとらしく繰り返している。
「防汚コーティング……!!」
スクアーマはギョッとした。ゴーレム達は常に光に照らされ、
幾度汚されても白磁のような煌きを曇らせなかった。
何度も泥やコールタール、スプレーなどの汚染に塗れながらも
不自然なほどに汚れる気配はなかった。
「丸見えの弱点に保険をかけていないハズがなかったんだ。
幸い、内圧の急激な変化や漏電、銃撃でも倒せるには倒せるが……
スレンダーマンの侵攻を抑える人員をそちらに確保できない……!!」
悔しさをにじませ、夏樹は何杯目か分からないコーヒーに手を伸ばす。
「俺の急激な冷気にも霜一つ付かなかったんだ。その時点で奴らに文字を消す攻撃は
通用しねえと思ったんだけどよお……」
「それをなぜ報告しなかった……って、そうか、奴らは通信障害を引き起こせたな……
忌々しい土人形どもめ!!」
直後、夏樹側からも渡達からも、激しい嗚咽のような絶叫が響いた。
「マズいぞ……スレンダーマンが住宅エリアに来ている」
「『過去を礼賛する者たち』が俺らの対策知らね-ハズがねえよな。
スーちゃん、フルスロットルだ。ムシュカが手を出す前にアイツを止めんぞ!!」
「どうするつもりなの? まさか目の前に躍り出て対峙するつもりじゃないよね……?!」
数秒ほどの間が、スクアーマの口から「冗談だよね?」と呟かせた。
渡は本気だった。
「お前らは先に住宅エリアの入り口側にスタンバっててくれ」
「火力を分割させてどうするつもりだ。最速で問題の根本を叩いたほうが速いと思うんだが」
オッターも同意しかねるという風に大きなあくびをした。
渡は何か策があるかのように、笑みを含ませこう言った。
「都市伝説退治は初めてじゃない。これもただのケースの一つだ。デカい奴もいた。
んで、デカい奴にはどーやってアプローチしていくか。分かるか、オッター」
「いや知らないな。新鮮だからご教授願えるかな」
彼はパンと拳を手でつかみ、オッターに宣言した。
「タイマンでボコる!」
「は?」
「ま、そういうこった。俺だけでやったほうがいい理由があるんだよ。
説明すんの面倒くさいから、あとヨロシク!!」
「ちょっと!! ヨロシクって何!! ねえちょっ……」
スクアーマは真意を問いただそうと幅寄せを試みたが、
中央分離帯がそれを邪魔した。見る見るうちに渡は
巨大スレンダーマンのいる方向へ消えていき、姿はビルの谷間に隠れていった。
「ねえちょっと?! プランは?? プランどこ??!!!」
「……ま、釈迦に説法、河童に水練だな。僕たちは夏樹の援護に回ろう。
幸い、僕は一撃で奴らを粉砕できるだろうからね」
――
薄暗いコンクリートジャングルの隙間を、渡は最短のコースを縦横無尽に突っ走った。
彼の場合、それは平面的でなく立体的な動きであり、それを可能にするのは、
変幻自在に変わる氷の構造物だ。室外機から室外機を飛び、
ビルとビルの間の数メートルの隙間も、横断歩道の白い部分だけを渡るかのように
ひらりと飛び越していく。そうして徐々に、しかし確実にその遠近感を失わせるほどに
巨大な怪物のすぐ近くまで渡は辿り着いた。
「こいつ、これだけ近づいても叫び声ひとつ出さねえな……。
ってことは俺の存在を感じていないのか。
ま……どっちみちふっとばすことには……変わりねーけど!!」
彼は長い足でコンクリートを砕く機械のように、屋上に備わった自動販売機の留め具を
踏み砕き、氷のレールを自販機の底に敷いた。そうして発射準備が整った自販機を、
まるでバンジージャンプのインストラクターが飛ぶ人の背中を押すが如く、その背後を叩いた。
「イッツ、ショーターイッ!!」
戦闘機のような風切り音とともに、まるで物理演算が効きすぎた
ゲームのように自動販売機が空を舞う。それは巨大スレンダーマンの
柔らかいのか硬いのか分からない皮膚にめり込み、かなりのダメージを負わせた。
「ぎぎぎぎぃいいーっ!!」
「そりゃ痛かろーな。でも……俺はここだぜ」
渡は、触手を振り乱し突然の衝撃に混乱している隙に地上に移動した。
流石に声を掛けられただけはあり、ようやく巨大スレンダーマンは渡に気がついた。
電車ほども太い触手が彼を刺し貫かんと豪速球で降り注ぐも、
その狙いは数メートルのズレを伴い空振りに終わった。自販機が爆発したのだ。
「あんまり皆気にしねーけど、自販機はフツーに爆発物もいいところなんだぜ。
知ってたか? 自販機には一番デカいタイプで900本は入るんだ。そのひとつひとつが……
破裂すれば車の窓ガラスは余裕で吹っ飛ばせる威力を誇る」
巨大スレンダーマンのボディは、まるで中途半端に裂けるチーズを
裂いたように大幅に損壊した。その内部は渡の予想を反したように
パステルカラー色で、肉肉しいグロさはなくても
気味が悪いことには変わりなかった。
「よし。ここまでぶっ飛ばしたら侵攻は食い止めれ……」
巨大スレンダーマンは、視力は失っていたが再生能力は健在だった。
ボコボコと肉が盛り上がり、小休止のあと何事もなかったかのように
進軍をするそれをみて、渡は「あー、なるほどね」と
半ば分かっていたかのようにため息を付いた。
「夏樹、聞こえるかー?」
「なんだ」
「あの装置、今が使いどころだぜ」
依然として進撃の歩を休めない巨大スレンダーマンを、
渡は膨大な冷気で押し留めながら夏樹に通信を飛ばした。
それはあの空間隔離装置の運用を促すための連絡だった。
「実は私も同じことを考えていた。だが……お前にはスイッチを渡していない。
私の方から起動すれば、お前はお前の都合で隔離空間から出られなくなるぞ」
「そういやスイッチくれなかったな。まま、それは些細なことよ。
それに夏樹も、俺に町中のアイテムを武器扱いされちゃ困るだろ?
損失補填で破産まっしぐらだぜ」
夏樹は指令室から、手元にある一握りのスイッチをまじまじと見つめていた。
通信相手の渡の方からは猛吹雪の音が聞こえている。もちろん彼女の手で、
任意に解除することは可能だった。しかし、ただでさえ狂乱状態である今、
怪物が消えたり現れたりをすれば、ますます市民はパニックに陥る。
彼女をはそれを憂いていた。
そして何よりも、彼女は自身の発明に対し自信を失っていた。
何かを作れば作るほど、誰かが傷付いているのではと不安に駆られていたのだ。
だが迷っていれば、無駄に人が死ぬ。彼女は意を決し、相棒のためスイッチを握り、押した。
「どちらかの生命反応が消えた時点で解除されるようにセットした。
……お前というやつは、なぜそうも犠牲になろうとする」
位相の違う世界という金網デスマッチを希望する彼に、
夏樹は悔やむように尋ねた。彼はニヤリと笑った。
「だってそれって、ヒーローじゃん?」
「……とんだ馬鹿野郎だ」
そして渡は隔離空間内に移動した。
猛吹雪の音が通信のNO SIGNALのサインと共にぷつりと消える。
人気が突如として失せたのを感じたのか、巨大スレンダーマンは
一瞬攻撃の手を休め辺りを見回した。
「さあ、ブラックウッド!! クールに行こうぜ!!」
両手から吹き荒ぶ猛吹雪は、待ってましたと言わんばかりに威力を存分に増していく。
拮抗していた力比べに変化が生じていく。
渡は今まで、自分の能力を知る限りで全力を出したことがない。
それは純粋に夏樹への配慮からだ。
巨大ヒーローみたいに地形を変えたり建物を壊してしまうと、
現実的な問題が相棒に降りかかりかねない。
「……本当に好き勝手出来るとなると、意外と困るな」
渡は辺りを見回し、手始めと言わんばかりに路上駐車の車を片っ端から叩き込んだ。
車は当然の権利のように爆発炎上。ハリウッド映画でもチープすぎて採用しないであろう、
爆発に次ぐ爆発が大通りを覆い囲んだ。
「げほげほっ、うっわやり過ぎた……!!
花火に全部火ぃ付けたみたいになっちまった……」
猛吹雪の障壁に身を包み、有害な煙を吸わないように徹するも、
渡の視界はほとんど黒煙に覆われ機能しなくなっていた。
「いくら再生能力があろうが、追い付かないくらい燃やしちまえば流石に堪えるだろ?!」
目に意識を集中させ温度を見ると、その希望的観測は失敗に終わっていたことに気付いた。
無傷だったのだ。渡の背筋に悪寒が走る。
その瞬間、触手が彼の柳のように細い体を乱暴に捕らえた。
「しまっ……」
「カレェェエエエエエーーーーンッッ!!」
疾走する愛情は、その行く手を阻むものに対し容赦しなかった。
まるでまち針をピンクッションに刺すかのように、
その鋭い触手を渡に突き立てようとする。
「喰らってたまるかよ!!」
絶対零度に近い空気も凍る超低温に彼が身を包むと、
彼に向かう触手はある一点からそれ以上動けなくなった。
それ以上進むと、まるで脆いつららを折るように
ポキポキと折れていくからだ。だがそれは助かったわけではなく、
膠着状態に陥ったことを示していた。相手はあきらめる様子もなく、
その再生能力を存分に発揮してごり押しを仕掛けてきた。
「っっ!! コイツ、俺が能力を維持出来なくなるまで攻撃を止めないつもりか!!」
もちろん彼に策がないわけでもない。
羽交い絞めにされ突き刺されそうになった時は、相手が堪らず拘束を
ほどくようなアクションを起こせば良いことを彼は経験から学んでいる。
彼は空中にギロチン式のシガーカッター様の刃を生み出し、
自分を握りしめている一際太い触手をぶった切った。
そして再生能力が少しでも遅れるよう、彼は傷口を氷で覆いつくしておいた。
彼のダメ押しは正解だった。触手は切ったそばからずるりと再生した。
「お前……。どうしてそこまでして娘を蘇らせたい!!
蘇ったところで、病気が治る保障もないんだぞ!!」
元より正気ではないと思ってはいたものの、改めてその信念の強さに恐れをなした渡は
初心に立ち返り、叫びを止めない巨大スレンダーマンを見つめなおした。
「そうか……フォークロアは人間の強い感情が生み出した存在。ああ、つまり……
今からが謎解きパートってことか。よし……」
渡はあえて、防戦に徹することに決めた。彼の方からは攻撃せず、相手の攻撃の場所を
観察し、魔の手が迫ればいなすことを繰り返す。そうして彼が観察に徹していると、
あっという間に住宅エリアに近づいていた。
「娘を探しているのか……?」
その破壊の矛先は暴走していると言えど、特定の方向に指向性を帯びていた。
なぎ倒すビル、砕け散るガラス、捻り潰される車の数々には、婿として男性ばかりを襲う
特性とは一線を画す行動パターンだった。
「子供が関係するものを破壊しているのか……?」
託児所が入る雑居ビル、「子供が乗っています」のシールが貼られたファミリーカー、
子供服売り場など、そのどれもが子供に関連する何かだった。
渡はその様子を見て、一つの核心に至った。
握りこぶしに力が入り、爪が手のひらに食い込んだ。
「そうか……そういうことか」
彼はそっと、ポケットに手を突っ込み指輪を取り出した。
それはあの胡散臭いネズミのアクセ屋で買った、エンコードリング。
歌う少女の霊による「赤い鳥小鳥」が記録された代物だった。
「ずっと、会いたかっただけだもんな」
破壊し尽くしたあとの子供服売り場から、
車道へいくつかのマネキンが転がっていた。
ちょうどショーウィンドウ用のものであり、
暗がりで見れば女児と見間違うほどのサイズをしている。
渡はその1つを抱きかかえ、適度な足止めで巨大スレンダーマンを牽制すると、
彼はオフライン状態のラプラスに指示を飛ばした。
隔離されている空間では、当然通信は行えない。
しかし端末ひとつでも、相当な機能を有しているため問題はないのだ。
「ラプラス……。このマネキンに対し俺の持つエンコードリングに記録された音声から
ホログラムを投影しろ。そして音声と俺の持つデータを統合し、人工無脳を作り出せ」
渡はこれから行う行為に若干の罪悪感を感じていた。
とはいえ、それが相手のためになるならばと
彼は意を決してこの行為に及ぶ決心をした。
彼は温度を操り、周囲の環境を霧の多い高山と同じ環境へ生まれ変わらせた。
「カ……カレ、ン……?」
「あかいとり ことり なぜなぜ あかい? 赤い実を たべた。
パパが教えてくれた歌、わたしね、天国でも歌っているの」
渡とマネキンは巨大スレンダーマンの背後にいた。
そして彼は生み出した霧で光を屈折させ、
ブロッケン現象と呼ばれる存在を生み出した。
日本においてそれは御来迎と呼ばれている、人影が投影される現象だ。
「良かった……ああ! 蘇ったのだね!!」
偽りのカレンは虹を背負い、影の姿で降臨した。
幻影のカレンは「ちがうよ」というジェスチャーをとった。
「お父さん。わたし怒ってないよ。だから元気だして」
「そ、そんな。私があの歌を教えてから、カレンの病気が出たんだぞ?!
私が、私があんな歌教えなければこんなことに……」
「お父さん。ねえ聞いて? わたしね、天国でとても歌が上手いって
褒められてるの。皆に褒められて嬉しいけれど、一番嬉しいのは……
お母さんに褒められたとき! 死ぬのは苦しかったし、嫌だった。
でもね、お母さんがいるの。だから、わたし、だいじょうぶ!」
渡は言葉巧みにスレンダーマンを、ブラックウッドを落ち着かせる人工無脳を
固唾を呑んで見守った。オッターの件を含めれば二度目の偽証だ。
相手も都合よく現れた娘に疑いを持つだろう。渡はそれを危惧していた。
「そうか……よく考えれば、ハハハ。そうだよな。あっちにはママがいたよな。
お前を生んですぐ亡くなったから、会えたらそりゃ、嬉しいよな……。
なんで気付かなかったんだ。どうして……どうして私はこんな姿に」
スレンダーマンは徐々に、ゆっくりとドロドロと溶けていき、元のスーツを着た
背の高い成人男性へと戻っていった。その姿はまるで何ヶ月も漂流していたように
ボロボロだった。そして何よりも、その無謀の顔に父親の顔が宿っていた。
「正気を取り戻したようだな。ブラックウッドさん」
「……君は誰だい? 娘の知り合いかな……」
「……半分そうかもな」
人間の空想が実体を持つ世界。しかしこの隔離されている空間では、
その人間は渡とブラックウッドの2人だけしかいない。
世界はブラックウッドのため、幻影を実体化した。カレンはその名前を表すかのように
愛らしく、赤の他人の渡にすら愛おしさを抱かせるほどに純朴だった。
幻影が実態となる過程をじっと見つめていた渡は、ようやく彼に声をかけた。
「アンタはずっと娘を探してたんだ」
「それで、君が見つけてくれたのかい?」
「……まあ見方によってはそうかもな。アンタはその……言いにくいんだが」
「知ってるよ。私が怪物で、人殺しを何年間もずっとしていたことくらい……」
ブラックウッドは諦めたかのように、乾いた笑いを浮かべた。
「殺してくれ。怪物としての私と……決別したいんだ」
「何バカ言ってんだよ。俺は怪異は倒しても人間を殺すつもりはねぇ。
今のお前にふさわしいのは警察にしょっぴかれるこったろ?」
渡は突然の要求に驚き、慌てて拒否した。しかしブラックウッドの目は頑なで、
覚悟を決めた男の顔をしていた。
「仮に警察に自首しても死刑になる。何ヶ月も拘留と裁判で人の世話になるのはゴメンだ。
今まで正気を失ってたからこそ……自分の意志で自分の身体を動かしたい」
ブラックウッドにとって、スレンダーマンと化して以降の人生は生き地獄だった。
医学が救えなかった命を諦められず、まじないに手を出し、狂気に飲まれていくのは、
あたかも底なし沼でもがき苦しむかのような苦しみだった。
歪んだ現実が、鼻先の人参のように偽りの希望のよすがを与え、
そして消えていくのだ。その繰り返しに彼は疲れ果てていた。
「私は確かに娘に会いたかった。自分も責めていた。
だがどうして、蘇らせようだなんて思ったんだろう。
娘の墓を荒らすような真似をどうして……」
「それをアンタが知っても、何の慰めにもならねえよ。ただ一言言えるのは、
アンタは原種で、父親で、そいで……不器用だっただけかな」
「ハハハ。不器用ね……妻にもよく言われたよ。そんな音痴で娘に歌を教えるなって。
だから影でこっそり練習したんだ。これからは……妻に……妻に……
ああ。私は、地獄行きか」
ブラックウッドはうなだれ、涙をこぼし嗚咽を漏らした。
娘にはもちろん、妻にも会えないことを彼は悟っていた。
これだけの殺人を繰り返せば、いくら後悔しても死後に望みはない。
「覚悟は出来ている。殺してくれ」
ブラックウッドはしばらくのあと、再び決意に満ちた顔で渡に頼み込んだ。
カレンはそれを寂しそうに横で見ていた。子供には理解し難い内容だったが、
今後自分の父親がどうなるのか死者として察しが付いていた。
渡は諦めて、ハァとため息を付き付き合うことにした。
「じゃあ、そろそろ昼寝の時間だな。カレンちゃん、お父さんの手を握っててくれるか」
「……うん」
「ありがとう。名前も知らないが、とにかく……君になら任せられるよ」
ブラックウッドはまるで昼寝をするかのように地面に寝転がり、
その小わきに娘を抱いた。トントンとカレンの背中を優しく叩きながら、
彼は静かに目を閉じた。彼は渡がどういった人間かを知らない。
しかし、どこか彼が安らかな死を与えることが出来ることを確信していた。
「揺り籠の歌を カナリヤが歌うよ
ねんねん ねんねこ ねんねこよ
揺り籠の上に びわの木が揺れるよ
ねんねん ねんねこ ねんねこよ……」
「……どうして、いいやつばっかりこんな目に遭わなきゃなんねーんだよ。くそっ」
渡は二人のそばに立ち、死神を演じた。二人の前に手をかざす。
人間の呼吸を司る延髄を、彼はゆっくり、ゆっくりと冷やしていく。
呼吸が麻痺し、ぼうっとした眠気がブラックウッドの意識をさらって行く。
「来世、あんのか知らねえけど……。次はいい感じの人生送れるといいな。家族で」
渡が別れの言葉を投げかけた次の瞬間、隔離空間が解除された。
次第に歌もとぎれとぎれになり、虚空の果に消えたすぐだった。
「すげー余韻もなしに消えるもんなんだな。情緒もへったくれもねえ」
「そりゃあそうよ。だって『私』が消したんだから。アハハハハ!!」
渡にとって、忘れ得ぬその声。青いキャビンアテンダントのような格好のその女。
翼の生えたトラの怪物と共に、その女は下品な笑みを絶やさなかった。
「あれっ、な、何が起きている……?! なんで私は生きているんだ!?」
「ぶ、ブラックウッドさん!? 俺がさっき確かに、呼吸を止めたはず……」
カレンは騒ぎに目を覚まし、怯えていた。
渡は道路の向こう側から、怠惰な拍手を繰り返しながらやってくるその女に
憎悪の眼差しを向けた。
「ムシュカァッッ!!」
「物覚えがいいのねえ。私の名前を覚えていてくれるなんて」
殺気に満ちた冷気を放ち、渡は有無を言わさず雪崩にも似た猛吹雪を四凶の1人、
ムシュカに放った。しかしその側で喉を鳴らすトラ、
窮奇はその翼の羽ばたきひとつで吹雪をかき消した。
「そっちの方は物覚えが悪いみたいね。私達に勝てた試しなんて、
今までなかったでしょ? さて……歌を忘れたカナリヤは……用済みね」
「好き勝手させるわけねーだろタコ!!」
渡は背中にジェットを生み出し、凄まじい勢いで窮奇とムシュカに迫った。
しかしそう彼が自覚した瞬間に、その位置は逆転していた。
「なッッ……!? いつの間に……」
「タコじゃなくて、虎ちゃんよ。
お馬鹿さん……アハハ……アハハハハ!!」
渡が振り向く頃には、すでにムシュカはブラックウッドとカレンに近づいていた。
「娘に近寄るんじゃあないッッ!!」
ブラックウッドは吠え、再びスレンダーマンの姿に身をやつした。
しかし意識はそのままで、完全に操りきっていた。
その姿にムシュカは初めて「おや」と驚嘆の仕草をとった。
渡は驚き、どちらを攻撃すべきか悩むも、その生み出した銃口をすぐさま
ムシュカに向け直した。
「あらあら……流石は融合伝承態ね。一度意識を取り戻したから、
強靭な変身能力を保持しつつ自我を保てる。親子の愛。確かに学び得たわ」
「テメエ……イキるならイキるで説明のひとつ自慢気にしたらどうだ?」
渡の挑発には一切を嘲笑に伏してきたムシュカだったが、
勝ち誇っているのならという現状を逆手に取ったその言動に興味が湧いたのか、
彼に向き直り饒舌に語り始めた。
「いいわよ。折角だもの、知ることによってより深い絶望に落ちる
相手の姿を見ることは……我々の最大の望みの1つなのだから。
2つだけ教えてあげるわ。1つは融合伝承態について」
ブラックウッドは触手を放ち、引きちぎらんばかりに
ムシュカの細い体と窮奇を締め上げた。そして彼の十八番である相手を
発狂に導く無貌の眼差しも含め、全力で彼女らに叩き込んだ。
しかし、常人なら数秒も持たない精神と肉体への同時攻撃も、
彼女にはそよ風ほども効いていないようだった。
「このバカのように……特定の原種は怪物化した際に複数の伝承を取り込み、
より強力な個体へと進化するの。我々は融合伝承態と名付けているわ。
そして一度失った正気を再び取り戻すこと。それが融合伝承態としての完成。
完成した個体を見るのは……初めてだわ……。ああ、素晴らしい……
しかし一体誰が、何が原因でそうなるのかは我々でも分からない。
ま……凄まじい意志の力がそうさせると言えば、
少しはポエミーかもしれないわねえ……。でも!!」
渡はこれまでのキーワードを思い出す。女性のアクセサリーによる魔除け、
復活の象徴としてのミイラ、冥婚、そして歌と愛情。
一見とりとめのない伝承のすべてが、スレンダーマンへと結びついていた。
渡はゾッとした。
「でも? でもなんだよ。テメエですら初めての存在を目の前に、
よく平気でいられるよな。お前は今、超激烈にアウェーだぜ。
俺とスレンダーマン、異種マッチでテメエをいつでも
ぶち殺せるんだからよ……!!」
その瞬間、ムシュカはタガが外れたようにケタケタと笑い始めた。
まるで呪いのビスクドールかなにかのように、乱痴気騒ぎの真っ只中めいて
一通り笑い尽くしたあと、彼女は纏う気配を変えた。
渡の全身が「逃げろ」と叫んだ。
「でも!! でもでもでも!! 私のほうがチョー強いの!!
アハハハハ!!」
彼女は天を仰ぐように両手を広げ、高らかに宣言した。
それに合わせて窮奇も高らかに咆哮する。数秒の後、地面が揺れた。
そしてさらに数秒後、小石がふわりと空に舞った。
「私は天と地、生と死、万物全てとアクセスできる!! 私という存在がある限り、
私は無敵なの!! アハハハハハ……!! さあ、生き残れるかしら……ふふ」
小石だけでななかった。車、電柱、道路に散らばったガラクタ、
その他ありとあらゆる万物が、空に舞う。建物は悲鳴を上げ、
メキメキと基礎の浅いものは空中へ吸い出されるように飛んでいく。
渡たちも例外でなかった。
「うおおおおおおおおッッ!!? な、なんだ、身体が……『浮く』ッ!!」
「カレンッ!! パパの手を離すんじゃないぞ!!」
「それ何本目の手よ? 気持ち悪っ、アハハハ!!」
各々が必死に地面にしがみついた。しかしその重力とも言える
凄まじい吸引力に、街中から悲鳴が聞こえた。
子供も、大人も、誰も彼もが、空へ泣き叫びながら消えていく。
渡は自分の体に強力なダウンバーストの様な暴風の吹き付けを発生させ、
無理矢理に空に飛んでいくことを防いだ。
「信じようと、信じまいと!!
我が名はロア!! いつか私が!! 事実に打ち勝つ日まで!!
過去は未来に!! 牙を剥き続けるであろう!! アハハハ!! アハハハ!!」
「お父さん!! 行かないで!! いや!! いやあああああ!!」
「カレン!! 手を離すな!! 離したら『空に落ちてしまう』!!」
やがて2人は、パニックと絶望に顔を歪ませ、互いを離すことが出来ないまま
空へ消えていった。渡はただ1人、それを地面にしがみついたまま見ている他なかった。
「素敵な親子愛だこと……ああ、興奮する。これが愛。これが親子の愛。
数ある愛の中のひとつなのね……」
久しぶりすぎて寿司になったわね(?)
まだまだ続くわよ。もうそれはめちゃ続くわよ。やばいわよ。
そしてやめない。何年かかっても完結させてやるぞお^~




