CASE15「-スレンダー- 痩せぎすた契り その7」
――信じようと、信じまいと
スレンダーマン、その正体は幼い娘を病気で亡くしたある一人の男だった。
渡たちは、僅かな手がかりを元にその真の目的地が、郊外の廃遊園地であることを知る。
夏樹は市民の避難とスレンダーマンの陽動、オッターはそれを廃遊園地で待ち構えることに。
そして渡とスクアーマはスレンダーマンの自宅へ足を踏み入れようとしていた。
――信じようと、信じまいと
オッターが街角で夏樹の私設兵団を見物しているその同時刻。
渡はピッキングしているスクアーマにくどくど言い訳をしていた。
というのも、スレンダーマンの住むマンションは、
この未来において標準的なものだったが、
スレンダーマンの自宅の鍵は恐ろしく古い代物だったからだ。
それは、法隆寺などに見られる釘を使わない複雑な建築方式を
応用した「完璧な施錠」であり、彼らはその突然の
ロスト・テクノロジーの登場に頭を抱えていた。
「どうよスーちゃん、キてる感じない?」
「いやぁ~~……厳しいねこれ。
これ僕じゃなくてオッターに頼むべきだと思うよぉ」
「いやいや、それな、それ本当俺も思ったんだけどさぁ?
アイツ、結局夏樹の指示通りウェストサイド・ガーデンのほうに
向かっちまったじゃん? 俺だってスレンダーマンん家の鍵が
『寄木細工を応用した特殊な鍵』だとは思わなかったし……」
もちろん彼らはドア自体の破壊も考えた。
しかし、ドアだけはこの時代にある未来的素材で構成された
堅牢極まりない物質であり、破壊は不可能だった。
オッターを呼べばよかったと、
彼らは何度もネチネチと己の判断を悔やみ続けた。
「まあ、植物に詳しいのは確かだよ。自慢じゃないけどね。
この……色んな柄の色の違う木は全部違う種類の材木なんだ。
格子模様とか、プロペラ模様とか……まあとにかく!
それぞれの吸湿性が全部違ってるから、家主の持つ鍵じゃないと
絶対に開かないんだ」
「プロペラぁ? それ八角だぞ。知らないのか?
「知らないよそんな旧時代の呼び方なんて……全く。
大体、下手に枯らせば完全に鍵穴が埋まって
開けられなくなるんだよ? 今はラプラスのAIを借りて慎重に
鍵穴に植物を……」
鍵を構成するドアノブは、伝統工芸品のように
自然な木目模様が美しい独特な形をしていた。
それらは影枡、亀甲、八角模様、青海波文様など、ミステリーサークルを
彷彿とさせる全く幾何学的なパターンで構成されていた。
電子ロックであれば、鍵は鍵の用を生さずに一瞬でその戸を開けただろう。
しかしブラックウッド――スレンダーマンは、何かに用心するように
古きを訪ねていた。おおよそ未来人たちが知らない古代の技術を知るために。
「この鍵もだけどさ……やっぱりその、君たちが言っていた
アイツらってのが教えたのかな。この『細工』を」
「可能性は高ぇな。冥婚しかり、俺のいた時代でも古い技術だったものを
この未来に伝えているなんて。ブラックウッドが考古学者だったら、
話は早えんだけどなぁ……」
渡は落下防止用の手すりにもたれ掛かりながら、吹付塗装の
上を歩く蟻やら何やらをじっと見つめながら
腕を組み作業を待っていた。
「お……開きそう……」
「マジで? 流石スーちゃん! 頼りがいがあるなぁ」
「でへへ……あんまり褒めないでよ。ニヤけて手元が狂っちゃう」
スクアーマはかれこれ、15分以上は鍵穴に向かって膝を付き
目線を合わせ続けている。暗い鍵穴に向かってそのトカゲ特有の
鋭い瞳孔を満月のように開き、能力で生み出した特殊な植物を以て
解除しようとしていた。
ふと渡は靴に触れている何かの感触が強まったことに気付いた。
それは集中しているスクアーマが箒のように
左右に揺らしている尻尾の先だった。渡は犬みたいだなと思い、
ふいに靴の位置をずらしてみた。スクアーマにとっては
一定間隔で当たっていた硬いものが心地よかった。彼は一瞬振り返ったが、
何事もなかったかのように作業に戻った。
しばらくすると木と木が重なり合うような解錠を知らせる、コツンという音が
鍵穴から響いた
「あ……」
相変わらず原種には発声不可能な甲高い声で、スクアーマは立ち上がりながら
ゆっくり伸びをした。彼の全身からアクション映画のような関節の鳴る音が
響き渡り、渡はあまりの音の大きさに少し動揺した。
「開いたね……」
スクアーマは咳払いして、まさか開くとはといった表情で
奇っ怪極まりない鍵を一歩引いて眺めた。
そしてこんな細工が古代に存在してたのかという驚きを
改めて感じ、渡のほうをちらりとみた。
渡は黙って頷くと、その右手に氷の拳銃を創り出した。
左手には逆手で持った小型のライトがある。
ドアの左右に分かれて立つと、スクアーマはドアに
植物を絡ませゆっくりとノブを引いた。
渡はすかさずライトを持つ左の甲で拳銃を支えながら
突入していく。
「……誰も、いねえか」
通常の家宅操作なら、隅々まで部屋を開放し
相手の存在を調べるべきだが、彼はその目で熱探知が出来るので
必要がなかった。さっと拳銃を霧散させると、
彼は部屋のスイッチが有るであろう壁に手を触れた。
「カーテン、閉めっぱなしみたいだね」
「ああ……」
渡は部屋のスイッチを手探りで見つけようとし、
やがてパチンという音と共にスイッチが入った。
「あれ……? 普通の……家だね」
「あぁ。でも住所も部屋番号も合ってる。調べるぜ、スーちゃん」
ブラックウッドの家は至って全く通常の2LDKの一般家庭だった。
ごく普通に整頓された食器棚、たった今朝まで使っていた痕跡のある
シンクのマグカップ、使いかけの歯磨き粉のチューブなど、
その全てが「普通」だった。
渡とスクアーマは、あまりの普通ぶりに
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。しかし渡は気を取り直して、
慣れた手付きで棚の戸を開けたり、何かの保存用の箱を開けたり、
その一切に躊躇を持たず、隅々までガサ入れしていった。
「な、なんか慣れてるね。人の家漁るの……」
スクアーマは渡の行動を呆れ顔で見守っていた。
「まぁな。これでも警察の真似事みたいなことをしてたからなあ」
「前の時代でのことだよね。それにしても……
ねえ渡。変な現象の原因になってるとこって、
グロいものとか見つかったりするもんなの?」
スクアーマは調査の過程で、猟奇的なものが見つかることを怖がっていた。
しかし渡は物色を続けながらそれを丁寧に否定した。
「そーでもない。そりゃ場合によっては
吐きそうな物を見つけることはあるけどよ。
本当に俺が探してるのは、物的証拠もだが……一番は歪みだな。
どこか異常である部分を探すようにしてる」
「歪み?」
「そ。見てみな、スーちゃん。
この食器棚、そーとー歪みまくってるぜ」
渡は突っ立っているだけのスクアーマに、まるで研修中の
社員に指導をするかのように観察を促した。
彼らの目の前にある食器棚は、両開きのガラスの戸越しに
食器が見えるごく一般的な家具だった。
大きい皿、中くらいの皿、茶碗、様々なコップ達。
そのどれに対しても、スクアーマは異常がないように思えた。
このままでは埒が明かないと思った彼は、とりあえず
引き戸部分に手をかけ、ゆっくりと開いた。そこには家族分の
箸が並んでいる。
「……あれ?」
スクアーマの気づきの声に、渡はそっと彼のそばに近づいて
答え合わせをするように、箸を数えた。
「多すぎない?」
「それだけじゃあねえ。よーく見てみな、この短い箸。
可愛いピンクの、絵柄が少し剥げた箸。
死んですぐなら、気持ちの整理がつかずに置いておくこともあるだろうが……
なぜ15年独身であるヤツが、夫婦用の箸と子供用の箸を持っていると思う?」
「えっ……それは……」
「お茶碗は見たか? 3つのお茶碗。洗うのがめんどくせーから量揃えてるのなら、
なぜ子供用の茶碗も揃っている?」
「……まさか」
スクアーマの脳裏に、大切なものを失ったことに絶えられず
「昔」を再現し続けているブラックウッドの日常が浮かんだ。
その使用感から、死後も彼がままごとをし続けていることに
彼は感づいた。背筋が氷柱になったかのような感覚に、
スクアーマは叫びだしそうになった。
「お前の想像通りだぜ。洗面所には使いかけのあま~い子供用ハミガキ粉がある。
歯ブラシは3本。ホットカーラーと口紅もあるぜ」
渡は、寒イボならぬ寒ウロコを立て続けるスクアーマの背中を押し、
洗面所、玄関とまわって行った。段々彼の呼吸は浅く、乱れていく。
「は、入った時点で変だと思ったんだ。子供用のくたびれた靴があるなんて」
玄関に舞い戻った渡は、スクアーマの動揺が落ち着くのを待つことにした。
玄関でスクアーマは、彼の隣で怯えきっていた。
想像を超えた狂気が、その悲しみが、現実を犯し尽くしていた。
この家は「歪んでいる」。そうスクアーマは思った。
「……なぁ、スーちゃん。
『人間が想像できるものは全て現実だ』って話。今したら信じるか?」
「……うん」
「アイツの現実は、俺達の現実とは違う。
アイツは違う想像の世界を生きているんだ。
願いが叶うまで、アイツはきっと殺しを止めない……
だから俺たちはその願いを知り、そして……」
「こ、殺すの……?」
スクアーマはうつむいていた顔をさっと向け、
やはりそうかという諦めに似た表情を浮かべた。
渡もまた、諦めたようにぶっきらぼうに答えた。
「……そうだな。前にも言ったが、俺は人を殺したことがない。
人の形をした何かならいくらでもあるがな。実際のところ、
その元凶はとっくに死んでたり、人間じゃなくなってる。
けどよ……今度のは、人だ。この『伝承が実体化する世界』で、
怪物に成り果てた『人間』なんだ……だから……」
殺すしか無いという事実に、渡もまた動揺を隠せないでいた。
怪異としてのスレンダーマン相手なら、彼はいくらでも強気で居られた。
彼はそれらを災害や獣害、虫害の類だと思っていたからだ。
しかしその正体は、単なる過去を振り切れない一人の男に過ぎないのだ。
その事実が示すのは、たった一つ。
「やるしかねえんだよ」
覚悟を決めた渡は、頭を振ると再び室内に向き直り
ある部屋に一直線に向かった。
「どこいくの?」
「寝室」
スクアーマは慌てて彼を追いかけ、バルコニーの横側に位置する
家族のプライベートルームの前に立った。
「ここは誰にも繕う必要がない、心をむき出しに出来る部屋だ。
きっとここに……ヤツと立ち向かうときに有利になる何かが
あるはずだ。開けるぞ、スーちゃん」
渡はドアノブをギュッと握りしめ、汗が滲み出るほど
そのノブを強く掴んだ。それが真実に向き合う覚悟の現れか、
極度の緊張によるものなのかは、スクアーマにとっては分からなかった。
いずれにせよ渡は思い切りドアを開け放った。ドアが壁にバンとぶつかり、
再び半開きに戻ろうとするほど。
「見つけたぜ……これがヤツの『現実』だ」
視界に広がる、幾数千ものおびただしい数の写真。
それはブラックウッドと、その娘カレン、そして妻らしき
女性との「思い出」だった。
渡はため息をつくほかなかった。
床も。壁も。天井も。部屋を構成する全てのものに
「思い出」が貼り付けられていた。
スクアーマは絶句を表すような鳴き声を出しながら、
ガタガタと震えていた。彼にとって、人間の狂気に触れるのは
初めてのことだった。
よもやマンションの部屋全てを覆い尽くすほどの写真は撮れないだろう。
そう思った渡は、ラプラスの力を借り、視界に映る全てを解析した。
「……流石に全てを異なる写真で埋め尽くせねーよな」
彼の想像通り、写真のレパートリーには限界があり
その傾向をさらに分析した所、貼られている写真は全て、
良き思い出でのみ構成されていることが判明した。
その中には一切、病院で撮られたものが無かった。
「遊園地で遊ぶ娘、外食中の娘、落書きの途中の娘、
転んで泣いている娘を抱きしめる嫁さん……。
全部『いい思い出』ばっかりだ。まるでこの部屋は……
『思い出の牢獄』だ……」
「確かに、人は誰だって前を向いていられないときがある……!!
でも、こんなのおかしいよ!
こんな、こんなことしたって、カレンちゃんは……」
スクアーマは、常に笑顔で映り続けるその少女をに胸を痛め
同時にスレンダーマンにも相憐れみの情を抱いた。
「これでも、悪者はそれっぽい動きを
見せた時点で殺すべきだと思うか?
社会に害をなす。その一点だけで、
相手を裁くべきだと、思うか? スーちゃん……」
渡はスクアーマの肩に手をやり、語りかけた。
昼間にも関わらず、薄ぼんやりとしている
思い出の牢獄に対し、スクアーマはただ黙っていることしか出来なかった。
ギュッと唇を噛む彼を、渡は一人にして、再びガサ入れを続けた。
「スーちゃん、そこで誰か来ないか見張っててくれ」
「……うん」
渡は3000年前もこうして、怪異の原因となった場所へ足を運び
数多くの思い出と向き合ってきた。それは原因を突き止めるための
ガサ入れに過ぎなかったが、それでもその中に記された
数多くの「思い出」に渡はいつも思いを馳せていた。
次に相まみえ叩き潰した後も、その無念を覚えているために。
「……良いよな。家族。楽しいんだろうな……
怪物になれるほど大事な何かって……」
そして最初から「家族」を知らない彼にとって、それらは
愛情とは一体何なのかを知る、唯一のものだった。
彼はめぼしい書類を全て漁り終えると、最後に「闘病日記」を
手にとった。それは一冊に留まらず、何十冊にも及んでいた。
「なるほど……。もし子供の病気が完治したら、自分の経験を世の中に
生かすために残すつもりだったのか。つくづく良い親だったんだな……」
彼は一冊目の発病初期からを綴った日記の一文を見て、
スレンダーマンが公共性の高い性格をしていた良い人物であったことを知った。
それ以外にも、娘に限らず、その周辺に対する様々なコメントが
綴られており、そのどれもに感謝の意が述べられていた。
渡は思わずその文章力に引き込まれそうになったが、彼はプロらしく
いきなり最終巻へと手を伸ばした。それには連続拉致事件の起きる、
ほんの数ヶ月前の内容が記載されていた。
――カレンの容態が少し安定した頃を見計らい、
私は外泊届を出した。長期入院患者は、様々な理由や息抜きのために
その制度を使うらしい。ずっと病院から窓の外を見る生活をさせていて、
私はとても心苦しかったから、本当に有り難い内容だった。
その情報をくれたのは、街中で出会った親切な
私と同じ原種の女性だった。彼女は「Save of past」という団体の
上層部の人間だと名乗り、私の事情を聞くと
彼女は早速手助けしてくれると言ってくれた。
神様はやっぱり見てくれてる。そう感じざるを得なかった。
妻に伝えると、妻は泣いて喜んでくれた。
――今日はカレンの誕生日だ。病気も空気を読んでくれたのか、
まるっきり表に出てこなかった。カレンの歌は何度聞いても
愛おしいが、窒息しても歌い続けるのを見るのはゴメンだ。
カレンの頼みで、今年の誕生日はウエストサイド・ガーデンだ。
なんてことはない遊園地だが、カレンがいるだけでまるで
天国のようだった。もちろん本当に天国になんか行ってほしくないが。
――外泊が良くなかったのか、病気がぶり返した。
一日中カレンは覚えた歌を、この世のものとは思えないキレイな声で
歌い続けている。声帯も、肺も、もうめちゃくちゃなのに。
私が教えた、私が歌った、子守唄を、覚えて、歌っている。
虚ろな目で、誰に発表するでなく、ベッドに横たわったまま。
医師に尋ねたことがある。カレンの記憶から歌を全て取り除けば、
この病気は治るのかと。もちろん医者の答えはNOだった。
かと言って私は、自分を許せなかった。私の教えた歌が、
カレンを傷つけている。その一点だけで、私は赦されない。
叶うなら、叶うのなら、この病気を治してくれ。だれか。だれか!!
――カレンの歌う曲のレパートリーが、私の知らないものへ変わった。
ラプラスで調べてみたら、それは「オペラ」という旧時代から続く
人間の伝統の一つになるらしい。それはこの病気の最終段階、
合併型慢性歌唱症候群の、手遅れのステージだという。
途方に暮れて、院内を散歩していたとき、またあの女性に出会った。
彼女は相変わらず励ましてくれるし、経済的な支援もしてくれるが、
病気の治療に関してはその他の医者と同じくらい駄目だった。
だが彼女がいなければ、きっと私は妻共々にダメになっていだろう。
――カレンが、死んだ。歌い続けて、死んだ。
小鳥の歌を歌い続けて。一瞬だけ、カレンは息をして、こう言った。
またウエストサイド・ガーデンでお嫁さんを見たい、
そしていつか、私も結婚したいと。
誰とと聞いたら、パパだと言ってくれた。それは無理だと言ったら、
じゃあパパに似た人、素敵な人と結婚したいと言った。
娘一人救えない男のどこが、どこが素敵だというのか。
私にはその言葉を受け入れる心の余裕がなかった。
――またあの女に会った。慰めてくれた。でもカレンは死んだ。
でもおしえてくれた。女は、ある一つの方法を。
それはとても恐ろしいものだった。でもやる。
妻も死んだが、彼女が死後の世界でカレンの面倒を見られるよう
違う儀式を施したから大丈夫だ。どっちの世界にも、カレンには
大好きなパパとママがいるようにしたから、大丈夫だ。
最初から、死など、恐れなくてよかった。
でも、眠るカレンを、ゆりかごの歌で送ってやれなかったのが
とても、とても悔しいなあ。
婿を、婿を探さねば。娘が戻ってくるまでに……。
渡は、その闘病日記の中に度々登場する謎の女性の正体を知っている。
「Save of past」。それがこの世界での「過去を礼賛する者たち」の
偽りの名前なのだと彼は知った。
「渡、どう? 何か重要な情報は得られた?」
「ん? ああ……見てみろ。この日記の最後の文章を」
渡は横入りするスクアーマの肩をぐっと引き寄せ、
見やすいように指で最後の一文を指し示した。
スクアーマは意図しない密着が発生して、少しドギマギしたが、
状況が状況なため、軽く咳払いをして気持ちを落ち着けた。
「なになに……? ゆりかごの歌で送ってやれなかったのが悔しい……?」
「これは旧時代にいた北原白秋って詩人が作った歌だ。
ブラックウッドは何故か旧時代の子守唄を好んで娘に歌っていたらしい」
「え、それってまた渡や夏樹が追ってるアイツらと関係が……」
「それはねえな。一通り読んだが、コイツは情操教育のためとかで、
古いデータを漁り昔の詩人の歌とメロディを学んだみたいだ。
だが……この「save of past」って連中、そしてこの女は……!!」
一通り怒りをぶち撒けたあと、渡は再び最後のページを読み直した。
すると彼はある一つの不審点を見つけた。
「これは……」
渡は目を皿のようにして、インクのシミ一つ逃さないよう注意深く見つめた。
そして答え合わせをするように、ラプラスを使い筆跡鑑定を行った。
「どうしたの? 何か暗号とかあったの?」
「違げえよ。でもまあ……似たもんだ。これはサインだ。
凄まじく巧妙に似せてはあるが、ここだけ文字の止め跳ねのインクのシミ具合が
ちっとだけ違う」
「そ、そう言われてみれば……こう、文字にこもってる気合みたいなものが違うかな。
説明できないけど、ここだけ気持ちがない気がする」
彼は調査において何よりも違和感を大切にしている。
どんな些細なものにも、見間違い、聞き間違い、思い過ごしは無い。
それに彼は重きを置き、「歪み」を知ることを調査としているのだ。
スクアーマも同じく日記を凝視したり、目から離したりして、感覚ながらも
同様の違和感を覚えた。
「やっぱりか……」
「ほ、本当に違ってたなんて……。気味が悪いよ。
人の大切な日記を書き換えるなんて。しかも手書きなのに、
端末で書いてるときみたいにキレイに改行して挿入されているなんて……」
「まるで『現実を書き換える能力』でも持ってるみてーだな」
「いくら何でもそんな力を持つ人は……」
「ジョークだよ。ま、用心に越したことはねえけどな」
彼はラプラスに記録した膨大なブラックウッドの筆跡と比べ、
自分が今読んでいるページのその一箇所だけが、全くの別人のものであることに気付いた。
スクアーマもその内容にゾッとしたが、彼はそれ以上に、他人が干渉した文章がワープロのように
小綺麗に挿入されていることに気味悪がった。彼は怯えながら、
渡と日記と、ラプラスの演算結果をそれぞれ何度も繰り返し見直した。
「『そしていつか、私も結婚したいと』のところだけ、本人のものじゃない。
つまりこれは、カレンの本当の遺言、最後の言葉じゃない。でもなぜ歪める?
一体誰が……なんてのは、今更分かりきったことだが」
彼は日記を丁寧に置くと、机を両手でバンと叩きつけた。
今までは推測に過ぎなかった仇敵が、ハッキリとこの世にいて、暗躍していることが
これで明らかになったからだ。彼は胆を舐めるような思いを胸に、
最後の最後まで残しておいたある場所に目を向けた。
「ねえ、そこに何があるの?
なんだか……嫌な気配を感じるけど。これ以上恐いのは嫌だよ……」
「スーちゃんも感じるか? このクライマックスな歪みっぷり」
渡とスクアーマの彼らが見つめる先にあるのは、
何の変哲も無いクローゼットだった。しかしその隙間から、
わずかに詳細不明の液体が流れ落ちた跡があり、
そこだけ写真がふやけ、剥がれていた。
長い間開け放たれていないのか、取っ手にはホコリが積もっている。
「ラプラス……、その乾いた何かを解析しろ」
――ユーザー名星之宮渡
解析対象、ユーザー視界の指定箇所、変色部分……解析完了
以下解析結果……
・植物性油脂‐ゴマ油
・ガマ植物由来の樹脂‐バルサム
・植物性糊料‐アカシアから抽出された糖
・針葉樹樹脂‐松ヤニ
-総合判断結果……ミイラ制作のための防腐処理剤-
「渡!!」
ラプラスの表示を共有するスクアーマは、
その内容に嫌なものを感じ取り、渡を静止しようとした。
しかし間に合わず、彼は何かに取り憑かれたかのように
乱暴にクローゼットの戸を思い切り開け放った。
ごろん、と筒状のものが渡の方へ倒れかかってくる。
渡は覚悟していたのか、大して驚きもせず、それを回避した。
「………やっぱりか」
「わ、渡……何なのこれは。どういうものなの?
ね、ねえ教えて……僕、僕恐いよ……」
そこにあったのは、それぞれ
160センチ前後と、1メートル前後の2体のミイラだった。
日記の記述にあった「死後もなお娘の世話を続けられる儀式」とは
古代エジプトに伝わる文化の秘法のことだったのだ。
妻は死者の国での娘の世話のためとして。
娘はいつか現世に舞い戻るための依代として。
彼らは保存されていた。
いつか家族が揃う日を、まるで誕生日を待つかのように。
包帯でぐるぐる巻きにされているはずのそれらには、
代わりにおびただしい量の「写真」が貼り付けられていた。
全身を覆う、その家族の思い出は、ぐちゃぐちゃに変色しており、
あちこちから体表部分が顔をのぞかせている。
「ミイラだ。人間の干物だよスーちゃん……」
「どうして、どうしてこんなものを……」
「ある国の話だが……死者の国で幸せに暮らし、いつか魂が帰れる場所として
自分の肉体を置く習慣があった。だが暮らし方を考えると、
これはインカ帝国の習か……」
「こんなことしてどうなるの!!」
静かな世界に、スクアーマの叫びがビリビリと響き渡る。
彼の目には涙が浮かんでおり、あまりにも死を否定するブラックウッドの行動に
絶えられないかのようだった。
「……前に言ったことがあるよな。スーちゃん。
俺たちは自らの滅びを語る種族だって。でもそれは破滅ばかりじゃない。
死者に、いなくならないで欲しい。そのための手段を伝えている場合も
あるんだ。ブラックウッドほどじゃなくても、人はみな、いや、
心ある生き物ならば、死を受け入れることは難しい。
その辛い気持ちを、夢物語でもいい。飲み干せるようにするのが、
伝承の仕事のひとつなんだ。流石にこの世界でも、死者蘇生は
出来ねえみたいだがな……」
「…………うぅ」
「お前も考えなかったか? あのとき親父さんが死んじまったら
どうしようかって。頭がおかしくなりそうじゃなかったか?
ブラックウッドも同じだ。ただヤツは悲しんだだけ。悔やんだだけ。
他のみんなと同じように……」
渡は、崩れ落ちたスクアーマに優しく語りかけた。
頭や肩を撫で、ゆっくり諭すように、死という絶対のくびきに対する
原種の生み出した文化を語り聞かせた。
「じゃあ、じゃあ何で、ブラックウッドさんは
こんな、ことに……」
涙で目を腫らしたまま、スクアーマはあわあわと震える口から
必死に言葉を発した。その言葉に、渡は怒りの炎を目に宿し答えた。
スクアーマの肩を掴み、再び立ち上がらせる。
「絶対に得られない餌を、ぶら下げられたからだ……!!
ヤツらは人が人を愛する気持ちを!! 迫る死に震える人の心を!!
利用したんだ……っ!! 何のためかなんて、どうでもいい。
人の心を弄び、大勢を傷つけた事実!! 俺たちは、絶対にヤツらを
ぶっ倒さなきゃならねえ……!!」
突如、玄関の方角より爆発音が響いた。
やはり敵襲かと思った渡は、スクアーマの胸をすれ違いざまに
トンと叩くと、玄関に向かった。
それは玄関の破壊不可能なはずの扉をぶち破り
頭から地面に突き刺さっていた。
リビングダイニング部分からでも分かる、その異常な存在。
彼はバルコニーを背に銃を構えた。
「動くんじゃねえ!! ピクリとでも動きゃぶっ殺す!!」
怒声に釣られたスクアーマは、渡の横に立ちその異常な存在を
確認した。ありえない状況に彼もまた即座に戦闘モードに入り、
腕のレコードを構えた。
「な、何あれ……」
「俺が聞きてえよ……」
石臼を引くような音と共に、それはムクリと立ち上がる。
その存在は3から4頭身、身長は1メートルほどであり、石を思わせる
灰色の見た目をしていた。また頭部は球であり、身体はしずく型であった。
腕や足はデフォルメされたキャラクターのようであり、四肢や頭部はそれぞれ
分離しているものの、見えない関節のようなもので宙に浮いていた。
「動くな!」
渡は正確な射撃で足元へ牽制の一発を撃ち込む。
氷で出来た弾丸は、激しい衝突でも砕けず、フローリングにめり込んだ。
だがその存在は全く臆することなく、頭部をツーっと回転させた。
その顔には、スマイルマークが彫り込まれている。
額の文字を見て、渡はその正体に気づいた。
「ゴーレム……!!」
「Hi! It's me! (同時に発声された世界各国語による”愛している”)」
ライオンの唸り声のような鈍い駆動音と共に、
ゴーレムは両腕を突き出すと、その空間にバチバチと光る光球を生み出した。
彼らから見て腕が歪んで見えるのは、その光球が異常な温度を持ち、
陽炎を生み出しているからだ。
「(同時に発声された世界各国語による”愛している”)」
直後、マンションの一室が爆発。その爆音は周辺の窓を全て
吹き飛ばすほどで、静かな生活の場だったそこは日常から分断された。
10階以上の高さにあるその部屋のバルコニーが吹き飛んだ。
ひしゃげたサッシを背に預け、渡はスクアーマを抱き込んだまま、
片手で爆発から身を守った。
「ヒジョーシキな攻撃しやがって!!」
歪む視界は決して爆発の衝撃だけではない。
その爆発に含まれる要因が、ラプラスの機能に異常をもたらしたのだ。
「スーちゃん!!」
「い、生きてるよぉ!!」
「だったら何かクッション作れ!!
このままじゃ脳みそパアだぞ!!」
「わ、分かった!!」
しかしスクアーマは直後パニックに陥った。
ラプラスの応答が消えたのだ。
彼の能力は、その膨大なクラウドサーバに保存した
ヴォイニッチ手稿から引き出されている。
暗記している部分だけでは十分な対策を練ることが不可能だった。
「ねえどうしよう……ラプラスが応答しない!!」
「ったりめえだ!! ヤツが今放ったのは球電ッ!!
プラズマの塊だ!!
爆発したら、電子機器は全部おじゃんだ!!」
「うわあああああ!!」
叫ぶスクアーマをよそに、渡は迫りくる地面を冷静に見極めていた。
目を閉じる彼に対し、渡は最後までその瞬間を狙っている。
テレビのノイズのようなグリッチが、その視界を大きく遮る。
彼は端末を終了させ、生の世界と向き合った。
「(考えろ俺。俺の時代にこんな便利グッズ無かっただろ!
一瞬に賭けろ俺……今までならどうする? 応用しろ渡!)」
彼の逡巡は走馬灯ではなく、生きるための溢れ出すアドレナリンから
導き出されるアイデアだ。彼は生きるために周囲を見渡す。
すれ違う階層が5階の時点で、彼はある存在に気付いた。
「これだ!!」
彼は落下するまでに、数多くの白っぽい箱を目撃していた
それは室外機。内部に冷気を送るために、外に熱気を吐き出す箱だ。
中庭という閉鎖的空間で空気は淀み、上昇し、絶えず対流を生み出していた。
それは非常に僅かだが、「台風」と同じ状況だった。
「ホットにかますぜ、スーちゃん!」
「えっ、ちょ何キメて……あっ腕離さないで死んじゃう!!
死ぬうううううう!!」
「防御しなスーちゃん、石が飛んでくる!!」
そして地面からおよそ5メートルの時点、
渡は能力を全開で地面に叩きつけた。
温度を操作する能力、それは間接的に気流を操作する能力でもあった。
激しい上昇気流が中庭に生み出されると、
それは地表の全てを掃除機のように吸い上げた。
弱い木々は引き抜かれ、小動物は為す術なく宙を舞う。
バルコニーというバルコニーは大気のアッパーカットを受け、
上方向にめげていった。風が空気を切り裂く音に混じり、
人々の悲鳴や騒ぎ超えがこだました。
そうして渡が生み出した突風によって、落下速度は帳消しにされ
彼らは殆ど無傷で着地に成功した。とはいっても、
それぞれが受け身を取ったからであり、その衝撃は全身を
大いに蝕んだ。直後、中庭に向かって冷たい空気が流れ込む。
「げほっ、おえっ!! な、なんか口に入ったぁ……」
「ハァハァ……た、助かったんだぞこんにゃろ……
ちったぁ我慢、ゲホゲホッ!!」
彼らは突風で巻き上げられた色々なものを吐き出そうと
咳き込んでいた。よろめきながらも、
渡はやっとのことで立ち上がり上を見上げる。
斜陽を背景に、それは無慈悲に存在していた。
ゴーレムは何事もなかったかのように、彼らの遥か上空から
見下ろしている。そして再び、両腕を彼らに突き出した。
黄金色に輝く球体が、弾けながら形成されていく。
「休む暇はなさそうだな……!!」
「Hi there! (同時に発声された世界各国語による”愛している”)」
箱根細工の模様の名前の詳細は
https://www.hakonemaruyama.co.jp/marquetry-pattern.htm
ミイラの防腐剤の原材料については
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-45204722
を参考にしてます。
球電現象は……某電気ネズミの「エレキボール」を想像していただけると幸いです。
マジである現象ですよ!? 架空じゃないんですよ!




