すごく、すごく、ものすごくヒドい歌
給食でおなかがいっぱいになった5時間目に、音楽の時間がやって来た。
クラスのみんなで音楽室に集まって、順番に歌を歌うんだって。でも、
「先生、気分がすぐれないので、ほけん室に行っていいですか?」
安倍さんが席を立って、そう言った。
でも安倍さんはいつもと変わらずキリッとしている。
ガードマンみたいに直立不動だ。
声も学校放送みたいにはっきりしている。
なにもかもがカンペキだ。ぜんぜん気分が悪そうじゃない。
ヘタだから歌うのがイヤなのかな?
でも安倍さんは、すっごくまじめな顔をしている。
ズルしてサボろうとしてるようにも見えない。
だから音楽の先生は、こまっている。
先生は、ちょっと気が弱いけど、歌うのも、歌をきくのも大好きなんだ。
「先生、ほら今日は病み上がりのチャビーもいるし……」
マイが言った。
すると男子たちがコクコクとうなずく。朝にはマイに投げ飛ばされてた男子なのに、まるで友だちになったみたいに息がぴったりだ。
ひょっとして、みんな安倍さんの歌を聞くのがイヤなのかな……?
それに、なんでわたしが関係あるの?
気分が悪いって言ってるのも、歌いたくないのも安倍さんなのに。
わけがわからないよ。
でも先生は、安倍さんをどうしようか、まよってるみたい。
えー?
なんで、まよう必要があるの?
歌を歌うのって楽しいのに、わけのわからない理由で安倍さんだけ歌わないなんて、仲間はずれにしているみたいでイヤだ。だから、
「安倍さん、わたし、安倍さんの歌が聞きたいな」
わたしは、言った。
クラスのみんなは、なぜかビックリした。
「いや、でも、日比野はときどきヘンなことを言うし……」
男子が言って、マイがコクコクとうなずいた。
もー、なんでよ!
わたしは今、ヘンなことじゃなくて、まじめなことを言ったんだよ!
でも先生は、わたしの顔を見て、安倍さんの顔を見た。
そして、何かを決意したみたいに、うなずいた。
わたしの言いたいこと、わかってくれたみたい!
「安倍さんには、ほけん室には行かずに歌ってもらうわ。だいじょうぶ?」
「「「はい、だいじょうぶです」」」
なぜか安倍さんじゃなくて、クラスのみんなが答えた。
そんな安倍さんの名前は『あべ あすか』。
だから出席番号順の、いちばん最初に歌うことになる。
なので、わたしはちょっとドキドキ。
みんなはなぜかビクビク。
そんな中、安倍さんは音楽の教科書を持って歌い始めた。
歌うのは『ドナドナ』。
牛が荷馬車にのせられて売られて行くっていう、悲しい曲だ。
そんな悲しい曲を、安倍さんは小鳥みたいなキレイな声で、もの悲しく歌う。
わたしは感動した。
でも、心の中で首をかしげた。
安倍さんの歌はぜんぜんヘタじゃない。
それどころか、すごく上手だ。
リズムだってカンペキだ。
みんなは、この歌の何が気に入らないんだろう?
そう思っていると……
あ、あれ!?
頭がズキズキいたくなってきた!
なんだか頭の中側からカナヅチでたたかれているみたい!
ガンガン、ズキズキいたい!
牛が運ばれて行く曲なのに、お肉にされちゃうみたいに苦しくて、いたい!
まさか、なおったはずの病気に、またなっちゃったの!?
でも病気では、むねがいたくなっても、頭がいたくなることなんてなかった。
わけがわからない!
苦しくて、コワくて、となりの席のゾマを見る。
ゾマは、まっ青な顔をして、うつむいていた。
ええっ!? ゾマ!?
「たすけて……たすけて……たすけて……」
「ママに……あいたいよ……」
「ボクのからだどうなっちゃったの……?」
ふつうじゃない声に、ビックリして見やる。
男子がテーブルの上につっぷしていた。
いねむりなんかじゃない。
白目をむいて、うでもだらんとたれ下がっている。
気を失っているんだ!
まどガラスがパリンとひびわれる。
けいこう灯が、歌のリズムに合わせるみたいにチカチカする。
いったい、何がおこっているの!?
オバケのしわざ?
でも、オバケは体育館にいるはずじゃ……。
マイは両手で耳をおさえて苦しそうにうめいている。
「あすかのやつ……」
ギリギリ歯を食いしばりながら言った。
まさか、これってば、みんな安倍さんの歌のせい!?
これはヒドイ!!
マイが言ったとおり、ヘタだとか、そういう問題じゃない!
これはもう歌じゃなくて、呪いだよ!
そっか、安倍さんやマイやみんなは、これがコワくて、歌わなくてすむようにしたかったんだ。
それなのに、わたしが安倍さんにおそろしい歌を歌わせてしまった。
こんなことなら、マイの言ったことを、もっとちゃんと聞けばよかった……。
むねがバクバクする。
まるで病気の発作が起きたみたい!
コワいよ! お兄ちゃん! たすけて!
そう思いながら、ふっと目の前が暗くなった。
――何があっても、チカはお兄ちゃんがまもってあげるから。
――だって、お兄ちゃんはチカのヒーローだから。
また、お兄ちゃんの夢を見た。
やさしいお兄ちゃんの顔を見て、ほっとして、そして目の前が真っ白になった。
そして気がつくと、
「日比野さん、気分はどう?」
目の前に、ほけん室の先生がいた。
病気の時に何度もお世話になった、やさしい女の先生だ。
「あれ……? わたし、どうして……?」
わたしは立ち上がろうとして、よろける。
ほけんの先生がささえてくれた。
ああ、そっか、音楽の時間に安倍さんの歌を聞いて、たおれちゃったんだ。
「チャビーちゃん、だいじょうぶ?」
先生の後ろで、ゾマが心配そうにこっちを見ていた。
マイと安倍さんもいる。
心配して来てくれたんだ。
「ごめんなさい。やっぱり、わたしが、ほけん室に行くべきだったわ」
安倍さんがすまなさそうな顔であやまってくれた。
でも、安倍さんは、ほけん室に来て、何をしているつもりだったんだろう?
病気どころか、安倍さんはキリッとしていてカンペキだ。
そんな安倍さんがほけん室に来ても、先生だって、こまると思う。
だから、そんなのいいよって言おうと思った。
そのとき、ドアがひかえめにノックされた。
小夜子さんまで来てくれたんだ。
「おじゃまします。……チカちゃん、たおれたって、ほんと?」
小夜子さんは、わたしをギューッとだきしめた。
小夜子さんの顔は、まるで安倍さんの歌を聞いたみたいに、まっ青だ。
それだけ、わたしのことを心配してくれたんだ。
「うん。でも、もうだいじょうぶだよ」
「でも、チカちゃんの病気がなおってなかったんだったら、どうしよう……」
小夜子さんが暗い顔をする。
ネガティブで心配してばかりの小夜子さんだ。
わたしがたおれたりしたら、心配するに決まってるよね。
本当は、わたしがたおれたのは安倍さんの歌を聞いたからだ。
でも、そんなこと言ったら安倍さんが悪者になっちゃう。どうしよう……
……あ、そうだ!
「あ、あのね、給食が美味しくて食べすぎちゃって、おなかがいたくなったの!」
思わず、わたしはウソのことを言った。
ほんとうは、ウソをつくのは悪いことだ。でも小夜子さんが心配しないで、安倍さんも悪者にならない方法は、これしかないもん。
「ええっ!? そんなことだったの?」
小夜子さんはビックリして、うたがわしそうにわたしを見た。
まさか、ウソだってバレちゃったの?
どうしよう!?
小夜子さんを心配させて、安倍さんも悪者になって、さらにわたしもウソつきの子だって思われちゃう!
でもマイが、
「そうそう! こいつメニューがカレーだからって、大食い大会みたいにドンドン食べるんだ。おなかがバクハツするかと思って心配してたら、やっぱりだよ!」
話を合わせてくれた。
でも! マイったら!
いくらわたしでも、そんなムチャクチャな食べ方はしないよ!
それでも小夜子さんは、わたしとマイの話を信じてくれたみたい。
クスっと笑った。
よかった。これで、ひと安心だ。
結局、わたしは音楽の時間の間ずっと、ほけん室でねていた。
教室にもどって来たのは終礼の直前だった。
でも、みんなも先生もぐったりして、つくえにつっぷしてお休みしていた。
みんながぐったりしているのは、わたしのせいだ。
でも教室にもどったわたしを、みんなは心配してくれた。
ありがとう、みんな。
本当にゴメンね。
そして学校の帰り道、
「あすかちゃんの歌、今日もすごかったね……」
ゾマがちょっとフラフラしながら言った。
わたしもまだちょっと頭がクラクラする。
けど、苦しそうにしてるとゾマに心配かけちゃうもん。
元気にお話ししなきゃ!
「いつもああだったんだ。わたしが安倍さんの歌を聞きたいって言ったせいで、みんなに悪いことしちゃったなー」
「ううん、みんなおこってなかったよ」
わたしが元気に言うと、ゾマも笑ってくれた。
「最後の方まで気を失わずにがんばってたから、すごいなーって言ってた」
「それって、すごいことなんだ……」
わたしは目を丸くした。
いつもはヘンなことを言ってビックリさせるのはわたしなのに。
おそろしすぎるよ、安倍さんの歌……。
「今回のあすかちゃんの歌が終わってからね、しばらくして、わたしもみんなも気がついて、マイちゃんが『チャビーちゃんはほけん室で休ませてあげよう』って言って、先生といっしょに運んでくれたの」
「そうだったんだー」
わたしは、思わず笑う。
えへへ、みんながわたしのことを気づかってくれたんだ。
なんだか、こそばゆい感じがする。
明日、マイや先生やみんなに会ったら、ちゃんとお礼を言わなきゃ。
そのとき、甘いかおりがただよってきた。
横を向くと、【シロネン】っていうケーキ屋さんのカンバンが見えた。
学校の行き帰りは、できるだけ人通りの多いところを通るようにって言われてるの。だから、わたしやゾマは毎日、商店街を通って行き帰りするんだ。
商店街のアーケードにはいろんなお店がならんでいて、見ているだけで楽しい。
学校におこずかいを持ってきたらダメだから、買い物はできないのが残念だ。
「ここのお店の前を通ると、甘いにおいがするから大好き!」
「わたしも大好きだよ。パパがお仕事がおそくなるときに買って来てくれるの」
「わたしもね、お兄ちゃんがたまに買って来てくれたんだよ」
わたしはニッコリ笑う。
このお店のケーキはとっても美味しくて、高等部のお姉さんたちに大人気。
病気だった時には、お兄ちゃんが買って来てくれて、いっしょに食べたの。
だから、わたしも大好き!
中でも、いちばん大好きなのはチョコレートケーキ。
チョコレートケーキの上にバニラアイスをのせて食べるの。
コクのあるチョコと冷たいアイスが口の中でまざりあって、すっごくステキな味になるんだよ。また、お兄ちゃんといっしょに食べたいな!
そんなことを話しながら商店街をぬけて、家についた。
「それじゃ、また明日ー」
「うん、また明日ねー」
ゾマと別れて、家のげんかんを開けると、ママが帰ってきていた。
「ただいまー!」
「あら、チカ、お帰りなさい」
げんかんでスニーカーをぬいで、クマのスリッパにはきかえる。
このスリッパは、お兄ちゃんとおそろいなんだよ。
だから、わたしのお気に入り!
パパもママも、前は夜おそくまで働いていて会えなかった。
けど、今はママはわたしが帰るころには家にいてくれる。
パパも夕方には帰って来て、夕食は家族みんなで食べるの!
「学校は楽しかった?」
「うん! あのね、5時間目の音楽の時間にね――」
思わずマイや先生にたすけてもらったことを話しそうになった。
けど、たおれたなんて言ったらママに心配させちゃうよね。
「――その、給食のカレーを食べすぎて、おなかがいたくなっちゃって、マイや先生にほけん室まで連れて行ってもらったんだ」
「まあ、チカったら、カレーが大好きだものね」
「えへへ」
でも、わたしが大好きなのはカレーじゃなくて、お兄ちゃんが作ってくれる甘口カレーなんだけどね。
「夜ごはんは食べられそう?」
「う……うん! パパが帰ってくるまで、自分の部屋で休んでくるね」
「それじゃあ、ついでに宿題もやっちゃいなさい」
「は――い!」
わたしはママに返事して、スリッパをパタパタ言わせながら2階に上がった。