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多くの騎士たちの目の前でドラゴンを討伐したレオン。
その後はラインハルトお義兄様の退団式どころではなく、王宮内は上へ下への大騒ぎとなった。
ハインヒューズ公爵家の三男がドラゴンを討伐した──という話は、あっという間に王都中へ広まった。
王都にいた民たちは、ドラゴンが王宮上空に現れたことも、数分もしないうちに姿を消したことも、しっかりと目撃していたからだ。
幸いにも王都での被害はほとんどなく、あったとしても風圧で軽傷を負ったものが何人かいたくらい。
それは「ドラゴンが現れた」という文言を「魔物が現れた」と言い換えたとしても、被害などあってないようなものらしい。
まあ、本来、ドラゴンが現れれば甚大な被害を及ぼすというし──死者が一人もいない、というのは、少なくとも史実を食って確認したとしても、ただの一例もないはずだ。
当然、ドラゴン討伐を終えたレオンが「では退団式の続きを」と言ったところで、はいそうですねと実行されるはずがない。
レオンは不満そうだったが、ラインハルトお義兄様やベルンハルトお義兄様にたしなめられ、渋々納得したようだった。
お義姉様の母国にて、ラインハルトお義兄様とお義姉様の婚姻式は予定通り、明日行われる。
お義姉様のご家族や婚姻式の出席者の方々はそれで今後の予定を組んでいるだろうし、いくらドラゴンが現れたからといって、素直に納得される方は少ないだろう。
出来る限り円滑に物事を進めるためにも、予定通りに行うべきだとラインハルトお義兄様が仰ったのだ。
つまり。
今はレオンが不満をぶつけるよりも、この件について区切りをつけることの方が、優先すべきことなのである。
お義兄様方にも、そうたしなめられて納得したようだ。
王都中に、レオンのドラゴン討伐についての話が広まったということは、当然ながら、王宮の主たる陛下の耳にも届くことになる。
案の定というか、直後にレオンは招集がかかり、陛下との謁見の場が設けられることとなった。
──とはいえレオンは未だに陛下のことは好ましく思っていないようなので、念の為に、お義母様とお義父様、私も同行するようにというのが陛下のご指示があったのだが。
謁見の間の玉座には陛下、そのすぐ側には宰相様と、黒の団長様、白の団長様がいらっしゃる。
やがて宰相様が手にした書類を恭しく掲げ、功績を称える文言をつらつらと唄うように紡ぐ。
要約すれば、よくドラゴン討伐をしてくれましたありがとう、といった内容だ。
それに伴い、レオンにはある称号が与えられるらしい。
資料にもあった、“勇者”の称号だ。
ドラゴン討伐を行った者には、等しく与えられる、この国でも最高峰だという名誉の称号。
そして勇者に相応しい爵位──侯爵の位が与えられ、レオンはたった今を持って、公爵家の三男から、侯爵家当主となったのだ。
これは異例のことではあるが、勇者の称号を与えられたものは、皆、侯爵の位を賜るらしい。
ドラゴンの遺体は、国が買い取るそうだ。
100年に一度ほどの割合でしか国に現れないドラゴンは、言ってしまえば未知の生物。
これほど綺麗な遺体はないそうで、何かの研究に使われるらしい。
死してなお、身体をいじくりまわされるのかと思うと少し酷だが……。
「いえ、その程度では譲りません」
レオンは宰相様が提示した額を、ふん、と鼻で笑い飛ばした。
提示されたのはかなりの額だったのだが、多くの魔物討伐を行い、討伐困難な魔物たちにより普段から稼ぐことの多いレオン。
具体的な魔物の名をあげ、値段を伝え、ドラゴンと比較すると安価過ぎるのでは?とふっかけていた。
宰相様はしばらく呆然として、渋々といった様子で、他の方と相談を始める。
お義父様は「それでこそレオンハルトだ」と満足そうだし、お義母様もうんうんと頷いているので、やはりお二人共最初に提示された額では不満だったようだ。
「この値段なら……」
「ではドラゴンは回収させてもらいますので」
「待て待て待て!では、この値段は!?」
「いえいえ、まだ出せますよね?」
「くっ、これなら……!」
「嫌です」
「こ、これ以上は……」
宰相様とレオンのやりとりが、事の他面白い。
やり取りされている値段はまったく面白いものではないのだが。
さすがにこれ以上は出せない、とされた値段を前に、レオンは考えるように口元に指を添える。
そして何を思ったのかくるりと振り返り、にっこりと私に微笑んできた。
「リリィ!この値段でも大丈夫かい?それとも、もっと?」
私はドラゴン討伐には当然ながら一切手を貸していないので、値段を私に聞くのは間違いだと思うの。
にこやかな笑顔を浮かべるレオンの後ろで、宰相様は絶望的な表情を浮かべている。
おそらく私がもっとと言えば、レオンは嬉嬉として値段を引き上げようとするのだろう。
宰相様のお顔には「何とかしてくれ!」と懇願の文字が書かれている気がした。
「そんなにいただかなくても、良いのではないかしら?」
「……リリィがそういうなら、仕方が無いね。ではその値段で手を打ちましょう」
かなりの金額ではあるのだが、宰相様はほっと胸を撫で下ろす。
さすがにこれ以上引き上げられたら……と心配したのだろう。
「これでリリィをもっと贅沢させてあげられるね」と嬉しそうに笑うレオンは、宰相様の表情に気づいているのかいないのか、よくわからなかった。
侯爵の位を賜ったレオンは、ドラゴン討伐で手に入れた多額の報酬を惜しみなくつぎ込み、これから住む屋敷を建てた。
高級家具は白を基調とした色味で統一されており、床のカーペットや窓のカーテンもこれまた高級品で、調理をする厨房にはレオンのこだわりが詰め込まれている。
ハインヒューズ家の別邸並の広さがあり、私の生まれたレイズ家よりも、敷地も部屋の数もうんと多い。
しかしこの家には、これから私とレオンだけが暮らすらしく、二人で暮らすには広いくらいだ。
この屋敷をお金に糸目をつけずに短時間で完成させてしまったのだから、もう、何も言うまい。
ちなみに婚姻するまではせめてと別々に用意された寝室は、しっかりと私の好みの家具で用意されていた。
お庭にも美しい花々が咲き誇り、庭師を雇って定期的に手入れをする予定だそうだ。
レオンが鍛錬を出来るようにと鍛錬場も設けられていたり、夜会に出る前に練習が出来るようダンスフロアが設けられていたり、足までしっかり伸ばせるお風呂があったりと、もういっそ屋敷から外出したくないくらいの充実さである。
屋敷が出来た時にレオン自らが案内してくれて、色々と説明をしてくれたので、敷地選びから吟味を重ねていたようなので、完成した時のレオンの満足そうな表情はよく覚えている。
でも、どうせ婚姻式までそう遠くないのだからと私の両親を説得して、一緒に暮らし始めて数日。
最近のレオンはハインヒューズ家から通いでこの屋敷に来てくれる使用人の人たちと、何かコソコソとしている。
朝いつものようにレオンが起こしにきてくれて、レオンの作ってくれた朝ごはんを食べて。
その後は特に予定もないので、レオンの淹れてくれた紅茶を飲んで。
いつもであればソファのすぐ隣に腰掛けて、私の身体を抱き寄せたり頬に唇を寄せたりしてくるレオンだが。
ここ最近は私のためにと紅茶やお菓子を用意してくれると、すぐにそばを離れて、使用人とコソコソ話をしているのだ。
レオンに何してるの?と尋ねてみたところ、「ドレス……」と呟いてから慌てた様子で口を抑えていたので、たぶん、婚姻式についての相談でもしているのだろう。
レオンはいままで私に隠し事なんてほとんどしてこなかったから、隠し事をすること自体が大変のようだ。
使用人の人が慌てて「レオンハルト様それ仰ってはなりませんよ!?」と何度か止めに来ていたから、婚姻式で私のことを驚かせたいんだろうな、というのはなんとなく察しがついた。
でもレオンがコソコソとしているのは日中だけで、使用人の人たちが帰ると、離れていた分を取り戻そうとするかのように私にベッタリになる。
帰り際に「くれぐれもリリア様には秘密ですからね!」と毎日のように言われているレオンの口数は少ないけれど、その代わりと言わんばかりに唇を寄せてくるレオンは本当に可愛い。
「ねぇレオン、いつまで私に内緒なの?」
「くっ、可愛い……!」
軽く首を傾げながら問うてみれば、頬を赤らめたレオンが口元を手のひらで覆う。
しかし何かと格闘するかのようにモゴモゴと口の中で言葉にならない言葉を発し、悲痛そうに表情を歪めるのだ。
「すまないリリィ、リリィに隠し事だなんて本当はしたくないんだ。けれど、リリィの喜ぶ顔が見たいんだよ」
「私が喜ぶことなの?」
「もちろんさ!リリィの好みは理解しているからね、リリィが気に入るだろうし、きっと良く似合う」
ニコニコと笑うレオンは、そのお口からポロポロと隠し事を漏らしていることに気がついていないのだろうか。
いつもはついうっかり、なんて有り得ないのに、やっぱりレオンも多少なりとも緊張しているのだろうか?
私とレオンの婚姻式は、当初予定していたものより、規模が大きくなるらしい。
それはレオンがドラゴン討伐を行った“勇者”だかららしく、参加者は予定の倍近くになるそうだ。
一応私とレオンでどうしても招待したい人を選んで──それほど人数はいないけれど──あとは、今後付き合いを続けた方が良いという方を、お義母様の助言で招待することになっている。
ラインハルトお義兄様の婚姻式も大規模なものになるけれど、お義兄様もお義姉様も、参加してくださるそうだ。
「ああ、いよいよリリィと夫婦になれるなんて。本当に嬉しい」
「婚約してから約7年……長いのかしら、短いのかしら」
本当は私とレオンの婚姻式は、お互いが18になってからの予定だった。
しかしドラゴン討伐などの功績により、以前よりももっとレオンに注目が集まるようになって──社交界で綺麗な女性たちに声をかけられる姿を何度も見て、少し不安になったのだ。
私自身がもう少し婚約期間を楽しみたい、と言っておきながら、我慢が出来なくなるなんて本当にワガママだと思う。
けれどレオンは、婚姻式を早めたいという言葉に諸手を挙げて賛成してくれて、お義母様やお義父様も大歓迎だと仰ってくださった。
結果的に、私たちは17歳で婚姻式を挙げることになる。
「私はリリィに焦がれていた期間が長かったから……それを考えると、婚約者としての期間はむしろ短いくらいだな」
「でも、婚約してからは本当に色々あったわよね」
レオンが剣を学んで、魔術を学んで。
あっという間に師を越えると、今度は私とのより良い生活のためにと様々な魔術を生み出して。
レオンが冒険者として魔物討伐を頻繁に行うようになって、レオンの魔術で国中を旅行して。
生徒の護衛任務についたり、かと思えば皇子とその婚約者の護衛任務について学園に通って、2カ国を騒がせていた凶悪犯をレオンが捉えて。
本当に、色んなことがあった七年間だった。
最初はどうしてこの方が私なんかを、と何度も思ったけれど。
きちんとレオンのことを知って、レオンのことを好きになって。
そうすると、途端にレオンと過ごす日々が、とても素晴らしく、とても輝かしいものに思える。
「リリィ、私のリリィ。愛している、今までも、これからも、ずっとだ」
「私もよ、レオン。これから先も、ずーっと一緒にいましょうね」
レオンが優しく頬を撫でてくれる。
そして目を瞑ると、静かに顔を近づけてきて。
それを受け入れるために目を瞑れば、唇に温かく柔らかいものがそっと押し当てられた。
これから先、きっと様々な困難が待ち受けているだろう。
もしかしたらひどく頭を悩ませるものかもしれないし、いっそ微笑ましいものもあるかもしれない。
辛い時も悲しい時も、怒りに震える時もあるだろう。
それでも。
私の隣には、レオンがいてくれる。
それだけで、きっと私はどれだけだって、頑張れる。
明日、私とレオンは夫婦になる。
婚姻式では、レオンが私に内緒で用意してくれたドレスを身に纏うだろう。
そしてそんな私に、優しい笑顔で手を差し伸べてくれるレオンは、きっとこの世で一番素敵な殿方だ。
ねえレオン、あなたは私のことをとても大切にしてくれるわよね。
沢山甘やかせて、沢山護ってくれて、沢山愛を囁いてくれて。
レオンも知っているだろうけれど、私もレオンのことをとても大切な人だと思っているのよ?
私の愛しい婚約者。
明日からは、私の愛しい旦那様として───どうぞ、末永く、よろしくね。