73
大きな翼をゆったりと動かし、上空へと停滞している、大きな体躯。
全体的にゴツゴツと骨ばっていて、下から見上げているためにはっきりとした全体像は見られないけれど、大きな手には鋭い爪が生え、長い尻尾と、大きな口を持っているようだ。
資料で見たことのあるドラゴンと、どことなく似ている気がする。
「くっそ!なぜアイツがこんなところに……っ」
「とりあえず、上空から引きずり降ろさないと……!」
最後にアーデルハイドでドラゴンが確認されたのは、およそ127年前とされている。
当然、当時のことを知る者はおらず、ドラゴン討伐の訓練など、騎士達は受けていない。
資料によれば、まずは地上に降ろしてから、剣や魔術で討伐したと書かれていた。
しかし言うは易く行うは難し、そう簡単に、文章通りに行くはずもない。
そもそも地上に降ろすだけの土地さえ、確保が困難なのだ。
かつては地方にドラゴンが出没したために、なんとか場所の確保が出来ていたらしいが……ここは多くの建物が密集する、アーデルハイドでも最も栄えている、王都。
ドラゴンがどこから現れたのかは不明だが、この騎士の集まる王宮に報せがなかったあたり、地方ではドラゴンの姿は目視されていないのだろう。
はるか上空を飛んでいれば、影が出来ることもなく、空を見上げる民たちも少なければ、見つかることがなかったことにも納得がいく。
「──落ち着いてください」
あちこちで怒鳴り声が響く中で、淡々とレオンが声をかける。
「冷静さを欠けば、出来ることも出来なくなる」
「その通りだ。お前たち、何を焦ることがある?ここにいるのは一般人ではない、この国の騎士だろう!」
レオンの言葉に続くよう、お義父様が声をあげる。
お義父様は所属時期こそ長くはないものの、かつて黒騎士団の団長を勤められていらっしゃった方だ。
現黒騎士団団長は、当時の副団長だったらしい。
騎士が冷静さを欠けば、騎士に護られる存在である国民たちが、大混乱に陥る。
それを理解しているのだろう、お義父様の言葉に、騎士たちは徐々に落ち着きを取り戻していった。
「──さて、レオンハルトよ。アレをどう討伐する?この中で最も魔物討伐の経験が豊富なのはお前だろう」
お義父様は満足そうにひとつ頷くと、レオンに向き直り尋ねた。
レオンは先程までぺたぺたと触っていた私の顔からようやく手を離すと、口元に指を添え、上空を見上げる。
「このまま魔術をぶつけても良いですが、どこに落下するかわからないので……やはり地上に降ろす方が懸命でしょう。あの大きさからするに、鍛錬場ならばギリギリかと」
「そうか。では、どうやって地上に降ろすのだ?」
お義父様は納得したように頷くが、方法は浮かばないらしい。
それもそうだろう、お義父様は魔術にそれほど明るくはない。
剣術では、上空の魔物を倒すことは出来ないのだ。
「いくつか方法はありますが、引きずり降ろすより叩き落とした方が楽ですね。ドラゴンの上から蹴り落とせば良いのでは?」
「せめて実行出来る案をあげてくれないか……」
頭に手を当てて、溜息をつくお義父様。
お義父様の仰る通り、レオンの提案はおそらく誰にも実行出来ないものだろう。
「浮遊と身体強化を組み合わせれば可能です。出来ますよね?」
「身体強化は出来るだろうが、浮遊とはなんだ」
「……」
今度はレオンが溜息をつく番だった。
白騎士団の団長をレオンが見つめるも、団長は苦い表情で首を横に振っている。
どうやら、やはりというか、あっさり実現可能だと言えるのはレオンだけらしい。
「わかりました、では私がアレを落とすので場所をあけてください。リリィと母上、義姉上は安全な場所へ。結界を張るので、そこから動かないように」
「レオン、でも……」
「大丈夫だよ、リリィ。あれくらいなら問題ないさ」
にっこりと笑い、私の頬を優しく撫でるレオン。
あれくらい、と簡単に言うけれど、アレはドラゴンなのよわかってる?
「なにより……リリィの可愛い顔に傷をつけ、兄上の退団式を台無しにしてくれた落とし前はきっちり付けなければ」
頬を撫でられると同時に、レオンの手のひらが温かくなる。
どうやら気づかないうちに顔に傷が出来ていたらしい。
治癒で小さな怪我を治してくれたレオンは、微笑んでから私の頬に唇を寄せた。
「さ、あのうるさいハエを叩き潰してくるから、大人しく待っているんだよ」
レオンに促されるまま、私とお義母様、お義姉様は身を寄せあってしゃがみこむ。
にっこりと微笑むレオンが手のひらをかざしたので、結界を張ったのだろう。
っていうかレオン、あなた今ドラゴンのことをハエって言った?
「では、結界を解くので場所をあけてください」
レオンは鍛錬場を埋め尽くす騎士達に指示を出し、場所をあけさせる。
上空を見上げたあとに「まぁそれでいいでしょう」と呟いたレオンは、空間収納から剣を取り出した。
そして。
とん、と地面を軽く蹴ったかと思うと、レオンがふわりと宙に浮かんだ。
浮遊というのは自在に身体を浮かし、動くことが出来るらしい。
おそらくこの場でそんなことが出来るのはレオンだけなのだろう、白騎士たちが目を輝かせているのがわかる。
レオンは上を見上げると、勢いよくドラゴンの、さらに上空まで飛んでいく。
いつの間にか結界が解かれたのだろう、暴風にさらされた騎士たちが、思わずと言った様子で顔を腕で覆い隠していた。
ドラゴンの影になって、レオンの姿はうかがいしれない。
しかし、次の瞬間にはつんざくような得体の知れない叫び声が聞こえて──おそらくドラゴンのものなのだろう、ドラゴンが勢いよく落下してくるのがわかる。
よく見れば翼は不自然に上向きに固定されていて、羽ばたくことが出来ないらしい。
レオンが、どんな方法を使ったのかはわからないけれど、翼をまとめあげたのだろう。
どうやらドラゴンは、レオンのように浮遊を使っているわけではなく、鳥のように、羽ばたきによって上空に停滞していたらしい。
見る見る間に、ドラゴンが地上に近づいてくる。
近づけば近づくほどに、ドラゴンのその大きさがよくわかる。
普通に地上に舞い降りただけで、その大きな手足に、何十人という人々が踏み潰されて犠牲になるのだろう。
その前に、羽ばたきによる風圧でかなりの被害が出るだろうが。
やがて、ドラゴンが地上まであと数十メートルといったところまで落ちてくる。
そこで不自然にドラゴンの落下はゆっくりとなり、残りの距離は、まるで壊れ物を扱うかのように、ゆっくりと地面に降ろされた。
落下の勢いから想像するに、かなりの音と衝撃を覚悟していたのだけれど──レオンによって、護られたようだ。
「さて、私もまだドラゴンとやらは討伐したことがなくてね。どれほどの価値があるかさすがに想像がつかないな。その核は、翼は、鱗は、牙は、爪は。はたしていくらになるのか楽しみだ。──リリィの頬に傷を作ったんだ。その身をもって、償え」
ドラゴンの口は火を噴く、という伝承が残っている。
しかしドラゴンの口はレオンの魔術によって塞がれているのか、開く気配は一切なかった。
ドラゴンの頭に足をかけ、冷ややかに見下ろすレオン。
見ているだけで、背筋が震えそうなほど、冷たい目だ。
そして持っていた剣を軽く持ち上げると、そのまま勢いよく振り下ろした。
口を塞がれているからか、ドラゴンの悲鳴はあがらない。
しかし、ビクン!と体が痙攣し、痛みによるものなのか、尻尾が勢いよく振り回される。
「うるさい」
そんなドラゴンの、ある意味当然でもある反応を、レオンはただ一言呟くと、ドラゴンの頭に剣を突き刺したまま手を離し、大きく振りかぶった。
掌底に魔術でも込めたのだろう、ドラゴンの頭に振り下ろすと、やがてドラゴンは、ピクリとも動かなくなった。
──ええと、レオン、昔はドラゴン討伐はさすがに無傷でいられるかわからない、と言っていなかった?
「おまたせ、リリィ!おそらく報酬が出るだろうから、何でも欲しいものを言っておくれ!」
ドラゴンの頭上から静かに地上に降りたレオンは、場違いなまでににっこりと微笑み、本当に嬉しそうに私に話しかけてきた。