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今日はラインハルトお義兄様の退団式の日だ。
退団式は騎士団に所属しているか、その身内であれば参加することが出来る。
ラインハルトお義兄様は功績を残していることもあり、かなりの人数が参加する予定になっているそうだ。
場所は王宮の黒騎士団の鍛錬場。
入団式は、その年に騎士団になる方々を対象に一斉に行われるのだが、退団は人により時期がズレるため、個別で行われることが多い。
中には時期が重なり、共同で行われることもあるのだが、今回はラインハルトお義兄様のみの退団式だ。
ちなみに明日には披露宴式が行われることもあり、ラインハルトお義兄様の婚約者であるお義姉様は昨日からアーデルハイドに滞在している。
滞在場所は、もちろんハインヒューズ家の本邸だ。
明日の披露宴式を終えると、ラインハルトお義兄様とお義姉様はそろってお義姉様の母国へ向かわれる。
ちなみに、お義姉様の母国で婚姻式が行われるのはその翌日。
本来であればアーデルハイドと簡単に行き来できる距離ではないのだが、そこはレオンの転移で、問題解決というわけである。
レオンはラインハルトお義兄様のことを慕っているので、お義兄様のためならと進んで協力を申し出たらしい。
もちろんベルンハルトお義兄様やお義父様、お義母様のことも慕っているため、皆さまが望めばすぐに了承するはずだ。
それに、ラインハルトお義兄様はお義姉様のことを大切になさっていることをレオンもよく理解していて、同情的であるというのも理由の一つだろう。
レオンは「私なら、離れ離れで過ごすなんて耐えられない……!」と頭を抱えていたし。
まあ、レイズ家とハインヒューズ別邸の、馬で一時間の距離ですら我慢出来なかったくらいだし……。
「……まあ、本当に人が多いのね」
「兄上がそれだけ慕われている証拠だよ」
退団式は、もうまもなく開始となる。
鍛錬場にいくつか用意された簡易のベンチは、今回は座るのは私やお義姉様を含めたハインヒューズ家の方々のみである。
この退団式には私たち以外に、騎士団の方しか参加しないからだ。
騎士団に所属している騎士たちは、退団式の間、敬意を持って、立ったまま参加するのが通例だそうだ。
なので黒騎士に所属なさっているベルンハルトお義兄様も、ベンチには腰かけていない。
「ライは、本当にすごい方なのね……」
ライ、というのは、お義姉様だけが呼ぶラインハルトお義兄様の愛称だそうだ。
他国の、それも騎士の行事に参加するというだけあって、お義姉様はどこか不安そうに周囲を見渡している。
お義姉様はラインハルトお義兄様と離れ離れで暮らしていたし、基本的にはラインハルトお義兄様がお義姉様に会いに行っていた。
当然ながらラインハルトお義兄様に仕事がない時だけであり、つまり、お義姉様はついぞ“騎士として”のお義兄様を見たことがないのだ。
いや、正確には、退団式の間はギリギリ騎士なので、これから初めて見ることになるのだろう。
お義姉様にとって、ラインハルトお義兄様は「婚約者のライ」である。
お義姉様自身が思っていらっしゃる、お義兄様の印象とは少し違うのかもしれない。
「ええ、兄上は素晴らしい方ですから。きっと、義姉上のことをお護りいたしますよ」
「レオンハルト様……」
「父上に学ばれたこと、騎士として学ばれたこと、すべてを持って義姉上を護ると……昨日、仰っていたではありませんか」
レオンの言葉に、お義姉様はふふ、と優しく微笑まれた。
昨日の夕食時の会話を思い出したのだろう。
昨日はハインヒューズ家の皆さまと、お義姉様と私とで、ささやかな晩餐会が行われたのだ。
──本当は、レオンの婚約者である私は、ハインヒューズ家の身内、というわけではない。
だから今、こうして退団式に参加しようとしていることは少しおかしいのかもしれない。
けれどそれと同時に、身内と何ら変わらないのだと、お義父様やお義母様が仰ってくださったことが、本当に嬉しいのだ。
「──さぁ、もうまもなく始まるわよ」
「感慨深いものがあるな」
お義母様の、楽しそうな笑み。
お義父様は口元に手を添えて満足そうに笑っており、もう間もなく始まる、ラインハルトお義兄様の退団式開始を待ち構えていた。
退団式は問題なく進み、もう少しで終わりを告げる。
あとはラインハルトお義兄様が、騎士団に所属した時からずっと腰にぶら下げていた剣を、騎士団長様に捧げ、終了となる。
入団式では、団長様に剣を渡され、それを受け取ることにより、“国に忠誠を誓い、命を賭して護る”という意味になる。
退団式で剣を返すということは、その命を賭して国を護る、という誓いを全うしたという意味になるのだ。
とはいえ基本的には退団式を終えたあとでも、国から招集がかかればお義父様のように剣を携え戦うこともあるので、今では形骸化しているらしいが。
お義兄様はこれから国を移り住むということもあり、きちんと正しい意味での奉納となるだろうけれど。
「では、剣を」
「……はい」
腰にぶら下げていた剣を手に持ち、ラインハルトお義兄様が膝をつく。
頭を下げ、両手で支える剣を持ち上げた。
黒の団長様がその剣を受け取ろうとした、瞬間。
「きゃあ!?」
「リリィ!」
突然、上から叩きつけるような暴風が吹き付けた。
思わず悲鳴をあげてしまったのは私だけではなく、お義姉様やお義母様もだ。
しかし次の瞬間には風はぴたりと収まり、私を抱き寄せてくれたレオンが「大丈夫か!?」と大声で問うてきた。
「母上、父上!義姉上も……ご無事ですか?」
「え、ええ……大丈夫よ」
「レオンハルト、お前の結界か……」
私の頬をぺたぺたと触りながらも、お義母様たちの姿を目視で確認する。
どうやらレオンが瞬時に結界を張ってくれたらしく、全員無事のようだ。
「いったい、何事だ!?」
黒の団長様が怒鳴りつけるように問う。
どうやら参加者がすっぽり包まれるだけの大きな結界を張ってくれたようで、おそらく結界の外であろう場所は、未だに強風が吹き付けているようだ。
慕われているラインハルトお義兄様の退団式とはいえ、騎士団の全員が全員参加するわけではない。
もしも全員が参加してしまえば、国が無防備になってしまうからだ。
なので通常通りの人数の騎士達は国の護衛任務にあたっていて──参加しているのは非番の騎士達だけである。
さすがは日頃から鍛えられているだけあり、非番であっても、彼らはすぐに系列を組んで状況確認にあたろうとしていた。
「──上ですよ」
まったく情報がないなか、レオンの凛とした声が響く。
上?と訝しむように声を上げた団長は、レオンが上空を睨みつけているのを見ると、つられたように上空を見上げた。
そして、目を大きく見開く。
「そん……な。な、なぜ、アレがここにいる……!?」
それは、本来、王都で見られることはありえない。
かといって地方で見られるかといえば、そういうわけでもない。
それが過去に現れた時。
甚大な被害が、周囲に及んだそうだ。
「──ドラゴン……」
資料でのみ、かつてレオンとともに見たことがあった。
ドラゴンは気まぐれに訪れては、甚大な被害と多くの犠牲者を出し、それでやっと討伐出来るかどうか、といったところ。
レオンはあの時、さすがに討伐出来るかどうかわからないと、言っていた。
「っレオン!」
そんな恐ろしい物と、戦って欲しくなどない。
レオンの服を掴み、レオンの名前を呼ぶ。
レオンは上空から私へと視線を戻すと、いつものように、安心出来る優しい笑顔を浮かべてくれた。