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(H30.5.20修正)度→旅
部屋を出ていったレオン。
突然のことに思わず目を瞬かせ、数秒ほど固まってしまった。
我に返って慌ててあとを追いかけ部屋を出るも、廊下には既にレオンの姿はない。
いったい何の突破口について、下手くそな刺繍を見て見いだせたというのだろう。
レオンが悩むといえば、恐らく剣術か魔法について。
剣術については大して問題はなさそうだし、魔法についてのことだろうか?
……いくら考えても、レオンの思考を理解することなど無理に決まっている。
私はレオンのように魔法について学んでいないし、そもそも、魔法を上手く使いこなせすらしないのだから。
レオン曰く、魔法は魔力さえあれば、あとは魔力制御と想像力でなんとかなる、との話だが、もちろんそんな風に簡単なわけがない。
たぶん、というか、絶対、レオンは特別なのだ。
部屋に設置してあるベルを鳴らし、侍女を呼ぶ。
彼女は私が生まれる前からレイズ家で働いており、私にとって姉のような存在だ。
「いかがなさいました?」
「レオンが何かを思いついたようで、部屋を出ていったの。もし見かけても、好きなようにさせてあげて」
「かしこまりました」
「それと、お茶をいただけるかしら」
「ただいまお持ちいたします」
侍女は恭しく頭を下げると、一度部屋を出ていった。
すぐにワゴンを押して戻ってきて、テーブルのうえにティーカップを乗せる。
もうひとつのティーカップは、ソーサーに伏せられた状態だ。レオンのものだろう。
ポットからお茶が注がれる。
赤い、いい香りの紅茶だった。
「……最近出来たという、ローズティーかしら?」
「その通りでございます。以前は見た目、香りはよくとも酸味が強く問題でしたが、今回は酸味を抑えることに成功したとか」
「そう、いいことね」
レイズ領では、確かに薬草栽培を主としている。
しかしそれ以外にも多くの作物が育てられており、穀物や野菜、茶葉にいたるまで多岐にわたる。
ただ、国が求めているのが薬草であるため、それらは主に領地の中で消費されることが多い。
そこで、少しでもレイズ領の薬草以外のものを知ってもらおうと、数年前から茶葉の開発に取り組んでいる領民がいるのだ。
「あら、バラの花びらが浮かんでいるのね」
「はい。食用のバラだそうです」
「見た目にも楽しいわ。若いご令嬢方には受け入れられやすいんじゃないかしら」
ひと口飲んでみるが、若干酸味は強いものの、そこまで気になるほどでもない。
ミルクを混ぜれば少しは酸味が和らぐだろうか?
ただ、紅茶を淹れる際に時間をかけてしまうと、酸味というよりも渋みに近くなってしまうかもしれない。
美味しいのは美味しいのだが、少し、扱いづらいかもしれない。
「──いい香りだね。バラの匂いかな?」
もう一度口に含んだ瞬間、すぐ隣で、レオンの声が聞こえた。
思わず紅茶を吹き出しそうになり、慌てて飲み込む。
勢いが良すぎたのか、若干むせ込んでしまった。
「ああリリィ!大丈夫かい?すまない、驚かせてしまったようで……」
「レオン!い、いつの間にいらしたの!?」
「つい先ほどね。ただいま。愛しいリリィのおかげで、無事に完成したよ!」
慌てて背中をさすってくれるレオンに、つい声を荒らげてしまう。
レオンはにこりと笑うと、素晴らしい笑顔のままで報告をしてくれた。
「何が、完成したの?」
「転移魔法だよ」
「は?」
転移魔法とは、複数の魔術師が大量に魔石を消費し、ようやく発動出来る、大規模な魔法だ。
それでも転移出来る場所は決まっており、魔法陣同士を共鳴させ、転移前の魔法陣と、転移先の魔法陣で、同時に魔法を発動しなければならない。
つまり手間と人手と費用がかかるのだ。
魔法陣は国にいくつか存在するらしいが、最後に転移魔法が使用されたのは、もう数十年も前の話である。
それも、必ず思った通りの場所に転移出来るとは限らないという、なんともお粗末なもの。
それなら時間をかけて馬車や馬で移動したほうが効率的だと、もうしばらくすれば魔法陣が撤去されるのではないかと噂になっているほどだ。
そんな、転移魔法を。
完成させたと、レオンは言ったか?
「従来の転移魔法は、2箇所同時に呪文を詠唱し、手間と人手と魔石の費用が随分かかった。だから、そんなものがなくても転移魔法が使えないかと考えていたんだよ」
そもそも転移魔法をつかおう、なんて発想ができる時点で普通じゃないだろう。
レオンはニコニコと笑顔を浮かべたまま、伏せられていたティーカップを手に取った。
侍女が紅茶を淹れようとするが、それを手で制すると、部屋を出ていくように指示する。
侍女は少し悩む素振りを見せた後、頭を下げて部屋を出ていった。
レオンはポットを覗き込み、ポットの中にお湯をいれる。
少しポットを振ってから、ティーカップに紅茶を注ぎいれた。
ま、まさか、レオン手ずから紅茶をいれるなんて!
「魔力と魔力制御自体には問題がなかったんだが、どうしても上手く発動出来なくてね。悩んでいたんだが、リリィが解決してくれたんだよ」
「……え?」
「あの刺繍さ。私は今まで点と点を、線で結ぼうとしていた。しかしそれでは上手く行かなかったんだ。リリィの刺繍を見て、点と点を線で結ぶのではなく、重ねたらどうなのかと考えた。結果、問題なく魔法が発動したよ!どうやら一度目にした景色をしっかりと思い浮かべられれば、自由に移動できるらしい」
全く話が理解出来ないのだが、とりあえず、悩みが解消された、ということだろう。
自分でいれた紅茶を飲み、レオンは満足そうにひとつ頷く。
「自由にって、どこへ行ってきたの?」
「まず、部屋を出てからすぐ、レイズ家の庭へ転移した」
……どうやら部屋を追いかけてもレオンの姿が見えなかったのは、私の足が特別遅かったから、というわけではなかったようだ。
「次に、ハインヒューズ別邸の庭。それから私の部屋へ行き、王都にある本邸の庭と、本邸の自室にも行ってきたよ。最後に王都の自室から、このリリィの部屋へ来た、というわけだ」
「そんなに転移したの……?魔力は大丈夫なの?使いすぎてない?」
「ああ、どうやら転移魔法はなかなかに相性がいいらしく、思っていた以上に魔力を消費しないんだ」
……それでも、普通なら一度も転移魔法など成功させられないだろう。
というかそもそも転移魔法を発動しようなんて、普通の人間は考えない。
考えるといえばよっぽどの魔法バカくらいだ。
「でも、よかった。……これで毎日リリィに会える!しかも、この上なく短時間で!」
「…………えっ」
「そもそも私が転移魔法を使いたかったのは、この、1時間もかかる距離のせいなんだよ。距離があるからすぐには会えないし、距離があるから毎日会えない。なら、その距離を、時間をかけずに移動出来たら──いつでも愛するリリィに、会えるようになるんだ!」
実に満足そうにうんうんとひとり頷くレオン。
え、ええ?
もしかしてこの人、いや、もしかしなくてもこの人。
私に会いたいがために、転移魔法を習得したってこと……?
「これで一度私が下見に訪れた場所には、リリィを好きな時に連れていけるよ。……貴族の旅行というのは実に面倒だからね、この魔法があれば身ひとつで旅にも出られるんだよ」
確かに、転移魔法が使えたなら。
行きたい時に、行きたい場所に、何も持たずに、行けてしまう。
お腹が空けば家に転移し、お腹を満たして、また旅に出られる。
宿を取らなくても、自室に帰って体を休め、また旅に出られる。
そう考えるとひどく魅力的に感じて、思わずレオンを見つめてしまう。
「なら、いつか。私を旅へ連れて行ってくださるの?」
「──私の愛するリリィが望むなら、いつだって」
レオンは私の問いかけに、にっこり甘ったるい笑みを浮かべ、頷いた。
……レオンが私の言葉に頷かなかったことなんて、ないんじゃないかな。
まさか私の下手くそな刺繍が、レオンの役に立つだなんて思いもよらなかったわ。
本当に、レオンの説明は全く理解出来なかったんだけどね。