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私の愛しい婚約者  作者: 華月
本編
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61



ニコラスが瞬きをした次の瞬間には、見慣れぬ景色が広がっていた。

アーデルハイドの王都より馬車で数時間ほどの距離にあるこの町は、レオンハルトもまだ数度しか訪れたことのない、小さな町だ。

当然ニコラスは初めて訪れる場所で、どこに何があるか、全くわからない状態である。

ちょうど周囲に人気はなく、突然現れた二人に目をむく町人たちもいない。


「……本当にここに?」


レオンハルトは氷の亡霊(アイス・ファントム)の魔力を辿り、ここをみつけたはずだ。

それにしては人気がなく、ニコラスは訝しむように眉を寄せる。


「まず間違いなく。まだ近くに魔力の気配を感じます。隠れているのでしょう」


レオンハルトはあっさりと答えるが、その言葉で、ますますニコラスは氷の亡霊が油断ならない相手なのだと再認識する。

通常、魔力というのはコントロールを身につけることで抑えることは出来る。

しかし、気配を希薄にすることは難しく──ニコラスも、魔力を感じられなくするほどの繊細なコントロールは出来ない。

魔力が多ければ多いほど、抑えること自体が困難なのだ。

レオンハルトは普段から魔力の弱いリリアに合わせて、うんと魔力を抑えているため、見たことは無いが恐らく魔力を感じられないほど弱くすることも出来るのだろう。

周囲を警戒しているレオンハルトの手には、いつの間にか刀が握られている。

ニコラスも周囲を警戒しつつ、空間収納術で刀を取り出した。


「霧か……」


町全体を、濃い霧が包み始める。

どこか重苦しく感じるような、ねっとりと肌に絡みつく気味の悪い霧だ。

レオンハルトは舌打ちを漏らし、ニコラスのことを呼んだ。


「恐らく氷の亡霊の魔術でしょう。霧に乗じて発見を遅らせる算段かと」

「……わかりました。気配は見つかりましたか?」

「魔術で発生させた霧のようで、周囲に氷の亡霊の魔力が立ち込めているので……」


どうやらこの霧は、氷の亡霊が意図的に発生させたものらしい。

霧のせいでハッキリとレオンハルトの表情は伺えないものの、決して良いものでは無いことは理解出来る。

レオンハルトが見つけられないのであれば、ニコラスにも見つけることは出来ないだろう。

しかし警戒心を解くわけにもいかず、霧でよく見えない周囲を睨みつけた。


「──まさか、ここまで追いかけて来るとは思わなかったよ!」


そして、突如聞こえた氷の亡霊の声。

何人かの声が重なっているかのような、聞き取りづらい、それでいて不気味な声。

幾重にも声が聞こえるせいで、どこから発せられた声か判断がつかず、レオンハルトは何度目かの舌打ちを漏らした。


「──今のはもしかして転移かな?面白い術を考えたね!」

「……あなたも使えるのではないのですか」


学園でレオンハルトが氷の亡霊を逃した時。

氷の亡霊は、確かにその場で姿を消していた。

ニコラスはその姿を見て、氷の亡霊もレオンハルトと同じく転移が使えるのだと思っていたのだ。

しかし彼の口ぶりからするに、あれは転移ではなかったらしい。

訝しむようなニコラスの言葉に、氷の亡霊はクスクスと笑うだけ。

まるで馬鹿にされているようで──実際そうなのだろうが──つい、不機嫌に眉を寄せてしまう。


「あれは転移ではなく、幻術の一種でしょう。最初は本物、途中で幻術に入れ替わり、タイミングを図って姿が一瞬で消えたように見せかけた。幻術と入れ替わったのは、おそらく氷魔術を発動した時……」


ニコラスの疑問に答えたのはレオンハルトだった。

ひゅー、と軽く口笛を吹くような音がして、次いで、ぱちぱちと手を叩くような音が。


「──わぁお、正解!よく見てるねー!で、ここまでボクを追ってきたってことはー、ボクの邪魔するつもりかな?言ったよねー、邪魔しなきゃ君らには何もしないって。わざわざ自分から危険に飛び込むなんて、変わってるー!」


どうやらレオンハルトの推測は当たっていたようだ。

王都から馬車で数時間の距離だとしても、早めにあの場所から離れ、レオンハルトたちが国や学園に知らせている間に、ここまで逃げてきたのだろう。

そこで、レオンハルトにひとつの疑問が浮かぶ。


「氷の亡霊。貴殿はここで何をするつもりだ?」


レオンハルトの問いに、氷の亡霊は楽しそうに笑うだけだった。

ニコラスは訝しむように霧に霞むレオンハルトを見やったあと、その質問の意味に気がつく。


この町まで、馬車でおよそ数時間。

移動手段に何を使ったかは定かではないが、周囲に馬などはいないので、おそらく魔術で身体を強化しここまで駆けてきたのだろう。

人によっては馬で移動するよりも速く移動出来るし、レオンハルトも馬より自分で動いた方が早いと思っている。

おそらく相当な魔力量を保有している氷の亡霊もまた、馬より速く動けるはずである。

つまり、レオンハルトやニコラスがこの町まで追ってくるよりも先に、もっと遠くまで逃げることだって出来たのだ。


しかし氷の亡霊は、この町に滞在している。

わざわざ自分の正確な居場所を認識出来ないよう、周囲に魔術の霧まで漂わせて。


「──さあ?何だろうねー。考えてご覧。ボクを捕まえたいのなら、それは君たちの役目だろう?」

「そうだな……。この町で依頼を受け、誰かを殺そうとしているのだろう。今は対象者待ち、といったところか?」


クスクスと楽しそうに聞こえていた笑い声が止まる。

「いやーなやつ!」とどこか拗ねたような声が聞こえた。

否定しないということは、図星ということなのだろう。

ニコラスはあっさりと氷の亡霊の目論見を見破ったレオンハルトに内心舌を巻き、目を細めた。

やはり彼が敵に回らなくてよかった、と。

同時に、レオンハルトを敵に回した氷の亡霊に、若干の同情を抱く。


「さて、見知らぬ誰かが殺されようとどうでも良いが、私のリリィの耳を穢した罪は重いぞ」

「──ふぅん。どうする気?」

「決まっているだろう。──死んで詫びろ」


先程まで表情の変わることのなかったレオンハルト。

その口元がニヤリと弧を描いた、次の瞬間。


「っ!」


思わず息を飲んでしまうほどの、濃密な魔力がレオンハルトから溢れだした。

その口元には相変わらず笑みが浮かんでいて、しかしそれは、リリアに向けるような蕩けそうな甘いものとは似ても似つかない。

不敵で、どこか人を馬鹿にしたような、それでいて愉快そうな──心底、リリアの敵を排除できることを、喜んでいるような。


「知っているか。魔術というのは上書きができるものなんだよ。貴殿程度の魔術であれば、それは容易い」


周囲の霧が、徐々に様子を変えていく。

何!?と戸惑ったような氷の亡霊の声がひびき、しかしレオンハルトの濃密な魔力は、さらに煮詰めたように濃くなっていくだけだ。


つぅ、とニコラスの頬を、冷や汗が伝う。

きっとこのむせ返りそうなほど濃密な魔力は。

すぐ隣に立つレオンハルトが、“魔術の上書き”を行っているのだろう。

──魔術が上書き出来るだなんて、ニコラスにとっては初耳だ。

聞いたこともなければ、実行してみようと思ったことすらない。

実際、魔術の上書きなど、レオンハルトが言うように容易いものではないはずだ。

まずは上書きする魔術について詳しい分析を行わなければならないし、相手の魔術を侵食するとなれば、相手よりもばく大な魔力を使用しなければならない。


「──っバケモンかよ……!」


苦し紛れに放ったと思われる氷の亡霊の言葉に、内心ニコラスも、つい同意してしまった。

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