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氷の亡霊のことをレオンとニコラス殿下が学園側に伝えると、すぐにジークベルト殿下が、待機していた部屋に現れた。
その表情は険しく、ジークベルト殿下の後ろには、黒の団長様や白の団長様もいらっしゃる。
男子生徒のひとりが被害に遭ったということで、学園側は急きょ全ての授業を中止し、生徒たちは寮の自分の部屋で待機するようにと指示が出たため、恐らく生徒はこの部屋の私たち以外いないはずだ。
「詳しい状況を聞きたい」
「……リリィ、少し貸しておくれ」
ジークベルト殿下の言葉にレオンが頷くと、私に向かってどこか困ったように微笑んだ。
レオンに言われ、常に身につけているアクセサリーのひとつであるネックレスを外し、レオンに渡す。
これは魔術が付与された魔石のネックレスで、私の乏しい魔力を使わずとも、魔法を常時発動してくれるものだ。
詳しい付与の内容はわからないが、レオンがジークベルト殿下がいらっしゃる前にネックレスを貸して欲しいと言っていたので、何かしらの理由があるのだろう。
「それは?」
「魔術を付与したものです。私たちが状況を話すより、聞いていただいた方が早い」
レオンはそういうと、何かの魔術を展開する。
ネックレスに魔法陣が浮かび上がると、明るい光を帯び始めた。
このネックレスはレオンにもらってから毎日身につけているけれど、こんな風に光るなんて初めて知った。
『──やあ、初めまして!』
そして。
次の瞬間、ネックレスから聞こえてきたのは。
あの、氷の亡霊の声。
「これは……!」
「念の為に音を保存し、再生する魔術も付与しておいて正解でしたね。まさかここで使うことになるとは思いませんでしたが」
どうやらレオンが付与した魔術のひとつらしい。
初めて魔石のアクセサリーをもらってからも、何度も同じようにアクセサリーをもらっていた。
レオンが新たに魔術を付与してあると言うので、贈り物としてもらう度に、新たな魔術が付与されたものなのだとは知っていたけれど──まさか音を保存する魔術なんてものまで付与していたとは。
今更ながら、当たり前のように身につけていたこの魔石のネックレス。
私には不釣り合いな、とんでもない価値がつくのではないだろうか……?
ジークベルト殿下や団長様たちが驚かれている間にも、ネックレスの再生する会話は止まらない。
すぐにこの再生される会話を聞く方が先だと判断したのか、殿下方はじっとネックレスを見つめた。
やがて一連の会話を再生し終えると、レオンのくそっ!という悪態を最後に、レオンが魔術の発動を停止する。
「……まさか、レオから逃げられる者がいたなんて」
「氷の亡霊……侮れませんな」
ジークベルト殿下の言葉に、白の団長様が同意する。
白の団長様はレオンの魔術について興味を示すほど、レオンのことを認めている。
だからこその侮れない、という言葉なのだろう。
表情は険しい。
「会話を聞く限り、被害者には何か共通点がありそうですな。依頼された……ということは、依頼主がいるはず」
「まずは共通点を探しましょう。依頼主を探すより早いはずだ」
黒の団長様と白の団長様の言葉に、ジークベルト殿下も頷く。
「シュタインヴァルトにも協力するよう要請します」
「助かります」
ニコラス殿下も同意すると、部屋の中に待機していた騎士に声をかける。
彼はニコラス殿下と共にシュタインヴァルトから来られた騎士ではあるが、このおよそ一ヶ月、結局ほとんど関わりを持つことはなかった。
しかしレオンが話しかけているところは何度か見かけたので、レオンとは同じ護衛としても関わりを持っていたのだろう。
ニコラス殿下に言われ頷いた彼は、すぐに部屋を出ていく。
同時に黒の団長様に指示を出され、騎士のひとりらしい男性も、あとに続くように部屋を出ていった。
ジークベルト殿下は話を広げるつもりは無い、と生徒たちには何も仰っていないようだったが、やはり国としては問題になっていたのだろう。
騎士たちの顔は、皆一様に険しい。
「……ねえレオン」
「なんだい?」
「この……氷の亡霊が言っていた、加護持ち……というのは何のことなの?」
あの場で会話を聞いてから、ずっと引っかかっていた。
氷の亡霊が言うには、レオンとニコラス殿下はおそらく“加護持ち”で、二人を相手にするのは難しいと。
レオンは私の問いに眉をひそめると、考えるように口元に指を添えた。
「ああ……私も気にはなっていたんだ。ただ、加護というものに心当たりがなくてね……」
ついレオンに聞いてしまったけれど、確かにレオンは、何のことか知らないと答えていた。
私のちょっとした疑問に、何時だって答えてくれていたレオン。
そんなレオンにも、知らないものがあるのだと、場違いながら意外に思ってしまった。
「おそらく、シュタインヴァルトに伝わるおとぎ話のことでしょう」
「おとぎ話……?」
ニコラス殿下の言葉に、ジークベルト殿下が訝しむように呟いた。
ミリアもそのおとぎ話については知っているのか、「ニック様、あのお話ですの?」と首を傾げていた。
「加護、というのなら、それしかないと思いますよ」
「それは一体、どんな?」
「我が国にはヴァルヴァイアという女神が信仰されています。ヴァルヴァイアは愛と力を司る女神。生涯のうちに心の底から愛する者を見つけ、結ばれると、ヴァルヴァイアによる加護を与えられ……永久の愛と、愛する者を護りきる力を手にすると言われているのです」
しかし物語にあるように信託が降りるだとか、ある日突然力に目覚めて……というわけではないそうだ。
だからこそヴァルヴァイアの加護というのはおとぎ話として語り継がれているだけであり、シュタインヴァルト皇国内でも、知らない者もいるらしい。
「僕にもミリーという何よりも愛おしい女性がいますし、それなりの力があるので加護持ちだと言われていましたが……」
「なるほど。氷の亡霊の言う“加護持ち”がその話のことであれば、レオがそう思われるのも仕方がないな」
女神の加護のお話は、アーデルハイド国内には知られていない話だ。
ヴァルヴァイアという女神の名前も、初めて聞いた。
「まあ、愛する人を護りたいが故に力を求めてあがき、結果が伴っているのだから、加護というのもあながち間違いではありませんけどね」
軽く肩をすくめるニコラス殿下。
ジークベルト殿下もレオンに目を向け、「確かに……」と小さく呟いていた。
「……ということは、氷の亡霊にも愛する人がいたのね。けれど、結ばれることはなかった」
「ああ。リリィの言う通りだと思うよ」
「どういうことだ?」
訝しむように眉を寄せるジークベルト殿下。
直接氷の亡霊の言葉を聞いていた時は何も思わなかったのだが、先程ネックレスの再生した言葉を聞いて、気がついたのだ。
「氷の亡霊は、会話の途中で“ボクみたいに他の男に恋人を取られたんだって話をされたら、信じてあげるしかない”と言っていました」
きっと氷の亡霊にもかつて愛する女性がいて。
けれど、私たちのように、結ばれることは出来なかった。
シュタインヴァルトに伝わる女神の加護のお話を信じているのなら……きっと氷の亡霊は、その女性を心から愛していて、その女性のために、力を求めたのだろう。
「なるほど……」
「被害者の共通点、もしかしたら恋愛のもつれかもしれませんわね。依頼主が恋人を奪ったと氷の亡霊に訴えたとすれば、それが事実であってもそうでなくても、依頼主の為にという大義名分を掲げて犯罪に走ったのかも……」
ミリアの言葉に、ニコラス殿下は「さすがミリー!僕も同じことを思っていましたよ!」と嬉しそうに笑う。
「シュタインヴァルトに伝わるおとぎ話を信じているあたり、氷の亡霊はシュタインヴァルトの国民である可能性は高いですね」
「ああ。その線で調査してみよう」
レオンの言葉に、ジークベルト殿下が頷く。
すぐに調査を開始するらしく、ジークベルト殿下は団長様たちと共に部屋を出ていく。
去り際に私たちに部屋に戻るか、どちらかの部屋に集まっているようにと指示され、レオンとニコラス殿下が了承の言葉を漏らしていた。