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力強く抱き寄せられた為に、周囲の状況がいまいち理解出来ない。
軽くレオンの身体を押してみれば、思っていたよりもあっさりレオンから身体が離れた。
それでも、レオンの腕の中にいることに変わりはないけれど……。
私が動いていることをたいして気にしていないのか、気にする余裕もないのか。
レオンは睨みつけるように、ある一点に鋭い視線を向けていた。
「やあ、初めまして!といってもボクはキミたち二人のことはちょっとだけ知ってるんだけどね。レオンハルト君とリリアちゃん。いやー、本当は今日、レオンハルト君の命をもらおうと思ってたんだけど、どうやらキミたち両想いみたいだし、依頼人がボクに嘘ついてたことがわかったし。キミの代わりに嘘つき君の命をもらうことにするよ、だから安心してね!ああそうそう、リリアちゃんにしつこく手紙送ってたのもその男だから、今日から面倒な手紙も届かなくなるよ、よかったね。はい解決拍手ー!」
ニコニコと場違いな笑顔を浮かべて、まくし立てるようによく動く口。
至極軟派な青年に見えるが、レオンが警戒心を解かないあたり、油断のならない人物なのだろう。
いつの間にかニコラス殿下も、ミリアを護りながら、刀を握っている。
「……あれ、ボクめちゃくちゃ警戒されてる?だからー、キミたちには危害加えないって!ボクが始末するのは依頼されたクズだけだし……いやまあ、確かにキミをクズ野郎と決めつけてたのは悪いと思うけどさ!ボクみたいに他の男に恋人を取られたんだって話されたら、信じてあげるしかないじゃん?まあ嘘だったわけだけど。ボクそういう嘘は嫌いなんだよねー。本当、レオンハルト君殺す前に気づけてよかったよ!知らないうちに女の子を悲しませるところだった。女の子悲しませるのは性にあわないんだよねー、女の子がクズなら話は別だけど、リリアちゃんはそういうわけじゃなさそうだし?」
「そう簡単に、私を殺せると思ったか。……リリィ、少し下がって」
レオンに優しく背を押され、少し距離をとる。
ニコラス殿下もミリアの背を押し、そばを離れさせた。
「あー、うーん、全然信じてもらえてないね。困った困った。依頼が嘘だったわけだし、キミと戦う理由がないんだよね。ほら、キミが……キミらが死んじゃうと、その二人が悲しんじゃうでしょ?」
「ほう。レオだけではなく、僕にも勝てると?笑えない冗談ですねぇ。ところで、あなただけが我々を知っているのは不公平でしょう。そろそろ名乗ってもらいたいものですが」
ニコラス殿下の言葉に、彼はさらに笑みを深めた。
まるで人を馬鹿にするような、ニヤニヤとした笑い方だ。
「うーん、本当の名前は捨てたんだよね。だけどまあ、ボクは今、こう呼ばれてるみたいだよ。──氷の亡霊、っていえばわかるかな?」
聞き覚えのない名だが、ニコラス殿下やレオンには心当たりがあるらしい。
「あなたが……!」と言葉を漏らしているのが聞こえた。
ミリアも心当たりはないようで、私の視線に、首を横に振っている。
「……貴殿が本物の氷の亡霊だとすれば、ますます見逃すわけにはいかないな」
「僕の国で、よくも好き勝手なことをしてくれましたね。……シュタインヴァルト皇国の皇子として、あなたに命を散らされた国民たちの仇、ここで取らせてもらいましょうか」
レオンとニコラス殿下が刀を構える。
氷の亡霊とやらは、困ったように腕を組み、「んー」と声を漏らすと、頬を人差し指で軽くかいた。
それから溜息をつくと、両手を軽くあげて肩をすくめた。
「いやー、さすがにキミら二人を同時に相手は無理!皇子様には悪いけどさー、でも一応ボクが殺したやつらは殺されて当然のことをしたわけだし?仇って言われても困るんだよねー。もうちょい詳しく調べてみれば?そしたらわかるよ、あいつら死んで当然だって」
シュタインヴァルトの国民たちが命を散らされた。
その言葉に思い当たるとすれば、少し前にジークベルト殿下が仰っていた、シュタインヴァルトとアーデルハイドで起きている殺人事件。
もしかして、氷の亡霊とやらは、その事件の犯人なのだろうか?
ニコニコと浮かべられた笑顔からは、危険性は感じ取れない。
「まあとりあえず──お前は死ねよ」
浮かんでいた笑みがすっと消えたかと思うと、彼の背後から、突然何かが飛び出した。
その何かはレオンやニコラス殿下には向けられていなくて、少し安心する。
しかし次の瞬間に聞こえた何かを貫くような、嫌な音。
あたりに液体が飛び散るような音がして──。
「見るな!」
普段は丁寧な口調であるニコラス殿下が、怒鳴りつけるように叫んだ。
その声にすくみ、ミリアと互いに抱きしめ合う。
嫌な音の先に、目は向けられなかった。
それでも、見ることの出来ない先で、何が起きたかは、想像が出来る。
シュタインヴァルトとアーデルハイドを騒がしている殺人事件では、氷が被害者の喉を貫いているのだと、言っていた。
つまり、きっと、そういうこと、なのだろう。
「よーし命中。最初はこれ当てるの苦労したんだよねー。二人ならわかるでしょ?氷魔術って案外面倒でさー、でもまあ氷魔術使うにはそこそこ魔力がいるわけだしー、なかなか経験出来ないっしょ?氷で殺されるなんて。最初で最後の経験をさせてあげてるわけだしむしろ感謝して欲しいよね」
へらりと、再び男が笑みを浮かべる。
レオンとニコラス殿下は僅かに表情を歪めながら、私たちが見られない先の光景を一瞥すると、小さく舌を打った。
「……よくも」
「えっ、もしかしてレオンハルト君って博愛主義者!?まさか変質者殺されて怒った?うっわーそれは予想外!」
「よくもリリィの前で汚い死体を作ってくれたな。私のリリィの目と耳を穢すなど……!」
「……あっ、そっち?」
ちゃき、と音を立てて刀を構えるレオン。
レオンの背中しか見えないため表情はわからないけれど、雰囲気からするに当然優しい顔をしているとは思えない。
氷の亡霊はどこか呆れたような表情をしていて、しかしすぐに満足そうに笑みを浮かべた。
「いやー、ごめんごめん。レオンハルト君、本当にリリアちゃんのこと好きなんだねー。もしかして、キミも加護持ちかな?その様子だとー、そこの皇子様もそれっぽいけど!」
「リリィの名を何度も呼ぶな。何のことかは知らんがお前はここで拘束させてもらう」
「いやいやそれはちょっと困るわー。加護持ちだとしたらひとり相手すんのも辛いし、皇子様も含め二人同時は死ぬ!つーわけで、まったねー!キミら両想いなのはわかったからもう狙わないよーたぶん。ボクの邪魔さえしなきゃね!」
ゆらり、と氷の亡霊の姿が揺れる。
「っ待て!」
「やーだよ。じゃあねレオンハルト君にリリアちゃん。あと皇子様たち!キミらの幸せを願っているよ」
へらりと笑みを浮かべ、ひらひらと手を振ったかと思えば。
ゆらゆらとロウソクの炎のように大きく揺れる。
レオンが地面を蹴り、斬りかかった瞬間──刀が触れる直前に、その姿が消えた。
「くそっ……!」
「レオ!」
「……っすみません、取り逃しました」
ニコラス殿下に名を呼ばれ、レオンが苦々しい表情で振り返った。
レオンの言葉に、ニコラス殿下は小さく息をついた。
その表情は険しく、しかしレオンを責めるつもりはないのだろう「仕方がありません」と首を横に振った。
「……とにかくジークベルト殿下と学園側に連絡を入れましょう」
ニコラス殿下に言われ、レオンがもう一度、直前まで氷の亡霊がいた場所に目を向ける。
じっとその場を睨みつけてから、小さく、「はい」と言葉を返した。