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(H30.5.24修正)ミリアが→リリアが
始業時間前まで眠れたようで、レオンは今朝よりすっきりした様子だった。
それでもピリピリとした雰囲気は変わらず、学園の敷地内を歩く時も、十分すぎるほど警戒している。
私とレオンの数歩前をニコラス殿下とミリアが寄り添うように歩くのはもうすっかり見慣れた光景で、もうあと二日もすれば見られないのだと思うと、少しだけ寂しい。
だからといっていつまでも学園に在籍して、正体不明の差出人にレオンがピリピリしているのは嫌だから、これから先もずっと続けばいいのに……とは全く思わないのだけれど。
「──あいつ、」
「レオン?」
小さく、レオンが呟いたのがわかる。
足を止めたレオンにつられ、私も足を止めた。
レオンの睨みつける先に目を向ければ、そこにはにこりと微笑む少年が立っている。
すぐに人混みに紛れてわからなくなったけれど、誰だろうか?
「どうしたの?」
「……いや。ここ数日、必ずと言ってほどあの男がリリィを見ているんだ」
「え?」
レオンは眉を寄せ、何かを考えるように口元に指を添える。
私たちが足を止めたのがわかったのだろう、ニコラス殿下とミリアも不思議そうに足を止め、振り返っている。
どうやらレオンが警戒していた中で、唯一あの男子生徒だけを毎日のように見かけたらしい。
「偶然なんじゃ……?」
レオンは少し考えてから、首を横に振る。
……確かに、こんなにも警戒しているのならば、毎日見かけるというのは怪しむのも仕方がないかもしれない。
私の中では覚えのない人なんだけど……。
「彼って、もしかしてあの方ではありません?」
「え……ミリア、知ってるの?」
私の言葉に、ミリアが小さく息をつく。
どこか呆れたような表情に、首を傾げてしまった。
「ほら、数日前の魔術の授業で……魔術のレポートを落とされた方がいらしたでしょう?リリアが渡していたじゃない」
ミリアの言葉に、ここ数日の記憶を遡る。
…………言われてみれば、そんな人が、いたかもしれない。
レオンも思い当たるところがあったのか、「そういえば……」と呟いていた。
「全く、リリアったら。レオンハルト様以外の殿方にはてんで興味がないのね」
「そういうミリアこそ、ニコラス殿下以外に興味がないと思っていたわ。よく覚えていたわね」
「いずれニック様の妻になれば、他国の主要人物は覚えなくてはいけないから……」
なるほど、ミリアにとっては、ニコラス殿下以外の殿方の顔を覚えるのも、ニコラス殿下のためということか。
レオンはどちらかというと自分以外の人を覚えなくていいというタイプだから、少し新鮮にも思える。
けれどニコラス殿下は苦い表情をしているので、本意ではないのだろう。
それでもほんのりと頬を赤らめるミリアが可愛いのか、すぐに「ああミリー……!」と口元を抑えていた。
「でも、紙を渡しただけよ?まともに会話もしていないし、手紙を届けられる覚えはないけれど……」
「そうよね……。リリアがレオンハルト様以外の殿方と仲良くなるとは思えないし……それに、あの時はすぐにレオンハルト様が引き離していたし」
もしも実際にあの男子生徒が正体不明の差出人だったとして。
私は彼に落し物を渡しただけだし、会話という会話はしていない。
名乗られたような気もするが、はっきり言って名前も覚えていなければ、顔だって曖昧だ。
そんな人に手紙を出されることをした覚えもないし、差出人を好いている……なんて勘違いをされた理由がわからない。
「……ですが、他に手がかりもありませんし、事情を聞くくらいはしてもいいかもしれませんね」
ミリアの可愛らしさに悶えていたニコラス殿下が、少し落ち着いたのか、ようやく口を開いた。
ニコラス殿下の言う通り、心当たりはなくても、何の手がかりもない今、話を聞くくらいはしてもいいかもしれない。
レオンも同じ意見なのか、小さく頷くと、静かに目を瞑った。
ふわりと、レオンの髪が揺れる。
風が吹いてもいないのに揺れているということは、魔術か何かで探っているのかもしれない。
数分ほどして、レオンが小さく「見つけた」と呟き、目を開いた。
どうやら目的の人物を見つけることが出来たようだ。
「時間がかかりましたね」
「ええ。思ったよりも微弱な魔力だったので、探るのに手間取りました。ですが……手紙に残された魔力に、よく似ている」
どこか険しい表情のレオンは、その男子生徒と手紙の差出人を同一人物だと疑っているようだ。
確証はないとしても、レオンが疑うのなら……可能性は、高いかもしれない。
もうすぐ、授業が始まる時間だ。
いつの間にか当たりに人気はなくなっていて、どこか遠くで、授業待ちらしい生徒たちの声が聞こえる。
レオンは授業に出るつもりはなさそうだし、ニコラス殿下やミリアも付き合ってくれるようだ。
「行くよ」
レオンの言葉に頷いて応える。
次いでミリアとニコラス殿下にも目を向け、二人が頷いたのを確認してから、レオンの魔術が展開された。
反射的に瞑っていた目を開いた先は、あまり来ない中庭であった。
そこには満足そうな笑みを浮かべた男子生徒の姿が。
「──よく来たね、リリア。さあ、そんな男から護ってやるから……オレのところにおいで」
ねっとりと絡みつくような、どこか気味の悪い声。
ぞくりと背筋を走る悪寒につられ、思わず自分を抱きしめた。
それに気づいたのか、レオンがそっと腰を抱き寄せてくれる。
「っリリア!無理をしてそんな男に縋らなくていい!ほら、早く!」
あの人は、いったい、何を言っているのだろう?
どこか焦ったような言葉に、心底気持ちが悪くなる。
レオンの腕の中で、顔を隠すように、胸元に顔を埋めた。
優しくレオンが頭を撫でてくれて、小さく息をつく。
「リリア……?何を、」
「何を勘違いしているのかは知らないが、リリィは貴殿のことは記憶にもないそうだ。私のリリィを、何度も馴れ馴れしく呼び捨てにするのはやめてもらおうか」
男子生徒の言葉を遮るように、レオンが冷ややかに告げる。
抱きしめてもらっている私にはレオンの顔は見えないけれど、きっと、その声に似合う冷たい表情を浮かべているはずだ。
「り、リリア!」
「何度も、名前を呼ばないで……!」
見知らぬ男子生徒に何度も名前を呼ばれるなんて、とても気分のいいものではない。
レオンが愛称をつけてくれた名前だからこそ、尚更。
レオンが好きだと言ってくれたから。
私だってこの名前が大好きなのだ。
何度も何度も、名前を呼ばれたくない。
「なんで……どうして、」
呆然としたような、男子生徒の声。
レオンに抱きしめてもらえたおかげか、気味が悪くて立っていた鳥肌は、いつの間にかおさまっていた。
ゆっくりレオンの胸元から顔を離せば、レオンが優しく頬を撫でてくれた。
うん、大丈夫。
「──どうして、はこっちのセリフなんだけど?」
一言文句をいってやろうと口を開いた瞬間、聞いたことの無い声が響いた。
レオンが息を呑み、再び私を抱き寄せる。
どこか荒々しいその行動に、レオンの胸元に鼻をぶつけた。
いつもレオンは私を抱き寄せる時、とても優しいのに……。
「キミがさぁ、恋人を奪われたっていうから、わざわざ協力してやったんだろ?なのに……ボクに嘘つくとか、よっぽど死にたいんだね?」
「ち、ちが……!」
男子生徒と、聞きなれない声の主だけで行われる会話。
どうやら男子生徒は、声の主に何かしらの協力を仰いでいたようだ。
訳の分からない会話と状況の中で、レオンから嫌な気配があふれることしか理解できなかった。