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今日は学園の授業が一日もない日である。
数日に一度、授業をいれない休息日を設けることができるのだ。
休息日を作るかどうかは各自の判断によるため、中には休息日を設けず、ずっと授業を受け続けるという生徒もいるようだが、五日間授業を受けて一日休むという生徒も多いようだ。
もちろん私とレオンの休みは、ミリアとニコラス殿下に合わせている。
今日の休みは特に予定がないので、お互いにのんびり過ごす予定だったのだが。
今朝になり、急きょジークベルト殿下による招集がかかった。
学園の、特に上級貴族──侯爵家以上──にしか使用許可のおりない、特別な部屋だ。
といってもおりないのは“使用許可”であるため、申請を侯爵家以上の生徒が行えば伯爵家以下でも入室はできるのだが。
部屋にはジークベルト殿下しかいらっしゃらず、テーブルには白いクロスが敷かれ、ティーセットが並べられている。
いつもならにこやかに「やあレオ!」とでも声をかけてきそうなものなのだが……どこか表情は強ばっているように思える。
マリアンナ様やヴィオラ様はいらっしゃらないのだろうか?
「まずは座ってくれるかい。それから、詳しい話をしよう。……その前にレオ、悪いが、この部屋の声が漏れないようにしてくれるか?」
ジークベルト殿下の言葉に、レオンは訝しむように眉を寄せた。
しかしすぐに頷くと、指をひとつ鳴らす。
床に大きな魔法陣が現れ、一瞬で消えていった。
「──防音結界を張ったので、声が漏れることはありません」
レオンにエスコートされ、椅子に座る。
すぐ隣にレオンが座り、その隣にニコラス殿下、ミリアと並ぶ。
もちろん、ミリアはニコラス殿下にエスコートされていた。
「それで、話というのは?」
ニコラス殿下が問いかけると、ジークベルト殿下が「ああ」と頷いた。
ティーカップに入っている紅茶からは湯気が上がっており、まだ淹れたばかりだということがわかる。
ジークベルト殿下自ら用意するとは思えないので、侍女か執事かが淹れたのだろうか。
茶葉はシュタインヴァルト産のもののようだ。
「……実は、アーデルハイドとシュタインヴァルトとの国境付近で、気になることがあってな」
そう話を切り出した殿下は、テーブルの上で指を組むと、詳しい話を始められた。
アーデルハイドとシュタインヴァルトは、国境に川が流れており、国同士は大きな橋で結ばれている。
川の近くには街があり、互いの国に行き来ができる立地のため、常に賑わいを見せている。
私もレオンに連れて行ってもらったことがあるのだが、うっかりはぐれてしまいそうなほどには賑わっていた。もちろんはぐれてはいないのだが。
街はアーデルハイドとシュタインヴァルトの双方にあり、シュタインヴァルトには訪れたことはないが、おそらく賑わってはいるのだろう。
アーデルハイドで国境付近といえば、その街のことを指す。
どうやらその街で、殺人事件が連発しているらしい。
しかもアーデルハイド側だけでなく、シュタインヴァルト側でも。
調査をした結果、アーデルハイド側の連続殺人事件と、シュタインヴァルト側の連続殺人事件は同一犯によるものと判断され、両国で協力し事件解決に向けて捜査をしているらしい。
「同一犯とした根拠はなんです?」
「被害者たちは、全員魔術による攻撃により亡くなっている。残された魔術痕を調べた結果、同じものが発見されたんだ。使われた魔術も同じだったしな」
魔術を使用すると、魔術痕というものが残されることがあるそうだ。
その魔術痕は、魔力量や魔力の質、属性などにより、各々全く異なるらしい。
実際にレオンの魔術痕とニコラス殿下の魔術痕では、素人目には同じに見えても、見る人が見れば違いは一目瞭然なのだとか。
ただしその魔術痕というのは必ず残る、というわけではなく、使用した魔術の規模や範囲などに大きく左右されるそうだ。
「……なるほど、決定的ですね」
「それで、犯人は見つかったんですか?」
レオンの問いに、ジークベルト殿下が首を横に振る。
同一犯による犯行とまではわかっても、犯人特定までには至らないそうだ。
確かに話を聞く限り、魔術痕というのは指紋のように同じものはひとつとしてないそうだが──魔術を使える国民自体は、国では把握しきれないほどにいるのだ。
その把握していない国民たちの中に、今回の犯人がいたとしても、決しておかしい話ではない。
「かなりの魔力量を持つようだから、すぐに特定できると思ったんだが……なかなか上手く行かなくてな」
「魔力量が多いんですか?」
「ああ。実は、被害者たちは皆同様の手口で殺害されていてな。──氷の杭で、喉をひとつきだ」
氷の魔術は、誰にでも使えるというわけではない。
それなりの魔力量と、複数の属性を使用出来なければ、氷魔術は使えない。
実際にアーデルハイドでは白騎士になるためにも氷魔術の使用は必須となっており──それがさらに人員不足に拍車をかけているのだが──氷魔術を使えないために、白騎士を諦める者は五万といる。
まあ、レオンはあっさり使っていたし、ニコラス殿下も使える可能性は高いが。
「主に国境付近の街での被害が報告されているが、最近では、少しずつほかの地域でも被害が出ている。まだ調査中だが、被害者たちの共通点はいまだに不明だ。犯人の目的がわからない以上、ニコラス殿下やミリア嬢には常に警戒をしてもらいたいのだ。もちろん、レオとリリア嬢もな」
なるほど、目的がわからないからこその話し合いだったのか。
それにしては、わざわざ声が外に漏れないように警戒するほどの話でもなかったような……?
「そのお話でしたら、わざわざレオンハルト様の結界がなくても良かったのではありませんか?」
ミリアも同じ疑問が浮かんだのか、不思議そうに首を傾げている。
途端なニコラス殿下がでれっと口元を歪め、「ミリー可愛い……」と小さく呟いたのがわかった。
「……事件はシュタインヴァルトと、アーデルハイドの両国で起きている。犯人はアーデルハイドの民かシュタインヴァルトの民のどちらかであろうというのが、現段階での評価だ。せっかく両国の友好関係を深めるための交換留学中なのだ、周囲にイタズラに不安を与えることは得策ではないだろう?」
アランディア殿下にも当然この情報は伝わっているはずだが、やはり、シュタインヴァルトでも話が広まらないように配慮されているそうだ。
確かに、アーデルハイド国民からすれば、犯人は自国の民ではなくシュタインヴァルトの民だと疑う可能性はある。
それが、結果シュタインヴァルト国籍の人々に対する迫害に繋がる可能性も否定は出来ず、もしそうなれば、アーデルハイドとシュタインヴァルトは“友好国”などと言えなくなる。
それはシュタインヴァルト側でも同じことだろう。
「なるほど、確かにそうですね。もし生徒の誰かがニコル殿下やミリア嬢に手を上げることがあれば──まぁ私がいるので無理でしょうが──戦争の火種を生み出しかねない」
レオンの言葉に、ジークベルト殿下が頷いた。
確かにアーデルハイドとシュタインヴァルトは友好国ではあるものの、実際には表面上の薄っぺらい付き合いだ。
ほんの少しのキッカケで、戦争へと繋がる可能性は充分にある。
しかも我が国にいらっしゃっているのは、次期皇太子となっても不思議ではないニコラス殿下と、そのニコラス殿下が心の底から愛する婚約者のミリア。
少なくとも、ミリアが傷つけられれば、ニコラス殿下はこの国を火の海に変えてしまうだろう。
そしてニコラス殿下に賛同したシュタインヴァルトの民たちが立ち上がれば、あっという間に戦争の始まりだ。
それは決して望ましいことではない。
「そういうことだ。レオ、言うまでもないだろうが……ニコラス殿下とミリア嬢の護衛は、今まで以上にしっかりと頼んだぞ」
「……わかりました」
レオンが頷けば、ジークベルト殿下はほっと安堵の息を吐いた。
では、話はこれだけだ。と言い残すと、用事があるからとジークベルト殿下は足早に部屋を出て言ってしまう。
残された私たちは、とりあえず出された紅茶を飲み、自室へ戻ることとなった。
思った通り、シュタインヴァルト産であった紅茶は、冷めたことにより少し渋み増したものの、それでも充分美味しかった。