52
ぎろりと、鋭い視線がぶすぶす突き刺さる。
いつも浮かべられている笑顔は見られず、その表情は不機嫌そうに歪んでいる。
実際、彼の機嫌はまったく良くないのだろう。
けれど、そんなレオンの様子がどうしようもなく可愛らしくて、ついつい笑みをこぼしてしまった。
「──リリィ。今すぐ、ソレから降りるんだ」
低い声。
そんなにも不愉快なのだろうか?
私はただ、普通に、馬に乗っているだけなのだけれど……。
今は馬術の授業中だ。
ミリアは馬に慣れているらしく、馬に乗ってすぐに、近くを駆け回っている。
ニコラス殿下も並走しているので、馬には慣れているのだろう。
時々風に乗って「笑顔のミリーも素敵ですよ!」と楽しそうな声が届く。
私も学園の用意してくれた馬に何とか乗ったばかりで、まだゆっくり歩いてもらうことしか出来ない。
そもそも私は、ほとんど馬に乗ったことがないのだ。
移動はいつもレオンが連れていってくれたし、レオン以外と出かける時は馬車だったし。
「降りては授業にならないじゃない。ほら、レオンも乗りましょう?」
「私は馬が嫌いなんだ。リリィも知っているだろう?」
レオンは馬が嫌いだ。
正確にいえば、馬だけではなく、動物全般を嫌っている。
理由は至極単純で──動物たちが、レオンに、一切懐かないからである。
例え獰猛な猛獣であっても、レオンの前ではプルプル震え、まるで小動物のようになってしまうのだ。
……小動物はそもそもレオンの前に姿を現さないので、レオンを前にした小動物たちの反応は想像でしかないが。
馬の中にはレオンから逃げ出さない子もいるのだが、レオンにあてがわれた馬は逃げ出してしまい、今はこの場にいない。
例えこの場にいたとしても、暴れてまともに乗りこなすことは出来ないだろう。
ちなみに私にあてがわれた子は存外レオンが平気なようで、のんびりと草を食んでいる。
「この子は大丈夫そうだし……そうだ、代わりに乗ってみる?」
「せっかくリリィに誘ってもらえて嬉しいが、馬は信用ならない。私自身が動いた方が早いからね」
レオンが馬に慣れていないのは、それも原因の一つだろう。
大抵は転移で移動出来るし、身体強化魔術……というものがあるらしく、それを使えば馬よりも速く走ることが出来るのだ。
故にレオンは馬に乗る必要性を感じておらず、だからこそ、動物を好きになることはない。
もしかしたら、レオンが魔物討伐を行っているからというのも理由になるのかもしれないけれど。
魔物と動物は、見た目が似ていることがあるのだ。
「リリア!……まだ行きませんの?」
「ミリア……」
抜群の手綱さばきで、近くに駆け寄ってきたミリアが問う。
幼い頃から乗馬を得意としてきたらしいミリアにとって、馬と触れ合い馬と学園の敷地内を駆けるというのはお遊びのようなものなのだろう。
学園は馬術の授業用に広大な敷地が用意されており、端から端まで駆ければ、それなりの距離になる。
馬は基本的に幼い頃から嗜む貴族も多く、馬術の授業では、敷地内であれば自由に動き回ることが出来るのだ。
ミリアとニコラス殿下は一応レオンが護衛としてついているため、目の届く範囲にいてくださるようにお願いをしてあった。
馬術の授業になって時間は経っているし、周辺をぐるぐると回るのにも飽きてしまったのだろう。
「レオンの馬がいないので、あまり遠くには……」
「あら、それでしたら、レオンハルト様がリリアと相乗りすれば良いのだわ」
「では手本として、僕とミリーも一緒に乗りましょうか」
ニコラス殿下がにこりと笑えば、ミリアが「それはいいですわね!」と同意する。
軽やかに馬から降りると、ニコラス殿下の手を借り、今度はニコラス殿下の馬にひらりと乗った。
なるほど、たしかに二人であれば、レオンの馬がいなくても問題は無い。
唯一の問題とすれば、レオンが私と一緒であっても、馬に乗るか……ということである。
ニコラス殿下の前に腰掛けたミリアは、愛おしそうに目を細めるニコラス殿下の腕の中に包まれている。
ミリアも嬉しそうに頬を緩めており、肩越しに振り返ってはニコラス殿下を見つめていた。
「レオン……」
私もあんな風に、レオンと馬に乗ってみたい。
そんな思いを込めて名前を呼べば、レオンは「うっ」と声をつまらせてしまう。
僅かに泳いだ目は、私をとるか、馬を拒否するかで悩んでいるのだろう。
うーん、やはり、動物嫌いはなおることがないのかもしれない。
「……わかった、わかったよリリィ。そんな顔をしないでおくれ」
それほど情けない表情をしていたのだろうか。
レオンは小さく息を吐くと、仕方が無いなぁと言わんばかりに目を細めた。
そして私の後ろにひらりと飛び乗ると──乗った時の衝撃が何も無かったので、魔術を使ったのかもしれない──手綱を握る私の手に、自身の手を重ねてくる。
「レオも乗ったことですし、そろそろ行きましょうか。ついてきてくださいね」
ひとしきりミリアを愛でていたニコラス殿下が、満足そうに頷いてから声をかけてきた。
ミリアだけを見ていたのかと思っていたが、どうやらこちらも多少は気にかけていたらしい。
レオンは私の手の甲を何度か撫でると、今度はしっかりと自分で手綱を握った。
やんわりと私の手から手綱を離すと、ニコラス殿下に視線を向ける。
それと同時にニコラス殿下の馬が走り出し──レオンも迷うことなく、馬を走らせた。
私はどこに手をやれば良いのかしばし悩み、結局、ミリアと同じくレオンに身体を預けることにした。
背中にレオンの温もりと、僅かに鼓動を感じ、走る馬の上だというのに、ひどく安心する。
レオンは馬が嫌いだとは思えないほど、抜群の手綱さばきを見せてくれた。
「なんだ、あれほどレオが嫌がるから、馬が苦手だと思っていたのに。きちんと乗れるんですね」
ニコラス殿下の馬に並走していると、ニコラス殿下が少し拗ねたように唇をとがらせた。
レオの弱点だと思ったのですが……と続けるあたり、レオンの苦手なものを知りたいのだろう。
「動物は嫌いですよ」
レオンは動物が嫌いではあるが、決して苦手というわけではない。
嫌いな理由は、動物たちがレオンに怯えてしまうからということに、間違いはない。
ただし──より、正確に言うならば。
「動物は私に怯え、その上でリリィに甘えるんです。だから動物は嫌いです」
レオンに怯えた動物たちが、私に甘えるから。
それが最も大きい理由だそうだ。
ニコラス殿下は何度か目を瞬かせると、腕の中にいるミリアを見つめる。
そして表情を僅かに曇らせると、小さく呟いた。
「ああ、わかります……。僕も、ミリーが馬を可愛がっているのを見るのはとても癒されるので好きですが、可愛がられる馬にはいっそ殺意すら芽生えますから」
……そういえば、レオンとニコラス殿下は感性が似ているのだった。
おそらく地上であればお互い固く手を握りあっていただろう。
今は馬上なので、互いに大きく頷くだけだったが。
ええと、つまり、ニコラス殿下もレオンも、相手が動物であろうと、気に入らないと?
「レオン……」
「ニック様……」
はあ、と小さく吐いた溜息は、ミリアのソレと、重なった。