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先程までレオンと男子生徒が対峙していた場所で、今度は、お互い口元に笑みを浮かべたレオンとニコラス殿下が向かい合っている。
その表情はどこか楽しそうで、おそらくこれからのことに胸を弾ませているのだろう。
「炎弾程度では、レオの実力がわかりません。まだ時間はありますし、今度は僕と遊びませんか?」
というニコラス殿下の言葉が原因である。
ミリアに聞いた話なのだが、ニコラス殿下は生まれつき魔力を多く保有しており、シュタインヴァルト皇国でも、随一の魔術使いなのだそうだ。
シュタインヴァルトには皇国魔術師団という魔術師のみで構成されたグループがあるのだが、ニコラス殿下は魔術師団長にも勝るほどの実力者なのだとか。
しかしニコラス殿下は魔術師団に所属していないため、正式な魔術師ではないそうだ。
そういうことなら、レオンだってアーデルハイドでも上位に食い込む実力者だ。
実際に現在の白の団長様と戦ったことはないので完全に優劣をつけることは出来ないが、少なくともレオンの家庭教師でもあったかつての白騎士団団長には、11歳の頃には無敗となっている。
そんなレオンとニコラス殿下が、魔術勝負をすれば──果たして、どちらが勝つのだろうか?
「レオンったら、随分と楽しそうだわ」
「ニック様もよ。今まで本気で張り合う相手などいなかったから……良い刺激となればいいのだけれど」
「そうね……周囲に、被害がないといいわね」
「まったくだわ……」
レオンとニコラス殿下双方に「リリィはここにいるんだよ」「ミリーはここにいてくださいね」と観覧場所を決められたので、ミリアと二人大人しく見学している。
どうやらレオンとニコラス殿下はこの場所に厳重に防御結界を張ってくれたらしく、先程からひゅるりと風が吹き付けることもない。
「さて……いくらニコル殿下とはいえ、愛するリリィの前ですから。無様に負けるわけにはいかないので、本気でいかせてもらいますね」
「もちろん、本気のレオを倒さねばミリーに誇れませんから。リリア嬢に、初の婚約者の敗北を目撃してもらいましょうか」
それでもしっかりとレオンとニコラス殿下の声は聞こえるので、特に違和感はない。
どうやらニコラス殿下はレオンにすっかり勝つつもりのようだけれど……。
「まさか。レオンは負けませんわ。だって、レオンですもの」
レオンは昔から、ずっとずっと努力を積み重ねてきた。
今だって毎日毎日、剣を振るって魔術を訓練して、常に今までの自分を越えているのだ。
レオンの努力は、私が一番知っている。
そんなレオンが、負けるはずがない。
「あら、面白いことを言うのね。ニック様が負けるなんてありえないわ」
──そしてきっとそれはニコラス殿下も同じこと。
ミリアもまた、ニコラス殿下の努力を、きっと間近で見てきたのだろう。
朗らかに笑みを浮かべるミリアだが、その目に、ニコラス殿下への疑いなど微塵も感じられない。
「ああ……リリィが全幅の信頼を私に寄せてくれるなんて!いや、もちろんリリィが私を信頼してくれていることは重々理解しているが、ああ、やはり直接言葉にされるのは嬉しいよ。愛しいリリィ、きっと勝ってみせるからね」
「ミリーが僕の敗北を疑わないのに、僕自身が疑えるはずがない……!ああ、愛するミリー!きっとミリーの信頼に応えてみせますから、見ていてくださいね!」
うっとりと頬を赤らめて目を細めるレオン。
ひらひらと手を振ってみれば、「リリィ、愛してる!ああ、身体から力がわき出てくるよ!」と若干興奮気味に喜んでくれた。
犬であれば、ブンブンとちぎれんばかりに尻尾が振るわれていたことだろう。
……犬レオンもきっと可愛いと思う。
「ニック様、頑張ってくださいませー!」
「ミリーの応援だけで、負ける気がしませんよ……!」
ニコラス殿下が、足を一歩踏み出した。
レオンもまた、同時に地面を蹴る。
次の瞬間にはお互いどこから取り出したのかわからない剣をぶつけあっており、二人の口元には余裕そうな笑みが浮かんでいた。
ええと、これ、一応、魔術の授業よね?
それは最早、剣術の授業だと思うのだけれど。
「私の全身全霊を持って、ニコル殿下の膝をつかせてあげますよ。その為に、魔術だ剣だと細かいことは気にしませんよね?」
「膝をつくのはレオですよ。ですが、魔術も剣もどちらも僕の腕前の見せ所ですし、その程度を気にするはずがありません」
お互い力が拮抗しているのか、剣同士がギチギチと音を立てているのがわかる。
どうやらレオンにとってもニコラス殿下にとっても、この勝負は“どちらが勝つか”に重きを置いているようだ。
魔術だろうが剣術だろうが、その組み合わせだろうが、とにかく勝てれば良いらしい。
「……何か、思っていたのと違うような」
「……奇遇ね。わたくしもそう思いますわ」
思わず呟いた言葉に、同意してくれるのはミリアだけだった。
ガキっ!とおおよそ剣同士がぶつかったとは思えない音を立てながら、同時に、いくつも魔術が展開される。
炎の塊がレオンを襲ったかと思えば、レオンのそばで勢いよく水が溢れて炎を消し、そのままニコラス殿下のもとへ。
ニコラス殿下はその水を、自身の生み出した水で勢いを相殺し、今度はバチバチと激しい音を立てた電気が宙を走る。
電気は包み込むように氷で凍らされ、パリン、と音を立てて割れた。
しかもその魔術は剣と剣が離れた瞬間に展開されるもので、当然ながら、お互いに無詠唱である。
レオン以外に無詠唱で魔術を展開する人を、そういえば見るのは初めてかもしれない。
「レオンとあそこまで対等にやりあうなんて……」
「ニック様と、ほぼ互角だなんて……」
私とミリアはレオンとニコラス殿下の結界のおかげで突風も何も感じないが、レオンやニコラス殿下の髪や服が激しく揺れているため、風は強いはずだ。
風に混じって石や何かの破片も舞っているのだろう、レオンの頬には、小さな傷がいくつか出来ている。
けれどそんな痛みなど感じていないかのように、レオンの口元には、大きな弧が描かれている。
対等にレオンとやりあえる人物なんて、きっとそうそう現れない。
「なかなか、やりますね!」
「レオこそ!ミリーと過ごす以外で、こんなに楽しいのは久しぶりですよ!」
激しく剣をぶつけ合い、同時に無詠唱でいくつも魔術を展開して。
それでもまだ余裕があるのか、レオンもニコラス殿下も、たいして息を弾ませることなく、普通に会話をしている。
誰かと対峙して、あんなにも楽しそうなレオンを見るのは、初めてかもしれない。
レオンも、ちゃんと私や家族の前以外で笑えるんだなと思うと、それだけで胸が熱くなる思いだ。
これでもしも相手が女性であれば、ここまで穏やかではいられなかったけれど。
相手はミリア一筋のニコラス殿下なので、全く問題は無い。
ニコラス殿下に向かって、鳥の形をした大きな炎が襲っていく。
炎の鳥に対抗するのは、まるで蛇のような形をした水。
炎の鳥と水の蛇が勢いよくぶつかって──激しい爆発音と共に、真っ白な蒸気があたりを包み込んだ。
風も勢いも決して来ないのはわかっているのに、思わず目を瞑ってしまう。
しかし音以外には何も感じず、ゆっくり目を開いた。
思わず目を瞑ってしまったのはミリアも同じだったようで、数拍置いて、ミリアがゆっくり目を開いた。
あたりを包んでいた蒸気が、ゆっくりゆっくり晴れていき──二人の姿が見えた。
「あっ」
「まあっ」
ニコラス殿下の首筋に、背後に回っていたレオンが、剣を添えている。
どうやらこの勝負、レオンの勝利で終わったらしい。
「……参りました。まさか、蒸気に合わせて姿を消すだなんて、思いもしませんでしたよ」
「転移です。ニコル殿下は転移が使えないようでしたので」
どうやら蒸気に乗じて、レオンが転移で背後に回ったらしい。
目の前で突然姿が消えたのに動揺している隙に、レオンの勝利が決まったようだ。
レオンがニコラス殿下から剣を離し、地面に向けて手を離す。
剣は地面に触れる前に、空中に飲み込まれるようにして姿を消した。
ニコラス殿下の手元にあった剣もいつの間にか消えており、どうやら二人は空間収納から剣を取り出していたようだ。
「レオン!」
「ニック様!」
私がレオンを呼ぶと同時に、ミリアもニコラス殿下を呼ぶ。
呼ばれた二人も、同時に「リリィ……」「ミリー……」と私たちのことを呼んだ。
途端に、ふわりと、頬を風が撫でる。
どうやら結界が解かれたようだ。
レオンのもとに駆け寄り、地面を蹴って、レオンに飛びつく。
「すごい!すごいわ、レオンっ」
「ありがとう、リリィのおかげだよ」
レオンは私を抱きとめると同時にくるりとその場で回ると、ぎゅうぎゅうと私を抱きしめてくれた。
一度の勝負であれほど魔術が展開されるのを見るのは初めてで、少し、胸が高鳴った。
それもこれも、その魔術が、レオンによって生み出されたものだからだろう。
「身体を鈍らせないためにも、どうです?これから、定期的に模擬戦を行うというのは」
ミリアのことをぎゅうと抱きしめながら、ニコラス殿下が提案する。
レオンは「構いませんよ」と頷くと、私の頬に唇を寄せた。
「いつか、全力で戦ってみたいですね」
「ええ、まったくです」
私とミリアをそれぞれ抱きしめながら、レオンとニコラス殿下が笑いあう。
えっ、ちょっと待って、今の全力じゃなかったの?