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入学式が終われば、今日の予定は何もない。
学園内を散策するも良し、街へ繰り出すも良し、寮へ戻るも良し。
ニコラス殿下はミリアと共に学園散策を行うらしい。
ひと月だけしか在籍出来ないため、せっかくなら二人で、何か思い出を残したいらしい。
確かにこの学園の制服で生活出来る期間は短いのだ、理由はよくわかる。
私だって、制服姿のレオンとの思い出が欲しいというのは同じだ。
ニコラス殿下が寮に戻らないのならば、護衛であるレオンは当然そばを離れるわけにはいかない。
かと言ってニコラス殿下とミリアの邪魔をするわけでもなく、殿下とミリアは数歩前を歩き、私たちがその後に続くという位置関係で移動していた。
もちろん、ミリアや殿下が話しかけてきた時はそれに答えるが。
どうやらアーデルハイド王国にはシュタインヴァルト皇国にはない植物も多くあるそうで、ミリアは不思議そうに首を傾げていた。
ニコラス殿下は残念ながら植物にそれほど詳しくなかったようで、聞かれた花については私が説明することになったのだが……なんとも言えない表情で私のことを見るのはやめてくださいませ。
いや、きっと、自分の口から説明したかったのだろうけれど……。
より正確にいうとすれば、ミリアの「リリアは物知りですのね」と感心したように告げてきた時の笑顔を見たかったからだと思う。
レオンはどこか誇らしげな表情をしており、ニコラス殿下は苦虫を噛み潰したような表情をしていたのは少し気になったが。
さすがに歩き疲れたので少し休憩することになり、向かったのは学園の食堂だ。
食事だけではなく、軽食や、飲み物だけでも販売している。
市井のようにその場でお金を払うのではなく、生徒証で商品を購入し、月に一度、学費とともにまとめて支払うのだ。
つまり手持ちはいらず、あまりお金の使い方をわかっていない上級貴族向けの制度のようだ。
まあ、上級貴族は使用人が代金を支払うのが当たり前だし、お金の使い方や価値もいまいち分かっていない人が多いようだけれど。
レオンは冒険者として自身で稼いでいるし、嬉嬉として私への贈り物を購入しているから、お金の使い方はわかっている。
ただ、一度に稼ぐ金額が莫大だから、たぶんお金の価値はよく分かっていないと思うが。
注文したアイスティーを飲みながらレオンに視線を向ける。
レオンが飲んでいるのは私と同じもので、視線が交わると、にっこりと優しい笑顔を見せてきた。
ミリアとニコラス殿下が注文したのは、この国ではメジャーな果実水だ。
シュタインヴァルト皇国には果実水がないらしく、物珍しそうに飲んでいた。
「美味しい!」と目を輝かせるミリアに、ニコラス殿下が嬉しそうな表情をしていたのは言うまでもない。
「ねぇレオン、今はニコラス殿下の護衛なのよね。冒険者としてはどうするの?」
レオンはニコラス殿下の護衛だが、依頼主は陛下。
冒険者に直接依頼することも確かに可能だが、その場合は基本的に長期に渡る依頼ではないはずだ。
今回は一応ひと月という期間だし、レオンは冒険者として活動的だ。
受ける依頼のほとんどが魔物討伐で、その魔物たちは討伐困難に指定されているものばかり。
当然、レオンは別として、通常は易々と討伐出来るものではない。
だからこそレオンの元には日々依頼が舞い込んでくるし、レオンも討伐は移動も含め30分以内に終わらせると決めているようだが……。
いや、どんな魔物であっても、普通は移動込みの30分以内なんてありえないんだけどね?
レオンの離れ業には慣れてきたというか、それが当たり前だから、そこまで疑問に思わなくなってきた私も私なんだけど。
「魔物討伐は受けるつもりだよ。護衛といっても、常に危険があるわけではない。大抵はニコル殿下が対処出来るし、どちらかというと国のあちこちに魔物を放置する方が危険だからね」
確かに、いつ、どこで殿下が襲われるかは不明だ。
それはレオンにとって常に危険がある、という認識にはならないらしい。
ニコラス殿下も同じ意見らしく、さすがは常人離れした方々だ、認識からしてまず常識からズレている。
「魔物討伐か……。実はシュタインヴァルトにはそれほど魔物が発生しないので、僕も興味があるんです」
アーデルハイド王国は魔物発生率が高いものの、だからといって、世界各国が同じというわけではない。
アーデルハイド王国よりも魔物発生率の高い国もあれば、逆に、ほとんど魔物の現れない国もある。
シュタインヴァルト皇国はどちらかといえば後者で、時々魔物は現れるものの、そう良くある話ではない。
だからこそアーデルハイド王国はギルドが各地に点在し、冒険者の数も多いのだ。
わざわざ他国から、冒険者として名をあげようと移住してくる者も少なくはない。
「では、ちょうど今日依頼を受けているので、一緒に向かいますか?」
「レオン!?」
「それはいいですね。ぜひ」
「ニック様!?」
いや、あの、ちょっとお二人共、冷静に考えてくれません?
ニコラス殿下は護衛される側で、レオンは護衛する側よね?
なのになぜ護衛が護衛対象者を危険な地に連れていこうとしているの?
そしてなぜ殿下はそれをあっさりとお受けするの?
「リリィはきちんと寮の部屋にいるんだよ。大丈夫、初めての場所で不安だろうから、すぐに戻るよ。幸いにも何度か訪れたことがあるから……そうだな、10分程度で戻るよ」
「ミリーもきちんと寮の部屋にいるんですよ」
唖然としている私とミリアを尻目に、レオンとニコラス殿下はどんどん話を進めてしまう。
結局このお茶を飲み終えてから私とミリアを部屋まで送り届け、その後、討伐に向かうそうだ。
ちなみに討伐依頼をされた魔物はレッググレズリー。
太い腕と鋭い爪を持つ大型の魔物の名で、レオンはこのレッググレズリー討伐に並々ならぬ熱意を注いでいる。
それはきっと、かつてこの背に傷を残した魔物が、レッググレズリーだったからだろう。
あの時私に傷を残したレッググレズリーは討伐されたけれど、レオンにとっては、同種と言うだけで討伐対象らしい。
ちなみに同じような理由で、ヒドリやサラマンダーもレオンの中での討伐対象だ。
私の髪型を崩したとか、眠気を吹き飛ばしたとか、もういっそ言いがかりにも近い理由をいまだに許していないようだ。
根絶やしにしてくれる……と浮かべられた笑みはゾッとするほど嫌な気配が濃密に込められていたので、もう、そのあたりはレオンの好きにさせている。
「そのレッググレズリーというのはどんな魔物なんですか?」
「私のリリィの美しい背に傷を残した魔物です。そのうちに絶滅させる予定ですから覚えなくても結構です」
「ああ……それは絶滅させねばなりませんね。僕も、もしミリーの背に傷を残されたらと思うと……心中お察しします、レオ。思う存分暴れてください、今日は見学だけにしますから」
「感謝します」
レオンもニコラス殿下もうふふと美しい笑みこそ浮かべているものの、その目は決して笑ってなどいない。
レオンは、まあ、いつものこととして、ニコラス殿下は恐らくミリアが同じ目にあったらと想像してしまったのだろう。
ミリアが困ったように額に手を当てているあたり、これは引き止めても無駄だと判断したのかもしれない。
というか、殿下今、今日はって仰いませんでした?
まさかこれからもレオンについて行く気ですか?
「じゃあリリィ、すぐに戻るから……。本当はリリィのそばを離れたくないんだよ。だが、早くアレを根絶やしにするためには、今動かねば……。愛しいリリィ、美味しい茶葉を取り寄せたから、飲みながら待っていておくれ」
「可愛いミリー、きっとすぐに戻るから、大人しく待っているんですよ。もちろんお転婆なミリーも愛していますが、もし僕の目の届かないところでミリーになにかあるかと思うと、それだけで心配です。ああそうだ、きちんと魔法はかけますからね、僕たちが戻るまで部屋から出ないでくださいね」
「もちろん、私たち以外の誰が訪ねてきても招いてはいけないよ」
まるで今生の別れとでも言うように、部屋に戻ってからも抱きしめる腕を離さないレオン。
決して離れて欲しいわけではないのだけれど、こうも抱擁の時間が長いと、すぐに出発するのではないの?と思ってしまう。
結局食堂で10分程度で戻るよ、という宣言していた時間は軽く越してから、渋々と言った様子で体を離したレオンは、ニコラス殿下と共に転移していった。
魔術の覚えのあるニコラス殿下も、転移魔法を使うのは初めてらしい。
ほんの少し驚いたような表情をしていたのが印象的だった。
「とりあえず、ミリア……紅茶でも飲みましょう?」
「そうですわね……疑うわけではありませんが、少し心配だわ」
「大丈夫。レオンが10分と言ったのだもの、10分以内に戻ってくるわ」
実際、レオンが宣言通りの時間を越して帰宅したことはないのだ。
いつもよりも短い宣言時間ではあるけれど、かつてはヒドリでさえも一瞬で討伐したレオンのことだ。
すぐに戻るだろう。
レオンが取り寄せてくれたという茶葉は、レイズ産の茶葉だった。
じっくり濃いめに蒸らした紅茶に、ミルクを入れると美味しい、私の好きな紅茶だ。
どうせ淹れている間に帰ってくるだろう。
そう思った私と同意見だったのが、ミリアもテーブルに四人分のティーカップを用意してくれた。
そして、紅茶を淹れ、一口飲む頃には、にこやかにレオンとニコラス殿下が戻られたのは言うまでもない。