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今日は学園の入学式である。
この時期にしか咲かない桃色のサンクルの花が風に揺れ、その花びらを散らしては地面に桃色のカーペットを作っていた。
ニコラス殿下とレオンは護衛対象と護衛という関係にありながら、この三日で随分と打ち解けたようだ。
レオンはニコラス殿下を“ニコル”と呼ぶようになり、ニコラス殿下もまたレオンを“レオ”と呼んでいる。
……ちなみに初めての顔合わせで聞いた“ニック”という愛称は、殿下曰く「ミリーにしか許していない」そうで、同じくレオン呼びを私にしか許していないレオンとは何度目かの固い握手を交わしていた。
レオンと殿下が打ち解けている間に、いろんな意味で似た婚約者持ちであるミリアとは随分仲良くなり、すっかり互いに名前で呼び合う関係だ。
もちろんレオンに大切にされるのは嬉しいし、私もレオンのことは大好きだけど、人前では過度なスキンシップをやめて欲しいとか、ちょっとしたことで沸点に達するのをやめて欲しいとか……切実な思いを理解し、共感してくれたのミリアが初めてだ。
ニコラス殿下も御身に多大な魔力を保有しているらしく、ミリアに何か害が及んだ場合は、にこやかに魔術を展開しては周囲が戦々恐々としていたそうだ。
そのたびにミリアは被害が大きくならないようにと必死にニコラス殿下に働きかけていたのだとか。
その話をした時、もう何度目かの固い握手を交わしたことは言うまでもない。
ただし、あまりに私とミリアだけで話をし過ぎると、レオンとニコラス殿下が拗ねてしまうので、適度にというのがある意味大変ではあったが。
先程までニコラス殿下と盛り上がっていたと思うと、急に「リリィが私を放置する……!」と拗ねてはぎゅうぎゅうと抱きついてくるのだ。
もちろんニコラス殿下も同じくで、ミリアにぎゅうぎゅう抱きついていた。
我がアーデルハイド王国からの護衛はレオンだけではあるが、シュタインヴァルト皇国からは数人の護衛が着いてきている。
ニコラス殿下はその魔術の腕前で、実際は護衛という護衛は要らないそうだが──護衛の条件である“上級貴族で剣と魔術を嗜んでいる”というのが建前であることからその実力も伺える──さすがに皇太子候補でもある殿下に護衛なしというのは体外が悪いようで、ニコラス殿下と幼い頃からの知り合いだそうだ。
紹介されたのは昨日が初めてだったが、ニコラス殿下とレオンがいわゆる婚約者自慢で盛り上がっている最中、小さく「婚約者バカが増殖した……!」と呟いていたのは聞こえていた。
今は少し離れたところに控えてはいるが、朝からレオンと殿下の婚約者自慢が繰り広げられていたからか、その表情は既に疲れきっている。
私もミリアももちろん疲れているのだが。
さすがに入学式という式典の間は“シュタインヴァルト皇国の第三皇子”として、レオンはその護衛として堂々とした立ち振る舞いではあったが、殿下はミリアを抱き寄せ、レオンも私のことを抱き寄せていたのは、もう、何も言うまい。
……というか、護衛が一番護ろうとしているのが殿下ではなく婚約者というのはどうなのだろうか?
ニコラス殿下の許可は得ていたけれど。
そしてニコラス殿下も「僕は僕でミリーを護りますから、お互い婚約者を護りましょうね」とにっこり微笑まれるのはどうかと思います。
式典はつつがなく終了し、今日から、ひと月という期間ではあるが、一応私たちは学園の生徒である。
ちなみにカッターシャツとチェック柄のネクタイ、紺のカーディガンの上に羽織る白いブレザー、ネクタイと同じ柄のパンツという制服は、レオンにはとてつもなく似合っていた。
思わず「レオン好き……!」と言ってしまうくらいには。
ブレザーの丈が少し長くて太ももまであり、カーディガンはしっかり腰までの丈というのが特にいい。
カーディガンは肩口までの長さしかないので、ブレザーを脱いでカーディガン姿も似合っていた。好き。
ミリアもニコラス殿下の制服姿には衝撃だったらしく「ニック様好き……!」と言っていた。
レオンは両手で顔を覆い天を仰ぐと「リリィが殺しに来た……!」と失礼なことを呟いていたが。
ニコラス殿下も同じような反応だった。仲が良くて何よりである。
女子の制服はワンピースになっており、丸襟に細いリボンタイ、腰周りはきゅっと引き締まっていて、背中には大きめのリボン。
スカートはチェック柄で、とても可愛らしいデザインだ。
レオンは大げさなくらい褒めてくれたけれど、たぶん、私よりもミリアの方がよく似合っていると思うわ。
もちろんミリアはニコラス殿下に褒め倒されていた。
さて、式典が終わればそれぞれが振り分けられたクラスへと移動する。
クラス分けはどういう基準かはわからないが、ニコラス殿下とミリア、私とレオンは当然同じクラスとなり、マリアンナ様とヴィオラ様も同じクラスであった。
私たち四人はひと月で抜けるからか──代わりにアランディア殿下が戻られるだろうが──このクラスの人数は少し他より多いらしい。
といっても基本的には授業は選択科目であり、このクラスのメンバーで集まるのは朝の連絡事項の際くらいなので、物語にあるような“クラスメイトとしての友情”というのは芽生えなさそうだが。
それでも、ニコラス殿下とミリアはシュタインヴァルト皇国の皇族と婚約者、レオンは護衛とはいえ公爵家の三男。
当然ながら注目は集まるし、やはりというか、同時にどうしてお前がそこにいるのだと言わんばかりの視線も私にぶすぶす突き刺さる。
あの、お願いですから、レオンの前ではそれやめてくださいね?
ここ二、三日はレオンに共感し同意してくれる殿下のおかげで機嫌が良いとはいえ、この人ちょっとしたことで機嫌悪くなりますからね?……そこも好きなんだけど。
ミリアもどこか居心地が悪そうにしているあたり、もしかしたら、似たような視線を送られているのかもしれない。
「リリィ、気分が悪いのかい?」
「ミリー、顔色が良くありませんよ?」
……そして一番の難関は、この、ちょっとしたことでもすぐに異変に気づくであろう婚約者たちだ。
心配そうに顔を覗きこんでくれるレオンだが、きっとこの気分の悪さが周囲のご令嬢方のせいだと知った時の反応が恐ろしいので出来る限り隠さなければ。
ただ、お義母様にも淑女たるもの感情はあまり顔に出してはなりませんと言われて、気をつけてはいるのだが……私がわかりやすいのか、はたまた、レオンが特殊なのかはいまだにわからない。
「大丈夫よ、レオン。レオンの制服姿が眩しいから、少し見惚れてただけ」
「それで気分が悪くなる理由にはならないだろう」
「あら、あまり気分の良いものではないわよ?私の婚約者の制服姿、他の方にも見られてしまうもの」
「ああ、私の愛しいリリィ……!私も、リリィの制服姿を誰にも見せたくないよ……。だから学園に通うのなんて嫌だったんだ。ひと月が長い……」
……そのわりには、ニコラス殿下とは楽しげな様子だが。
確かにレオンは学園に通うのは嫌かも知れないけれど、同時に、ニコラス殿下とのお話は好きなはずだ。
なんせ嬉嬉として婚約者について語れる数少ないお相手だ。
その代わりにニコラス殿下の婚約者の話を聞いているので、イーブンな関係なのかもしれないけれど。
「ああ、ミリー!僕の愛しい人。大丈夫ですよ、僕はミリー以外の誰にも心惹かれることはありませんから!」
そして聞こえるニコラス殿下の声。
どうやらミリアもニコラス殿下の意識を逸らすことに成功したようだ。
ただでさえレオンの沸点に到達した時は恐ろしいのに、そこに、さらにニコラス殿下が加わるとなるとさらに恐ろしい。
きっと二人が同時に憤ってしまえば、この国はあっさり終焉を迎えてしまいそうなので、全て杞憂に終わっていただきたいものだ。
「ええ、ニック様。わたくしはニック様を信じておりますわ」
……けれど何だかんだで、ミリアも楽しそうにしているのでただの義務感として殿下の、俗に言う“ご機嫌取り”をしているわけではないだろう。
ミリアと話していてわかったのだが、私もまた、レオンのことを引き止めること自体を少しだけ楽しんでいる節があるのだ。
レオンが怒るのは、ほとんどが私についてのこと。
そのこと自体は、本当に嬉しいのだ。
だって、それだけレオンが私のことを想ってくれている証拠だから。
ただ少しやり過ぎるのを何とかしたいだけで。
それだって、きっとレオンが人を相手にしなければ、無理に止めることもなかっただろう。
レオンの怒りの対象が人相手になってしまうからこそ、私は必死に止めるのだ。
ミリアもそうだろう。
そしてその必死に止める理由というのが、レオンの手を、他者の血で汚して欲しくないから。
レオンは私が止めるたびに、私のことを「リリィは優しい」と言うけれど、私は決して優しくなんてないのだ。
私がレオンを止めるのは、結局は、私とレオンのため。
だから──だから、もし。
私に対する、レオンの言う“害”とやらが、レオンに向いたならば。
たぶん私は、レオンの怒りを止めることはないのだろう。
まぁ、レオンは美丈夫だし、公爵家のご子息だし、レオンを敵にまわそうなんて人はいないと思うけどね。