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にっこりと口元に笑みを浮かべ、けれど、その目はまったく笑っていなくて。
テーブルの上に肘をつき、指を絡めたレオンは、その表情のまま小さく首を傾げた。
嫌な気配の威圧感が、ピリピリと肌を刺す。
テーブル越しに向かい合って座っている男性はすっかり顔色をなくし、今にも気を失ってしまいそうだった。
「──随分と、面白いことをいいますね。それを私が、素直に了承するとでも?」
レオンから発せられる言葉の一つ一つが、まるでナイフのように鋭く感じる。
それを直に感じているであろう男性は、額に玉のような汗を浮かべ、あちこちに視線を泳がせていた。
「レオン、この方は何も悪くないのだから。威嚇するのをやめてはどう?」
「しかし……」
レオンはどこか不満そうだが、小さく息を吐くと同時に、嫌な気配が霧散した。
どうやら納得してくれたようだ。
あからさまに安堵の息を吐いたのは、向かい合う彼だ。
先程まで指先すら動かせず、酷く喉が渇いたのか、もうすっかり冷めてしまった紅茶にようやく手を伸ばした。
「……いや、そうだな。確かに今のは、私の八つ当たりだ。申し訳ない」
「と、とんでもございません!そ、それで、その……」
素直に謝罪を口にしたレオンに、男性は戸惑ったように首を横に振った。
それに続く言葉はきっと、「お返事をいただけますか?」に近いものだろう。
そもそものきっかけは、今朝、いつものように私がレオンの迎えでハインヒューズ家に到着してからのことだった。
今日は王都で人気のカフェに行くことになっており、そのカフェでは、特にケーキが美味しいという。
私は甘いものが好きなので、一度行ってみようか?とレオンが誘ってくれたのだ。
朝食や身だしなみはハインヒューズ家ですませることになっていて、私は朝起きてから、最低限の身だしなみを整えてからやって来たのだが──それは食事を終え、レオンとともに今日着る服を選んでいる途中のことだった。
いつもは声をかけてこない執事の1人が、「申し訳ございません」と前置きしてから話しかけてきたのだ。
一瞬眉を寄せたレオンは、しかし、幼い頃からの使用人だからか、特に何も言わなかった。
何があったのか問うたところ、レオンに来客がだと伝えてきたのである。
普通、来客がある場合は先触れが届いてから訪問するものだ。
レオンがレイズ家に来るのは毎日のことなので先触れはないが、それでも、月に一度くらいしか来なかった時はきちんと先触れを出してくれていた。
「今日はリリィとの予定がある」
「しかし、その……お相手が、王家からの使いの者なのです」
「……何?」
使用人の言葉に、レオンがピクリと眉を動かした。
レオンは以前は王家に対して信用していたようだが、現在では信用の“し”の字もないらしい。
辛うじて殿下方に対しては昔に比べれば良くなったものの、特に、陛下に対する信用というのは地の底を這っているそうだ。
そして殿下方であれば、レオンの機嫌を損ねないようにと、必ず先触れを出している。
その上で私との予定がある時はそちらを優先するようにとも書かれているため、最近はレオンもそれほど殿下方を毛嫌いしている、というわけではなかった。
もちろん、昔のように“兄弟のように仲良く”というわけではないし、王家に対する忠誠なんてものもないようだが。
「殿下からなら、断りを……」
「それが、殿下ではなく、陛下からの使者らしく……」
陛下、という言葉が出てきた瞬間、レオンから嫌な気配がぶわりと広がる。
執事は「ひぃっ!」と悲鳴をもらし、その膝はガクガクと震えている。
「レオン、それ、やめて欲しいわ」
「っすまないリリィ!気分は悪くないか?何か不調は?」
さすがに執事が可哀想なので声をかけると、途端に嫌な気配は霧散し、慌てたようにぺたぺたと私の顔を触ってくる。
いくらレオンが私にはソレを向けてこないとはいえ、すぐ隣にいるのは私なのだ。
さすがに少し体調が悪くなる。
「大丈夫よ、レオン。……それで、その陛下の使者というのは?」
「さ、さすがにお断り出来なかった為、応接室に、お通ししました」
「そう。ありがとう」
本来は主人であるレオンが問うべきなのだが、今、レオンは私の不調がないか確認するのが忙しいようで、執事の方を見向きもしない。
別にレオンは使用人を冷遇する、というわけではないのだが、かといって重宝しているわけでもない。
このままではレオンが反応を示さないこともあるので、代わりに私が対応するというのは、実は少なくはなかった。
最初は私程度が失礼なのではと思っていたが、お義母様もお義父様もお義兄様たちも、さらにいえば使用人たちからも承諾されたため、レオンが対応しない時は代わりに対応するようになったのだ。
いずれはレオンの妻になるのだから、もう我が家の一員だ、と初めて言われた時は、つい泣いてしまったくらいである。
「さあレオン、出かける前に行きましょう?」
「…………早く終わらせて、早く出かけよう。本当は行きたくないのだが」
それはレオンの本音だと思う。
が、さすがに、陛下からの使者を無視するわけには行かないだろう。
陛下はこの国の頂点に君臨されるお方だし……お義母様の実兄で、レオンの伯父にあたるのだから。
レオンは渋々と言った様子で立ち上がると、私の手を引き歩し始める。
どうやら来客対応に、なぜか私も同行するらしい。
普通、来客対応に同行する婚約者はいないはずなんだけどなぁ……。
「おお、レオンハルト殿!お待ちしておりましたよ」
応接室の中に入ると、ニコニコと笑顔を浮かべる男性の姿があった。
どうやらレオンとは顔見知りらしく、レオンは軽く頭を下げると、向かいのソファに腰掛けた。
男性は私のことを一瞥しわずかに眉をひそめたものの、何か言うでもなく、レオンに顔を向ける。
なぜか私も同行することとなったが、対応はレオンだけで充分だろう。
侍女が目の前に紅茶を用意してくれたよで、有難くいただく。
「お時間いただき、ありがとうございます。早速ではありますが、こちらをご覧いただきたい」
使者は懐から書状を取り出すと、レオンに差し出した。
レオンは小さく溜息をつき、書状を確認する。
王家の紋章の入ったソレは、確かに本物のようだ。
「…………」
書かれている文字を読むうちに、みるみる、レオンの表情が険しくなる。
書状から顔をあげた時には、その表情はすっかり苛立たしげなものに変わっていた。
「レオン、どうしたの?」
さすがにレオンの反応が良くないと気づいたのだろう、使者はしきりに額を汗で拭っていた。
少しでもレオンの怒りが収まればいいと、彼の腕に手を添え、顔を見上げる。
レオンは無言のままで、私にその内容を見せてくれた。
要約すれば、以前冒険者レオとして遠征の護衛を無事に終わらせたことに対する賞賛と、新たな依頼の文言が踊っていた。
本来、依頼はギルドを軽油して冒険者へと通達される。
しかし依頼人がギルドではなく、冒険者へ直接依頼する、というのも、珍しいことではなかった。
以前のことで“冒険者レオ”がレオンであることは知られただろうから、直接レオンへ依頼が届いたのだろう。
そこには、学園に通い、ある生徒を護って欲しい、という依頼が書かれていた。
もうすぐ、学園では入学式が行われる。
学園に在籍する期間は二年で、ほとんどの貴族が通う、ある意味で社交の場のようなものだ。
同い年であるマリアンナ様やヴィオラ様、アランディア殿下ももうすぐ学園に通われるだろうし、ジークベルト殿下は既に在籍者だ。
しかし私とレオンは、学園に通うつもりはなかった。
──正確には、私は通うつもりだったのだが、レオンが拒否したのである。
そのため学園に通うことはないだろうと思っていたし、当然ながら、なんの準備だって出来ていない。
そして冒頭に至る、というわけだ。
とりあえず、陛下はレオンの神経を逆なでする天才なのかもしれないと、最近思い始めた。
素直に使者に対する八つ当たりというのは認めたものの、そのうち、陛下に対して直接何か報復するかもしれないので気をつけよう。