36
ゴブリン討伐が終わった直後、コボルトが現れたり、オークが現れたりと、休む暇もなく魔物たちに遭遇した。
魔物の森と言わしめるほど出現率の高い森の中でも、やはり、さすがに異常だったらしい。
途中から生徒たちでは手に負えないと、騎士たちだけで討伐が行われており、体力自慢の黒騎士たちも、さすがに疲れの色が見え始めていた。
しかも、ひっかかるのは、少しずつではあるが、魔物の討伐ランクが上がっていることだ。
とはいえ、まだ雑魚の部類に含まれるらしく、レオンにとっても初めて見る魔物たちばかりだったそうだが。
……レオンはむしろ、他の冒険者たちが遭遇しないような魔物にしか遭遇しないので、また話は別である。
「リリィ、さすがに疲れただろう?そろそろ寝るといい」
「うん、でも……レオは?」
「俺はもう少しここにいるつもりだ。さすがに冒険者が早々に休むわけには行かないからな」
確かに、レオンはここにギルドからの依頼で参加しているのだ。
認識しづらい魔法をかけているとはいえ、レオンもきちんと討伐に参加はしていた。
力をものすごく加減していた為、逆に疲れたと時々つまらなさそうに口にしていたが。
「レオがいるなら、私も……ここにいて、いい?」
「だが……」
「……もうちょっと、レオンのそばにいたいな」
小さく耳元で呟いて見れば、レオンはぴしりとかたまった。
そして手のひらで顔を覆い、「天使がここにいる……!」と天を仰いでしまう。
私の言葉一つに、真っ赤になった顔を手のひらで覆い、天を仰いで大げさなことを口にするのは、最早レオンの癖のようなものだろう。
レオンがいう天使とやらは、もちろんレオンしか他称しないことなのだが、もう諦めるのが一番手っ取り早い。
しかし反対というわけではないらしく、天幕に向かわせようとしないあたり、受け入れてくれたのだろう。
基本的にレオンは、私が近づこうとする行為に反対などしない。
遠慮なくレオンの肩に頭を乗せ、そっと目を瞑った。
パチパチと爆ぜる焚き火の音。
時々聞こえる木々のざわめきと、遠くで鳴く、鳥の声。
それでも触れているレオンはしっかりと近くに感じ、まるで、真っ暗闇に、二人きりになったかのような錯覚を起こす。
ふわりと漂うどこか甘い香りは、レオンの匂いなのだろうか?
心地よく、つい、意識を手放しそうになる。
それに気づいたのか、レオンがそっと私の頭に手を乗せて、やわやわと優しく撫でてくれた。
まるで幼子をあやすかのような優しい手つきに、ますます眠りに誘われる。
おやすみ、私の愛しいリリィ……。
小さく小さく、うっとりとするような、レオンの声が聞こえた。
ああ、もう、意識を保つことが出来ない。
もともと、レオンに頭を撫でられると、あまりに心地よくて眠りそうになるのだ。
夜も更けた頃、優しく撫でられ、愛する人のそばにいて。
心地よくない、はずがない。
抗うことをやめた瞬間、ふっと意識が遠のいた。
このまま身を任せれば、すぐにでも眠りに着くだろう。
どうせすぐ隣にはレオンがいてくれる。
不安なんて、何も無い。
しかし──心地よい眠りにつこうとした、次の瞬間には、ぱっちりと目が覚めてしまった。
慌ててレオンの肩から離れ、周囲を見渡す。
黒騎士は腰の剣を抜刀しており、周囲を警戒していた。
生徒たちも何事かと、次々に天幕から顔を覗かせる。
誰もが驚いて当然だ。
夜の静寂をかき消すように、突如として、低い、獣の叫び声のようなものが、森の奥から響いてきたのだから。
「れ、レオン!いったい、何が……」
レオンの服をきゅっと握りしめ、顔を見上げる。
いつもならニコリと微笑んでいるはずのレオンは、嫌悪に溢れた表情で、森の奥を睨みつけていた。
恐ろしい表情をするレオンをまともに見たのは初めてで、つい固まってしまう。
指先が震えたことに気がついたのか、はっとした様子で、レオンが私を見つめる。
その時にはすっかりいつもの優しい表情になっていて、思わず止めていた息を、ゆっくりと吐き出した。
「可哀想に、私のリリィ。すぐに片付けるから、もう少しだけ待っておくれ」
優しい手つきで頬を撫でると、額に唇を寄せてくる。
どうやら先ほどの恐ろしい表情は、叫び声の主に対してのものだったらしい。
にこっと浮かべられる笑顔は、いつも私を安心させてくれる。
ドキドキとうるさく鳴っていた鼓動が、少しずつ、落ち着いていくのがわかった。
「っな、なんでアイツがこんな所に……!?」
少し離れたところで、黒騎士の一人が叫ぶ。
森の奥から、魔物が現れたようだ。
なぜか周囲は明るく照らされていて、闇夜をすっかりかき消してしまう。
レオンはゆっくりと立ち上がると、すぐ隣に置いていた剣を手に持ち、ゆっくりとサヤから引き抜いた。
「サラマンダー……!」
「サラマンダー……サラマンダーだ!」
「何だって!?」
「っすぐに生徒たちの避難をっ!」
サラマンダー。
それは大きなトカゲのような体をしており、その表皮は、炎に包まれている。
口からは火を吐き、その熱は周囲のものを燃やし尽くすとされていた。
本来、サラマンダーは岩山に生息しているとされており、こんな森の中で姿を見るなんて、聞いたことがない。
騎士たちは剣を構え、杖を構え、その一方で、呆然としている生徒たちの避難を開始する。
先ほどまでの静寂はどこへやら、当たりには怒声が響いていた。
「っダメだ、熱くて近づけん!」
「水魔法と氷魔法だ!すぐに準備をっ」
「無理です、水が蒸発して、炎が消えません!」
サラマンダーを討伐するには、魔術師の存在が重要となる。
剣士では表皮を覆う炎の熱で近づけず、その体を傷つけることが出来ないからだ。
まずは水魔法か氷魔法で、表皮の炎をかき消さねばならない。
しかし──そう上手く行かないからこそ、サラマンダー討伐は困難を極める。
火と水では、普通、水の方が強いとされる。
しかし火力が強く、高温であれば、水は蒸発し、時には火の方が勝ることもあるのだ。
「レオン……!」
「大丈夫だよ、リリィ。熱が届くといけないから、ここで待っておいで」
レオンが私に向かって手のひらをかざすと、途端に、先ほどまで感じていた熱気が消え去った。
どうやら防御魔法をかけてくれたらしい。
ニコリと微笑んだレオンは、まるで少し庭を見てくる、と言わんばかりの気安さで、ひらりと手を振り、私に背を向けた。
必死に水魔法と氷魔法を使用する白騎士たちに近づくと、一歩、彼らの前に進みでる。
「何を……!?」
驚いたような声が届く。
レオンは何も答えず、剣を持っていない左手を持ち上げると、パチン、と指をひとつ鳴らした。
「な……っ!」
次の瞬間には、大量の水が、サラマンダーに降り注ぐ。
それはまるで突如現れた雨雲が、サラマンダーだけを濡らしているようだった。
どうやら効果はあるらしく、サラマンダーの周囲を白い湯気が包む。
炎の勢いは徐々に弱くなり、水に弱いのだろう、サラマンダーが悲鳴をあげた。
「よくも……」
剣を構えたかと思うと、レオンはどこか不快そうな声を上げ、サラマンダーに向かって地面を蹴った。
気がつけばレオンはサラマンダーの向こう側に移動していて、ぶん、と剣を振ると、静かにサヤにおさめている。
そして肩越しに振り返ると、冷ややかな目で、サラマンダーを睨みつける。
「よくも、私のリリィの、心地よい眠りを妨げてくれたな。その死で償え、低級が」
サラマンダーにだけ降り注いでいた雨が止む。
ず、とサラマンダーの首がズレたかと思うと、どさりと、首と胴体が、離れて崩れ落ちた。
ぽかんと口を開く黒騎士と白騎士、そして生徒たち。
あとに残ったのは、サラマンダーの炎を水で消したことによる蒸気と、サラマンダーの遺体だけであった。
瞬きをする間に転移したのか、次に目を開いた時には、レオンはすぐ隣で私の髪をそっとすくっている。
「ただいまリリィ。さぁ、すぐにでも休もうね、夜更かしは肌に悪いから」
ちゅ、と音を立てて毛先に唇を寄せると、ニコリといつもの笑顔を浮かべ、両手を広げてきた。
ええと、今、レオンは、間違いなくサラマンダーを倒したのよね……。
ちょっと、やること全てが早すぎて、全く理解が追いつかないのだけれど……?